阿佐ヶ谷トルコ事件
お知らせ。
9月3日発売の「東京人」10月号にエッセイを寄稿させていただきました。このブログに書いてきたようなことを、1頁にまとめたものです。ご覧いただけましたら、幸いです。
(自分にとっては憧れの雑誌のひとつだったので、実はとってもうれしく、興奮していたりします。編集さん、お世話になり、ありがとうございました。)
***
今回は、「杉並、昭和の事件」シリーズ、第3弾。
過去の新聞記事をもとにしたシリーズ、そろそろ「昭和の事件カテゴリ」を作りたいですが、今回は同カテゴリ記事へのリンクだけ貼ります。
これらは善福寺川のあげ堀、神田川のあげ堀という2つの暗渠を舞台としていた事件たちでしたが、今回の舞台は、
阿佐ヶ谷です。
前の2事件のように川そのものは出てきません。が、桃園川流域の湿地で繰り広げられたお話でございます。さてさて、はじまり、はじまり・・・
注:トルコ風呂という言葉は、性風俗用語としては日本では1984年に使用中止となっています。したがって現在使うべきではないものですが、当時の記述の抜粋箇所では原文のまま、筆者の文章ではソープランドと改めることにしたいと思います。
***
「杉並にもトルコ風呂」
昭和41年4月7日、杉並新聞に強烈な見出しが出現する。
否、見出しというよりも、淡々と事実だけが書いてある記事。それがむしろ強烈だった。
この頃の杉並新聞を順ぐりに読んでいると、或る記事の後に読者が反応して炎上、という流れが時折ある。なんとなくこの記事は、そんな予感が漂うものであった。
”新宿や中野につづいて、こんどは阿佐谷へのトルコ風呂進出が計画されており、<中略>申請が出された。”
場所は、阿佐谷北2丁目だという。名称は「阿佐谷トルコ」。94.32㎡、5階建て。
1階は待合室、2~4階に個室が5~6室ずつ、5階はボイラー室。なかなかの規模である。
当時の、そのあたりの写真をみてみよう(gooさんありがとうございます)。
右端にある小学校が4階建てのようだから、5階のものなどそもそも建っていないように見える。もしここに5階建てのソープランドができたなら、それはそれは目立つに違いない。
それにしても、阿佐ヶ谷駅前、か・・・。
杉並のなかでも、荻窪でもなく高円寺でもなく、阿佐ヶ谷、というところに、たとえ偶然であれ、唸ってしまう。
エロスは、低湿地に在ることが多い。吉原然り、歌舞伎町然り。そして、中央線杉並エリアの各駅の中で、もっとも低湿地に建つのが阿佐ヶ谷駅なのだ。
(但し、厳密にいうと当該場所は谷底ではない。しかし、これから繰り広げられるものがたり全体をみれば、低湿地で行われたこと、と理解していいだろう。)
1週間後。
「トルコの進出に反対 商店や幼稚園がのろし」
新聞1号ぶんだけ、嵐の前のように静かだった。
しかしその後、事態は急に進展する。幼稚園、小学校、住宅街が近接していることが、主たる問題点であるようだ。後の紙面のことばを借りれば、ここで”ホーハイと反対の火の手”があがる。
まず、北口商和会がこの件で4月13日に緊急理事会を開く。
どうやら申請者は、町内の人物らしい。町内会内部から留意するよう説得、という働きかけは既に行われている。しかし決裂したようすである。
”この本格的トルコにだんこ反対、たたかう向きだ。
幼稚園、学校が点在しているのに許せない!”
記者の感情さえも伝わってくる記述。炎上開始、である。
ちなみに北口商和会とは、この一帯である。
近い時期の地図を失敬。黄色い円のあたり(東京時層地図より)。
現在は、
このような雰囲気をしている。この場所で、戦いの火ぶたが切られた、ということになる。
「広がる反対の火の手」
4月14日には地元の各組織が都に、4月15日には商和会が区に、反対の陳述書を提出する。
また、建設予定地に通ずる私道の地主は、「絶対に側溝をつくらせない」と強い態度を示している。
翌週。
「街頭で3万人の署名」
署名運動もはじまり、4月18~20日の3日間、阿佐ヶ谷駅前でおよそ3万人分の署名が集められた。写真の主婦たちは、タスキをかけ、電車の乗降客一人一人に呼びかけ署名を集めたそうで、すっかり声を枯らしていた、ということである。
24日には、「幼稚園連合会も起つ」
なんと「杉並区内全幼稚園母の会」までも動員、署名運動をすることとなった。
・・・なんだか、杉並区全体の話になって来た。
SNSなど存在しない当時、このような勢いで運動が広がっていくことに、わたしはあらためて驚く。新聞、それから口コミだけでひとびとは動いているはずだ。
”ウワサは雪ダルマのごとく伝わった”
ひとびとはとても頻繁に、じかにコミュニケーションをとり、ともに行動していたことがうかがえる。そして、そのパワーのなんとも大きなこと。
しかしなぜ、杉並区全体の話になったのか。
このソープランド阿佐ヶ谷進出の話は、杉並初、という位置づけとなるらしい。阿佐ヶ谷を許してしまえば他の地区にも、という恐れを抱いたということのようで、”文化地区といわれる杉並区に大きな汚点”という描写がその想いをよく物語っている。
この当時、吉原から流れてきた若い女性が高円寺の喫茶店などを使って売春を行う記事も幾つか存在する。したがって杉並に性風俗の商売が存在しないわけではない。しかし、この本格的風俗施設をつくるか否か、ということは、杉並区のメンツをかけた大戦争だったようなのだ。
ちなみに、このとき中野に一軒、吉祥寺に二軒目が建設中であるという。吉祥寺の二軒目って、中央線から見えるあのソープランドのことではないだろうか。古そうだものな。新聞記事と現在がつながり、少しうれしさを憶える。・・・いやいや、当時のひとびとの熱い戦いに戻ろう。
反対派の動きは矢継ぎ早で、お次は凄い援軍がやってくる。
「市川さんも乗出す」
市川房枝女史が激励に登場する(同じく24日)。
市川女史は、”(スチームを使う蒸し風呂のみの)健全な営業なら極めて健康的だが、トルコ嬢が介添えすること、個室になっている点が困るんですナ”と言った、という。
「ナ」と言ったかどうかは知らないが、ほか二人の国会議員を招き、現場も見てもらったうえ、国会における立法化の促進などを討議した模様だ。
ソープランドが阿佐ヶ谷に出来れば、井草、高円寺、荻窪にも進出は必至で、食い止めねばならない、と、記事は続く。
井草が次に来るのが、なんともおもしろい。ここでも低湿地がつながる。
数号ぶん、怒涛の反対運動記事が熱っぽく続いたが、ここで一度間が空く。出来る限りの措置は行った、ということなのだろう。5月26日に、これまでのおさらいと今後の展望記事がある。後の記事を参照するに、現場を見て小学校との近さにおどろいた議員が国会に法案を提出、可決していく時期であるようだ。
しかしこの間、地元のひとびとは手を休めず、現場での戦いを繰り広げてもいる。
6月9日。
「通路にとどめのクイ」
ソープランドの建設予定地までの道は私道であるので、地主の許可を得て通路の二カ所にこのような杭を打ち込んでいる。
これにより、建築資材の運搬をシャット・アウトし、またこの杭を無断で壊せば器物破損で訴えるかまえである、というのだ。それから、周辺の井戸水調査を済ませ、ソープランド側での井戸の掘削に際した体制もととのえている、という。
さてこの場所、現在はおそらくここだろう。
この場所、実は商店街の一本隣である。アーケードから脇に入る細道と、それから別な道から入る道(この位置)、2箇所の入り口に上記の杭は立っていた。
いま、問題の場所にエロスのかけらがないか確認してみたが、特にはなかった。あのとき一丸となって反対したたましいが、今も土地に残っているかのようだ。
また少し、間が空く。
6月23日。久しぶりの記事は、反対運動の事実上の終わりを告げるものであった。
規制法の衆院の可決でほぼ確定、となる前日の記事である。風俗営業法が一部改正となり、学校、図書館、公共施設から200m以内のソープランド建設を規制するというものになり、阿佐ヶ谷の当該施設は建設できないことになる、というわけだ。
法の実施は7月1日からであるのだが、前述のような地元での建設防止策も奏功し、安心してよいというところまでこぎつけた、ということらしい。
”二十団体六万人”の協力で展開してきたこの運動は、約2か月の間続いたが、ここにて収束する。阿佐ヶ谷駅北口で乾杯をするひとびと、笑顔で握手をする奥様がた、なんかを想像しながら、わたしも数枚の杉並新聞のコピーを閉じる。
***
さて、ゴハン。
阿佐ヶ谷北口で、もっとも昭和なお店を探します。
富士ランチ。じつは、はじめて。
時が止まったかのような、外観に内装にメニュー。カレーライス500円、ハンバーグライス560円。
少しだけ迷ったけれど、Aランチ460円にします。
ああ・・・ジンと来る見た目。アジフライ、ウィンナー(赤いのが来るかと思いきや、茶色のものが揚げてありました。ゴハンがすすむ)、付け合せのスパゲティ。千切りキャベツにもソースをかけて、おかず扱いにしちゃおう。
もぐもぐ。もぐもぐ。ああ、昭和、だ。これこれ、こういうのでいいんだよ(五郎風)。
トルコ事件のときから、このお店は此処にあったかな?
此処から目と鼻の先、阿佐ヶ谷の低湿地ではかつて、こんなにアツい戦いがあった。
地元の雰囲気を護るため、ひとびとはこんなにも強く結ばれていたんだなあ、とか。
側溝や井戸って、制裁に使われていたんだなあ、とか。
しみじみと想像しながら、箸を置く。
ごちそうさまでした。阿佐ヶ谷とはつくづく、味わい深い土地です。
<文献>
杉並新聞1367号、1369号、1370号、1371号、1372号、1381号、1384号、1388号
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コメント
namaさま。東京人への掲載、おめでとうございます!読むのが楽しみです。今回のトルコ事件は側溝と井戸が登場するのが驚きです。この時代、お風呂は井戸水で、側溝排水なんだなあ。しかし武蔵野台地は井戸水が豊富に出る場所は限られるはず。私も現場に行ってみたくなりました!
投稿: 大石俊六 | 2014年9月12日 (金) 21時21分
おおっ、うっすらと覚えていますよ、この出来事。私が、中学生か、高校生の頃、文教地域にとんでもないものができる、と結構、際立った運動のようでした。戦後、原水爆禁止の署名運動の起こるような所ですから、「トルコ風呂」建設反対の激しい運動が起こって当たり前というような、何となくそんな気持ちでいた記憶があります。阿佐ヶ谷駅は、ほぼ毎日通ったり、使ったりするので、このブログの記事を、興味津々で読みました。冨士ランチ、懐かしい佇まい、いつ頃から、あそこにあったかなあ。そうそう、東京人への掲載、本当におめでとうございます。
投稿: bb5は最高 | 2014年9月18日 (木) 01時21分
>大石さま
どうもありがとうございます。東京人は、ここを読んでくださる方には、なんら新しい内容ではないのです・・・あまり期待しないでくださいね。エッセイだし。
で、そうそう、そうなんです!本当に同じ個所にわたしも引っかかりました。井戸と側溝が大切だった時代。。阿佐ヶ谷は、井荻・天沼地下水堆のちかく(←天沼弁天池が中心ということ以外正確な形を忘れてしまいましたが)だし、今回の建設予定地は低くはないですが、その近辺で何箇所か湧水があった話を聴くような場所です。きっと豊富に井戸水が得られる場所ではないかと思います。現場は地味な路地ですが、ぜひ機会があれば行ってみてください。
>bb5は最高さま
どうもありがとうございます。
なんと!ご記憶に!新聞を見ていてもすごく盛り上がっていることはわかるのですが、なにしろ2か月で収束しましたから、地元の方のご記憶にあるものかどうか・・・と、思っていましたが。そうだったんですねぇ。数ある事件の中でも余程のインパクトだったわけですね。当時のことをご存じな方のお話し、本当に面白いです。この、駅前の署名運動なんかも、じかに見ていらした可能性がありますね。
投稿: nama | 2014年9月18日 (木) 12時29分
興味深く読ませていただきました^^
阿佐ヶ谷は少なからず縁のある所ですが
(なぜか友人が多く住んでいた)、
ラブホ街やソープ街のように
エロスな所はまとまって存在するという
意味がわかる事件ですな~。
投稿: YKK | 2014年10月22日 (水) 10時37分
>YKKさん
おひさしぶりです!コメントありがとうございました。
阿佐ヶ谷にご縁がおありでしたか。
ここ、いまは小ざっぱりとした一角ですよね~。
エロスのない場所にもエロスがらみの歴史があることがある、おもしろい事例でした。
投稿: nama | 2014年10月25日 (土) 11時24分