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和泉川湯屋マラソン

本編の前に、

・まずは、御礼。東京てくてくさんでの紅葉川イベント、無事終了しました。
 2回、しかも夜に開催したのですが、ありがたいことに満員御礼でした。雨にもぎりぎり降られず、たのしく歩くことができました。参加してくださったみなさま、スタッフの方々、どうもありがとうございました。また、資料作成に協力してくれたのゆちゃん、そしてスペシャルゲストのおやぢさんも、本当にどうもありがとうございました。記して感謝します。

・つぎに、過去記事追記のおしらせ。千葉シリーズ津田沼編に、谷津遊園の閉園前の写真を数枚追加しました。丁寧にアルバムを作り続けてくれていた、母に感謝です。

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さて、本編。

やや久しぶりに、暗渠マラソンをしてきました。・・・いつものような、酒ではないヤツで。

ある日、神田で銭湯に入ったんです。
そこはオフィスビルとマンションばかりの場所なので、どんなひとがお風呂に入りに来るのかなあと、興味津々でした。すると、そこには他の銭湯となんら変わらない、近所の方々が入っていて、皆が挨拶を交わしていて・・・ああ、こんなビル街の銭湯も、中身はむかしからのままなんだ。
と、思っていてもそういう空気の中、自分は大抵アウェイです。ところが、その神田の銭湯ではわたしにもお客さんがお風呂を出るときに「おやすみなさい」と言ってくださったんです。・・・あ、姐さん・・・!

イイ・・・、銭湯、イイ・・・(←井ノ頭五郎の声で)

そのことと、もうひとつ、そのとき考えていた「この暗渠沿いで何かしようと思ったけど、銭湯しか入ってないな。」ということが、「銭湯しか入っていない」→「銭湯にしか入らない、というツアーをやってもいいのでは」という思考になって、そのふたつが合さって、”湯屋マラソンやりたい”になったのです。

思いついて、即実行。

・自転車でサクッと行けて、手軽にだいたいを辿れるサイズの暗渠
・銭湯が数軒ある暗渠

この2つの条件を満たす暗渠は何処か・・・桃園川は”銭湯巡礼”でネチネチ行ってる最中なので除外して、と。ココに行くことにしました。

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和泉川、これまたファンの多い暗渠です。
既に多くの人が訪れ、いくつもの暗渠の記事になっていて、ツアーも複数組まれました。暗渠本でも、黒沢さんが気持ちを込めて執筆されてます。そしてえいはちさんが担当者w・・・そんなわけで、わたしは川自体の説明は今回省くことにします。

さあ、ただ何回も銭湯に入るだけのマラソンを開始するとしましょうか。企画の性格上、伴走者は求めず独りで走ることにしました。

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湯屋をハシゴするわけですから、早めに出ます。タオルや洗髪洗顔関連、銭湯グッズをかばんに詰めて。
多少、和泉川周辺を自転車でウロウロして汗をかいたら気持ちいいだろうなあと、10時に出発。今回の銭湯のチョイスは3軒、上流下流問わず、最も早くオープンするものに最初に入ることにします。

気持ちよく1軒目の銭湯に入るために、朝にシャワーなど浴びないことです。
さらに大事なポイントは、湯屋マラソンの日は、朝起きたら顔を洗わないこと。これが、良いんです。

全体的にデロデロな感じで、和泉川の谷に向かいます。

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清水橋に到着。ここから遡ることにします。

うわぁ、こんなことになっている・・・

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あああ・・・どんどんキレイにされてゆく・・・

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ここも工事する気なんだろうか?

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やっと工事の影はなくなって、のんびり立っている趣ある欄干。

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ここには以前、天龍泉という多機能系銭湯がありました。
行こうかな、今度にしようかな、などと思っているうちに廃業してしまいました。なんの面影もありません。

同様に、流路近くに玉川湯という銭湯もあったそうですが、そこも廃業。そちらは現役時を見ていないので探しにくいこともあり、今回は行きません。

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ココはわりと好きな場所。

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リヤカーも、まだある。良かった。

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もう一本の流れの狭さも好き。

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さて開店時間の12時を過ぎたころ、1軒目の観音湯に到着しました。
今回選んだ3軒のうち、唯一入ったことのある銭湯です。たしか前回も、歩き回ってドロドロになって来たような?

観音湯には微妙に露天っぽくしてあるお風呂があって、そこがぬるめでして、熱いのが苦手な自分にはとても良かったです。

ココで、顔を洗いました。うひゃー、気持ちいいいーwww

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ちなみに1つ前の写真で銭湯の左に細道がありましたが、その先はこう。
水道道路の盛土で阻まれますが、和泉川本流へとつながっていく支谷です。

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盛土の脇にはこういう雨水のみちもあって、これも集まるのかな。

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ちょっと遡ると、支流脇に飲み屋さんが数軒。暗渠飲み屋。

さて、早くもゴハン。昼ですからね。
風呂あがり、こざっぱりとした気持ちで、「俺は今、何腹なんだ・・・?」問いかけてみました。答えは、焼鳥腹でした。ちょうど、夜に焼鳥が食べたかったのに食べられなかった、という思いを引きずっていた日。
地元のちょっと古びたような店で、焼鳥丼・・・とまで都合よくなくても、チキン系の何か、とか出してる店ないかな。朝にカレーを食べてるから、カレーじゃないんだよなあ。

商店街を2往復くらいしました。己に何腹なのか問いかけすぎた結果、迷走。

ふと、目についたのがスパゲティのお店、ハシヤでした。あ、これ長年東高円寺にあったなあ。なんか懐かしいなあ。

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ふらふらと入店。
納豆とアサリのスパゲティにしました。そうそう、あくまで「スパゲティ」なんだよね。

焼鳥腹はどこへいったのか。お腹が懐かしさ込みで満たされたので、さっさか次の銭湯へ参ります。次に開店時間が早いのは、14時のココ。

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武の湯です。実は初訪。
和泉川を通るとき、嫌でも武の湯は目に飛び込んできます。朝風呂にえいはちさんが行ってたよなー、とか、自分もそのうち来たいなー、とか思っていたけど、なかなか入る機会が無かったもので。

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なんと駐車場まである。

入ると、観音湯よりかはクラシックな感じ。一番風呂に入りに来た人たちで、わりと混んでいました。中でも、別料金の”ラドン”は常時数人入っていて近寄りがたい感じでした。そんなに良いのかな・・・ラドン。

ええと、ここは2軒目であります。
さきほど、顔を洗いました。ここでは、体を洗います。ごしごしごしごし・・・

武の湯のやや下流に、さきほどの観音湯脇支流の河口があるのでした。

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ここが本流に合わさって、そしたらそこの下水道の中で、観音湯の排水と武の湯の排水が一緒になるんだよなあ。フフフ。

さて体も洗い終えて爽快なわたしは、あることを企んでいました。
武の湯の斜め向かいに、お肉屋さんがあるのです。そのお肉屋さんの店先に、焼鳥コーナーがあるのです。・・・うまいことできてるもんです。

武の湯の待合室で缶ビール(すぐ赤くなるので抑えるために発泡酒)を買って半分飲み、

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残りを持って焼鳥コーナーに向かう。

・・・と、「焼鳥は4時からです」だって・・・!!

今日の俺は、上滑りしているようだな・・・(←五郎の声で)

にしても、なんて焼鳥に翻弄される日なんだろう。

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やきとりのばかやろー!!

と思いながら、自転車で和泉川を駆け抜けます。

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お、良い橋。

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和泉川、下流部の工事で欄干が綺麗になっちゃったり、親柱が姿を消したりと変化が続きますが、この支流暗渠はなんとかギリギリ、留まっていました。両岸の風景は変わっても、蓋は健在。

さあ、次の湯屋は開店が15時なので、すぐに向かっても大丈夫です。次も、初訪問のところ。

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栄湯。今回の3軒のうち、最もキレイなビル銭湯でした。温泉らしいし。
和泉川マラソンだけど、ここは谷底じゃなくて台地上なのでした。本当は支流脇にあるっぽい第二かねき湯が候補だったのですが、かねき湯は開店が16時と遅めだったので、今回は割愛。

さきほど武の湯で体を洗ったので、タオルが濡れています。いちおう、自転車に乗りながら、首にタオルを巻いて乾かそうとしてみたのですが、たいして時間もなかったので乾きませんでした。・・・お風呂に入る前からタオルが濡れている客って、怪しくないかしら。なんて思ったけれど、別に全然気になりません(&気にされません)でしたw

満を持して洗髪。ああ、やっと洗髪。

こうやって、洗う部分を小刻みに変えていけば、数軒の銭湯に目的を持って入ることができます。

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今回の湯屋たち。
天龍泉と玉川湯にも、入ってみたかったなあ。

それにしても。
今回は「3」が丁度いい気がしたので、3軒設定して回りました。が、実は家に帰ったらここ数年で最も強い疲労を感じました。プールですごく頑張った後、みたいな疲労。4軒にした場合、次はどこを洗えばいいんだ、という疑問も出てくるでしょうが、それ以前に湯屋マラソンであまり沢山回るのはおススメしません。

風呂って、1回でイイんですよね・・・。酒マラソンみたいに「次の店!」ってあんまり積極的になれないのが、湯屋マラソンでした。とくに、2軒目から3軒目に行くときは、もう近いんだから服着なくてもいいんじゃね?みたいな投げやりな気持ちになったことをよく覚えています。
しかし、温泉旅館に行くと、「昨日と今日で7回もお風呂入っちゃったー!」なんて人もいますよね。そういうアレだと思えば、湯屋マラソンもアリ、という気もしてきます。

ナシと言えばナシで、アリと言えばアリ。という、何も言っていないおススメの仕方となりましたが、暗渠湯屋マラソン、わたしはとうぶん、やらないでしょう・・・

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コメント

nama様、こんにちは。
切断されてる小さな橋の欄干、名前は何という橋だったの解りますでしょうか?

もう30年以上前ですが、私もそのあたりを探索したことがあります。そのころ中野通り近くの上流側か下流側か忘れましたが欄干親柱がしっかり残っている橋がありました。
私の記憶では橋の長さ1.5~2メートルだったと思います。
確か親柱には「神橋」と名前があったような記憶があるのですが、、、間違ってるかもしれませんが。(汗)

nama様の撮った写真を見ていると周りの景色が整備され綺麗になってしまっているので、どうも私が見た橋と同じか解りません。でもな~当時、あの中野通りあたりは歩き回っても欄干が残っているのは、その橋一か所しか私には見つけられなかったから、写真の橋と私の記憶の橋は同じ気がします。
う~ん、nama様、私のこのモヤモヤ感をすっきり晴らしてくださ~い。n(_ _)n

投稿: 谷戸っ子 | 2013年9月10日 (火) 15時00分

>谷戸っ子さん

こんにちは。
おおー、30年以上前の和泉川のご記憶ですね!!きっと和泉川好きな人には垂涎モノ・・・。
はい、たしかにここ数年でも変わってしまっている(最近も味わい深い欄干が真新しく作り替えられてしまいました)ので、30年前とはえらく変わっているかと思います。

切断されている小さな橋の欄干、というのは、記事の後半のものですか?今回、橋跡は2枚だけ載せていますが、1枚目(写真4枚目/以下、地図は写真にカウントしません)は材木橋、2枚目(最後から3枚目)は堺橋という名で、神橋ではありません。

実は和泉川の暗渠には北・南と2流ある箇所があります。本田さんのこの記事の図を見ると、わかりやすいと思います。
http://tokyoriver.exblog.jp/19171894/
北流は狭くて良い雰囲気で、好きなのですが今回の記事には1枚しか載せていません(写真8枚目)。きっと谷戸っ子さんがその時歩かれたのは、北流だったのではないでしょうか?

北流には、わたしの記憶でも橋の名残は1カ所しかありません。それが「かみはし」でした。
また他の方のブログになりますが、この記事の後半に、神橋の写真が出てきます。これではありませんか?
http://yoyochichi.sakura.ne.jp/yochiyochi/2011/11/post-176.html

この写真でもそうですが、神橋は現在親柱しか残っていないはず・・・谷戸っ子さんの通られた時は、欄干までもしっかり残っていた、ということになりますね!それはなんだか、興奮するお話です!もし欄干がどんな感じだったかの記憶もあれば、ぜひ教えてくださいませ。
・・・いや~、アホな内容の記事だったのに、こんなに素晴らしい情報をいただけてとてもうれしいです。ありがとうございました~!

投稿: nama | 2013年9月12日 (木) 09時43分

nama様、こんばんは。

モヤモヤが吹っ飛びました。
私が見たのは北流だったのですね。nama様に教えていただいたブログを見ました。ついでにグーグルストリートビューでも見れるのではないかな?と思い見てみました。

しかし、当時より周りの家もだいぶ新しくなっていて、記憶に残ってるイメージよりはすっきりした感じに見えま
す。でも私の記憶していた「神橋」と言う名前の橋が、ここの場所に今もあるのですから、私が30うん年前に行ったのはこの場所で間違いないです。(笑)

私が行った頃は、当然と言えば当然ですが、もっと昭和的な情緒がありました。橋のある道はもう少し活気があったよう思います。何件か小さな店らしきものもあったような気がします。どう表現したらいいのか説明しにくいですが「神橋」と言うくらいですから、遠い昔、この道が小さな神社の参道で、その道に架けた橋だったのでは?と思えるような雰囲気がなんとなくありました。(これはあくまで私個人の感想です。地図みても近くに神社ないですしね。(笑))

欄干の記憶ですが、もう30年以上前のことですからやはりはっきりとは思い出せませんが、たぶん最後から3枚目「堺橋」タイプだったような気がしてます。

あとストリートビュー見ていたら、南流の中野通り上流側(西側)歩道コインパーキング脇に川跡を示す橋の土台と言うか?コンクリートの出っ張りが残ってますね。当時はこの出っ張りコンクリートから奥へ続く道の眺めは左側が川だったと川好きで無い人でも解る感じでしたが、今では川好き以外の人には「この出っ張り何?」邪魔だ!とぐらいにしか思われないでしょうね。

いろいろ書きましてスミマセン。とにかく、モヤモヤ解消しました。nama様のおかげです。有難う御座いました。


投稿: 谷戸っ子 | 2013年9月13日 (金) 00時52分

>谷戸っ子さん

神橋とその周辺のむかしの様子、教えてくださってありがとうございます!もう少し昭和的、そして活気がありましたか。そういえば武の湯の近くに、よくぞ残ってる!という感じのレトロな食料品店があって見惚れてしまうのですが、、そんな感じのお店が北流の近くにもぽつぽつとあったのでしょうか・・・。

欄干の様子も、ありがとうございます。こんど神橋を見るときは、堺橋の欄干をくっつけたものを想像したいと思います。中野通り西側、たしかに気になる感じで残ってますよねえ。昔はもっと川っぽかったのですね。
・・・30数年前ということは、谷戸っ子さんの見られた和泉川のすがたって、暗渠化後まもないということですよねえ。谷戸っ子さんのような、開渠も暗渠も大好きな方から30数年前のお話を聞けるというのは、かなり貴重なことだと思います。今回は、和泉川を歩くときにイメージできる材料がまた増えました。こちらこそ、どうもありがとうございます。

投稿: nama | 2013年9月16日 (月) 10時48分

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