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2013年7月

紅葉川てくてく企画のおしらせ

桃園川、空川、とやってきた、東京てくてくさんでの企画。
参加してくださったみなさま、ありがとうございました。

おつぎは、紅葉川です。といってもほんの一部ですが。”暗渠から見た花街”、という切り口ですすめる予定です。

以下、企画告知文から抜粋。

新宿区は四ツ谷にある荒木町。
その稀有な出口のないスリバチ地形のため、近年注目が集まってきている場所です。
いっぽう、荒木町には元花街という側面もあり、いまも飲食店のにぎわいや、いくつかの名残の建物から往時をしのぶことができます。

実は、荒木町のこの地形と歴史を形づくったのは、紅葉川という一本の川の支流です。
紅葉川は四ツ谷近辺から飯田橋に向かって流れていた川であり、その流域にはいまでも息をのむような崖や、ふしぎな池跡や、新宿区とは思えないような独特の空気をまとった支流跡が点在しているのです。

荒木町、およびそれら川の残像が最も匂い立つのは夕刻から。
夏の夕暮れから暗闇の時間にかけて紅葉川暗渠を歩き、この界隈の地形や歴史を読み解きます。

なぜ、このような地形が生まれたのか?
その川は、どんな運命を辿ったのか?
なぜ、この窪地に花街ができたのか?
今回のてくてくでは、暗渠という切り口から花街に迫り、その妖艶な世界にみなさまをいざないたいと思います。

・・・すなわち、今回の裏テーマは「妖艶」。
わたしが新宿区で一番妖艶だと思っている支流暗渠を歩いたのち、水を湛えた大池や着物の女性を幻視しながら、ぼうっと薄暗いスリバチの底を体感していただこうかと思います。

桃園川「迷路」企画でも、空川「清涼」企画でも、当ブログには書いていない(というかこれから書こうと思っていた)ネタがたくさん盛り込まれていました。
紅葉川「妖艶」企画では・・・、一度ねちねち記事を書いてしまっただけに、どうなるか?いや、たぶん大丈夫。やはり、いつか記事にしようと思っていた隠れネタがあるので、それを記事化せず、ガイド時に使いたいと思います。

おかげさまで8月ぶんは満員御礼となりました。
実は、9月に再放送をと考えています。9月ぶんの企画は、8月1日に東京てくてくさんのサイトでいっぺんに公表されるらしいです。
というわけで、もしご興味を持っていただけるならば、今後東京てくてくさんのwebをチェックしてみてください。どうぞよろしくです!

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未来の暗渠さんぽ

6月。それは下水道系見学の季節です。
が、今年はいろいろと時間がなくって2箇所しか行けませんでした。しかも、その2つが実は至近距離でして。

6月。なんていう切り出し方をした割に、もう7月も後半戦なわけでして。今回はそれらをいっぺんに記事にしちゃおうと思います。

どこに、行ってきたかといいますと。

Sakura1


八丁堀です。
桜川という別称も持つ江戸の掘割のひとつ。

八丁堀(桜川)の埋め跡にできた、桜川公園にあった案内板によれば、

・江戸時代初期に京橋川の下流から隅田川へと開削された水路
・通船が目的
・明治16年に桜川と改称 
・昭和35年~41年には中ノ橋(真ん中)~稲荷橋(河口)以外の上流部が埋め立てられ、昭和44年に完全に埋め立てられた

というのが概要のようです。さてどちらの名で呼ぶか・・・今回は、桜という言葉を冠したものが多いので、「桜川」と呼んでいくことにしましょう。

Sakura2


桜川跡の隣に、桜正宗の文字があるということ・・・。何かの縁なのでしょうか?

Kare

ちなみに桜正宗の向い側にはカレー屋さんがあります。アイマン

・・・ん?わたしが食べに行ったときは「アイマン」じゃありませんでしたが。
ここ、カレー味のチャーハンの上にカレーがかけられた、カレーチャーハン(詳しくはリンク先参照w)が食べられるお店なのです。店の名前が変わっても、カレーチャーハンは健在のようです。

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さあ、2つの下水道系見学のうち、最初にご紹介するものは。アイマン脇を東側へ向かいます。

桜川公園を抜けて、

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桜川屋上公園も抜けます。

こんなところに、屋上公園があるなんて。
下を通って行ってもいいわけですが、あえて屋上に上がっていきます。地下も好きだけれど、屋上も大好きなのです。

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ここが屋上公園です。
緑が結構あって、フェイク池やフェイク川まであるのですが・・・残念なことに周辺の建物がもっと高いので、屋上感ゼロというかなしさ。

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かなしいな~っと思いながら屋上公園を抜けると、そこには亀島川が見えました。川面が見えただけで、かなしさ解消です。
前述の桜川の話でいくと、稲荷橋のあたりですかね、ここは。

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亀島川を見ながら階段を下りていくと・・・、ああ、そうか、荒川自然公園みたいに、施設の上にある公園だったのか、ここは。いまいたところの下が、目的地である桜橋第二ポンプ所なのでした。
桜橋は、桜川に架かっていた橋のひとつです。しかし、この位置からはやや離れており、”桜橋ポンプ所”のほうの近くに、桜橋はありました。

さ、桜橋第二ポンプ所の見学へ。

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ポンプ所の見学記事って、何個も書いているとバリエーションがなくなるっていうか・・・停電時のためのガスタービン(航空機仕様)と、ポンプを見せてくださるのが定番のようです。

これは、ガスタービン。

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で、雨水ポンプ。

そういえばいままで見学したものはほとんどが雨水のみだった気がしますが、ここ桜橋第二ポンプ所は、汚水も扱っているのが特徴です。

京橋系の雨水と汚水、それから茅場町系の雨水と汚水、とあって、京橋系は小さいポンプ、茅場町系は大きいポンプなのだそうです。雨水は大雨時のみ稼働しますが、汚水は常時稼働しています。ちなみに、汚水は芝浦水再生センターへもってゆかれます。

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奥が大きい方の雨水ポンプ。茅場町系。

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桜橋第二ポンプ所は、桜川の埋め跡にドスーンと建っているのでした。さっき見たポンプ所からの亀島川の眺めには、河口の名残が残っているのだなあ・・・。と、あとから地図を見て気づきます。

桜川のかたちに、亀島川が広がっていますね。

Sakura12

見学後は粗品をいただきます。
今回は、エコバック、スポンジ、カッティングボード、レシピブックのほか、大成建設さんのメモ帳、ふせん、クリアファイルも貰いました。下水道局さん、大成建設さん、ありがとうございました!

                         ***

間髪入れず、2箇所目へ。

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八丁堀、ふたたび。

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こんどは、桜橋ポンプ所の向かいにある工事現場が目的地です。

Sakurakawaima

桜橋ポンプ所とさきほどの桜橋第二ポンプ所の位置関係は、こうです。
どちらも桜川跡。

でも、今回は桜橋ポンプ所にきたのではなく、現在建設中の、下水道管をつくる模様を見に来たのです。諸々の条件から、ポンプ所の向かいに工事のスタート地点となる立坑がつくられたのでした。

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今度の工事現場には、なんと明治期の現在位置とか、

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昭和38年の航空写真での現在位置とか、

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goo地図でも見れない、昭和38年のこの場所の写真まで掲示してありました。

これはすごいかも!
いままで、この類の見学ではこのような資料が示されたことはないばかりか、川跡の話をしてもほぼスルーだっただけに・・・。早くも興奮してまいります。

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中に入れば、セグメントが山積みで、これまた興奮です。

この横で、工事の説明を聞きました。
アサイチで行ったので、ご近所の意識高そうな方々が、結構たくさんいらっしゃいました。場所のせいなのか、土曜だったからなのかよくわからないけれど、とにかくこれまでの見学で最多でした。偶々相方と一緒に行けたわけですが、他にも趣味が近いのではないかと思われる方もいたりして・・・(なので今回は心強いw)

ここでつくられている下水道管は雨水用の貯留管であり、「築地幹線」という名前です。
雨が降りすぎた時に周辺の雨水を入れて、隅田川へ流すもの。桜橋ポンプ所が起点で、ゆるやかに汐留方向に向かいます。
なぜ、この工事が必要なのかというと、環状2号線ができることにより汐留ポンプ所が廃止(環2の下になるから)されるため、その機能を分散させる必要があるからだそうです。そのため、周辺には第二溜池幹線やら、勝どき幹線やら、分散機能をほかにもいろいろ作っているようでした。

では、築地幹線を見にしゅっぱーつ!

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エレベーター(結構りっぱな方)で、地下40~50mのところまで下りてゆきます。

ガクゥン、ゴゴゴ・・・

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地下に到着。

上を見上げても、ようやっと光がちょこっと見えるくらい。
あめふりだったので、雨粒も滴ります。地下水の湿り気もあります。

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では、シールドマシンが作ってくれた、穴の中に入ります。

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国会議事堂前の駅に行くと、いつもこの光景を思い出しますが・・・。もれなくこの場でも国会議事堂前駅のことを思い出しましたw

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いまは横穴を掘り、セグメントを貼り貼りしています。
これが済んだら、点検の人が歩けるようなコンクリの足場を両脇に作り、その後めでたく貯留管デビューするというわけ。

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工事が完了したら、さきほど入ってきた立坑はこういう階段室となり、上にマンホールが2つつけられるのだそうです。

ただし、そのマンホールには特殊な表記はせず、他のマンホール同様の、ノーマル「東京下水道」マンホールになるのだそうです。
そんなこと聞いちゃうと、我々が普段目にしているノーマルマンホールの中にも、下が特殊なことになっているやつがあるのかもしれない・・・とかワクワクしてしまいます。

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今回の粗品。
下水道局のエコバック、緑色や黄色もデビューしたようですね(これまではオール水色)。ほか、使用済軍手、ボールペン、油とり紙、洗い物用ハケ、ウエットティッシュ、ごみ袋、オリンピック招致シール。なぜかミニ懐中電灯(これ、すごくうれしいw)。それから、鹿島建設さんのタオル。下水道局さん、鹿島建設さん、ありがとうございました!

見学にいくと植物がもらえることもあって。。。今回はゴーヤが貰えるかもしれないと思って家でゴーヤを育てるのをストップしてたんですが、植物はもらえませんでした。

                         ***

・・・で。

これからできる築地幹線を見ていたとき、そういえばこの上を歩くってのも、よいんじゃないかな?ってフト思ったのです。

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築地幹線は、こんなふうに通る予定です。この場所の地下深くを。何よりも深く。
ここを、歩いてみたい。

そんなわけで、みたび、中央区へ。こんどは汐留から遡るかたちで、築地幹線(予定)さんぽを始めます。汐留ポンプ所~桜橋ポンプ所、というルートです。

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ある夜。
新橋から汐留ポンプ所に向かって行ったら、環状2号線の工事現場を通りました。これがあの、マッカーサー道路のつづきなんだなあ。

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高速がパッツリと切られていました。

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・・・到着。

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もうすぐなくなってしまう、汐留ポンプ所です。まだ、ぽつぽつと灯がついています。

よし、築地幹線(予定)さんぽ、スタート!
ポンプ所から、銀座郵便局の横の道をぐにーっと歩きます。

さんぽに付き合ってくれている相方が、フト「あ、そういえばここはデリカが近いね。」とぽつり。
「!!!!?」

デリカ・・・帝里加!!あこがれのデリカ!!
突然の沸点越え。ずっと行きたかった場所ですもの・・・。開始早々、これはえらい場所に寄ることになってしまいました。

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さて、デリカとは。

道端に現れる中華屋さんの看板。これがデリカの入口です。
近寄ってみます。

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どーん。

レバニラ、って、ラップに書いてあります。
これは・・・。このお盆を出す意味があるのか?・・・首をかしげながら入口へと回ると、

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地下駐車場に降りていく階段にしか見えません。
(というか、地下駐車場への階段なのです。)

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地下駐車場に入る扉にしか見えません。
(というか、地下駐車場に入る扉なのです。)

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で、どう見ても地下駐車場なんですが、

Mirai10


その中に、あるんです。

駐車場の中にぽつねんと在るんです。
中に入ってみると、近所のサラリーマンで大盛り上がり!壁のかたちはいびつながら、想像よりもずっとちゃんとした内装(というか普通の中華屋さん)で、着席するとここが地下駐車場であることなんて忘れてしまいそうです。

まず、帝里加ルールとして、お酒を置いていないので酒を飲みたいなら各自持ち込むことになります。かつてここに入ろうとし、酒が無いために断念したという相方が教えてくれたので、缶ビールをちゃあんと携えて入店。

席に着くと、店員さんがごく自然な動作で、我々の前に空のビールグラスを置いていきます。みなさん、自前の酒をこのグラスに注いでいます。
ようし。プシッと開けて、トトトト・・・

んで、メニューを見れば安価で美味しそうな本格中華がずらり。迷い迷い、3品ほどたのみました。
最初は写真を撮っていたのですが、壁に貼られた紙にちいさく、「写真撮らないで」と書いてあったのを見てしまったため、ブログに帝里加の写真を載せるのは止めることにします。

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はい、ぼかしてみました。

この、ホタテの豆鼓炒めが絶品でした。ホタテはプリプリしてるし。築地が近いから・・・?味付けも良し。ほかにも美味しそうなのがあったし、鍋も安かったし、もっと色々食べにきたいな~。

閉店時間寸前だったので、そそくさと食べます。

帝里加。ディープな中華屋として有名だとは思いますが、なんとここ、築地幹線の上にあるのです。今回のさんぽのルート、まったく外さずに寄れるお店なんですよ!すばらしすぎ。

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地上に出てみるとこんな感じ。
銀座局の前の道です。

Mirai13

さて、ちょっとだけ酔って、良い気分で・・・
すぐに、北東に曲がります。

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現役の料亭の脇を通っていきます。
日によっては、この場所に黒塗りの車がダァッとならぶこともあるそうで。

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大江戸線の上を通過すると(築地幹線は大江戸線の「下」を通るのですが)、また両側にぽつぽつと料亭が。
料亭と新聞社、広告会社などが入り乱れるふしぎなエリア。

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築地幹線は、歌舞伎座の脇も通ります。
ちょうどここで、日比谷線の下も潜るというわけ。

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なにやら橋が見えてきました。
築地川の跡です。いまはすっかり道路になってしまったけれど。

ここも、築地幹線は潜っていきます。

Ginzamap3_2

昭和38年の、このあたりの写真(gooさんありがとうございます)。

銀座には川が一杯あったのです・・・。この写真上の水路は少なくともすべて埋められ、そして、その川底よりもずっとずっと深いところに、新たな水路が埋設されようとしている。

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あ。
マンホールの工事に出くわしました。おつかれさまです!

ちょうどマンホール蓋をしめるところで、金属の棒のカンカンカンカン・・・!という音がしました。築地幹線より、もっと浅い位置にある下水管でしょうね。

この下をも潜って、

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消防地蔵の角でカクカクっと2度曲がり、

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桜橋ポンプ所向かいの立坑に到着です。

ここが今日のさんぽのゴール地点。下水管的にはスタート地点。

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工事現場に表示されていた案内を見てみると、いまシールドマシンが居るのはここらへんなのだそうです。

って、あれ、銀座局のところ・・・

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ああ、そういえばこういうのを見た!
関連する工事かしら、と思って、一応写真を撮ったのだった。

ということは・・・この位置はほぼ帝里加の位置ということ。

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つまり、我々がこのようなホタテをもぐもぐしているとき、まさにその下でシールドマシンが蠢いていた、というわけですね・・・!

ふぉぉぉぉ・・・。
(と、わたしよりも相方の方がコレについては感動しているようでしたw)

そして、工事現場の掲示物にうっとりと見入っている我々に、現場のおじちゃんがとっくに電源を切っていたモニタをつけてくださるという嬉しいことが。不眠不休でがんばるマシンのことを思いながら、缶チューハイをぐびぐびしました。おじちゃん、ありがとうございました!

掘削自体は、どうやらもうそろそろ終わるか、終わったかという時期のようです。その後も、築地幹線デビューまでには残る行程があるようですが。

築地幹線自体は、ほとんどが直線で構成された、あるていど幅広の道の下を通っています。そんなに、面白い道ではないかもしれない。
だけれど、中央区の、かつてたくさんの水路があった場所、その地下深く深くに”これからできる”暗渠のことを想像しながら歩く夜道は、なかなかたのしかったです。

これが、”未来の暗渠”さんぽ。です。

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桃園川支流を歩く その48 リベンジ天神川!

天神川の流路、思っていたのとちょっと違うかもしれない。

・・・そう、思い始めたのは去年の夏のこと。

中野町の古地図で出逢った桃園川の比較的大きな支流”天神川”は、中央線の北側の浅い低地を、2流になってうねうねと流れていました。

たしかに、現在もその場所には2本の道がうねうねと通っています。
だからわたしは、すぐさまその道たちを暗渠だと思ったのです(陸軍中野学校支流と呼ぶ野望を胸に書いた記事、)。が・・・のちのち、その道とは少しズレたところにあきらかな暗渠を見たことをlotus62氏が教えてくれたり、昭和初期の地図を見ると一部違うところに流路があったり。どうも、違うのかもしれない、と。
現地に痕跡はほとんどないものの、古地図に沿って流路をつかみなおしました。さて記事化しようかというとき、データを紛失してしまったので暫くお預けにしていましたが・・・写真を撮りなおし、紆余曲折を経てもういちど、天神川の記事を書きたいと思います。

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その間、中野駅前はずいぶんと様変わりしました。
かつての”御囲い”のエリアは、大規模再開発が完了し、中野ジャナイミタイナ”ナカノ”が展開され始めています(再開発後にそこから西の軍用地を旅する記事、電信隊の原さんぽ)。

御囲いが1から5まであるなか、今回の天神川の水源があったとみなされる場所は、二の囲、三の囲、四の囲のどれか(あるいは、どれも)。水の湧きやすい場所といわれますが、御囲いの後は軍用地になったため(詳細については前掲記事参照)、中の状況は長年わかりにくいまま。

ともかく、そこらへんから湧いた水が、

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流れ出て、サンモールを横切ります。
わたしが、流路が違うかもしれない、と思ったのはこの少し先です。

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スーパー、ライフを過ぎたところから2流になるのですが・・・ということは、古地図ではここに道は無くて水路が2本あればいいわけですが・・・、昭和8年の地図(左が北です)を見ると、うねうねした道が2本、水路も2本。

・・・え。
よく見れば、水路(水色点線)に挟まれた道をわたしは水路と思っていたようで。。

ちょっと混乱して明治44年の地図を見てみれば、どうも、やっぱり自分が思っていたところに水路があるし。んんー?

Tenjinmap1

つまり、こういうことです(yahooさんありがとうございます)。
1と2が暗渠なんだと思っていたら、昭和初期では1と3が流路だった、というわけです。明治期には1と2のようなので、2が先に道となり、3に付け替えられた・・・?

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ここはライフの脇、1の道。安定して暗渠の道。

そのほとんどが川跡であり、くねくねしながら歩いていけます。

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こっちは2の道。年代によって位置づけが違う道。

この道の写真右側にも川跡があるはずなのですが、道などないうえ、それらしき隙間さえ見つかりません。うっすらと崖が広がっているので、その崖下すぐに流れていたのでしょうけど・・

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崖に近づける道を見つけるたびに入り込みます。コの字ウォーク(L氏命名)で。
これがその「3」の川跡らしき風景。崖下ということ以外、その大半が「っぽく」は無いんです・・・

今回は、この実にわかりにくい「3」の流れを追っていきたいと思います。

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まだまだ川の痕跡は感じにくいですが、段差を辛うじて追うことはできます。

写真奥にあるのは、織田学園で製菓を学んでいる学生さんたちのケーキを格安で買えるお店、パティスリーオダ。わたしも買いに来たことがあります(営業日がとっても限られているので、何も調べずに来たら閉まってましたけどねw)。

ああ、そうそうそう。このパティスリーのとなり、崖だなあ、って思ったんだったなあ。そのすぐ下かぁ・・・。

もう少し下流の、天神湯付近にいくと流路はちょっと複雑化します。

Tenjinkorizu2

昭和8年の地図をふたたび参照。
緑の丸が天神湯で、「湯」とだけ書かれています。2本の天神川は水色点線で示します。

現地に行くと、

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天神湯の前の通りには染物屋さんがあって、どうやら水色矢印のように(染物屋さんの脇を掠めるかたちで)天神川が流れているようなのです。
染物屋さんの向かいには、

Rten8

こんなにはっきりとした暗渠がありました。

が、この川跡、実は昭和初期の地図には載っていないもので、

Tenjinyumap

現在の地図にプロットしてみると、昭和8年の地図上の天神川の流れは、まずは北側の水色点線=いま道になっている一本。それから、最も南側にある紺色点線の二本です。

しかし、染物屋さんの場所はこの青丸のところであり、ややズレるのです。現代の地図を見ていると、家々の隙間がとてもあやしいし、家のぎざぎざ具合なんて、心底川跡くさい。

そこで明治の地図を見てみると、どうも明治期の水路が描いているかたちは、真ん中の水色点線に合致する・・・つまり、明治期にもあったし、わりと新しい時期まで残っていたのではないか、と。
なので、わたしは天神川の流路は基本的にはこの水色点線の二本とし、紺色点線は「あったかもしれないが、ごく短い期間のみ」というふうに考えたいと思います。

Tenjinbouryu

ちなみに、真ん中の水色点線部の左端は、このように集合住宅の端っこから出てくるように見えました。

Tenjinmap2

さて、天神湯周辺を抜けた天神川は、中央線をくぐる用意をし始めます。

ここは、またちょっと違うことになっていて。わたしのもともとの解釈は流路1、2だったところ、2は明治でも昭和でも水路ではなく、古地図的に正しい流路は1、3でした。

場所ごとに、そして年代ごとにわたしの間違え具合も異なっていて、なんともヤヤコシイ話ですいません。。

Rten9

3の流れは、こんなふうに崖のすぐ下を走ってゆきます。

建物という着物を剥げば、

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このとおり。

いまだけ見ることができる、家が建つ前の景色。
かつては崖からジワジワと湧く水があったのかもしれません。

Rten11 

奥に行き、天神川の名残があるかどうか確かめました。
残念ながら川跡を示す隙間はありません。

この崖下、下水道台帳を見ると、もはや下水道局の敷地ではありません。ダミーの道路「2」に下水管も付け替えられ、こちらは全面私有地になっているようです。

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下流側を見ると、こんなふうに塀ができていました。

崖と壁に挟まれたこの空間・・・もし崖上の人が洗濯物を落としても、誰も取れないのでは?などと無駄な心配をしてしまいます。

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「3」の流路を確かめたいとき、いつ来ても合法的に入れるのはこの文園西公園。奥に崖が認められます。

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文園、は、この地の町内会や公園として名を残しています。桃園、宮園、文園・・・。このマンションは”文園湯”の跡。

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文園湯にもコインランドリーはあったようですが、そこに入りきらない人がここに来ていたのでしょうか。斜向かいに、いまもコインランドリーがあります。

ちなみに、この近くに道路の形状だけで天神川の位置を推測できる場所があります。

Tenjinmap3

緑丸で囲んだところ。
こういう、一部分から道路が広くなる空間。左側の場所は天神湯の少し先で、道路が広いところの南側を川が流れていました。
右側の場所はこのコインランドリーのまさに隣で、

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流路「1」がここから出てきて、道路の北側を流れていました。

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ここに水路があったというわけ。

新しめの家だと、セットバックで凹んでいる場合も多いですけど・・・

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ちなみに崖下ばかりに居て姿を見せなかった「3」の流れは、ここで表舞台に出てきます。東京メトロの管理地としてフェンスで囲われており、かつて公有地であったことを思わせます。

この向こう側、以前は駐車場でした。その駐車場の端っこを、「3」の流れを思わせるような暗渠的な地面が這っていたのですが・・・。残念ながら写真を紛失・・・もう撮ることはできない。いつまでも あるとおもうな 駐車場。

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さて中央線をくぐります。谷戸ガード。

この天神川、あまり固定の名がついていないようで、谷戸川と呼ぶ向きもあるようですが、わたしは天神川と呼びたいと思っています。最初に出会った文献がそう呼んでいた、ということもありますが、打越天神や天神湯のところを通るということから、また、桃園川と並行し谷戸地区を流れる川が自前の湧水を持っていたようなので、そちらを谷戸川と呼びたいと思っていることから。

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ガードを越すと、天神川は左へ道は右へ。

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この、違和感空間は健在です。天神川さんはこのように下って行きます。

いつも暗渠みちばかりを通るわたくしですが・・・、ちょっと外れると、新しい出会いが待っていることがあります。この日も、そうでした。

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天神川と並行する、城山中央通り商店街を歩いていたら。
ここに、なんだか気になるモノが。

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ポッキリ折れてました。天神湯のえんとつもポッキリなので、ダブルポッキリです。
そのうえ、壁に挟まれて保存?されていました。新街灯を見守る、旧街灯といったぐあい。

あとは、以前思っていた流路で流れていく天神川。
今回はこのくらいにして、桃園川銭湯巡礼(天神湯編)のさいに、もう少しお話をつなげたいと思います。

 

                         ***

さて、ゴハン。

中野駅方向に戻って戻って、前回入れなかったローズガーデンに入ります。

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素朴な、町の洋食屋さん。
懐かしメニューがそろっていて、何を食べるか結構迷ってしまうお店なんですが・・・、

この日頼んだのはミートピラフ。

Rose2

ミートピラフとは。
ピラフ、というかフライパンで炒められた懐かしい感じの洋風チャーハンのうえに、すっきりとしたミートソースが乗った逸品。セットにして、ポテトサラダとミネストローネスープを付けました。
スパゲティミートソースをも食べた気分になれる、ありがたき一皿でございます。
近所にずっとお住まいっぽい雰囲気の方々がつぎつぎやってくる、地元の良店という感じで、とても好きです。

これにて、天神川&ローズガーデンのダブルリベンジを終了します。
知ってるつもりが、まだまだ知らない。何度も見たはずの史料が、まだまだわかっていない。恥ずかしいようなくやしいような、でもとっても嬉しいような気持ちで、何度でも旅をしにいくのです。

<参考文献>
「豊多摩郡中野町全図」明治44年発行
「中野区全域図」昭和8年発行
「桃園郷の今昔」

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