台北の街なか渓流暗渠さんぽ
10月3日発売の東京人は「台北ディープ散歩」に、暗渠のちょこっとした記事を寄稿しました。
これまでは、文章多め・写真少なめで書くことが多かったのですが、今回は逆転、台北で出会った素敵な暗渠を、ご一緒に泳ぐような感覚で読んでもらえたら、という書き方です。メインは台北ディープといえばの執筆陣。栖来ひかりさんのY字路、渡邊義孝さんの日式建築、水瓶子さんの水路や歴史の話など、愛情の詰まった濃い記事がたくさん!
で、今回は、もともと用意していた原稿があったのですが、より素敵な暗渠に出会ってしまったので、元原稿をボツにしたという経緯があります。そのボツ原稿の方を、せっかくなのでここに記載します。以下、もう一つの台北暗渠記事、ぜひ東京人と合わせてお読みください。
また、ちょうど10月3日から、南阿佐ヶ谷の台湾茶カフェ茶嘉葉さんにて「台湾暗渠展」を行います。その展示内の一角とこの記事も、リンクしています。
台北の街なか渓流暗渠さんぽ
暗渠がない街、というものは殆ど存在しないという感触をもっている。大地が存在するなら、そこには必ず水の流れがあるからだ。現在川面が見えないとしても、どのような都会でも、失われた川は街並みの何処かに痕跡を遺している。台北とて例外ではない。
都心部にひそやかに遺る例をひとつ、挙げよう。忠孝復興駅北を通過する暗渠だ。ただしこの川には呼称が複数あり、どう呼べば良いのか、迷うところである。「上卑流域」とする文献と「渓流」とする文献があり、他方、現場には「瑠公圳公園」がある。瑠公圳とは東京でいうところの玉川上水のようなもの、すなわち台北の主要な用水路だ。この呼称の不一致は、日本統治下時代に多くの水路がひとまとめに「瑠公圳」と改称されたためであるようだ。ここでは大元の呼称に敬意を表し、「渓流」と呼んでいくことにしよう。
この渓流跡は現代の地図でも川らしさが漂うが、確認のためのアプリ「台北歴史地図」は有用だ。1974年の台北市航空写真を見ると、この川はくっきりと存在している。あちこちからの小川をあつめ、堀川へと合流してゆく流れだ。堀川の上には現在、新生高架道路が覆い被さり、開渠の箇所もあるが、暗渠部分が多い。1952年の台北市街路詳細図では新生南路一段とともに堀川は緩やかな弧を描いて南に延びるが、その弧部分に合流してくるのが、今回たどる渓流だ。接続地点に向かうと、水門らしき構造物がある。目の前は巨大な交差点なのであるが、蓋まであって川らしさが全開。ここから、遡ってゆこう。
堀川の暗渠部分の上には道路が走る。
二重の蓋暗渠のようなものだ。
沿って歩けば、除塵機や水門が川端の感じを醸し出す
台北科技大学前では、現役時代の水路写真のある説明板が添えられた橋跡が現れる。
川があった位置に小川が設えられ、水の記憶を教えてくれる
台北科技大学の先、しばらくは緑道となり街を貫いてゆく。両岸に屋台がある。意麺や魯肉飯といった文字を見るたび、嗚呼ここで暗渠を眺めながら食べたい、という欲に駆られる。しかし店は全て閉まっている。欲を抑えて建国南路一段を渡ると、今度は瑠公圳公園という看板が現れ、まっすぐで細長い公園が連なる。東京でいう「玉川上水緑道」みたいなものであろう。1974年時点では蛇行しているので、暗渠化の際に直線化されたのかもしれない。そのさき、地面に瑠公圳之第一霧裡薛支線、と書かれたプレートが出現。交差してくる安東街を流れていた水路の名だ。
両岸には古めのビルが立ち並ぶ。台北中心部には、凹凸地形は存在しない。しかしここでは、川筋を避けて建てられたビルが山肌のように、水のありかを指し示す。
比較的新しい瑠公圳公園に登場する古い壁。
色とりどりのペンキが塗られているが、往時の護岸か堤防だろうか。
他にも独特の遊具たちが緑道を賑やかす
川跡に緑道を拵える点は日本と同じだが、そのセンスはどうも異なっている。
井戸を4台、放射状に並べるなんて斬新だ。
夜に訪れたら、子どもたちが井戸から水を発射して遊んでいた。
流れた水の先では、水車が回っていた
緑道には多様な遊具が置かれていて、観察するのも愉しい。SOGO裏に行く手前、井戸と水車のモニュメントもある。龍門広場の斜めっぷりもまた、川らしい。そのさきは安和路一段、そしてビルの隙間となって辿れなくなる。ビルの隙間を眺めていると、傍らの料理店の店員さんに、「ここは入れないよ」というジェスチャーをされた。ここがもし東京だとしたら、好機とばかり「ここに昔、川がありましたよね」と話しかけていただろう。言葉が通じないことは、こういうときにもどかしい。
安和路一段の先の川跡らしき隙間。
この空間の詫びた感じは、渓流が呼吸をしているようで好ましかった
信義路四段を渡る。だだっ広い駐車場のような空間の裏に回ると、唐突に開渠が顔を出す。想像の斜め上の展開だ。暗渠が好きなはずだが、不意に現れる開渠には、いつも心惹かれる。この位置で、南からやってきた何本かの川筋が合流するようだ。名残が惜しいので周囲をうろつくと、2ブロック先で細流が再度顔を見せた。そろそろ、日が暮れる。最後に開渠を見られたことは、何よりのお土産であった。
一瞬の開渠。
オシャレインテリアストリート、文昌街との交差地点というギャップもまた、見る者の心を掻き乱す。
撮影地点には、信義路八號橋という立派な橋が架かる。
反対側にも欄干はあるが、その先は住宅に呑まれ、もう川の気配はない
水車モニュメント付近、店のある場所に戻って、魯肉飯と乾意麺。
暗渠を見ながら食べるご飯は川床のようで、また格別だ
暗渠さんぽの仕上げには、暗渠めしといこう。暗渠を前にして、台湾の美味なご飯をいただくという贅沢。先ほどの開渠の水が、ここまで流れてくるさまを思い浮かべる。目の前で、水面の幻影がゆらめく。夜の暗渠はとりわけ、川との境界が曖昧になっていくような気がする。
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