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2014年6月

ダイナミック・チバの暗渠と軍跡 東船橋(宮本川)編

久しぶりの更新は、溜まりに溜まっているチバ編。
この地は、明治以降にしぶしぶ発展してきた杉並と比べるとずっと歴史あるところであるからか、おもしろい史料がたくさん出てきます。

以前、船橋の史料にて「花輪を流れる川があった」という記述を見かけ、旧地名花輪の地図上にひとつだけ開渠(実際は暗渠だろうけど)を見つけ、それで、歩きに行きたいな、と思ったのでした。花輪川というのかぁ、と思いながら歩いたその暗渠は、チバ暗渠のダイナミックさを惜しみなく発揮する、じつに良いものでした。後日、史料をさらに読んでいると、どうもそこを流れるものは宮本川といわれるらしい、と気づき、船橋市の河川情報を見てみれば、花輪川と宮本川、両方書いてあります。・・・まだ、花輪川の特定ができていないけれど、今回は「宮本川」を辿ることにします。

舞台は東船橋、旧五日市村の一部。

Map1_3               google earthさんありがとうございます。

東船橋には叔父が住んでいるから、小さな頃から何度も来ています。
いつも猫を数匹飼っている叔父さん宅。東船橋駅からそう遠くないその家への道のりはとくに起伏はない記憶で、駅前は現在だいぶ店が増えたけど、むかしは何もなくて、なんとなく淡白なエリア、という印象でした。

そのエリアに、暗渠がある・・・今回は叔父の家をスルーして、水源へと向かいます。平坦な地形は駅前だけで、数分歩くと規則的だった地割も変化し、たしかに下り坂があらわれる・・・

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下っている途中、気になったのはこれ。道祖神社。
この地に悪いものが入ってこないよう、守る神様なのだそうです。立替の時、いろりの下から金のわらじが二足出た、というはなしもあります。

まもなく水源に着きます。

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周辺を歩き回れば、この場所だけまぁるく凹んでいることがよくわかる。

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ここがおそらく、底部分。

道路の感じも不自然。
そして傍らには、神社がありました。

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厳島神社。地元の人は弁天様と呼んでいたらしいです。
疣(いぼ)神様、とも言われたここの神様は、美人だったが疣があり、皆に笑われていたため、疣がある人を治すことを誓った、といいます。付近のひとは、疣ができたときにお参りにきたり、疣がとれたらさし(?)を奉納しにきたそう。
旧宮本町に弁天様がここ1つしかないのは、浅間神社の木花咲邪比命と美を競ったから、といわれる・・・などなど、こんなちいさな神社に、ずいぶんといろいろな伝承が残っています。それほど、ここには昔から人びとが住み、賑わっていたということなのでしょう。

ここにむかし、池があり、小川が流れ出していました。
まさにここの旧小字名は「池ノ端」。いまでも、アパートの名前や、公園の名前に「池ノ端」は残っています。
池は、幅50m、長さ150m、深さ6~7mの大きさだったといいます。
江戸期に堰き止められてできたのではないか、と考えられています。湧水があったような記述もあります。・・・宮本台区画整理事業のさいに、この池は埋められ、今は湧水の一滴もありませんが。

ここから流れ出した小川は、このような地形を流れ進んでゆきます。

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岬には日枝神社があります。
住宅と日枝神社の高台の間を、宮本川は流れていました。

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上流は暗渠に入り込むことができませんが、うろうろしてみると少しだけ。たとえば、駐車場の端っこに気配があります。

この、宮本川の西の台地を峰台といいます。
高い位置に峰台小学校があります。かつて船橋が入江だった時代、現在峰台小のある位置に慈雲寺があり、そこの鐘が江戸川に沈められたことが”鐘ヶ淵”の由来になっているという言い伝えもあるほど、立派なお寺であるようです。大峰山慈雲寺というその名は、峰台という地名のもとにもなっています。里見合戦にて焼失、いまは台地より少し下の位置に移ってきていて・・・友人のはからいで、この慈雲寺にお邪魔する機会があって、そこでお話を聴いたうえ、あつかましくもお子さんの社会科の教科書「わたしたちの船橋」をいただいてきてしまいましたw。ありがとうございます。

さて、宮本川は相変わらず、あまり姿を見せてくれません。

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おそらくここの下を流れているかな、という場所。
ららぽーと御用!

このお店の下流ではいよいよ、宮本川を見失ってしまいました。
谷底を歩くも、どこもただの道路。

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さまよいながら、やっと見つけました。宮本小学校の近くまで来たところ。

宮本小あたりの旧小字は、ずばり「小池」といいます。
かつて宮本小がここに移転してくるとき、「小池校舎」と呼ばれたとか、小学校の北側はむかし、道よりも少し低い土地で池っぽさが漂っていたらしいとか。傍らにある了源寺の地図には、「古池」と書かれた池の印がついているといいます。
ただし宮本小に関する資料を見てみても、ここが池であったとまでは書かれません。が、池を埋め(或いは埋まり)てできた、まとまった土地を小学校用地とすることは少なくはないわけで。

宮本川は、このあたりで池となり、そして「消滅していた」と記述されます。

はて?

これより下流=南側は旧小字名が花輪、すなわち台地を指す地名だというのです。また、小池は、谷が砂州でふさがれてできたものだ、というのです。
川として流れ出ずに「消滅していた」というのはどういうことなのか・・・?

水は、砂州の下へと浸透するかたちで流れ出していたのだ、といいます。

あ、そうか。

ここで思い出すのは、津田沼の庄司ヶ池。あそこは、大正期に排水路をもうけたものの、それまでは目に見える水の出口は無かったのでした。庄司ヶ池も小池同様、水は砂の層を滲むことで排出されていたのか・・・

思いもよらない、池の成り立ちと構造、共通点。偉大なる自然のちから。やはり、バーチはおもしろい。

宮本小学校の前、

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妙に広がった道路を目で追ってゆくと、

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ジャングルのような暗渠が出てきました。ボファァ。
この流れは小学校の校舎の脇をぐるりと囲むように(敷地は川に合わせていびつな形)下ります。暗渠脇にはすぐプール。

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見逃しそうになりましたが、今のもののほんの少し西にも一本、傍流がありました。

すなわち、現在は小池より下流側にも流路が認められ、宮本川は「消滅して」はいない、といえます。
しかも、2流。・・・ここらは、宮本川によって灌漑されていた田圃地帯だったのでしょうか。

そして、この付近で暗渠は存在感を際立たせてきます。
下ってゆけば、めくるめく暗渠ショーのはじまり!

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いきなりですが私的宮本川ハイライトの登場です。クランクしまくって、こうなります。
一段高いアスファルトに、直角曲がりに、立入禁止に、ゴミ捨て場に、なんか立派な朽ちた株!

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傍流のほうは、きれいめのコンクリ蓋がつづきます。

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橋のようなものも。

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おっと行き止まり。
暫く続いた一本道の果てという、この手の行き止まりが一番つらいですね。戻るにしても、アクロバティックに乗り越えるにしても。

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またなかなか入れなくなりますが、追っていくとココから出てきて、

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道路の左側を下り、

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ココで道路を逸れて突然の左折。

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とてもわかりにくいけど、ここを流れる。

どうしてわかるかって?

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ひっそり、護岸が残っているから。でした。

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その先はもっとすごいことになっていて・・・息を呑みます。これは、入れない。

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と、下流に回ると、突然あたらしい未舗装の土地になっていました。
つい最近まではきっとぼっさぼっさに荒ぶる暗渠であったに違いない・・・その頃も見たかったな、と思いつつも、このくるくる変わる表情もカワイイな、と感じます。

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その先はこう、直角に曲がって。

というかこの道は、さきほどの廃墟から「回り込む」ときに、通ってきた道。最初に通ったときは、うっすらとこの左端のスペースに違和感を覚えた程度でした。それが、上流から脳内でつなげていって、ああここも川だったか、となったときは膝を打つどころではない「ああ!なるほど!なるほど!どうりで!」と大きな感動を覚えたりします。

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左折したら、また入れてもらえない。

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カクっと曲って、こんどは建設現場のトイレの下を通り、

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建設現場と道路を挟んだ向かい側に再出現するときには、新しいコンクリ蓋暗渠ちゃんになっていました。

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そこは整然。

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同じ行き止まりでも、こういう止め方はありがたいですね。

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コレ好きだなあ。いろいろな意味で。

しかも、

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ありがとう、ありがとう。

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その先、ここでぷっつり・・・

と思ったら、

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お向かいのここにつながっていました。これも、上流からつなげていかないとまったく気づけない在り方です。

ここから、よくわからない荒れ地に入り、

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いつか、近いうちに住宅地になってしまうのかもしれないような場所。この土地の真ん中を、宮本川は堂々流れていました。

今回はここで追うのを止めました。
この先が京葉道路で回り込むのが面倒、ということと、この下にはあまり素敵なものはないだろうと早合点したことが主な理由ですが・・・千葉街道を横切る小川があった、との記述を見つけ、やっぱり行けばよかったと後から思いましたが。ひとまず記事もここまで。

さて、ゴハン。

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船橋駅付近に、すごい大衆酒場があるんです。

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花生食堂。

セットじゃありません。ガチです。ものすごい風情あります。
大物感ありすぎて、ちょっとためらいもしたけれども、入りたい気持ちの方が勝って、ガラガラガラ・・・こんにちはー。

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まず瓶ビール。それなりに乾いて暑い日だったので、最高でした。
それから、カボチャの煮物。鮭の焼いたの。

ずぅ・・・・っとこの地で、がんばってきたのであろうテーブルに椅子に、それからガスコンロとか窓ガラスとか。何度も感動のため息が出ました。
雰囲気はとてもほのぼのとしていて、お店のおばちゃんと、常連のおっちゃんが2~3人。みなさん、船橋がいかに好きかというトークを繰り広げておりました。

というわけで、今回、軍跡はありませんでしたがご勘弁。
いやぁ、宮本川暗渠と花生食堂は、チバの宝だねぇ・・・

<文献>
・船橋の地名 第10巻1号
・   同   第12巻2号
・   同   第8巻4号
・宮本の歴史をつくる会会報3号
・        同       6号
・船橋市立峰台小学校創立25周年記念誌 みねだい
・写真で見る船橋1 五日市

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