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2013年5月

桃園川銭湯巡礼 その5 昭和浴場とお好み村 と、桃園川速報

お風呂に入っても湯冷めしない時期、どころか、外を歩けば汗ばむので銭湯に寄りたくなる時期、に、いつのまにか変わっていました。
こんな時期にこそ、あちこちの銭湯&一杯をやりにいきたいもの。

そんなわけで、桃園川沿いの銭湯でひとっぷろ&一杯の”桃園川銭湯巡礼シリーズ”を久しぶりに。ゆるゆると本流を下ってきた銭湯巡礼も、ようやっと中野区部に入ります。
今回もさっそくひとっぷろ・・・

の、まえに、近隣の桃園川本流沿い廃銭湯をご紹介しましょう。

1つめ、その名も”桃園湯”跡。
こんな、桃園川好きにはたまらない名前の銭湯があったんですねぇ。もうひとつ、すぐ近くの台地上に桃園浴場という露天風呂つきの銭湯もあったようなのですが、どちらも自分が知る前に廃業しており、出会えませんでした。

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桃園湯は、昭和初期の地図で見ると中野五差路のあたりにありました。このクリーニング屋さんの左隣の新しいビルがたぶんそう。少し前までは、古びた男性専用サウナだったので、きっとそれが桃園湯の名残だったのでしょう。
サウナがなくなってしまい、今や銭湯的な情緒は薄いけれど、お隣にクリーニング屋さんがあるので、なんとなく残り香がまだあるようなないような・・・

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ちょっと気になったので2階を拡大。

2つめは、藤乃湯跡です。

Fujinoyu

以前の記事でも登場したことがあります。
いまも、コインランドリーが残っていて、佇まいもすっごく廃銭湯ぽいです。建物自体はきっと建て直してあるのだろうに、「ぽさ」が残るのってなんなのだろう。

この2軒が、今回のエリアで本流および旧本流近くにあるものたち。

お次は、昭和浴場

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現役さんです。
昭和浴場の位置って、桃園川緑道から見ると少し遠いように見えるかもしれないけれど、旧本流からみるととても近いです。

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お風呂の種類が豊富です。
サービスも色々。
金曜日に深夜までやってくれるのもうれしいし、平日だって1時半と遅めです。

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えんとつに「マジック温泉」と書いてあるように、ここは銭湯界では有名なのではあるまいか。経営者にマジシャン(=タジマジック)がいて、銭湯でもときどきマジックがみられるようなんです。

つっても、わたし以前この近くに住んでいたのでよく来てたんですが、マジックは見たことがありません・・・タジマジックをスーパーで見たことなら、ありますけどもw

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昭和浴場の横には桃園川の支流暗渠が流れていて(西町天神支流(仮))、

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すぐ上流側ではコンクリ蓋を見ることができ、このコンクリ蓋の隣は飲み屋さんでもあります・・・この日はやっていなかった(最近やっていないような気がする)けれど。

それから、昭和浴場は猫のいる銭湯でもあります。
飼い猫(もともとはお隣の猫だったのが、銭湯が暖かいのでしょっちゅう来ていて居ついたらしい)のチョビがたいてい居ます。かわいらしい名前だけど、とってもとっても体の大きいサバ猫。人懐こくてみんなに愛されている猫です。
チョビのことは、女湯の脱衣所でよく見かけます。・・・なので、男性にとっては”運が良くないと”会えない貴重猫かもしれません。

お風呂から上がって、待合でビールを飲むこともできます。ある程度の量の漫画もあります。入浴時に30円ぶんのチケットをくれるので、それで駄菓子(番台においてある)を買っておつまみにするのもヨシ。
でもきょうは、おつまみは我慢してゴハンを食べにゆきます。

昭和浴場は区境にあり、いろんなものからちょっとずつ遠いので、ゴハンにはちょいと迷います。以前紹介した伊賀もいいけど、今回は東高円寺方面に歩いて、

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お好み村にします。以前はニコニコロード上にあったのが、建物の老朽化により大久保通り沿いに移転してきたお店。

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漂うカープ感。
移転前のほうが、もっと蓄積されたカープ感があって良かったな。ふるいテレビで広島戦を流していたりもして。いまは居酒屋さんの居抜きなので、これからカープ臭が蓄積されていくのでしょうか。

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広島風お好み焼き。
粉もののときは、レモンサワー率が高いかも。

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ハフハフ・・・。ゴクゴク・・・ぷはぁ。
この日は食べなかったけど、わたしはここのキムチ焼きそばが好きです。お姉さんが丁寧に作ってくれる、いい塩梅の焼きそば。

                     

さてさて今回の行程です。

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前回(稲荷橋付近)と今回、本流に接している銭湯(或いは廃銭湯)はありませんでした。そういえば藤乃湯という名前は、桃園川本流上で2軒目ですね(1軒目の記事)。

中野区に入ったということは、本流沿いの残る銭湯は、あそこと、あそこ。そろそろ河口が近付いて来てますね。

                      

                        ***

ところで、最近桃園川をパトロールしていたら、びっくりな場所がありました。
ちょうど中野五差路の先なので、あわせてご紹介しておきます。

その場所とは・・・

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いまも立派な欄干の残る、桃園橋のところです。おとなりの、三好弥(ビルの1階でした)が無くなっている・・・!最近まであったはずで、閉店の知らせさえ気づかなくて、・・・「暗渠めし」シリーズで訪れる予定にしていたというのに。悶々。
解体されて道路になるのでしょうか?

中野三好弥の喪失も哀しいですが、三好弥が消されるんならこれって桃園橋だって消される位置なんです。でも、桃園橋といったら、そのむかし鷹狩りに来た将軍が渡ったとされるお成り橋。現在桃園川流域に残る古い石橋なんて、3つしかないはずだし、まさか消されないよね・・・

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・・・なんて思っているひとは、ごくごく一握りなのかもしれない。和泉川、清水橋の立派な親柱がゴミみたいに放置されていたり、橋跡が突然失われる例はあるわけで。。
中野区のサイトで見てみると、2019年までに”五差路交差点事業”というものが完了するようです。事業の詳細はわからないけれど、ここにもなんだか魔の手が迫っている感じはします。
既に今年、南側が大きな変貌を遂げた中野区。実は北側も東側も少しずつ変わっていくようです。桃園川流域では、この五差路付近と天神川上流部が影響を受けそうなので、定期的にパトロールしに行こうと思います。

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Dっかい水門、Cちゃい水門

夜空の月を見上げると、かならず思い出すひとがいます。

それは、小学校のときの、理科の先生。
たぶん30代くらいだった、男の先生。

「上弦の月は、Dの形だから、これからDかく(でっかく)な~る。下弦の月は、Cの形だから、これからCさく(ちぃさく)な~る。」

と、教えてくれたひとです。
なぜかそのことだけを、今でも月を見るたびに思い出すのです。ほかにもたくさん教えてもらったことはあるはずなのに、なぜか。

                         ***

ええと、今回の記事は、この前振りとはぜんぜん関係ありません。
水門跡のちょっとした小ネタです。「でっかい」「ちいさい」というワードを思い浮かべたとき、なんとなく月のことを考えたのでした。

そんなわけで、今回は大小の水門の、おはなし。

まずは、「Cちゃい水門」から。

溝の口駅で降ります。北口に出て東進すると、

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にぎやかな商店街があります。
二ヶ領用水の分水、根方十三ヶ村堀がここを走っているらしいのですが、気配は感じませんね・・・わりと単調かつごちゃっとした道です。

そして、直進し続けイトーヨーカドーを過ぎたあたりで、それは出現します。

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ガードレールに挟まれてゐる。

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暗渠はゴミ捨て場になるのが川崎流。
「おもかじいっぱーい!」と言いながらクルクル回したくなりますねこれは!(※回しません。)

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向かいにはお蕎麦屋さんがあるので、いい席に座れれば”暗渠水門めし”が出来るかもしれません。

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その先、どうみても面白いことになってゆきますが、今回はここまで。

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ちなみに、すぐそばには立ち飲み屋さんもありました。
一見持ち帰り焼鳥屋さんなのだけど、縄のれんのところから入って飲めるみたいです。これもばっちり根方十三ヶ村堀沿い。「うぉぉー、入りたい!入りたい!」と吸い寄せられまくりましたが、開店前だったことと、少し後に飲み会が控えていたので自重しました。

この水門跡、猫またぎさんが根方十三ヶ村堀の記事で紹介されていたものです。根方十三ヶ村堀および二ヶ領用水の解説、それからこの水路の少し前の写真については庵魚堂さんが詳しいです。
「水門跡」(というか水門か)が暗渠上にあるというだけでひどく驚きました。さらに、実はこの道をわたしは複数回通っていたはずなのでした。
だいぶ前になりますが、この辺に住んでいた友人宅に遊びに来た時(に、別な友人とペチャクチャ喋りながら)。それから、弟がこの辺に引っ越した時(に、ヨーカドーなどに買い物に来るため車を運転しながら)。

・・・ぜ~んぜん、気づいていなかったんです。
こんなに違和感のありすぎる暗渠サインなのに、どう見ても気になるものなのに。
暗渠に開眼する前のこと、とはいえ、人ってこんなにも変わるものかと、吃驚する話です。

                        ***

つぎは、「Dっかい水門」。
こんどは、清澄白河で降ります。てくてく、てくてく。

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仙台堀川に沿った道を歩いていくと、道路が盛り上がっているのがわかります。
盛り上がっている場所こそが、目指す川跡。

それは福富川というのですが・・・

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どーん!!

さきほどの盛り上がっている地点にくると、突然左側にコレです。

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どどぉぉーーん。

あ、はい、福富川公園、なんですね。吾輩は公園の門であると言っているんですね?
しかもこの公園、「木場の香り」というサブタイトルまでついています。

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あ、旧姓は吉岡水門さん、だそうです。

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クルーズじゃないとできない、”水門裏撮り”だってできます。
(橋裏好きの相方は、クルーズ時の水門裏撮りにたいそう興奮しておりました。)

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福富川公園に入っていくと、水門の存在感は一気に隠れます。

福富川は、大横川から西に分流したもので、さらに南北に支川を伸ばしていました(T字型)。その福富川支川と仙台堀川の合流部に水門があったとみられます(その位置にあった水門を「福富川水門」と書いているものもあるので要検証)。

かつて「木場」だった場所は複数ありますが、ここもそのひとつ。昭和30年頃の福富川の写真を見ると、川にはごろごろ木が浮かび、材木を運ぶ業者さんが筏に乗ったすがたが写っていたりします。

福富川は昭和62年に埋め立てられ、福富川公園となりました。遊具が木製であることが、「木場の香り」なのでしょうか。公園では子どもたちがワイワイとザリガニ釣りをしていました。

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近くにあった団地。
水門を模しているのでは・・・?と思わず言ってしまった、このカタチ。というか、こういう形のものを見るとなんでも水門に見えてしまった日でした。

このでっかい水門は、三土さんがムック本”水路をゆく”(右サイドバー”おススメ本”にもあります)にて紹介されていたものです。
このあたりの水路跡は大きめの運河の跡地で、親水公園になっているものばかり。親水公園ってあんまり触手が伸びないんだよね~・・・と、初訪時には思いっきり素通りした福富川支川でした。一部分だけそそくさと通る感じで。それが、こんな珍物件だったとは・・・。

どんなにおもしろくないと感じた川跡でも、一応端から端まで辿ってみましょうよという教訓でした。

                         ***

さて、一応ゴハン。

溝の口駅前に戻ります。

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水色部分が、根方十三ヶ村堀。さきほどのものの上流部分です。
手前側は植え込みになっていますが、写真奥はコンクリ蓋暗渠となってアーケードに入っていきます。そのアーケード内で蓋暗渠を見ながら焼鳥とおでんを食べた記事がコチラ

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右側の植え込みがその下流です。まさに駅をくぐらんとするところ。

その、向かいにあるお店デリーが今日のご飯処です(奥側のお店)。相方がちょっと気になっていたトコロであるようで・・・。ネット上の評判を見ても、愛好者が多そうなカレー屋(定食屋)さん。

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はいよ、とりあえず瓶ビール。

黒くなったサンプル、手書きのメニュー表、このタイルの壁の感じにカウンター。・・・いいねぇ~~。

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エビフライカレーにしました。
この皿・・・いいねぇ~~。

カレーソースが独特の粘度と味わいで、これはハマる人はハマるんだろうな~という感じ。雰囲気ともども、良きローカルグルメをいただいた気分でした。これも、暗渠めしでございます。

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Dっかい水門に、Cちゃい水門。
暗渠をさんぽしていると、こんな珍物件に巡り合うことも、ごく稀にあったりします。

<参考文献>
イカロスMOOK「水路をゆく」
江東区教育委員会「江東区の川(堀)・道・乗り物の変遷と人々」

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