塩釜、おもいで、暗渠
2013年夏。1週間のうちに宮城に2回行く、という珍しいときがありました。
1回目はたしか月曜日。日帰りだったので、仙台駅周辺で情報収集だけして。
2回目はその週末。泊まりだったので、朝は海の幸・・・と決めていました。
宮城、とくに仙台近辺は、ちいさなころからよく訪れていた思い出の場所。
そのひとつに、「家族全員で日曜の朝5時に出発して大量の魚介類を買い込む」というイベントのため、定期的に行っていた場所があります。
塩釜の魚市場。
父と祖父が大きなクーラーボックスをかかえて、ひとしきり魚を買い込んだ後は、近くのお店でご飯を食べて、帰って来るのでした。いつも適当に入るので贔屓の店があるわけでもなし、どの店で何を食べたとか、ビックリするほど覚えていません。
だから今回も、適当に入ります。塩釜の市場で朝ご飯、それだけでじゅうぶん。
場内に入るとすぐ、定食屋さんがありました。塩竈市場食堂。
ためらわず入り、海鮮の丼を食べました。
何点盛、と選べるので、中途半端に4点盛。マグロとホタテはきっとうまかろうと思って。あと、大好きなカニは癖で。それから、あぶらぼうず、というはじめてのお刺身。しじみの味噌汁。朝ルービー。
もちろん、おいしい。おいしい・・・。至福の味。
市場の中も、見て回ります。
塩釜はもちろん津波の被害を受けた地ではありますが、その地形ゆえ魚市場は浸水のみで破壊はされなかったということです。周囲も含め、以前の建物たちはまだ残っていました。
なつかしいな・・・ここにくるときは、いつもとてもワクワクしていました。5時なんていう早起きも平気なくらい、非日常感でいっぱいで、とっても特別な遠足にきたような。わたしがいま、しょっちゅう暗渠さんぽに市場めしを組み合わせていること、市場が好きなことって、もしかすると塩釜がルーツなのかもしれない・・・
けれどわたしはやたらと好き嫌いが多く、とくに生魚はだいぶ食べられません(ありすぎて書くのが面倒くさい)。鮮烈な磯の味!なんて、もっとも苦手とするところ。
ところが、ここで出会ったこれは、わたしにとって大きな衝撃でした。
うに!
うには、おいしいと言われるような、濃厚なものほど苦手です・・・モワァっとしていて。
けれど、このうには、新鮮なままで、ミョウバンにつけていないから、全然味が違うよ、とお店の方に強くすすめられ・・・恐怖におののきながら、ひとくち。
うお!本当に全然いやな味がしない!
なんか甘い・・・!これなら、全然我慢しないで食べられる!
と、えらく感動したのでした。
そうそう、休日は丼セットなるものがあって、白飯と味噌汁等が300円で買えて、場内のお店で好きに魚介を買ってのっけて、マイ海鮮丼にして食べられるそうな。うーん、今度は、それ食べたいな。
さて、港から、今度は山の方向に歩きます。
あれだけ塩釜に行ったのに塩竈神社の記憶がないこと(家族揃って食い意地だけなのかw)、神社の近くに酒蔵があること、などから、塩竈神社に寄ることにしました。
そして、その帰り、神社の脇にある谷地形を歩きながら、地図に記載されている開渠もちょっと見てみようと思い、近づくと、
そこにあったのは暗渠でした!
なんとまあ、千葉っぽい出で立ちの暗渠さんなんでしょう。これはソソる。
「ついでに見とく」だけだったけど、暗渠だった以上、これは、遡るしかない。
とはいえ時間の都合もあるので、追えた範囲での最上流部はここ。ちょうど、開渠になった箇所でした。山のほうで湧いているもよう。
そのすぐ下流側は、
フェイク小川と橋のある、思わせぶりな空間。
その下、水が一応流れています。これはこれで表通りをフェイク川として下っていくようです。
しかし、本命はこっち。
さきほどの開渠は数十メートル途切れたのち、表通りと並行する裏道沿いにて、このようなハシゴ式暗渠となります。これを、下っていきたいと思います。
まずは祠がありまして・・・この祠の向こうに崩れそうな崖がありますが、それと、
これに挟まれた谷地形。
これ、塩竈神社の参道のひとつです。
上から見ても、下から見ても、「絶対上り(下り)たくない・・・!」と思うような傾斜と段数。一歩踏み外したら確実に死・・・しかし、おひとり、上ってゆくおばさまがいました!心の中で拍手喝采。
この塩竈神社の急崖の下には濁った池があって、湧水らしきものも注いでいました。「そりゃ湧くって」などと、ぶつぶつ言います(急崖を見るとだいたい言います)。
塩竈神社のすぐ下には、阿部勘酒造。於茂多加(おもたか)男山というお酒等をつくっているところ。夏だし、見学はできないかもしれないけれど、ぜひともお味見など・・・と期待して行ったら、閉まっていました。どーん。
もう少し下流には浦霞の佐浦酒蔵もあります。どちらも立派な建物でした。
酒蔵を二軒も擁するこの谷。なんて贅沢な暗渠なんでしょう。
しかし阿部勘は表通りだったので、裏に戻ります。
この暗渠はマイ橋が多いですね。
そして右岸の壁からは、ダクダクと湧水が・・・全体がテラテラ濡れております。
水郷、田名を思い出します。
それが道路に浸みだし、水たまりになっていました。
かつては、そのままこの川に合わさり、海に流されていたことでしょう。しかし今となっては、流れ込める川はそこにはなくて、こうやって道路で右往左往し、ひからびてゆくだけ・・・
この暗渠、基本的にはコンクリ護岸と砂利蓋、マイ橋で構成されているのですが、よくみると砂利の上に生えている植物の表情が、少しずつ変わるのです。
ここはえんじ色ベース。荒野っぽい感じで。
ここではえんじに少し緑が侵食してきます。メルヘンな感じで。
もっと緑が荒れ狂い始めます。
ここでは橋が多すぎて地面が見えにくいです。
橋にもいろいろ味わいがあって、
トマソン橋。
物干し橋。
なんと、橋が池化。
(おそらく前出の湧水が慢性的に流れ込んできている。)
これは、橋じゃないけど・・・、うおお・・・暗渠がそのままテラスに・・・!!
ヤクルト飲んだんだねそうなんだね!
(双子の三つ編みの少女が仲良く並んでいるイメージ。なんとなく。)
下流に行くにしたがい、ものが増えていく・・・
どんどんどんどんふえていく・・・
右岸には、水神さまが祀られているようでした。
そして、唐突に開渠に。
最初に見た時よりだいぶ汚いな・・・2箇所から水が出てきています(赤丸部分)が、これは、下流側の方が汚水のもよう。
でもすぐにあっさり暗渠にもどり、道路を横断します。
あとはわかりにくくなります。この下あたりを通っているのかな・・・?
橋跡がありました。
ここにきてやっと、この川の名前がわかりました。祓川、というのだそうです。いにしえは入り江であり、その名残の水路なのだそうです。
立派な塩竈神社の足元を流れるのに、ふさわしい名前(神事につかう馬を洗ったからとか)。
別名は新町川。下流を新河岸川と呼ぶことも。しかしここは、祓川と呼んでいきたい気分です。
この橋は、「おだいの橋」というそうで、脇にあった案内板によれば、歩断橋・御代ノ橋ともいい、祓川に鎌倉時代に架けられたもの。すかしの橋で橋板の間から水面が見え、牛馬の通行は禁じられていたとのこと。
最上流部で出会った橋、そこから流れ出すフェイク川、いずれも、祓川関連のものであったというわけです。しかし、鎌倉時代に、すかしの橋・・・祓川とはなんと優美な川だったのでしょう。
しばらく息をひそめていた祓川が再度おもてに出てくるのは、かなり海が近づいてから。
ここに出口が見えますが、これはおそらく塩竈神社の反対側の谷を流れてくるもののようで、
今追ってきたのはこっちかなあ、と思います・・・が、角度がだいぶあるので、思っていたより流れは南側にずれた位置にあったのかもしれない。
まあ、時間もないので深く考えずにいきます。2流は合流して、海へ向かいます。
ゴール地点。
手前左手にちょっとした岩場があったので降りてみると、そこにはヤドカリがいっぱいいました。しばしヤドカリと戯れ。
眺めた海は青く、おだやかでした。
鎌倉時代以前からの、この地を行きかう人々。津波、復興、いまの人々。
月に一度だけ山形から魚を買いにくる、食いしんぼうの家族。
祓川は塩釜の地をしずしずと流れながら、たくさんのことを見てきたのだろうな・・・。
***
いつのまにか2014年。あけましておめでとうございます。
多忙等につき、しばらくお休みしてしまいました。ほんとうはたくさん調べものをして書くのが好きですが、その時間が取れないと、記事さえ書けなくなってしまいます。
今回は、調べものナシのリハビリ編。今年は、調べたり、あまり調べなかったり、そのとき出来る範囲のことを、やっていこうと思います。
本年も、暗渠さんぽをどうぞよろしくお願いいたします。
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