井草川、下流部のこと
井草川手ぬぐいプロジェクトの存在により、(行けないけど)しょっちゅう、井草川のことを考えてます。
今回は、下流部のことを少し。
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昭和37年7月の杉並区広報に、妙正寺公園整備の記事が載る。
このとき、既に第1期工事は終了。第2期工事では井草川両岸に遊具を設置する、という。
広報の図では井草川下流部が開渠で描かれ、妙正寺池から公園敷地部分の妙正寺川は暗渠で描かれている。
この杉並区広報の図は、ゴハン何杯でもいける色々とおもしろい。
ほぼ同時期の、国土地理院空中写真を見てみると、当たり前だが同じ形をしている。そして、これから整備されるのだなあ、という雰囲気も伝わってくる。
つぎに、(行かれないので)現在のgoogleストビュー写真を見てみる。開渠の井草川が存在していた部分は、少なくとも公園の北側入口から少しの区間は現在、不自然に盛り上がっている。
橋跡…には何もないようだが、図はあくまでも完成予想図なので。橋のまあまあ近くにウッドデッキみたいなものがあった気がするのだが、それは次に訪れたときのたのしみにとっておこうと思う。
今度は昭和49-53年の国土地理院空中写真。井草川を目で追う。
白いものが井草川の上に被さっているようだ。つまり、妙正寺公園内の井草川は、ちょうど暗渠化工事中なのではないか。
とすると、妙正寺公園内の井草川は10年以上、開渠でいたことになる。
その後、昭和54-58年の国土地理院空中写真においても、井草川の跡は目で追うことができる。
暗渠化後、井草川跡に沿って樹木が植えられた時期があるようだ。現在は樹木が取り払われ、子どもが駆け回れるようなスペースになっている。
(このことを呟いていたら、色々とおもしろい証言もいただいた。いずれ追記することとする。)
昭和37年杉並区広報のこの号が熱いのは、単に井草川が開渠で載るからだけではない。
これから造成される公園部分は、「井草川の西岸には少年向き、東岸には幼年向き」に、整備を進める予定だという。つまり、川を挟んで対象年齢を変える計画だったのだ。
そして計画はちゃんと実行された。
その「井草川の東岸の幼年向きゾーン」に遊具の設置がなされ、整備完了したのは昭和39年のこと(写真は杉並新聞より)。
子どもの遊び場が不足していた当時、元から釣り場として人気の妙正寺公園は、更に人気の場所となっただろう。
そしておどろくべきことに、舟の遊具は今も立派に現役なのだ。
最近見た方の情報だと、帆の部分は現在は失われてしまっているそうだ。
それでも、昭和39年からずっと子どもたちと遊び続けてきた、ベテラン遊具であることは間違いない。
さきの広報と新聞の位置情報を併せてみれば、赤い矢印の先にあるのは開渠の井草川、ということになる。
現在見ることのできる井草川の写真は土の護岸のものばかりなので、都市河川的な姿を写すものとしては、貴重な写真といえる。
そして、この舟が見つめる先には、井草川がある。
この舟は、開渠の井草川も知っている。暗渠の井草川も受け容れている。
井草川に、漕ぎ出したいと思ったことは、あったろうか…。初めて、この舟にわたしも乗ってみたい、と思った。
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そんなわけで、井草川手ぬぐいプロジェクト、少しずつ進んでます。
いつか、完成した日には、持って井草川を歩きたいなあ、と思います。
2020.5.15追記
寝る直前に、布団に入ってから「あ!下水道台帳!」と思ったが、睡眠優先とした。
今回何度も空中写真を載せてきたエリア、下水道台帳では、どうなっているのか。
こうなってます。
赤は合流管(汚水と雨水双方が流れる)、青は雨水管(雨水のみが流れる)なので、井草川暗渠の最下流部は雨水管に付け替えられたことがわかる。
井草川の流路にあるのが「妙正寺川上幹線」、西からやってくるのが「今川幹線」。その2つの下水道幹線に越流堰が設けられ、大雨時にはこの青い管渠に溢れた下水がやってくるという構造の模様。
その水は、妙正寺川開渠のはじまりの「落合橋」から現れる。落合橋のところでは、もう一つの下水幹線「桃井幹線」の余水もやってくることがわかる。
妙正寺池からの余水も合わさるはずなのだが、その管渠は描かれていない。下水道局の管理ではないということなのだろう。
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