2004年の桃園川
暗渠マニアック!関連の、ちいさなお話。
制作も大詰めの時期、ある箇所のイメージを伝えたくて、ふとあるものを思い出し手に取りました。
「たしか、前の散歩の達人で、とても好きなページがあったんだよな・・・。」
好きな雑誌と訊かれたら、真っ先に散達!と挙げるほど、好きでした。
街を丹念に紹介するのがいい。
廃線や軍跡など、ふと単独である記事もいい。
知ってるものも知らないものも、自分のツボである確率が非常に高い。
その中でも特に大好きで、何度も、何時間も、眺めていたページがあったのだった。
それは、2004年。高円寺や阿佐ヶ谷の路地裏を切り取ったものだった。
わたしはこのページが、ほんとうに好きだったのだ。
理由なんてよくわからない。
知ってる場所も知らない場所も、その雰囲気も、「たくさん並べられた感じ」、も。
そして久しぶりに読み直してはたと気づくのです。
ああ、あそこも、ここも、桃園川の支流暗渠じゃないか。
北側支流のあの金太郎車止めは健在だけれど、落書きされてしまったな。
天保新堀用水らしき公園では、今はなき遊具が写ってる・・・!これはグローブジャングルか。そうそう、このあたりの時期、もっとたくさんあそこには遊具があった(何度も歩いてはいた)。すべり台、もっと下流にもあったよな。
匿名の投稿というのがほんとうだとしたら、このひとはきっと今近い趣味領域に居るのではないのかな。
いろんな思いが駆け巡り、そしてやっぱりマジマジと(執筆で切迫しているにも関わらず)、この宝物のような少し前の桃園川と、路地裏写真たちをながめていたのでした。
2004年当時、わたしはまだ「暗渠との出逢い」を果たしてはいない。
けれど、ある意味では既に出会っていたし、やっぱりわたしはこういうものが大好きなのだ、と。自分の中の妙な「一貫性」のようなものに、納得しうれしくなるひとコマでした。
暗渠マニアック!の、とあるページは、実は、こういったものからインスパイアされていたり、します。
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