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ダイナミック・チバの暗渠と軍跡 続・鎌ヶ谷編

千葉は鎌ヶ谷編のつづき。前回は、船橋市の飛び地から延びる支流をからめ、鎌ヶ谷と船橋の市境を見ながら二和川という川を遡ってきました。
今回は、おなじ二和川を逆向きにして、上流から攻めてみることにします。

思いっきり位置が変わって・・・降りる駅は、滝不動。これまた今まで掠ったことのない、聞いたこともない駅でした。

駅からすぐ近くに牧場があります。このへんにはポツポツと牧場があり、何か売っているところもあればいないところもあり。佐久間牧場には、アイスクリーム工房が併設されているというので足を延ばしてみました。

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牧場のソフトクリームー。
屋外には個性あふれる椅子が並べられていて、牛舎や鳥小屋を眺めながらペロペロできます。畑がひろがる先に浅い窪みのようなものが見えますが、これは今日は辿らない流域のものなので、見つめるだけ。

ほかに、ジェラート(ミルク味とイチゴ味)、牛乳も試しました。朝っぱらからこういう食べ方をするってのは、さんぽ直前はよくないですねw 店のない地帯を歩くので、本当はお腹を壊しちゃいけないんですが・・・。お腹に一抹の不安を抱えながら、さんぽ、しゅっぱーつ。

のどかなのどかな、いなかみち。開渠で描かれた二和川の、尽きる位置に行きます。

上流部は前回のような市境ではなく、

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ばっちり船橋市にあります。yahooさんありがとうございます。

赤丸のあたりに行ってみると・・・、

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開渠の二和川が尽きる箇所のさきには、コンクリ蓋暗渠がありました!
さてこれが何処まで延びてゆくのか・・・

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植木鉢蓋が民家の脇に並びます。

すると、

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別れは唐突に。

ここでボツッ!と途切れてしまうのでした。え??え???
まったくの平らな土地、窪みもない、公園もない、神社もない。つまり水源サインがない。

え????となりながら、周囲を探しましたが、この延長線上に畑が広がっていて、そこが微妙に低いかなというくらいでした。

・・・湧水池から出る流れではなかったのかもしれません。

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で、さきほどのコンクリ蓋暗渠は、三咲本通り商店街の反対側からいきなり開渠となります。

覗いてみたら、あまりきれいではない水がそれなりに流れていました。あんな、ボツッ!と始まる水路で、水が流れているなんて考え難い。。雨水にしては晴れているし、常に一定量流れ続けているように見えるけれど。

頭の中にたくさんの疑問符をのこしながら、二和川を下り始めます。

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いったい、この水はどこからきたんだろう・・・

近づいてみます。

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きちゃない・・・

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それにくらべて、両岸の景色は実にサワヤカ。

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畑の真ん中を流れていくときもあります。

丁寧に整えられた畝の、すがすがしい真っ直ぐさ。

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畑、車道、農道、住宅地、そして鉄塔と、のどかなところを歩き続けます。

ふと道端にこんなものが。

・・・烏山川のテルコを思い出しました。思い出しますよねそりゃ。改めてテル子のことを検索してみると、あの後ネット上ではテル子の謎を解いた方などもいらっしゃるようで、本人に会ったという記事まであります。というより開渠時代の烏山川の話が聞けているのがうらやまー。

一方、この船橋の女神はなんなのか・・・。また謎のまま放っておき、先に進むとしますw

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のどかでいいんだけれど、やや単調な風景。
それも船橋市域で終了します。もうすぐ、鎌ヶ谷市との境目がやってくるのです。

船橋部分の最後を、振り返ってみるとこういう感じ。
ほんわか~。

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で、そのさき、ここに市境があります(冒頭の地図の、左側にも載っています)。

そこには鎌ヶ谷市の水路の立札が建っていて、以下は鎌ヶ谷市域の二和川。その風景とは・・・、

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おうふ!
船橋市域の最後の風景と全然違います!!すぐ隣なのに!

ハシゴ式開渠じゃなくなったし、めっちゃ住宅の隙間になってるし、なにより、排水管がめっちゃ突き出ている。つーか、いきなり汚い・・・。

しばらく鎌ヶ谷市を歩きます。

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排水管、こんなふうに詰まってるのもあるけど、

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基本的にはほとんど現役のようです。

ほら、すぐそこで汚水がアブクを立てて流れ込んでいる・・・

実は、鎌ヶ谷市域での二和川が汚いことは、前回の遡上のときに既に感じていました。家庭から排水が流れ込んでいる様子も、上流に来るにつれて頻繁に見られていました。
だから、さっきの市境で「鎌ヶ谷市部、汚い気がする」のは、実は嗚呼やっぱりな、という反応でもあったのです。

・・・鎌ヶ谷市における水路と排水の話を少し、はさみましょう。

鎌ヶ谷市内4水系のうち、この二和川属する「真間川水系」は住宅が多いのに下水道の未整備なエリアもあるようで、BOD(生物化学的酸素要求量)が比較的高い・・・というか、市内で最も水質が悪い、といわれています。
水路への生活排水の流入割合はこの15年ほどの間に約半減はしたものの、いまだ3割ほどは流れ込んでいる状況のようです。そうか、生活排水、まだ結構流入しているのですね・・・

後日追記:ここらへんの排水の流入状況は、ドブ川雑記帳(大石俊六さん)のこの記事の下部にある図が近いと思います。

奇しくもlotus62氏が水質調査みたいなことを始めているので、それに乗っかってみようとしたら・・・あらら、指標が違うので比べられない・・・lotus氏が挙げているのは亜硝酸、COD、アンモニウム、リン酸、でしたが、こちら鎌ヶ谷市の報告書にあるのは、BOD、SS(浮遊物質量)、DO(溶存酸素量)、大腸菌指数、などでした。しかも、二和川より下流である大柏川のデータしかなく。大柏川では、BODが基準を上回っていたのが、平成21年にやっと下回ったということです。二和川にはもっと濃縮された汚水が流れている印象なので、おそらくもっと汚れている数値となっていることでしょう。

昭和57年に出された鎌ヶ谷市史においては、水路が「悪臭漂う悪用水路と化している」ことが述べられています。昭和55年時点での鎌ヶ谷市の下水道普及率は0パーセント、千葉県内でも遅れていることも言及されていました。整備と浄化は課題である、と・・・
平成23年に出された資料でも、「未だに家庭排水等の多くが河川、水路へ流入し、水質汚濁や悪臭等の発生を招いている」とあります。今もなお、二和川の浄化は大きな課題として残り続けているといえます。

未来に向けて、さまざまな水質改善のプランがあるようで・・・10年後に二和川をまた歩いたとき、キレイになっていたりしたら、良いなあ。

そんなわけで、歩いているときは、”生活排水が開渠に流れ込むさま”を何度も見ながら、信じられないと珍しいとが入り混じるような気持ちになったり、むかしの東京都内の河川のことを思ったり、していました。

さて、二和川下りに戻りますか。

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しばらくゆくと、水路工事中の看板があり、

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レア感のある”臨時暗渠”も見ることができました。

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もう少し下流では、コンクリ蓋が再登場して歩けたり、
調整池があったり、

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住宅街の中を開渠と暗渠が交互にカクカクしながら下って行ったり、

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住宅の中でもところどころ畑が残っていて、またのどかな気持ちになったりしました。

・・・たえず排水が流れ込んでいて、汚さはあるのですが。

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ふしぎな場所もありました。
なぜ、こんなに集合させるのか。木下街道のすぐ脇で、大きな車道の隣に突如出現する違和感、石の古さと真新しいコンクリートの不釣り合い、このかたちの違和感、なんだかすごく気になりました。
そしてすぐ後ろを、クランク状に二和川が流れていました。

千葉に来るようになって、こんな風に”集合”させるものにしばしば出逢います。松戸でも2つほど、似たようなものを見ました。

・・・この謎も解けぬまま、今回最大の目的地の話にうつります。
それは、

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この、ばかでかい橋脚のこと。

陸軍の鉄道第二連隊が残した、鎌ヶ谷最大の遺構。どん、どん、どん、どんと計4つ。

少しばかりむかし、ここには、陸軍の演習線が走っていたのでした。
津田沼~松戸を結ぶ、演習線路松戸線。そう、
津田沼記事で書いた鉄道第二連隊の基地からはじまり、そして、松戸記事で書いた、相模台に達する路線です。
約34km、1926年から5年ほどかけて敷設されたこの路線には、軽便機関車が走ったようです。敷設、といいましたが、ここは演習線、車両を脱線させては戻す、撤去してまたつくる、といった訓練が繰り返し行われていました。

最初は、木製の橋が架けられました。”鎌ヶ谷架橋作業”という古い絵葉書が何枚も残っていて、この場所が演習線の中でも見ごたえのある場所だったことをうかがわせます。
橋についても撤収、架け替えが何度も繰り返されたので、橋梁の構造は必ずしも一定ではなかった、といいます。今残るコンクリの橋脚は、昭和16年につくられたもの。

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公園の中に佇むそれは、なにしろ威風堂々。

子どもがボール遊びをしに来ていました。
サッカーボールを蹴る幼女とおばあちゃん、野球の捕球練習をする二人組の男の子。テニスラケットを持った女の子たちも待っていて・・・、そうか、あの橋脚のあらゆる側面についていた丸い跡はボールの跡で、それは地元の子どもたちとこの軍事遺構が調和している証なんだろうな。

昭和44年頃、これを邪魔だと思った行政が撤去を試みたけれど、あまりに強固なつくりだったため断念した、という話が残っています。そのおかげで、子どもたちがボール遊びをしに来られるという・・・
ぼうっと子どもたちを眺めながら、ベンチに座ってお弁当を食べました。

軍と住民との交流は、当時もあったのだそうです。
演習線上にはところどころに駅舎があり、鎌ヶ谷にもあって、訓練日と演習日以外は住民にも開放していたそうです。レールを走っていたトロッコ車両は、軍が使わないときには付近の農家も使用できたから、サツマイモなどを乗せて押して運んでいったということです。
・・・そこに描かれてはいませんが、他の地でのエピソードによくみられるように、きっと、子どもたちもトロッコで遊んでいたのではないでしょうか。いまもむかしも、子どもたちがここで遊ぶ・・・

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橋が架けられた、ということは、ここは谷であったわけです。しかも、今回のメイン、二和川の谷です。暗渠好きにはありがたいことに、この公園内を二和川は”暗渠で”流れていました。

写真に見える、道のようなものがコンクリ蓋暗渠です。その下を、二和川のやや汚れた水が、滔々と流れているというわけ。暗渠と軍跡のコラボレーション!

ただし、むかしは少し違う流れ方だったようです。

鉄道第二連隊に在籍していた方の語りに、次のようなものがあります。
「最初は下は川かと思いましたが、水は流れていなかったです。確か窪地でした。そういう地層のところへ、訓練を兼ねて橋を架けたんじゃないかと思います。木橋でしたね。」

水の流れは見えなかった・・・つまり、ここは以前は川というよりは湿地だったのではないでしょうか。目をつむって想像します。湿地に木の橋、キビキビと働く兵士たち・・・

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公園のすぐ下流も暗渠になっていて、住宅街への近道なのか、途切れることなく人が通っていました。人気暗渠だねぇ。

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傍らには、こんなすてきな原っぱもありました。

春のあたたかな時期だったので、数十分間、横になってごろごろしていました。草を摘むひと、遊ぶ少女たち、「ごはんだよー」と呼びに来るお母さん。

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その先、再度開渠となり、あとは、前回の記事の位置につながります。
馬込十字路を過ぎたあたりから、急に「鎌ヶ谷市」は狭くなって、船橋市をぎりぎりのところで遠ざけながら、二和川は下ってゆくのでした。

                         ***

ところで、

Kamagayamapkanasugi

ここが一体どうなっているのか、も、気になって仕方がありません。

このカブトムシの足みたいな場所の、足の付け根はこうなってました。

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二和川に注ぐ支流暗渠。
開渠のドブだった時代がそう遠くはないような風貌です。

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カブトムシの足をつま先方向に追ってみると、市境は道になっていてこんな感じ。

断定はできないものの、左側が川跡のように見えます。この位置かどうかはわからないとしても、川はあったんじゃないかと思える、ゆるい谷状の道でした。

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その、谷がどこまで続くかが関心事なわけですが・・・、ここがおそらくは上流端でした。
窪地にサッカー用のグラウンドがあり、その隣の敷地もなんだか余っています。つまり、湿地や沼でもあったような雰囲気です。そしてそれより先は、家の敷地だったので入れなかったけれど、グラウンド=沼が始まり、と思うとしっくりくるのでした。

Kamagayatikeikanasugi
陰影図で見ると、こうです。google earthさんありがとうございます。

赤丸のあたりがグラウンド。右に谷が続くようには見えますが・・・歩くことはできなかったし、ひとまず、二和川支流の始点は赤丸のあたり、としたいと思います。
カブトムシの足の先っちょと第一関節の上がどうなっているかというと、関節の上はどうも調整池もしくは池があるようです。どちらもくっきりとした谷になっていて、金杉川、という別な川の水源にあたる模様。

金杉川は海老川の支流であり、それはまたいつか、船橋を歩くときに触れることになるかもしれません。でも、どうもこのカブトムシ足の部分は河川争奪っぽくも見えるし、、また謎が残ってしまいました。

ま、いくつか残しちゃったものもあるけれど、とりあえず、ゴハン。

Kmgy92

馬込沢駅前にて。
ぎょうざが食べたいな、と思いました。
ぎょうざんぽう・・・、自慢の餃子がありそうな雰囲気です。

しかし、入ってみると居酒屋の和食系メニューのみで、餃子が無い。
おそるおそる聞いてみると、うちは餃子屋ではない、とのことで・・・ぎょうざんぽうは閉店し、居抜きで別店になったようです。よく見れば、入り口のドアに別なお店の名が書いてあります。いやーでも、ぎょうざんぽうの看板は上にも横にも掲げてあって、どう見てもそっちが勝ってるww

で、そこからが鎌ヶ谷のいいところ。
店主とその奥さまらしき方がガチで接客してくださるんですが、我々の餃子欲を感じ取ってくださって、本来メニューには無い、餃子を出してくださったんです・・・!

なんでも、おふたりが自分たちで食べようと思って、お取り寄せしていたおいしい中華屋さんの餃子だとか。しかも残り一食ぶんだとか・・・

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うわーん、ありがたすぎる(涙)!!
しかもこの餃子、すごくおいしかったー!ある意味、幻の餃子。おじさま、おばさま、本当にありがとうございました。

餃子パクパク、ビールぐびー。このお店の方もそうだけど、ニコニコ湯の方、前回の飲み屋さんの方、それから書かなかったけれど、暗渠沿いで出逢った何人かの方・・・鎌ヶ谷の旅は、ずいぶんとそこで会った”人”の印象が強い気がします。

                         ***

おまけ。

鎌ヶ谷の橋脚跡、行くのに最適な季節は、

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なんといっても桜の季節です。

谷へと降りていくときに見える桜。

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橋脚の隙間を埋めるように咲く桜。

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そして、暗渠と橋脚と桜。手前の道のようなものがコンクリ蓋暗渠です。

おまけ2。
鎌ヶ谷大仏駅に帰ろうとした日、公園から北西に歩いてみました。

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すると、道端に陸軍境界石が出現します。

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もうちょっと進むとよれよれっとした2本目が登場。
この日は3本見つけました。

そして、鎌ヶ谷大仏駅にいくまっすぐな道”グリーン通り”を歩いていくと、

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なんだかすごく気になるスペースが出現するのです。

両側を道に挟まれた、細~いスペース。上水の暗渠にときどきこういうものがあったり、あるいは、どちらかの道が暗渠だったりします。なんだろう、堀でもあったのかな?いや、それはないよね・・・

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その狭いスペースは残り続け、花壇になりました。
違和感のあるものはまず水路にからめてしまう自分ですが、後から調べてみると、このスペースこそが演習線の線路跡なのでした。さきほどの公園~陸軍境界石~このグリーン通りへと、続いていたのです。

橋脚の話のときに触れたこの演習線路松戸線は、現在の新京成電鉄の母体となっています。しかし、何か所か回り道をカットされたところがあって、鎌ヶ谷周辺はまさに悲しきカット部分、あるいは楽しき廃線跡部分なのでした。

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グリーン通り沿いにある、湯乃市というスーパー銭湯に寄って、ひとっぷろ。チバのスーパー銭湯、だいたい6~700円で入れてしまうので、寄り癖がついてしまいました。

もちろん上がったらルービーでプハー。

さてさて、さいごに、今回の行程。

Kmgymaplast

二和川のほか、演習線の位置も示します。
実は、市境カオス地帯のあの川が、有名な橋脚を遺すこの川とイコールだということ、今回まで知りませんでした。二和川のポテンシャル・・・!
幾重にも見どころを持つ、二和川とその周辺。川筋をたどる旅、市境沿いに進む旅、廃線跡に切り替えて両方味わう旅・・・いろんな”謎解きさんぽ”ができる地だと思います。

<参考文献>
イカロスMOOK「実録 鉄道連隊」
「鎌ヶ谷市史 上巻」
「鎌ヶ谷市史 資料集17 近・現代 聞き書き」
「鎌ヶ谷市生活排水対策推進計画 鎌ヶ谷市一般廃棄物(生活排水)処理基本計画(平成23年度)」
「戦争の記録と記憶 in 鎌ヶ谷」
高木宏之「写真に見る鉄道連隊」

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コメント

鎌ヶ谷!魅力的ですね。これまでも川崎、船橋とnamaさんの地域チョイスは参考にさせていただいてます。
「臨時暗渠」っていいですね。「通勤暗渠」とか「区間暗渠」とか、列車種別なネーミングをくっつけてもしっくりくるなあとか思いました。「快速暗渠」あるいは「おはよう暗渠」、「ホリデー暗渠」(・・・もういいって)

投稿: 大石俊六 | 2013年9月 7日 (土) 19時28分

>大石俊六さん

鎌だし谷だし!ですね。いえいえ俊六さんの沿岸部までカバーする地域チョイスにはかないません・・・ドブ道(←武士道、みたいな感じで)を極めようとすると、千葉県は入らざるを得ないのかもしれないですね。
恥ずかしながら、二和川の生活排水がじゃんじゃん流れ込んでいる様子には、最初びっくりしてしまいました。ドブ道の先輩、俊六さんならきっと冷静にあれこれ観察されるのでしょうね・・・

おお、「区間暗渠」なんて実用性までありそうじゃないですか!w そういえばわたしの小・中学校の時の通学路はもろ暗渠蓋がありましたから、あれは「通学暗渠」ではないか・・・いろいろイケそうですねww

投稿: nama | 2013年9月 9日 (月) 19時21分

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