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2018年8月

さらなる天神川のこと

今回は、備忘を兼ねたちょっとした記事です。
桃園川支流である天神川(呼称が何通りかあり、わたしはこう呼んでいる)。
かつて何度か書いているものの、この記事で、流路の詳細を追ったのがおそらく最後。流路も水源と思しき池も、年代ごとに微妙に描かれ方が異なる、なかなか追手を惑わせてくれる暗渠だ。ごく最近になって下流部に支流の開渠が見つかるなど、目が離せない憎い奴。

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あるときふと「街ブラ研究会in中野」という情報が流れてきて、『東京「暗渠」散歩』の執筆者の一人でもある軍艦島の黒沢さんが、このエリアに馴染みのある人としてナビゲーターをするというので、参加してきた。7月の初め。
黒沢さんの子どもの頃は、この天神川跡の道はもっとジメジメとしていて、歩きたくない感じがしたそうだ。子どもの頃から暗渠を感じていたとは、さすが黒沢少年。
より下流の天神川のことを、親御さんが「あのドブが臭くて」と仰っていた記憶もあるのだそう。

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天神湯の裏側。
ここには、以前は湯を沸かすための木材が積まれていたという。そうか、煙突が折れてしまっことがずっと気になっていたが、もう木材は、つまり煙突は使われなくなっていたのか。

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天神湯の前の通り。
ここは北野天神社の参道ということもあって、店が並んでいる。
後から黒沢さんに「仕込みだったんですか?」と聞いてしまったほど、タイミング良く花屋の店主さんが現れて、あれこれ昔の話を教えてくれた。
花屋さんの口から、「その道はドブだった」という言葉が漏れ、思わず鼻息を荒くするわたくし。それはわたしたちが今、天神川の跡だと言いながら歩いてきた道のことだ。暗渠にされる前の姿をこの花屋さんはご存知で、なかなか汚かったという。

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我慢ができなくなり、思わず尋ねた。「あっちにも、もう一本ドブありましたよね?」
天神川の流路は、この天神湯付近では二本存在し、その「もう一本」の方が、実は現在の佇まいとしては上物なのだ。とても狭く、曲がりくねっていて、立ち入り禁止の秘められた感じがまた良い。

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花屋さんはもちろん、もう一本のこともご存知だった。
気になっていたことを、併せて訊いてみる。「どちらの方が後まで流れていましたか(暗渠化が遅かったか)?」・・・すると、「もう一本」の方が暗渠化が遅かったという。そして「もう一本」は、割と最後の方まで清流だったというのだ。
幅広の流路の方が排水路に転用され、そして汚いこと、住宅増加に伴い道路を増やしたかったことなどにより、先に埋められたのかもしれない。
狭い方の流路は、最後まで湧水が流れていたのかもしれないし、傾斜がありそうなので滞留しにくかったのかもしれない。さらに、狭い方の流路の脇には、近年まで、染物屋さんがあった。花屋さん曰く、遠くからもお客が買いにくるような、有名な染物屋さんであった、とのこと。ある時期までは、この天神川の清流を使って作業をしていたことだろう。
何回歩いても、新たな情報、人、謎と出会えるので暗渠はおもしろい。今回は、天神川の往時をより豊かに感じられる材料をいただけて、本当によかった。街ブラ研究会の皆様、花屋の店主さん、どうもありがとうございました。

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