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紅葉川をねちねちと歩く 追加編 温泉山のこと

前回のつづき。鳥茶屋別亭で、ふわとろ親子丼を食べたところからです。

鳥茶屋別亭の佇む階段・・・とは、東京の階段DB上では熱海湯階段、と呼ばれる、味わい深い階段です。

Onsen1

見上げたところ。

階段を下ってゆくと、

Onsen2

銭湯が見えてきます。

Onsen3

階段を下り切れば、銭湯の入り口。熱海湯です。クラシックですてき。

この熱海湯にからめて、気になっていたことがあります。・・・それは以前、紅葉川でもっとも河口部にある支流である、熱海湯支流(仮)編の記事で触れたこと。すなわち、神楽坂界隈にあったらしき”温泉山”の正体について、です。

以前の記事ではいろいろと勝手に推測を展開しています。今回は若干重複もするものの、その後に明らかになったことを書いていきたいと思います。

                         ***

”温泉山”。
それは、神楽坂のどこかの崖の上にあった大衆浴場。いや、浴場があった丘のことを、温泉山と呼んでいたようでした。
そのことに言及した文献は、僅かに一件。いったいどれくらい浸透していた名前なのか、どのくらいの期間、あった施設なのか・・・わからないことは、多いまま。

場所のヒントも少なく、「今のマサ美容室のあたりにあった」という表現のみでした。
そしてそのマサ美容室を地図でしらべたところ、マーサ美容室なるものが、さきほどの熱海湯階段を上りきった、この通りにあることまではわかりました。

Onsen4

通りの名は、見番横丁。
神楽坂の組合の、見番が置かれている通りです。

Onsen5

見番のすてきな建物。を、とおりすぎると、

Onsen6

すぐにマーサ美容室が見えてきます。

Onsen7

マーサ美容室の少し手前から振り返ると、崖下に熱海湯の煙突が見えます。

・・・「熱海湯」、なんですよね。
銭湯の名にはいろんなパターンがありますが、これは温泉地からもらった名前のようで。前述の”温泉山”エピソードとがっちり握手するのです。
場所を少し崖下に移したか何かで、熱海湯は温泉山の名残の一部なのかな、と。

この、わたしがたった1件の文献からこじつけた温泉山についての考えは、それなりに納得のいく考察になっていたと思います。

しかし、それは間違いでした。

間違いであるということに気づけたのは、地元の方のお話からでした。
神楽坂に長く住む、地元の人が参加するあつまりに参加させていただいたときのこと(ヤマサキさん、その節はありがとうございました)。毘沙門天にかつてあった池だとか、あれこれ神楽坂の”むかしの水関係”の話を聞かせていただくなかで、情報の少ない温泉山のことについて、尋ねないわけにはいきませんでした。

その方(因みに、皆川会長に激似)は温泉山そのもののことはご存じなかったので、まずは、と思ってマーサ美容室の場所を確認することからはじめたところ、

「マーサは、むかしはあそこじゃなかったよ」

という、想定していなかったお答えが。

おぉ・・・熱海湯仮説が、ガラガラと音を立てて崩れる・・・!

では、移転前のマーサ(≒温泉山)の場所とは?
何処ですか?ときいたところ、

Onsen8

ここがマーサ跡なのだ、ということでした。
神楽坂を飯田橋から上り始めてまもなく出現する、ロイホの場所でした。
どうやら、ここにあったのが、さきほどの見番横丁のあの場所へと移ったようなのです。つまりはここが、温泉山。

この場所の、温泉”山”感とは、、、

Onsen9_2

やや下方から撮れば、存分に感じることができます。
なるほど丘の上にあります。かつてはもっと地面がいびつで、ロイホより下には崖があったのでしょうか・・・では、温泉山についての描写を、原文のままふたたびご紹介いたしましょう。

                          ***

今の「マサ美容院」あたりですが、明治も終わり頃まで崖がありまして、温泉山なんて呼んでおりました。
今の銭湯とでもいいますか、大衆浴場がありまして前側にはちょっとした休みどころもあり、何となく温泉気分になれそうなつくりで、夏の夕方などは浴衣を貸してくれまして「ええご案内!!」なんて景気のいい声をかけられたものです。

おもて通りには「温泉」って書いた大きな幕が下がっていました。
階段を上って風呂に行くんですが、この辺の人はたいがいここへはいりに来ました。
私もよく参りましたが、風呂からあがると自由に休ませてはくれましたが、今のヘルスセンターの様にそこの舞台の上で余興を見せるなんてことはありませんでした。
棟続きで小さな貸席の様なことはやっていましたが、あとはぶどう棚の様なものが設けてありまして春秋の靖国神社のお祭りのときは近所の人達がそこに上って花火見物をやっていました。
まことに呑気な時代でございました。

                          ***

想像、想像。ロイホの向こうに、もっともっと素朴な建物を、温泉と書かれた幕を、浴衣で涼む人々を。
「ええご案内!!」という、威勢の良い掛け声を。

文献だけでは、やっぱり足らないこともある。地元の方のおかげで、またひとつ紅葉川流域の謎が解けました。(ありがとうございました。)

で。熱海湯がこの話と無関係かどうかは、まだわからないような気はしています(しつこいw)。
だって温泉山からここに移ってきたかもしれないので・・・やはり、熱海湯に入ってインタビュー、はしておかないと、満足しないのかもしれません。
というわけで、温泉山の謎は、もう少しだけ解けないまま。いつになるかはわからないけれど、またいつか、全貌が明らかになるその日まで。

<文献>
新宿区立図書館「神楽坂界隈の変遷」

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