牛込川は二度死なぬ
「あの暗渠はいつ無くなってしまうのだろう。」
と、しばらくの間気になっていた川があります。
牛込川。
紅葉川の前哨戦として取り上げたことが本ブログでは初出です。牛込のあたりから湧き、神楽坂を横断して、神田川にそそぐもの。上流は痕跡が乏しいけれど(でもきれいなV字谷)、中~下流にとてもすてきな小径がある。
神楽坂に詳しいヤマサキさんに、まさにその”すてきな小径”のあたりにもうすぐ道路ができるはず、ということを教えてもらって以降、いつなくなってしまうのかと心配になり、神楽坂・飯田橋近辺で呑んだ時にはかならず立ち寄って確認していました。何度も何度も。
・・・でも、何度歩いてもさほど変化がなかったので、まだこれは暫く大丈夫かなと思っていました。
しかし、似たような道路計画のある紅葉川支流では、またたくまに工事が進んでいて。これはもう、牛込川も危ないだろうなあ、と。
久しぶりに確かめに行きました。すると、
ああ、このフェンス・・・全然ちがう風景になっちゃってる。
みごとに建物がなくなり、道路用に空間がぶち抜かれています。
これはもう、牛込川は無いかなあ・・・
つくど公園はただの更地になっていました。
恒常的な公園ではなく、杉並で言うところの「遊び場」だったのでしょうね。
しかし、牛込川跡はまだ残っていました!
その、新しくできる道路の横に、ちょこん、と。
正直、あきらめていたのですが。
青空に映える川跡・・・隣にあった建物がなくなり、草原のように見えることにより、以前より河川敷っぽい雰囲気をまとっているような気さえします。
新設道路のすぐ隣で、かろうじて残っている細い暗渠みち。そういえば、池袋の谷端川境井田支流でも似たような光景を見ました。
暗渠ってああみえて、なかなか、したたか。
あの橋のようなところも。
あの古いマンホールも。
残ってほしかったものは、なんとか残っていて。
しかし、食事つきの寮(だっけ?ヤマサキさんに教えてもらったもの。古びたクリーム色の、とても風情のある建物だった)はなくなっていました。すなわち、この右手の更地です。
ここから下流は同じ風景が連なります。
もうひとつの古いマンホール。
この下水管が通っているおかげで、この道はまだ守られているということなのでしょうか。
あれ、この石段はこんなに突き出ていたんだっけ?
(そうか、夜にばかり通るので、よく見えていなかったのだ。)
”一列だけ駐輪場”も健在。
ここでは発掘調査をしているようです。
牛込川流路のすぐ脇でもあります。なにか芳しい結果が、出てくるといいんですが。
そうそう、放射道路、というのでした。
ちょうど1枚目の写真のところからはじまり、神田川のところにぶち当たって終わるんですね。
ともかく、牛込川とは”交差”はしないようでした。
この、下流部の、橋が架かっていたところも健在でした。
さて今回の確認で、牛込川は辛うじて残っていたわけですが、この後、道路が完全に整備されたとき、下水管が付け替えられなどしたら・・・
あるいは、キレイな道路の脇で見苦しい、などと、お化粧されでもしたら・・・
牛込川は、二度死んでしまうのか。
あたらしい道路に、呑まれてしまうのか、否か。
中世の城、牛込城の濠の機能も有していた、立派な牛込川。谷端川境井田支流とともに、牛込川の今後は見守りたい気がしています。
・・・さて、ゴハン。
神楽坂でのゴハン、よく迷います。きょうは、おなかにやさしいものを食べたいなっと。
親子丼にしました。
ふわとろ。
鶏肉も食べやすし。ライチ寒天のデザートつき。
親子丼は鳥茶屋「別亭」で食べられる品です。
別亭は、こんなふうに神楽坂から横に逸れ、狭い階段を下って行ったところにあります。その階段の名は・・・そしてそこに絡めて書きたい小ネタが1つだけ。
この記事、もう少しだけ、続きます。
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