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2013年9月

か・わ・は・く

最初に、連絡事項です。
蓋コレクション館、21枚更新しました。鎌ヶ谷、船橋、習志野・・・千葉の蓋たちが多めですが、やっぱりバーチの蓋は個性的~!ちなみに掲載は撮影時期順となってしまうので、以前の写真より下にあるものもあります。

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さて、今回は軽めにいきまっす。川関係の施設紹介の記事です。

埼玉にある、川の博物館・通称「かわはく」に行ったときのことを。去年の春のことなので、何か忘れてたり、違っていたりするかもしれませんが・・・

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なんとなく、レンタカーで行きました。
高速をさいたまに向けて走っていると、うま子(※)が目の前に! 

※餃子の満洲のキャラクターが「3割うまい!」と言っているので、どうも「3割うま子」と呼んでしまうわけですが、本名はwikiによれば、
名前:ランちゃん
ラーメンの「ラ」とチャーハンの「ン」から命名。
年齢:11歳
モデルは池野谷社長。
チャイナドレスを着て和帽子(料理人が厨房で被る帽子)のようなものをかぶったお団子頭の少女。1992年から現在の絵になった。
・・・のだそう。

さすが、ぎょうざの満洲生誕の地さいたま・・・!
「うまこ!!待ってうまこー!」うま子連呼し、俄然盛り上がる車内。追いかけたかったですが、美味子のスピードはなかなかのもんでした。

そんなこんなでかわはくの最寄駅である、寄居にいきます。最後に書きますが、寄居駅近辺でもちょっと降りたい理由があったのです。

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寄居の駅近くをうろうろ。ここにも暗渠はありました。
排水路のようなものでしょうか。いまは住宅地の間を縫う。

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上流側には・・・あれあれ、モノがいっぱい。ごちゃごちゃと蓋をされている場所が水路の続きです。

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飲み屋さんもありますが、朝なので入りません(開いてないし)。

しかしこれ、暗渠の上を歩かないとたどり着けないという、すごい暗渠飲み屋ですね。

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優美にクネってゆく、先の姿もじつに美しいですが、、、主目的ではないので、ここらへんで踵を返します。

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駅を離れ、いよいよ、かわはくに乗り込みます。あるのはもちろん川沿い。

まず目を奪われるのはこの観覧車状のもの。観覧車ではないんですが・・・ほんとは動くものらしいんですが、この日はあいにく故障中で動いていませんでした。今はどうだろう??

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ほかにも、屋外にはいろいろ気になるものもあって、子ども向けの水系アトラクションのようなものがいくつも。

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どこかで湧いたらしい、荒川の支流が敷地内を流れ、目の前で荒川に注ぎこんでいきます。
何タイプかの水車とその解説もあります。

それらのものも、中の展示も楽しめると思うんですが、それらは全部割愛し、今回はもっとも気に入ったアレのことだけ書きます。

アレ、とは、

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屋外にある川の模型!

でっかーーー!!!

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その名も、「荒川大模型173」。
荒川が全長173kmだから名付けられたという、荒川の1000分の1模型。なんとも巨大な!!

山だ!川だ!等高線だ!谷だ!扇状地に河岸段丘!地形がいっぺんにー!
川と地形に関するわかりやすい解説もついています。

そもそも、ジオラマとか見ているだけでワクワクが止まらなくて、何時間だって経過しちゃうんですが、コレは川と地形に特化したものなわけです。しかもものすごく精密。・・・もう何処の場所で見ていても激しく興奮してしまいました。ダイナミックな上流部もイイですが、源流地点から、だんだんと下ってきて・・・

何度も歩いたエリアに行くと、これがまた。

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いやいやいやいや、お久しぶり!岩淵水門さん。

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毎度お世話になってます!神田川さん。

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そこにいらっしゃいましたか、藍染川の谷さん!!いや古石神井川のか!いやもうどっちでもいいけども!(鼻息荒い)

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都内エリアについてはくまなく凝視し、暗渠や湧水がありそうな場所を確認したり、

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調整池のデモ(水が溢れては川に戻される←こういう、模型が動くのはなんでこんなに楽しいんだろう)を何回も何回もしつこく見たり。

・・・時が経つのを忘れてしまう空間でした。

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隣には本物の荒川さんがいらっしゃるというのも、ポイント高し。

企画展、イベントも素敵なものがわりとあるし。・・・もともと、ここの博物館の存在は知ってはいましたが、webをちらりと見ては「きっと子ども向けの施設だろう」なんて思ってスルーしてしまってました。もっと早く来ればよかった。
記事を書いていたら、案の定またあの模型を見に、今度はもっともっと長い時間見に行きたくなってしまいました・・・

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さて、ゴハン。
寄居駅前にに巻き戻します。
昼飯の店は特に定めず、車でうろうろしていました。地元のすてきな食堂は無いかな、と。・・・すると、

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こんなすてきなお店の前を通り過ぎました。
連れと「今、すごいイイのあったね!」「アレで決まりだね!」と即決。

外観も内装も実に良い感じ。昭和な。
中には、地元?の家族連れさんが数組。混んでいて、これはアタリを引いた予感がします。
メニューは、玉子丼550円、親子丼650円、カツライス1200円、かつ丼800円。
のみ。これもアタリの予感。

これはかつ丼でしょう・・・

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かつ丼、到着!
ワクワクするビジュアル。

てっきり玉子でとじたアレがくるかと思っていたら、これはソースかつなのですね。カツが2枚、はみ出している様子とか、上のお新香とか、愛くるしいことこの上ない。

カパッと蓋を取れば、

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むう・・・!!これは美味そうだ・・・・!!!

勢いよく、カツをひとくち、飯をひとくち。
口に入れた瞬間、連れと無言で顔を見合わせ、黙ったまま深く頷き合いました。「これは、ものすごくうまい・・・!」という思わず出たリアクションで、実は私たち、外食時にここまでの反応が出たことって、そんなにありません。

ソースというか、あまじょっぱいタレが非常に美味でした。黙りこくってかっこんで、すごい勢いで完食。

その名は今井屋。ググって知りましたが、どうやら人気店のようですね。そらそうだ。

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ほんとはこの金太郎にモツ煮を食べに行きたかったんですが、寄居滞在中に開店しなかった(夕方を待たずに帰ってしまった)ので、金太郎は積み残しです。
金太郎は、もう何年も前にTV番組でモツ煮が好物だという坂井真紀が挙げていたので、「そんなにうまいんか!」と、ずっと覚えていたといういやしさで。どういやしいかっていうと、わたしはモツが嫌いなんですよw モツ煮のモツ以外の部分は大好きなんですけども。

ほかにもステキそうなモツ煮屋さんがあったし、そもそも、寄居は豚肉加工食品が有名であること、このとき初めて知りました。

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商店街に何軒かあるお肉屋さんもぶらぶらしました。
豚肉のみそ漬が名物らしいですが、コロッケを食べたり、持ち帰りのモツ煮込みを探して買ったり、気の赴くままに。

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寄居の商店街には、ツバメがやたらいたことも、印象的でした。
いろんなお店や家に巣があって、かわいく鳴いているんですが、人が近づくと黙るのね。

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商店街でも、やはり側溝の蓋を観察したり(きれいな緑色でした。蓋コレクションに挙げています。)、暗渠開渠を探したり。
これは家の隙間にあった、僅かな開渠。かわはくにあったような雄大な模型&本物の開渠も良いですが、こういう僅かなものにも、とても心を惹かれます。

やや遠い場所、という気もしてしまいますが、寄居は本当に魅力あふれる地でした。
今度は、電車で行って、今井屋のかつ丼、かわはく、その後駅近辺でモツ煮で一杯飲んで帰ってくるのがイイかな・・・。

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和泉川湯屋マラソン

本編の前に、

・まずは、御礼。東京てくてくさんでの紅葉川イベント、無事終了しました。
 2回、しかも夜に開催したのですが、ありがたいことに満員御礼でした。雨にもぎりぎり降られず、たのしく歩くことができました。参加してくださったみなさま、スタッフの方々、どうもありがとうございました。また、資料作成に協力してくれたのゆちゃん、そしてスペシャルゲストのおやぢさんも、本当にどうもありがとうございました。記して感謝します。

・つぎに、過去記事追記のおしらせ。千葉シリーズ津田沼編に、谷津遊園の閉園前の写真を数枚追加しました。丁寧にアルバムを作り続けてくれていた、母に感謝です。

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さて、本編。

やや久しぶりに、暗渠マラソンをしてきました。・・・いつものような、酒ではないヤツで。

ある日、神田で銭湯に入ったんです。
そこはオフィスビルとマンションばかりの場所なので、どんなひとがお風呂に入りに来るのかなあと、興味津々でした。すると、そこには他の銭湯となんら変わらない、近所の方々が入っていて、皆が挨拶を交わしていて・・・ああ、こんなビル街の銭湯も、中身はむかしからのままなんだ。
と、思っていてもそういう空気の中、自分は大抵アウェイです。ところが、その神田の銭湯ではわたしにもお客さんがお風呂を出るときに「おやすみなさい」と言ってくださったんです。・・・あ、姐さん・・・!

イイ・・・、銭湯、イイ・・・(←井ノ頭五郎の声で)

そのことと、もうひとつ、そのとき考えていた「この暗渠沿いで何かしようと思ったけど、銭湯しか入ってないな。」ということが、「銭湯しか入っていない」→「銭湯にしか入らない、というツアーをやってもいいのでは」という思考になって、そのふたつが合さって、”湯屋マラソンやりたい”になったのです。

思いついて、即実行。

・自転車でサクッと行けて、手軽にだいたいを辿れるサイズの暗渠
・銭湯が数軒ある暗渠

この2つの条件を満たす暗渠は何処か・・・桃園川は”銭湯巡礼”でネチネチ行ってる最中なので除外して、と。ココに行くことにしました。

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和泉川、これまたファンの多い暗渠です。
既に多くの人が訪れ、いくつもの暗渠の記事になっていて、ツアーも複数組まれました。暗渠本でも、黒沢さんが気持ちを込めて執筆されてます。そしてえいはちさんが担当者w・・・そんなわけで、わたしは川自体の説明は今回省くことにします。

さあ、ただ何回も銭湯に入るだけのマラソンを開始するとしましょうか。企画の性格上、伴走者は求めず独りで走ることにしました。

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湯屋をハシゴするわけですから、早めに出ます。タオルや洗髪洗顔関連、銭湯グッズをかばんに詰めて。
多少、和泉川周辺を自転車でウロウロして汗をかいたら気持ちいいだろうなあと、10時に出発。今回の銭湯のチョイスは3軒、上流下流問わず、最も早くオープンするものに最初に入ることにします。

気持ちよく1軒目の銭湯に入るために、朝にシャワーなど浴びないことです。
さらに大事なポイントは、湯屋マラソンの日は、朝起きたら顔を洗わないこと。これが、良いんです。

全体的にデロデロな感じで、和泉川の谷に向かいます。

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清水橋に到着。ここから遡ることにします。

うわぁ、こんなことになっている・・・

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あああ・・・どんどんキレイにされてゆく・・・

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ここも工事する気なんだろうか?

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やっと工事の影はなくなって、のんびり立っている趣ある欄干。

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ここには以前、天龍泉という多機能系銭湯がありました。
行こうかな、今度にしようかな、などと思っているうちに廃業してしまいました。なんの面影もありません。

同様に、流路近くに玉川湯という銭湯もあったそうですが、そこも廃業。そちらは現役時を見ていないので探しにくいこともあり、今回は行きません。

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ココはわりと好きな場所。

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リヤカーも、まだある。良かった。

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もう一本の流れの狭さも好き。

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さて開店時間の12時を過ぎたころ、1軒目の観音湯に到着しました。
今回選んだ3軒のうち、唯一入ったことのある銭湯です。たしか前回も、歩き回ってドロドロになって来たような?

観音湯には微妙に露天っぽくしてあるお風呂があって、そこがぬるめでして、熱いのが苦手な自分にはとても良かったです。

ココで、顔を洗いました。うひゃー、気持ちいいいーwww

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ちなみに1つ前の写真で銭湯の左に細道がありましたが、その先はこう。
水道道路の盛土で阻まれますが、和泉川本流へとつながっていく支谷です。

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盛土の脇にはこういう雨水のみちもあって、これも集まるのかな。

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ちょっと遡ると、支流脇に飲み屋さんが数軒。暗渠飲み屋。

さて、早くもゴハン。昼ですからね。
風呂あがり、こざっぱりとした気持ちで、「俺は今、何腹なんだ・・・?」問いかけてみました。答えは、焼鳥腹でした。ちょうど、夜に焼鳥が食べたかったのに食べられなかった、という思いを引きずっていた日。
地元のちょっと古びたような店で、焼鳥丼・・・とまで都合よくなくても、チキン系の何か、とか出してる店ないかな。朝にカレーを食べてるから、カレーじゃないんだよなあ。

商店街を2往復くらいしました。己に何腹なのか問いかけすぎた結果、迷走。

ふと、目についたのがスパゲティのお店、ハシヤでした。あ、これ長年東高円寺にあったなあ。なんか懐かしいなあ。

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ふらふらと入店。
納豆とアサリのスパゲティにしました。そうそう、あくまで「スパゲティ」なんだよね。

焼鳥腹はどこへいったのか。お腹が懐かしさ込みで満たされたので、さっさか次の銭湯へ参ります。次に開店時間が早いのは、14時のココ。

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武の湯です。実は初訪。
和泉川を通るとき、嫌でも武の湯は目に飛び込んできます。朝風呂にえいはちさんが行ってたよなー、とか、自分もそのうち来たいなー、とか思っていたけど、なかなか入る機会が無かったもので。

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なんと駐車場まである。

入ると、観音湯よりかはクラシックな感じ。一番風呂に入りに来た人たちで、わりと混んでいました。中でも、別料金の”ラドン”は常時数人入っていて近寄りがたい感じでした。そんなに良いのかな・・・ラドン。

ええと、ここは2軒目であります。
さきほど、顔を洗いました。ここでは、体を洗います。ごしごしごしごし・・・

武の湯のやや下流に、さきほどの観音湯脇支流の河口があるのでした。

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ここが本流に合わさって、そしたらそこの下水道の中で、観音湯の排水と武の湯の排水が一緒になるんだよなあ。フフフ。

さて体も洗い終えて爽快なわたしは、あることを企んでいました。
武の湯の斜め向かいに、お肉屋さんがあるのです。そのお肉屋さんの店先に、焼鳥コーナーがあるのです。・・・うまいことできてるもんです。

武の湯の待合室で缶ビール(すぐ赤くなるので抑えるために発泡酒)を買って半分飲み、

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残りを持って焼鳥コーナーに向かう。

・・・と、「焼鳥は4時からです」だって・・・!!

今日の俺は、上滑りしているようだな・・・(←五郎の声で)

にしても、なんて焼鳥に翻弄される日なんだろう。

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やきとりのばかやろー!!

と思いながら、自転車で和泉川を駆け抜けます。

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お、良い橋。

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和泉川、下流部の工事で欄干が綺麗になっちゃったり、親柱が姿を消したりと変化が続きますが、この支流暗渠はなんとかギリギリ、留まっていました。両岸の風景は変わっても、蓋は健在。

さあ、次の湯屋は開店が15時なので、すぐに向かっても大丈夫です。次も、初訪問のところ。

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栄湯。今回の3軒のうち、最もキレイなビル銭湯でした。温泉らしいし。
和泉川マラソンだけど、ここは谷底じゃなくて台地上なのでした。本当は支流脇にあるっぽい第二かねき湯が候補だったのですが、かねき湯は開店が16時と遅めだったので、今回は割愛。

さきほど武の湯で体を洗ったので、タオルが濡れています。いちおう、自転車に乗りながら、首にタオルを巻いて乾かそうとしてみたのですが、たいして時間もなかったので乾きませんでした。・・・お風呂に入る前からタオルが濡れている客って、怪しくないかしら。なんて思ったけれど、別に全然気になりません(&気にされません)でしたw

満を持して洗髪。ああ、やっと洗髪。

こうやって、洗う部分を小刻みに変えていけば、数軒の銭湯に目的を持って入ることができます。

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今回の湯屋たち。
天龍泉と玉川湯にも、入ってみたかったなあ。

それにしても。
今回は「3」が丁度いい気がしたので、3軒設定して回りました。が、実は家に帰ったらここ数年で最も強い疲労を感じました。プールですごく頑張った後、みたいな疲労。4軒にした場合、次はどこを洗えばいいんだ、という疑問も出てくるでしょうが、それ以前に湯屋マラソンであまり沢山回るのはおススメしません。

風呂って、1回でイイんですよね・・・。酒マラソンみたいに「次の店!」ってあんまり積極的になれないのが、湯屋マラソンでした。とくに、2軒目から3軒目に行くときは、もう近いんだから服着なくてもいいんじゃね?みたいな投げやりな気持ちになったことをよく覚えています。
しかし、温泉旅館に行くと、「昨日と今日で7回もお風呂入っちゃったー!」なんて人もいますよね。そういうアレだと思えば、湯屋マラソンもアリ、という気もしてきます。

ナシと言えばナシで、アリと言えばアリ。という、何も言っていないおススメの仕方となりましたが、暗渠湯屋マラソン、わたしはとうぶん、やらないでしょう・・・

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ダイナミック・チバの暗渠と軍跡 続・鎌ヶ谷編

千葉は鎌ヶ谷編のつづき。前回は、船橋市の飛び地から延びる支流をからめ、鎌ヶ谷と船橋の市境を見ながら二和川という川を遡ってきました。
今回は、おなじ二和川を逆向きにして、上流から攻めてみることにします。

思いっきり位置が変わって・・・降りる駅は、滝不動。これまた今まで掠ったことのない、聞いたこともない駅でした。

駅からすぐ近くに牧場があります。このへんにはポツポツと牧場があり、何か売っているところもあればいないところもあり。佐久間牧場には、アイスクリーム工房が併設されているというので足を延ばしてみました。

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牧場のソフトクリームー。
屋外には個性あふれる椅子が並べられていて、牛舎や鳥小屋を眺めながらペロペロできます。畑がひろがる先に浅い窪みのようなものが見えますが、これは今日は辿らない流域のものなので、見つめるだけ。

ほかに、ジェラート(ミルク味とイチゴ味)、牛乳も試しました。朝っぱらからこういう食べ方をするってのは、さんぽ直前はよくないですねw 店のない地帯を歩くので、本当はお腹を壊しちゃいけないんですが・・・。お腹に一抹の不安を抱えながら、さんぽ、しゅっぱーつ。

のどかなのどかな、いなかみち。開渠で描かれた二和川の、尽きる位置に行きます。

上流部は前回のような市境ではなく、

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ばっちり船橋市にあります。yahooさんありがとうございます。

赤丸のあたりに行ってみると・・・、

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開渠の二和川が尽きる箇所のさきには、コンクリ蓋暗渠がありました!
さてこれが何処まで延びてゆくのか・・・

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植木鉢蓋が民家の脇に並びます。

すると、

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別れは唐突に。

ここでボツッ!と途切れてしまうのでした。え??え???
まったくの平らな土地、窪みもない、公園もない、神社もない。つまり水源サインがない。

え????となりながら、周囲を探しましたが、この延長線上に畑が広がっていて、そこが微妙に低いかなというくらいでした。

・・・湧水池から出る流れではなかったのかもしれません。

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で、さきほどのコンクリ蓋暗渠は、三咲本通り商店街の反対側からいきなり開渠となります。

覗いてみたら、あまりきれいではない水がそれなりに流れていました。あんな、ボツッ!と始まる水路で、水が流れているなんて考え難い。。雨水にしては晴れているし、常に一定量流れ続けているように見えるけれど。

頭の中にたくさんの疑問符をのこしながら、二和川を下り始めます。

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いったい、この水はどこからきたんだろう・・・

近づいてみます。

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きちゃない・・・

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それにくらべて、両岸の景色は実にサワヤカ。

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畑の真ん中を流れていくときもあります。

丁寧に整えられた畝の、すがすがしい真っ直ぐさ。

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畑、車道、農道、住宅地、そして鉄塔と、のどかなところを歩き続けます。

ふと道端にこんなものが。

・・・烏山川のテルコを思い出しました。思い出しますよねそりゃ。改めてテル子のことを検索してみると、あの後ネット上ではテル子の謎を解いた方などもいらっしゃるようで、本人に会ったという記事まであります。というより開渠時代の烏山川の話が聞けているのがうらやまー。

一方、この船橋の女神はなんなのか・・・。また謎のまま放っておき、先に進むとしますw

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のどかでいいんだけれど、やや単調な風景。
それも船橋市域で終了します。もうすぐ、鎌ヶ谷市との境目がやってくるのです。

船橋部分の最後を、振り返ってみるとこういう感じ。
ほんわか~。

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で、そのさき、ここに市境があります(冒頭の地図の、左側にも載っています)。

そこには鎌ヶ谷市の水路の立札が建っていて、以下は鎌ヶ谷市域の二和川。その風景とは・・・、

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おうふ!
船橋市域の最後の風景と全然違います!!すぐ隣なのに!

ハシゴ式開渠じゃなくなったし、めっちゃ住宅の隙間になってるし、なにより、排水管がめっちゃ突き出ている。つーか、いきなり汚い・・・。

しばらく鎌ヶ谷市を歩きます。

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排水管、こんなふうに詰まってるのもあるけど、

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基本的にはほとんど現役のようです。

ほら、すぐそこで汚水がアブクを立てて流れ込んでいる・・・

実は、鎌ヶ谷市域での二和川が汚いことは、前回の遡上のときに既に感じていました。家庭から排水が流れ込んでいる様子も、上流に来るにつれて頻繁に見られていました。
だから、さっきの市境で「鎌ヶ谷市部、汚い気がする」のは、実は嗚呼やっぱりな、という反応でもあったのです。

・・・鎌ヶ谷市における水路と排水の話を少し、はさみましょう。

鎌ヶ谷市内4水系のうち、この二和川属する「真間川水系」は住宅が多いのに下水道の未整備なエリアもあるようで、BOD(生物化学的酸素要求量)が比較的高い・・・というか、市内で最も水質が悪い、といわれています。
水路への生活排水の流入割合はこの15年ほどの間に約半減はしたものの、いまだ3割ほどは流れ込んでいる状況のようです。そうか、生活排水、まだ結構流入しているのですね・・・

後日追記:ここらへんの排水の流入状況は、ドブ川雑記帳(大石俊六さん)のこの記事の下部にある図が近いと思います。

奇しくもlotus62氏が水質調査みたいなことを始めているので、それに乗っかってみようとしたら・・・あらら、指標が違うので比べられない・・・lotus氏が挙げているのは亜硝酸、COD、アンモニウム、リン酸、でしたが、こちら鎌ヶ谷市の報告書にあるのは、BOD、SS(浮遊物質量)、DO(溶存酸素量)、大腸菌指数、などでした。しかも、二和川より下流である大柏川のデータしかなく。大柏川では、BODが基準を上回っていたのが、平成21年にやっと下回ったということです。二和川にはもっと濃縮された汚水が流れている印象なので、おそらくもっと汚れている数値となっていることでしょう。

昭和57年に出された鎌ヶ谷市史においては、水路が「悪臭漂う悪用水路と化している」ことが述べられています。昭和55年時点での鎌ヶ谷市の下水道普及率は0パーセント、千葉県内でも遅れていることも言及されていました。整備と浄化は課題である、と・・・
平成23年に出された資料でも、「未だに家庭排水等の多くが河川、水路へ流入し、水質汚濁や悪臭等の発生を招いている」とあります。今もなお、二和川の浄化は大きな課題として残り続けているといえます。

未来に向けて、さまざまな水質改善のプランがあるようで・・・10年後に二和川をまた歩いたとき、キレイになっていたりしたら、良いなあ。

そんなわけで、歩いているときは、”生活排水が開渠に流れ込むさま”を何度も見ながら、信じられないと珍しいとが入り混じるような気持ちになったり、むかしの東京都内の河川のことを思ったり、していました。

さて、二和川下りに戻りますか。

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しばらくゆくと、水路工事中の看板があり、

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レア感のある”臨時暗渠”も見ることができました。

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もう少し下流では、コンクリ蓋が再登場して歩けたり、
調整池があったり、

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住宅街の中を開渠と暗渠が交互にカクカクしながら下って行ったり、

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住宅の中でもところどころ畑が残っていて、またのどかな気持ちになったりしました。

・・・たえず排水が流れ込んでいて、汚さはあるのですが。

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ふしぎな場所もありました。
なぜ、こんなに集合させるのか。木下街道のすぐ脇で、大きな車道の隣に突如出現する違和感、石の古さと真新しいコンクリートの不釣り合い、このかたちの違和感、なんだかすごく気になりました。
そしてすぐ後ろを、クランク状に二和川が流れていました。

千葉に来るようになって、こんな風に”集合”させるものにしばしば出逢います。松戸でも2つほど、似たようなものを見ました。

・・・この謎も解けぬまま、今回最大の目的地の話にうつります。
それは、

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この、ばかでかい橋脚のこと。

陸軍の鉄道第二連隊が残した、鎌ヶ谷最大の遺構。どん、どん、どん、どんと計4つ。

少しばかりむかし、ここには、陸軍の演習線が走っていたのでした。
津田沼~松戸を結ぶ、演習線路松戸線。そう、
津田沼記事で書いた鉄道第二連隊の基地からはじまり、そして、松戸記事で書いた、相模台に達する路線です。
約34km、1926年から5年ほどかけて敷設されたこの路線には、軽便機関車が走ったようです。敷設、といいましたが、ここは演習線、車両を脱線させては戻す、撤去してまたつくる、といった訓練が繰り返し行われていました。

最初は、木製の橋が架けられました。”鎌ヶ谷架橋作業”という古い絵葉書が何枚も残っていて、この場所が演習線の中でも見ごたえのある場所だったことをうかがわせます。
橋についても撤収、架け替えが何度も繰り返されたので、橋梁の構造は必ずしも一定ではなかった、といいます。今残るコンクリの橋脚は、昭和16年につくられたもの。

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公園の中に佇むそれは、なにしろ威風堂々。

子どもがボール遊びをしに来ていました。
サッカーボールを蹴る幼女とおばあちゃん、野球の捕球練習をする二人組の男の子。テニスラケットを持った女の子たちも待っていて・・・、そうか、あの橋脚のあらゆる側面についていた丸い跡はボールの跡で、それは地元の子どもたちとこの軍事遺構が調和している証なんだろうな。

昭和44年頃、これを邪魔だと思った行政が撤去を試みたけれど、あまりに強固なつくりだったため断念した、という話が残っています。そのおかげで、子どもたちがボール遊びをしに来られるという・・・
ぼうっと子どもたちを眺めながら、ベンチに座ってお弁当を食べました。

軍と住民との交流は、当時もあったのだそうです。
演習線上にはところどころに駅舎があり、鎌ヶ谷にもあって、訓練日と演習日以外は住民にも開放していたそうです。レールを走っていたトロッコ車両は、軍が使わないときには付近の農家も使用できたから、サツマイモなどを乗せて押して運んでいったということです。
・・・そこに描かれてはいませんが、他の地でのエピソードによくみられるように、きっと、子どもたちもトロッコで遊んでいたのではないでしょうか。いまもむかしも、子どもたちがここで遊ぶ・・・

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橋が架けられた、ということは、ここは谷であったわけです。しかも、今回のメイン、二和川の谷です。暗渠好きにはありがたいことに、この公園内を二和川は”暗渠で”流れていました。

写真に見える、道のようなものがコンクリ蓋暗渠です。その下を、二和川のやや汚れた水が、滔々と流れているというわけ。暗渠と軍跡のコラボレーション!

ただし、むかしは少し違う流れ方だったようです。

鉄道第二連隊に在籍していた方の語りに、次のようなものがあります。
「最初は下は川かと思いましたが、水は流れていなかったです。確か窪地でした。そういう地層のところへ、訓練を兼ねて橋を架けたんじゃないかと思います。木橋でしたね。」

水の流れは見えなかった・・・つまり、ここは以前は川というよりは湿地だったのではないでしょうか。目をつむって想像します。湿地に木の橋、キビキビと働く兵士たち・・・

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公園のすぐ下流も暗渠になっていて、住宅街への近道なのか、途切れることなく人が通っていました。人気暗渠だねぇ。

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傍らには、こんなすてきな原っぱもありました。

春のあたたかな時期だったので、数十分間、横になってごろごろしていました。草を摘むひと、遊ぶ少女たち、「ごはんだよー」と呼びに来るお母さん。

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その先、再度開渠となり、あとは、前回の記事の位置につながります。
馬込十字路を過ぎたあたりから、急に「鎌ヶ谷市」は狭くなって、船橋市をぎりぎりのところで遠ざけながら、二和川は下ってゆくのでした。

                         ***

ところで、

Kamagayamapkanasugi

ここが一体どうなっているのか、も、気になって仕方がありません。

このカブトムシの足みたいな場所の、足の付け根はこうなってました。

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二和川に注ぐ支流暗渠。
開渠のドブだった時代がそう遠くはないような風貌です。

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カブトムシの足をつま先方向に追ってみると、市境は道になっていてこんな感じ。

断定はできないものの、左側が川跡のように見えます。この位置かどうかはわからないとしても、川はあったんじゃないかと思える、ゆるい谷状の道でした。

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その、谷がどこまで続くかが関心事なわけですが・・・、ここがおそらくは上流端でした。
窪地にサッカー用のグラウンドがあり、その隣の敷地もなんだか余っています。つまり、湿地や沼でもあったような雰囲気です。そしてそれより先は、家の敷地だったので入れなかったけれど、グラウンド=沼が始まり、と思うとしっくりくるのでした。

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陰影図で見ると、こうです。google earthさんありがとうございます。

赤丸のあたりがグラウンド。右に谷が続くようには見えますが・・・歩くことはできなかったし、ひとまず、二和川支流の始点は赤丸のあたり、としたいと思います。
カブトムシの足の先っちょと第一関節の上がどうなっているかというと、関節の上はどうも調整池もしくは池があるようです。どちらもくっきりとした谷になっていて、金杉川、という別な川の水源にあたる模様。

金杉川は海老川の支流であり、それはまたいつか、船橋を歩くときに触れることになるかもしれません。でも、どうもこのカブトムシ足の部分は河川争奪っぽくも見えるし、、また謎が残ってしまいました。

ま、いくつか残しちゃったものもあるけれど、とりあえず、ゴハン。

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馬込沢駅前にて。
ぎょうざが食べたいな、と思いました。
ぎょうざんぽう・・・、自慢の餃子がありそうな雰囲気です。

しかし、入ってみると居酒屋の和食系メニューのみで、餃子が無い。
おそるおそる聞いてみると、うちは餃子屋ではない、とのことで・・・ぎょうざんぽうは閉店し、居抜きで別店になったようです。よく見れば、入り口のドアに別なお店の名が書いてあります。いやーでも、ぎょうざんぽうの看板は上にも横にも掲げてあって、どう見てもそっちが勝ってるww

で、そこからが鎌ヶ谷のいいところ。
店主とその奥さまらしき方がガチで接客してくださるんですが、我々の餃子欲を感じ取ってくださって、本来メニューには無い、餃子を出してくださったんです・・・!

なんでも、おふたりが自分たちで食べようと思って、お取り寄せしていたおいしい中華屋さんの餃子だとか。しかも残り一食ぶんだとか・・・

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うわーん、ありがたすぎる(涙)!!
しかもこの餃子、すごくおいしかったー!ある意味、幻の餃子。おじさま、おばさま、本当にありがとうございました。

餃子パクパク、ビールぐびー。このお店の方もそうだけど、ニコニコ湯の方、前回の飲み屋さんの方、それから書かなかったけれど、暗渠沿いで出逢った何人かの方・・・鎌ヶ谷の旅は、ずいぶんとそこで会った”人”の印象が強い気がします。

                         ***

おまけ。

鎌ヶ谷の橋脚跡、行くのに最適な季節は、

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なんといっても桜の季節です。

谷へと降りていくときに見える桜。

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橋脚の隙間を埋めるように咲く桜。

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そして、暗渠と橋脚と桜。手前の道のようなものがコンクリ蓋暗渠です。

おまけ2。
鎌ヶ谷大仏駅に帰ろうとした日、公園から北西に歩いてみました。

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すると、道端に陸軍境界石が出現します。

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もうちょっと進むとよれよれっとした2本目が登場。
この日は3本見つけました。

そして、鎌ヶ谷大仏駅にいくまっすぐな道”グリーン通り”を歩いていくと、

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なんだかすごく気になるスペースが出現するのです。

両側を道に挟まれた、細~いスペース。上水の暗渠にときどきこういうものがあったり、あるいは、どちらかの道が暗渠だったりします。なんだろう、堀でもあったのかな?いや、それはないよね・・・

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その狭いスペースは残り続け、花壇になりました。
違和感のあるものはまず水路にからめてしまう自分ですが、後から調べてみると、このスペースこそが演習線の線路跡なのでした。さきほどの公園~陸軍境界石~このグリーン通りへと、続いていたのです。

橋脚の話のときに触れたこの演習線路松戸線は、現在の新京成電鉄の母体となっています。しかし、何か所か回り道をカットされたところがあって、鎌ヶ谷周辺はまさに悲しきカット部分、あるいは楽しき廃線跡部分なのでした。

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グリーン通り沿いにある、湯乃市というスーパー銭湯に寄って、ひとっぷろ。チバのスーパー銭湯、だいたい6~700円で入れてしまうので、寄り癖がついてしまいました。

もちろん上がったらルービーでプハー。

さてさて、さいごに、今回の行程。

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二和川のほか、演習線の位置も示します。
実は、市境カオス地帯のあの川が、有名な橋脚を遺すこの川とイコールだということ、今回まで知りませんでした。二和川のポテンシャル・・・!
幾重にも見どころを持つ、二和川とその周辺。川筋をたどる旅、市境沿いに進む旅、廃線跡に切り替えて両方味わう旅・・・いろんな”謎解きさんぽ”ができる地だと思います。

<参考文献>
イカロスMOOK「実録 鉄道連隊」
「鎌ヶ谷市史 上巻」
「鎌ヶ谷市史 資料集17 近・現代 聞き書き」
「鎌ヶ谷市生活排水対策推進計画 鎌ヶ谷市一般廃棄物(生活排水)処理基本計画(平成23年度)」
「戦争の記録と記憶 in 鎌ヶ谷」
高木宏之「写真に見る鉄道連隊」

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