滝口さんと歩いた宮本川
お久しぶりの更新は、いつのまにやら大晦日。
2015年は、暗渠を通してさまざまなひとたちと出会い、新たな試みをおこなうこともできた、実に幸せな年でした。暗渠マニアック!発売以降、いよいよ日々の発信が出来なくなってしまいましたが、何かしら「貯めて」はいますので、ごゆるりとお待ちいただければ・・・と思います(すみません)。
2015年は、暗渠を通してさまざまなひとたちと出会い、新たな試みをおこなうこともできた、実に幸せな年でした。暗渠マニアック!発売以降、いよいよ日々の発信が出来なくなってしまいましたが、何かしら「貯めて」はいますので、ごゆるりとお待ちいただければ・・・と思います(すみません)。
2015年最後の記事は、暗渠マニアック!的宮本川ツアーの、後日談とします。
船橋の章は、現地の往復、そして郷土史家による文献を読み漁って書いたものでした。もっともお世話になったのが、滝口昭二さん。実に幅広く地元の歴史をしらべ行動されているかたで、調べたい事項は必ず滝口さんの文献に行き当たり、思いつくルートは必ず滝口さんが既に歩き記しているという、まるでお釈迦さまのような存在だったのでした(笑)。
船橋の章は、現地の往復、そして郷土史家による文献を読み漁って書いたものでした。もっともお世話になったのが、滝口昭二さん。実に幅広く地元の歴史をしらべ行動されているかたで、調べたい事項は必ず滝口さんの文献に行き当たり、思いつくルートは必ず滝口さんが既に歩き記しているという、まるでお釈迦さまのような存在だったのでした(笑)。
宮本川ツアーの準備をしているとき、どうしても一目見たい、と思った古地図がありました。その地図をもとめ、お寺や小学校を回っていたら、なんと滝口さんに紹介していただける、という巡りあわせがありました。そして初対面はいきなり、宮本川を滝口さんと一緒に下る、という、ミニイベントに発展したのでした。
滝口さんはたいへん気さくな、そしてわかりやすく魅力的なお話をされるかたで、もちろん知識は豊富、手製の地図も丹念で、探究者として自分のモデルにしたい、と強く思いました。そしてなにより、ご一緒した宮本川では、見えていなかったこと、周辺情報、生きた情報、さらなる深堀を経験できたのでした。
過去記事と重複するため、宮本川の詳細は省きます。以下、宮本川記事の補足を兼ね、新発見を羅列したいと思います。
まず、上流端の池についてはあまり変更はありませんが、高根道までの水路は、滝口さんでさえも「はっきりとはわからない」とのことでした。わたしが推している日枝神社下の小溝は、「湧水や雨水排水路があったかもしれないが、本流とは言いがたいかも」という推測でした。高根道に沿った流れ、ということがやはり有力であるようです。
最大のおどろきは、わりと初っ端に起きました。
その高根道を過ぎた場所もわたしにとっては不明瞭で、地元の方がガストの脇を流れていたよ、と仰ったことのみが得ていた情報でした。
滝口さんは、ここに「2流ある」と仰っていました。その片方は、
その高根道を過ぎた場所もわたしにとっては不明瞭で、地元の方がガストの脇を流れていたよ、と仰ったことのみが得ていた情報でした。
滝口さんは、ここに「2流ある」と仰っていました。その片方は、

ここだというのです。
暗渠サインばかり目指してしまう自分としては、これほど「匂わない」場所はありません。ちょうどこの1ブロック隣に、いかにもあやしい細道があるのですが、それは「以前銭湯があり、通路として貸されていた私有地」で、暗渠ではない、ということでした。
かといって、ここだとは。一人で来たら確実にスルーだと思います(してました)。けれども逆さU字溝の隙間から覗き見れば、たしかに空間が残っていました。
しかもなんと、所有者とお知り合いだということで、奥の敷地にまで入れていただけました。

するとそこには、
開渠が。

まさか、こんなに立派な開渠が。ええー??
こんなことが、あるのか。千葉スリバチ会長と、高山氏とともに大興奮して写真を撮りまくりました。
それから、

まいまいずマンホール(もしくはスリバチマンホール)の通りが水路である可能性は薄そうです。既に並行するものが2本あり、ここの道路に水があった記憶があるかたはいませんでした。
この日、奥にあった神社は、きれいに散髪されていました。以前はもう少し広かったのだとか。

ガスト脇の暗渠がでてくるところ。先ほどの開渠との合流部でもある。
ここは以前も暗渠であろうと推測していた場所だったのですが、そこに滝口さんの記憶が合わさると、見え方がまただいぶ変わります。
ここに、たしかに開渠があった。そして、ドブの脇には細道がついていて、そこをよく歩いていたのだそうです。小学生のころの、滝口さんが。(脳内CGでどうぞ。)
おつぎは、わりと好きで毎回撮っていたここ。

ここは水路ではない、と通りがかりの人から言われてしまいました。奥の家(現在は廃屋)への入り口だったと。
たしかに、住宅地図を見ても、ここに水路マークはつねに無いのです。滝口さんも、そうかもしれないと思ったこともあるが、ちがうようだ、といった結論のようでした(はっきりとは否定されないところがお優しいのです~)。
が、小学校脇を進むと、

ここが小学校の排水路なのでは、ということでした。これは見逃していた!
宮本小学校の敷地に入れていただいたさい、小学校の縁のところには、ちいさな側溝がありました。もと水路かどうかは、なかなか判定の難しい雰囲気の側溝でした。
しかし、この排水路暗渠が存在することで、さきほどの家への入り口と言われた小径とここはつながり、となるとさきほどの空間も、傍流であった時代があるのではないか、と思わされるのです。傍流の存在は、小学校の敷地が複雑なくねりを見せている理由にもなるのではないか、と。
しかし、この排水路暗渠が存在することで、さきほどの家への入り口と言われた小径とここはつながり、となるとさきほどの空間も、傍流であった時代があるのではないか、と思わされるのです。傍流の存在は、小学校の敷地が複雑なくねりを見せている理由にもなるのではないか、と。
などと、往生際が悪いですが、ここはもう少し課題とすることにして。
宮本小の中には、砂山がふた山あり、上に墓地があった時代があった、なんて話をしたと思います。前校長の山本さんに教えていただいた情報でした。
その名残、もうないと思っていたら、いまもありました。

墓地井戸、と呼ばれていた(る?)そうです。
墓地で用いる水を供給していたのだとか。
それから、

小学校の向かいにはほんの少しだけ、墓地の名残がありました。
嗚呼、川沿いだけを歩いていたからどちらも気づかなかった。砂山の上にたっていた墓地群。いまは写真でしか拝むことができませんが、すべてが消えていたわけではなかったのでした。

もう少し下ったところ。文具店脇からザクザクっと入ると、変わった車止めがありました。
この「ザクザク入る」は、なかなか勇気がいるものです。しかし滝口さんは天晴な行動力の持ち主でした。また、お知り合いも多いので、「○○のところの滝口です」「あらぁ、どうも」と怪しまれることもないという。

下流部。
ここも滝口さんはザクザクと分け入っていきます。つられて我らも入ります。
滝口さんの旧地名、小字名、通称名などとにかく千葉の豊富な情報をお持ちです。いったいどうやってそれらを調べ抜いたのか、その術をいつか知りたいと思っていました。なんとなく、この行動力は一因であるような気がしました。
河口までいき、漁業権の話、ホテル市松の話、いろいろうかがって、名残惜しくも解散しました。むかしの街並みがより見えてくるような、たくさんの情報をお土産にいただいて。
さて、ゴハン(これ久しぶりw)。
市川の駅前、「かっぱ」で焼き鳥。
なぜ市川にきたのかというと、「市川真間に砂山の名残あり」と教えていただいたからです。宮本小にあったという2つの大きな砂山は、現在しか知らぬ者にとっては信じがたいものです。少しでも想像する手がかりを得ようと、滝口さんと別れたあと、市川真間に寄りました。・・・そこでの経験のことは、またいつか。

かっぱは、市川駅前を見渡したときそこだけ空気がちがっていて、なんとも気になるお店でした。入ってみたら中にかつての市川の鳥瞰図があって、あれこれ復習ができてすごく良かったです。
中も外も、とても風情がいい。
にんにくしょうゆたれで、焼き鳥を数本。ビール。
ぷはー・・・やっぱいいよなあ、バーチー。
そうそう、今回の行程です。

カシミールスーパー地形セットを触ってみたかっただけです。
宮本川のため、いったい何度東船橋に行ったことだろう・・・
わたしが幼い頃に見ていた東船橋とは、まったく異なる、世界の見え方でした。

おまけ写真。ずうっと時をさかのぼって、於東船橋。いとこと公園で遊んだときのもの。残念ながらこの公園がどれなのか、記憶にありません。土管のある公園、当時はよくある景色でした・・・
それなりに親しみのあったこの地、自分で探ることもとてもたのしかったけれど、滝口さんと歩くことも、ほんとうにたのしかった。滝口さん、山本さん、お世話になり、ありがとうございました。
そして最後に、お知らせがあります。
現在、滝口さん、そして山本さんにご協力いただく暗渠ツアー(+α)の企画が進行中です。
タイトルは、「暗渠マニアック!+千葉スリバチ学会 滝口さんと歩く城門川」。
日程はちょっと先ですが、2016年3月21日、海神あたりを歩きます。
詳細は今後、いくつかのSNSも使いつつお伝えしてゆきたいと思いますので、ご興味おありのかた、どうぞよろしく!
この宮本川ひとつとっても、御礼を言いたいひとは山ほどいます。書ききれないほど本当に、たくさんのかたがたのお世話になった1年でした。
あらためて、どうもありがとうございました。
あらためて、どうもありがとうございました。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
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