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天井川のいまむかし

しばらく更新が滞ってしまいました・・・いろいろあって、こちらに割く時間が取れなくなってしまったのでした。あと、あらたな暗渠に行く時間も。

それで報告が遅くなりましたが、先月の西荻暗渠探検報告会はおかげさまで盛況であり、他の方々とのやり取りもたいへんおもしろかったです。ご参加のみなさま、関係者のみなさま、ほんとうにありがとうございました。

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でも、出張ついでの暗渠さんぽはたのしんでいました。
今回は、神戸の記録。地方の暗渠記事は、調べないでいいことにしてるからちょっと楽なのです・・・

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ホテルを取る暇もろくになかったので、2日くらいまえに適当に残っている宿をおさえ、新幹線の自由席に飛び乗りました。宿があるのは、どうやら新開地、という場所らしいです。

初日の仕事を終え、新開地にゆき、周辺をぶらぶらします。

ここの景色を見てまず思ったことは、「湊っぽい」、でした。
再開発を待つのか、歯抜けになった土地、ふるい家屋の向こうに新しくて大きいビル。そういう場所ってところどころにあるだろうけど、中央区の湊の雰囲気がもっとも近いと感じたのでした。

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新開地は神戸というより大阪のような街という印象で、立ち飲みの串揚げ屋さんが何軒もあり、おっさんがひとりで酒を飲み、各種ギャンブル場があるようでした。

その風情はひじょうに好みであり、街に溶け込んだふりをして立ち食い蕎麦屋に入り「キムチ天ぷらうどん」なるものを食し、しばし街を観察していました。嗚呼、良い看板。
この看板のあるアーケードは、水のにおいはあまりしなかったのですが、地図を見ているとどうも気になる、運河跡のような区割をしているのです。
そこで今昔マップをみてみると、

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すごく運河っぽい。すくなくとも「湊川」という水路があったようであり、川跡に遊園ができた時代もあったようです。どんどん興味が湧いてきて、検索してゆくと・・・

かつてここに、湊川という河川が在ったことがわかりました。しかも天井川(土砂の堆積で次第に河床が高くなり、それに合わせて堤防をつくることにより、どんどん周囲より高くなる川。DPZでも天井川の川跡が紹介されていました)であったため、付け替えられたと。ちょうど明治期の地図では、新湊川が開削され、そのかたわらで湊川の上に湊川遊園が出現しているのが見て取れます。

神戸といえば地下河川にハマりつつあったので、今回は鯉川暗渠にゆき、また河川マンホールを見ようかな、などと考えていましたが・・・最早それどころではありません。下調べもせず適当にやってきた場所が、まさに旧川道であるなんて。しかも、最初に「湊っぽい」とつぶやいた場所が、「湊川」の跡であったなんて。

・・・翌朝は旧湊川跡を歩き回ることに、決めました。
(ちなみに検索すると、最初に庵魚堂さんの記事が出てくるのです、さすがです。)

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さて翌日。
川跡のところだけ古い建物が並んでいます。そうか、昨晩のあの歯抜け地帯もか。
川の上にばかり、古くて渋い飲み屋群とレジャー施設が集中しています。

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ちなみにレトロな洋食屋さん、グリル一平も川跡の上にあります。時間が前後しますが、これは最終日に食べた天井川暗渠オムライス。

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・・・川跡の外側のほうが低いのでした。
こんな地形だから、水のにおいがする、とはとても思えなかったわけです。

しかし天井川の川跡だとわかると、このながめは、もう、すばらしくおもしろい!つまりここは堤防なのか。。

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上流に遡っていくと、そこは、もっとすごいことになっている。今立っているところは川の外。向こうの高い土地が、川の中。うはぁ・・・。

上は湊川公園になっています。湊川公園は、戦後一時引揚者宅、遊園地、芝居小屋などになっていたそうです。サーカスがくるときも、神戸タワーが立っていたときも・・・。いまはパチンコ屋さんやラウンド1などになっているけれど、なんとなく、たましいは継承されている。

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で、この湊川公園の下の部分に商店街があって、入れるのです・・・

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入ります。
溢れる昭和感。朝なのでほとんど開いていなかったけれど、現役のお店が多そうでした。

ここは旧湊川の下にある場所。ということは、暗渠の中のようなもの!(むしろ川の下だけど)・・・と、大興奮してあるきました。

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奥にあった光線、という名の喫茶店。
3日目はこの暗渠「中」喫茶店で、トーストとコーヒーのモーニングと洒落込みました。

そしてそのために、2日目の朝はほかの暗渠沿い喫茶店を2軒ハシゴして2回モーニングをたべる(悔いのないようにと)いう気合の入りようでした・・・このへんのタマゴサンドは、玉子焼きが入ってておいしかった!

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遥か頭上を川跡がとおるよ。

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川から街を、見下ろすよ。

そしてこの方向に、遊郭跡があるのです。

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福原遊廓の名残、いまもあります。桜筋と柳筋、ソープランドがぽつぽつ。
吉原の中を歩いているときととても近い感じがしました。吉原のみならず、いくつかの遊郭跡(中村、金津園)を朝にあるくと、その空気、建物、店名、立地、街のかたち・・・いま自分がどの遊郭跡にいるのか判らなくなるほど、似ている気がします。

このサイトに往時の福原が載っています。
福原遊郭は明治4年に、計画的につくられたものなのだそうです。それは神戸が港町であることと関連します。開港によって、外国人、それから軽輩のものが出入りするので、と、市街地から隔離されたこの地に遊郭ができました。その条件に合うのは、川べり・・・吉原と通じるものがあります。

福原遊郭誕生は、前述の旧湊川が娯楽の場となったこととは独立のおはなし。たまたま、その30数年後に川跡が栄え出し、両者がともに繁盛することとなったのだそうです。

さて旧湊川に戻り、遡ってゆきましょう。

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また地下街がありました。またも川の下に潜ると、そこにはやはり昭和っぽいお店が並んでいました。入りたくなるような定食屋さんがあり、もう何泊もしたかった・・・

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川跡の上にもどってくると、上流は引き続き商店街でした。こんどは東山商店街という、とても活気のあるアーケード。とくに魚屋さんが充実していました。見たことのないお魚や、いきいきとしたタコや。友人の土産にと、いわしせんべいを買いました。

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新湊川ふれあい会館、という建物に遭遇。
”河川防災ステーション”と書いてあるので、なにか川絡みの展示でもしてやいないかと入ろうとしたら、休日はオヤスミでした。でも、なにやら作業をしているおじさまがいらしたので、思い切って旧湊川のことを聞いてみました。
すると、明治に付け替えられたこと、その理由は洪水だけではなく、この川と堤防により神戸の街と交通が分断され発展が妨げられることも大きかったということ、付け替え工事は民間の会社が協力してやったこと、などを、教えてくださいました(※)。いま、下を下水管が通っているわけでもないことも。
それから、湊川隧道の一般公開のご案内もくださいました。湊川の付け替えの際に、山の下を通すことにしたのでつくられたという、明治からあるふるい隧道。これ、いつか行ってみたいなあ。・・・おじさまがた、突然でしたのにありがとうございました!

※湊川改修に関する文献においても、付け替えの理由は、1.流出する土砂による神戸港の機能の低下を防ぐ、2.神戸と兵庫の間に横たわっていた交通上、経済上の障害の除去、3.洪水被害の防止、とされていました。

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ふれあい会館は、付け替え地点のすぐ近くにあります。つまり旧湊川の川跡上流端まできました。

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そしてこれが現在流れる開渠、新湊川、です。河床の低い河川として、西へと流れていきます。

新開地より下流もたどってみましょう。

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アーケードが途切れた先には、ボートピアに、大型の劇場がいくつか。
嗚呼、ここでもまだまだ、土地のたましいが。

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飲み屋さんも、たえずありました。そして他が閉まっていても、飲み屋さんと立ち食い蕎麦屋さんはやっている、という光景がたえずありました。

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さらに下ると、こんな場所に出逢います。

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稲荷市場。近くに稲荷神社があるからのよう。
真っ暗だったのは、日曜日だから、らしく。開いているときにきてみたかったです。ここも、川幅からいって湊川上のはず。

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その下流側も閉まってたけど、

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やっぱり飲み屋さんだけはあいていて、ここだけ人がいました。
すごい・・・旧湊川のこの一貫性。

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そろそろおしまいです。河口の方角に、工場が見えます。

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川崎重工業の工場のようです。
これもまたむかしからあるもので・・・、明治期は川崎造船所だったようです。旧湊川の川尻が埋め立てられ川崎造船所に売却された記録もあるようで。まだ手に入れていませんが、村松帰之「わが新開地」内では、いまたどってきたエリアを、当時行き来するひとびとが三つの色に例えられているのだそうです。福原の女たちを「赤き流」、繁華街にあつまる不良少年を「黒き流」、そして川崎造船所の職工を「青き流」と・・・。

暗渠に感じている興味を、詰め合わせにしたようなこの旧湊川跡。唸りながら地図をみていると、・・・あ、いまも細い開渠がある!

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うわあ・・・これはステキな。

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団地の下から突如あらわれたこの細い開渠は、工場に流れ込んでいくものでした。
なんという水路なのでしょうか、旧湊川の名残川なのでしょうか・・・

これで旧湊川の跡は上から下まであるいたわけです。

けれど、このときの暗渠さんぽは、もう少し続きます。
もともと、神戸出張が決まった時点で、関西に居る友人と遊ぶ約束をしていました。そして、わたしが行きたい場所を選んでよいことになっていたのですが・・・それが、たまたま、高川という天井川だったのです。そう、もともとわたしは現役の天井川をあるくつもりでいた。そうしたら、その前に、宿泊先が天井川の暗渠にあった、という巡り合わせだったのでした。

高川は、すべて辿る時間はありません。友人らと合流し、呑む予定である十三に近づいて行って、適当なところで切り上げる予定で。
思いのほか都会のビル街をはしる北大阪急行電鉄にのり、緑地公園駅に集合(地図上の印象として、西武線沿いのようなイメージでいたのが、ぜんぜん違ったということです)。

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高川はこんなふうに、豊中市と吹田市の市境を流れ下ります。

さて、現役の天井川を見にゆきましょう。旧湊川も、むかしはこうだったかな、なんて想像しつつ。

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緑地公園駅のそばの高川。はじめはふつうの川に見えました。

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それが、歩いていくと、だんだんと自分たちのいる川沿いが高くなってゆき、すごく不思議な感じになります。

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あれ、あそこ、色が違うなと思った場所は、

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下を道路が走っているのでした。

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うわあ・・・

目の前のトンネルの、天井の「上」を開渠が流れているのです。上を。嗚呼・・・湊川公園のところの景色と一緒だ・・・

でもほんとは、ここのトンネルはもっと古めかしくて良い感じだったはず。ネット上にはそのような写真が上っていたのですが、どうも、わりと最近に新しくされたようですね。

ぴかぴかのトンネルにはやや残念な気もしましたが、それを上回る天井川のパンチ力。そして、旧湊川を歩くときに力を貸してくれるであろう想像力を得られたのは、とてもよかったです。

そしてここで高川と別れ、去年にひきつづき十三でお酒を飲んで、宿にもどってきました・・・

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ちなみに衝撃的なことに、今回の宿泊施設は、なんでかラブホでした。
ラブホでひとり、寝起きする。まったく落ち着けませんでしたが、旧湊川沿いは、娯楽とエロスの街であることを考えれば、これ以上ぴったりのロケーションは無いかもしれない。直前に〇〇トラベルでろくに考えず申し込んだために(?)起きたこのハプニングさえも、絶妙な味わいがありました。

たまたま泊まった川跡沿いの宿。
たまたま連続で見ることになった、新旧の天井川。
できすぎている偶然は、このところ新しい暗渠に向かえないでもどかしくしていた、わたしへのプレゼントであるような気すらしました。

神戸に感謝。地下も深いが、盛り上がっている場所も深かった。奥深い街です。

<文献>
大槻洋二 1997 神戸・新開地の空間形成と歓楽街成立の契機 : 近代都市の歓楽街形成に関する史的研究 その1 日本建築学会計画系論文集 (496)
吉村愛子・神吉和夫 2003 明治期の民間会社による河川改修事業の計画と施工過程―湊川改修株式会社― 土木史研究 講演集 vol.23

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