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2014年2月

宇治川は地下を流れていた

大阪は十三(じゅうそう)に行ってきました。

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ええ、呑みに。

をんな二人で、しょんべん横丁。一軒目は雰囲気で選び、十三屋へ。
二軒目は同じ通りでハシゴしたんですが、、、既に酔っていていろいろと忘れてしまいました。
十三屋は予想通りたいへん良き大衆酒場で、盛り付けがうつくしかったりし、おいしくてコスパもよくてワクワクしました。「こういうメニューは関東にはナイヨ!」ってなものが何品かあったのですが、その後の記憶ごと失ってしまいました。料理写真も撮ってナイ・・・

その後、阪急電車にゆられて宿(=神戸)に帰ってきたんですが、恐ろしいことに終電なのに爆睡。知らないおばちゃんに知らない駅で起こされ。我ながらよく帰ってきたものだと思います。本能ってすごいや。

・・・じゃなくって。記事にしたいのは翌朝のことなんですよ。

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神戸に行くと決まった時点で、どの暗渠を見るかを探し始めます。
今回白羽の矢が立ったのは、この窪地。

さて今回の旅では、どんなすがたの暗渠が、わたしを待っているでしょう?

・・・ワクワクもしますが、残念なことに、呑みすぎ&睡眠時間短めで、体調がアレです。予定よりも遅くまで寝てしまうし。出発地点と決めていたところまで、タクシー(ほんとうは街を味わうため避けたい)でいそぎます。
「大倉山駅のあたりまで」と告げ、こんなところにも大倉山!、と思っていると、車は急勾配の坂道を駆け上がっていきます。はは、タクシーで良かったわw

・・・すると、そこに待っていたのは、

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水門・・・?

え・・・なにこの構造物??後ろには何があるのだろ?
山手幹線という大きい道路に向かう、威圧感たっぷりにそそり立つソレに、目が釘付けとなります。

・・・さあ、丹念にこの上を見て、それから、神戸は「パン」推しでもあるので、このあたりに2軒あるベーカリーのどちらかのパンを買って朝飯にでも・・・と、計画していたのに、上述の体調なもので、ここで一気にダメージがきます。うぅぅぅ腹が痛い・・・パンとか言ってられん・・・とにかく開いている店に入らなければ・・・!

と、あたりを見回したら、水門の斜向かいに喫茶店がありました。神様ありがとう。

その名は馬甲。イイ感じに渋い外見と内装です。
メニューも、サンドイッチにハンバーグ、ナポリタン、のようなわたし好みの感じで。

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トーストのセットをたのみました。コーヒー、トースト、ハムエッグ、サラダ。
きれいな色使いだなー。さすがシャレオツ神戸。
そして、ぜんぶ美味い・・・よかったこのお店、アタリだった。ちゃんとパンに着地してるし。ありがとう神様。

などと、感心しながら食べていました。

お腹が落ち着くまで、少々時間をかけて待ってから、外に出ます。

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宇治川、と書かれた欄干がすぐ脇にありました。向こう側にチラリと見える道路が、これから辿る暗渠です。

そう、あなたは「宇治川」さんと言うの。

今回、図書館等に寄っていないので、宇治川さんの細かい情報は持ちません。
少しネット上で見てみると、かつての地名が由来のようです。
むしろ、この川以外には名を遺していない地名であるとか。

宇治川といえば京都、と頭に浮かんでしまいますが、神戸にも古くから宇治という名があったようです。

というわけで、もうひとりの宇治川さんを、下ってゆきましょう。

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スタートはココから。
しかし、いやぁこれはほんとうにすごい迫力。

裏に回ると、

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なんだここ・・・!!

さらさらと流れ込む川の水。
仕方なさそうに生える草木たち。
枯れた色合いのコンクリート擁壁。

きっと理由があるのだろうけど、わたしにはわからないすべての形。
人の近づけない空間・・・しぃんとしている・・・広い・・・でかい・・・

まるで要塞・・・。

呆然と、しかし内面ではひどく興奮しながら、橋の上からこの場所をずーーーーっと見つめているわたしを、地元の方が不思議そうにチラ見しながら、通り過ぎていきます。

よくみると、傍らには中小河川宇治川改修工事と書かれたプレートがありました。
そしてここは、宇治川暗渠調整池である、ということがわかります。改修工事は昭和47年に行われたようで、そのときにこの不思議な構造物ができたのでした。暗渠化自体がそのときかどうかは、不明のまま(もしかすると、同時かもしれないけど)。

暗渠調整池。これまた、初めて耳にする名称です。

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上流側を振り返ると、そこはふつうの開渠でした。拍子抜けするくらい、ふつうの。
地図上では、もっともっと山奥から宇治川は開渠でのびていて、水源は後方のどこかです。

ちなみに左手に見える山が「大倉山」。

はぁ、のっけからすごいものに出逢ってしまった。

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監視塔のようなものの、下流側はこう。
突然、川はなくなります。

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川の流れのように見紛う、ここにあったのはトンネルと人の道で、この下を宇治川が流れるようです。

つまりここが、暗渠の始点。

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右側の歩道の盛り上がりが怪しいですが、どうやら暗渠はそっちじゃなくて道路の真ん中のようで。

蛇足ですが、左側に見える酒屋さん、ここは、角打ちの聖地だったようです・・・。参考。うわぁぁなんだって素晴らしい店があるんだろう暗渠沿いには。なんで朝行っちゃったんだろうココに。と、頭を抱えたのは3か月も経ってからのことw

宇治川さんの所在を知らせる目印は、道路の真ん中に鎮座していました。

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コレです。

「あ、はい、わたしが宇治川です。」

下水のマンホールと区別されたコレは、この下を湧水由来の自然河川が流れることを意味し、そしてまた宇治川さんの名刺でもあるのでしょう。

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暗渠の両側は商店街です。

こんな、すてきな市場を携えた。

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そのまま暗渠を下ってゆこうと思っていたのですが、なんとなく市場の裏側に惹かれて、

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なんとなく裏に回ってしまいました。

すると、そこにはわかりやすく暗渠が!

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細いけれど、これはもう完全にそうだし、続きがあるようです。

嗚呼これは、遡らないといけない。

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嗚呼これ、好きだなあ・・・

本流の宇治川の出で立ちもよかったけれど、この傍流らしきものも上物です。
宇治川は何流かあったのでしょうか。あるいはかつてはこっちだったのが、向こうに付け替えられたのか。

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先ほどやってきた方角に、引き返してゆきます。

崖がぐっとせり出してきて、また表情が変わります。

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と、”毎日市場”の裏手から飛び出してきた二匹の猫たちが、つかず離れずの絶妙な位置でわたしにアイコンタクトしてくるんです。ここで足止めを食らい・・・

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さらに遡ると、すごい崖地帯。
どうなってんだここの地形。

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その先、道路を渡ると今度は崖がなくなって、暗渠は歩道にちょこんとしてます。

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追える限りの上流端。後方の赤いスロープのようなものの下も、流れが通っています。その先、道路の向こうでは見えなくなりました。水源は不明。

さてこの流れと出逢った地点から下流はどうか、と、戻ります。猫と遊びながらね。

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最初に見つけた写真の下流はこう。宇治川本流と一本隣の道路との間を、こうやって抜けていきます。しかしワンブロック行くと、消失しました。

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ちなみに、いま撮影したのはコレの上。
ちいさな暗渠を渡るためにつくられた、手づくり階段。

昨日一緒に飲んだ子は、こういうのがとても好きそうだったんだよな。一緒に上りたかった。

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まあでも、すごくガタガタしますw

この後学会に参加する予定だったので、ヒールの靴にワンピースという身ごしらえ。この場所で興奮顔で写真を撮りまくっていて、通報とかされなくて良かった。

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さて本流に戻ります。
メルカロード宇治川、と名のついた商店街。そう、もともと宇治川のほとりにあったお店がそのまま残っているそうで、川の名を冠した商店街。

すてきなお店がざっくざくでした(まだ開店前でしたが)。

宇治川が地下に潜らされたのは、きっと何度も氾濫したからではないかと思うのです。おそらく商店街のひとびとも、いろんな目に遭いながら、川とともに暮らしてきたのでしょう。

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そして今でも、宇治川とともに暮らす。

なんだかそのことが、とても胸に沁みて。こんどは商店街が開いているときに、来てみたいものです。

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商店街はココで終わり。阪急の線路の下を、宇治川は流れていきます。

(貨物が通るの待ち。)

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現在地。
右端に開渠が表示されています。

ね、この場所、宇治川宇治川しているでしょう。

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しかしその先、通りに呑まれてしまい、突然わかりにくくなります。海はもう少しなのに。

宇治川さんの名刺も見えなくなったなあ、ほんとにココでいいのかなあ、と思ったら、ツイッターにて、Pさんからの助け舟が!

弁天町一丁目と東川崎一丁目の間の弁天町側の歩道上に、お目当ての蓋がある、と!

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写真まで見せていただきました。この位置にも宇治川マンホがあったのだそうです(Pさんの見せてくださった写真を拝借)。

マンホーラーの方って、蓋の場所をちゃんと記憶されていて、希少な蓋を見ただけで場所が特定できてしまうので、ほんとうに吃驚します。Pさん、どうもありがとうございました。

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おそらく、見失ってからも宇治川さんは真っ直ぐ来るようです。
さて、それではついに終点部分を・・・

いつのまにか、雨がざあざあ降ってきました。旅先だったので傘を買う気が起きなくて、ずぶぬれになりながら海を目指しました。

見えてきましたね。

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うわぁー、水門だ。

これは大きい・・・!

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道の下を来た流れが、ここで右側にカーブしてきて、

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ここから海に出る・・・

水門の下から、もよもよと水が出てくるのがわかりました。
宇治川さんの、終末部分。

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もよもよ~・・・。

なんて独特な暗渠だったんだろう。振り返りながら、河口を見つめます。

もしも雨が降っていなかったなら、わたしはここにしばらく居続けたかもしれません・・・。

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今回の行程です。

暗渠というと、地上に在った川を下水道化したものをまっさきに思い浮かべてしまいますが、この宇治川は、自然河川のまま埋められたもののようです。
そしておもしろいことに、神戸市中央区のwebを見ると、神戸にはほかにもこのような地下河川が、たくさんあることがわかります。興奮の”地下河川マップ”はコチラ

他の地下河川にも、名刺的マンホール蓋があるのかしら?
他の暗渠のはじまりと終わりは、宇治川さんと似ているかしら?

神戸に行くたのしみが、また増えました。

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どぶがわ

という単語が書いてある背表紙を、見つけてしまったのです。

最近はめっきり徘徊する頻度が落ちた、マンガ棚にて。
11月に出ていたらしい・・・気が付かなかったなあ。

これは、買わざるを得ない。たとえどんなクオリティだろうと、買わざるを得ない。
だって どぶがわ だもの。

そんな、使命感みたいなものを胸に、わたしは「どぶがわ」を手に取ってレジへと向かいました。

【送料無料】どぶがわ [ 池辺葵 ]

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価格:650円(税込、送料込)

「谷底の 臭気漂う この川沿いに     私の楽園はある」

・・・とても複雑な読後感。

切なさ、哀しみ。憧憬。ささやかなつながり。
ひとを大切にするということ。
孤独とつきあうということ。
生と死。

わたしが暗渠に感じてきたさまざまなものたちが、やわやわと押し寄せてくるようでした。

これは(開渠でありながら)暗渠のものがたりだ、と、わたしは思います。
作者は、暗渠のことを、とてもよくわかっている(登場する工場名なんかも!)ひとなのではないか、と思います。

感動して涙をだくだく流す、というのとはまた違う。けれど、数時間後に、ひと粒だけ涙が流れました。・・・あれは、なんの涙だったのだろう?

そういえば、石積みや橋の架け方が、山形五堰にも似ているなあ。
読むたびごとに、異なる感覚が心に残る。良き出会いを、ありがとうございます。

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アジヤソウのひとびと

アジヤソウ。

あじや草?鯵や、そう・・・?なんだかふしぎな響きの単語。

・・・アジヤ荘。そんな名の建物が、むかし杉並にあった。

             

アジヤ荘(昭和21年に建設)は2階建てで、2棟ある。13世帯が住んでいる。
ちかくには、善福寺川から取水された灌漑用水路が流れている。その幅、約1m50cm。

もともと低地だったものだから、雨が降ると床下に水が溜まってしまうことは多かった。

昭和28年のある日。
用水路の一部の排水をおこなっていたマンホールが、工事により埋まってしまう。すなわち、用水路の水量が増えてしまう、という事態が起きる。

雨天時にだけ起きていたアジヤ荘の水びたしは、田圃が水を使用する期間は常時、どんな天気の日にでも起きてしまうようになった。
こりゃタマラン、とアジヤ荘のひとびと。すごい湿気に、不衛生。なんとか手を打たないと、とても暮らしてゆけない。

ところがその灌漑用水路は、農家(S氏)の私有物だった。
S氏にとっては、灌漑用水路の水量が増えたのは、これ幸いといった感じだったそうだ。アジヤ荘チームはS氏に交渉しにいったが、物別れに終わってしまったのだった。

ここからが、壮絶。

アジヤ荘チームは、複数回にわたって、S氏に無断で水路をせき止める。
農家側、巧みにそれをこじ開ける。
アジヤ荘せき止める。
S氏こじ開ける。
・・・。

困ったアジヤ荘のひとびとは、区役所に訴える。
が、私有物なので区役所は手が出せない。

困り果てたアジヤ荘のひとびとは、こんどは警察署に訴える。
で、杉並署が「適切な処置をこうじることになった」のだそうだ。

ここで、新聞記事は終わっている。
その後のものがたりを、わたしは知ることができない。けれど、わたしはどうしてもこの場所のことを、もっと知りたくなってしまった。

・・・当時の善福寺川と、灌漑用水路を描いた図を見てみよう。

Ajiyasuiro        「杉並の川と橋」より。和田掘町第二土地整理事業概念図(P69)の一部

和田堀第二土地整理事業とは、昭和16年から始まり、戦争等による中断を経て、昭和35年までに行われたものだ。この図のように、河川の一本化、埋立や暗渠化等の工事が含まれている。

区立方南公園用地、と書かれたあたりが、アジヤ荘の場所であるようだ。たしかに、すぐ横に水路が走っている。これがあの、S氏所有の忌まわしき水路に違いない。

なお、”新水路”と書かれたものが現在の善福寺川の流れだが、当時は善福寺川本流はもっと北にぐねぐねとあった。周辺にこまごまと張り巡らされた用水路は、ここで稲作が行われていたことを示している。いまは佼成会関連の建物がどすんと建っているこの場所に、田圃が拡がっていたということは、言われてみなければなかなか想像がつかない。

・・・アジヤ荘が建っていた場所に行ってみる。

Ajiya1

たぶん、ここ。現在は方南公園だ。右手に崖が見える。左にいくと、善福寺川。

休日だったが、とても静かなところだ。

Ajiya2

方南町から歩いてくると、跡地に向かうにはこのような坂を下りることになる(右手が跡地)。たしかに低地だ。しかし、前掲の図にあった水路の痕跡はまるでない。

暗渠イコール川跡、とするならば、ここも暗渠ではあるのだが、いささか暗渠感が足りない・・・工事はずいぶんと壮大で、ずいぶんとキレイに終えられてしまったようだ。

そういえば、ここの航空写真はどうだったろう?
昭和22年の航空写真を見てみよう。

Ajiya22

                  gooさんありがとうございます。昭和22年航空写真

写真の上側に、作りかけの善福寺川新水路のようなものが見える。その南に田圃がならぶ。
アジヤ荘は昭和21年ころに建てられたというから、ここに写っているはず・・・写真左下のほうにある、2つの長方形の建物がそれだろうか(しかしこれは台地上のようにも思える)?灌漑用水路の流れも、いまひとつ判別しづらい。

ほぼ同じ位置の、もう少し後の時代を見てみる。

Ajiya38              gooさんありがとうございます。昭和38年航空写真

そこにはもうアジヤ荘はなかった。昭和38年時には、すでに方南公園ができていたようだ。田圃もなければ、用水路たちもない。

昭和39年開催の東京オリンピックのために、環七が急ピッチでつくられた頃だ。ちょうどこの場所も環七のすぐ近くであり、そして上述の整理計画の対象にもなっている。記事からすると氾濫が問題化しているのはアジヤ荘だけのようだから、他に建物はなかったのかもしれない・・・事情はよくわからないが、アジヤ荘はどうも、それほど長くは建っていなかった建物のようだ。

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アジヤ荘の記事を読んでいると、ああ、それは相当困っただろうなあ、とも思うのだけれど、思うのだけれど・・・そこに想像されるものとは、ほっかむり姿で夜中に水路を堰き止めに行くひとたちとか、「ったくやってらんねーやー!」と言いながら酒をあおるステテコのおじさんとか、「ほんとにSのじいさんったら!あーもう、そこまだ拭いてないんだから歩かないで頂戴!」と怒鳴りながらたすき掛けで掃除をするおばさんとか、溢れた水におもちゃを浮かべて遊ぶ子どもとか・・・なんだかそんな、ちょっとだけ微笑ましさを含んだ風景になってしまうのだ。

そんなことを思いながら、方南公園を後にする。

・・・いったいどういう「適切な処置」がなされたのか、その情報はどこにもない。
アジヤ荘も、いまはない。
張り巡らされた用水路、それもあとかたもない。

ないけれど、この地にはそんなものがたりが、たしかに在った。
なんのことはない、暗渠らしささえもない、この場所に佇んでみるのも、悪くないな、と思う。

                       ***

オマケ。
善福寺川が削った坂をのぼり、台地に上がると、”古き良きパン屋さん”的風貌のお店があった。
丸栄ベーカリー。

Maruei

ごはんを食べた直後だったけれど、こういう良い顔のパン屋さんには、入らざるを得ない。大好きなコーンマヨネーズのパン(2個入り)を買って、ぱくぱく食べる。まぁるくてかわいらしく、そしてパン生地がしっかり美味しかった。

・・・アジヤ荘のひとたちも、食べていただろうか?

<文献>
・「杉並新聞」第451号(昭和31年7月5日発行)
・杉並区郷土博物館「杉並の川と橋」

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