軍事クッキング② 掩体壕オムライス
お久しぶりの軍事クッキングです。
前回は「高射砲跡焼き」でしたね。よい子のみんな、作ってみたかな~?
間が空きましたが今回は2回目。テーマは、「掩体壕」ですよ!
・・・掩体壕ってなぁに?というよい子のために、掩体壕のお話もしましょうね。
--------まずは、掩体壕の説明をば-------
太平洋戦争末期。本土決戦に備えて戦闘機を生産するペース(目標1万機)が間に合わず、とにかく今ある戦闘機を温存しようと、空襲から戦闘機を守る「掩体壕」「分散秘匿地域」「誘導路」が軍用飛行場周辺に作られることになりました。
秘匿地域とは、林や森の中に飛行機を隠すもの。
掩体壕とは、有蓋あるいは無蓋の、飛行機を守る構造物。その形状は多様で、有蓋のものでも半円型、オワン型、カマボコ型などあるようです。
たとえば、陸軍調布飛行場の掩体壕工事は昭和19年6月から9月にかけて(の説が有力)なされたそうです。
急ピッチの工事。竹や網で覆っただけの無蓋タイプが多数あること、形状や材質の統一感の無さ・・・資源の乏しさをものがたるものは、多いです。さらに、ベニヤで作った偽飛行機を置くといった苦肉の策まであったようです。
このように「隠す」ためにさまざまな工夫がなされた掩体壕でしたが、実は米軍からは丸見えでした。翌年の米軍地図にはあっさり描かれてしまい、実際のところは秘匿地域のほうが飛行機を守る効果はあったといわれます。
・・・この掩体壕、最初に目にしたのは、調布飛行場そばにあるものでした。旧陸軍調布飛行場にあった、有蓋掩体壕です。
調布飛行場には飛行第244戦隊がおり、皇居直衛がその任務でした。最新の三式戦闘機「飛燕」を多く置いていたといい、掩体壕のだまし絵にも飛燕が描かれています。
ここで無理やりこの飛燕と我らが杉並を関連付けるとすれば。皇居が攻撃されないようにB29を向かえ撃つデッドラインは、無風の場合はJR中野駅上空、偏西風が吹く場合は大宮八幡宮の上空だったのだそうです。
調布飛行場の水路(排水路がV字に掘られ、野川に流していた)、引込線(imakenpressさんの充実レポート)など自分にとって脱線要因も豊富な地ですが、ひとまずは掩体壕の紹介のみにして。
白糸台にも、調布飛行場絡みのものが残っています。
調査によれば「飛燕」とほぼ同じ規格で作られているとのこと。排水設備、砂利敷き、誘導路、タイヤの痕跡なども見つかっています。
いまはこんなに整備されていますが、10年ほど前は倉庫として使われていて、上部には雨漏り防止の白い塗料が塗られていました。どうせなら昔の状態も見てみたかったけれど・・・。
戦後の写真ならありました。
こんなふうに、調布飛行場の掩体壕は綺麗にして保存する方向のようです。この地には約30基のコンクリート製掩体壕がつくられたといわれます。再現地図を見ると飛行場や道路からまるでエノキダケのようににょきにょきと生えているように見えます。それがいまや、現存僅か4基。
いっぽう、千葉の茂原にはもっと異なる感じで掩体壕が残されている、とききます。しかも関東圏では最多というので、一度は見に行きたいと思っていました。
茂原に海軍航空基地が作られたのは昭和16年。アメリカ軍の本土上陸に備えた拠点として、飛行船の飛行場からの方向転換でした。昭和18年には、掩体壕の建設が始まったと推定されています。終戦時17基、うち11基が現存します。
さぁて。新茂原駅で下車し、海軍壕や軍事トロッコ跡などをぶらつき、駅に近いものから探し始めました。
1基め発見。
民家の敷地内にありました。いい感じに風雨をしのげる駐車場になっています。
2基めも比較的容易に見つかりました。
前には畑が広がっていて、その作業小屋になっているようでした。
内部はこんな風に、雑然としていますが。人が出入りしているような感じがあります。
子どもに向けてでしょうか、このような大人に向けてでしょうか。「きけん のぼるな!!」・・・あ、入るのはイイのかな・・・
おしりも拝見。
サイドもじっくり。
調布(陸軍)のものは地面を掘り下げるため、もっと背が低い印象を受けます。
ちなみに、この手前には集合住宅。毎日これをながめて暮らす人もいるのですね。
その後、次の場所にあるはずのものをぐるぐる探しましたが、どうしても見つかりませんでした。ネット上でも「1基だけ見つけられなかった」という人を見かけるので、相当わかりづらい場所にあるのかもしれません。本当はすべて見つけたかったですが、まだまだ先があるので、あきらめて次へ。
3基め。
上部にぼうぼう植物が生えています。
実は、コンクリート製の有蓋掩体壕の上には、偽装のために土が盛ったり、植物を植えたりしていました。なので、この植物も戦時中からあったものかもしれません。
ささやかな工夫であった、この「偽装土」。土に含まれる水分のために、コンクリートのひび割れが生じるといった皮肉な結果を生んでもいます。
天井を見ると、実にいびつ。
4基めの後ろには道路があり、車がびゅんびゅん走っています。
4基めは、3基めのすぐそばに。
車が走り、新しい家々に人が暮らす風景。水田を耕す風景。その中に残る、巨大な軍の残骸。異様な存在感です。
5基めはちょっと見つけづらかったです。
が、木々の間にチラと見えるコンクリートに非常に敏感になってきました。
内部にはムシロが残っていました。鉄筋も見えています。
6基めは家の庭先に鎮座していて近づけず、
7基めはなんと会社の工場?になってました。
内部には電気も引かれています。今回もっとも異色の存在です。
8基めは、今回最大級の大きさ。
案内板がついており、観光用といった感じでした。
9基め。
8基めから数メートル進むと見えてくるんですが・・・これはwww
なんか小さくてかわいいww ってかどっかにこういうキャラクターいないっけw
10基め。
なんということでしょう、車がとめてあるばかりか、テーブルとイスが置いてありました。
なんとたのしそうな掩体壕・・・あそこでランチしたり、酒飲んだり、七輪でサンマ焼いたりできたらなぁ・・・うぅ・・・。
・・・。
茂原の掩体壕群は、その地の人々の生活感や、整備されきったものには無い戦争のにおいが、ぷんぷんと漂うものでした。今回は紹介しませんが、都内にも家と一体化したものがあるといいます。なぜ、こんなにもフツ―にひとびとに使われているのか?
終戦後、土地は民間所有となったものの、掩体壕は国有財産のままだったため、残されるケースが多かった、ということらしいです。物資が無い頃に家や小屋として利用できる構造物でもありました。・・・その残された掩体壕のある家を訪れては、「これは大蔵省の持ち物だから貸借料を払え」という、いわば”掩体壕詐欺”も発生していたといいます。
***
クッキングにうつります。
クッキングの行程は、オムライスの作り方と同時に、掩体壕の作り方の説明も兼ねていきたいと思います。
前回の記事を見てお気づきの方もいらっしゃることでしょう。そう、わたしは手先がたいへん不器用なんです!料理は大好きなので楽しみながらやってるのですが、この手先の不器用さは何年たってもまったく変わりません。そんなわけで、「実物にそっくりな繊細タッチの掩体壕オムライス」はけっして想像しないで読むよう、なにとぞよろしくおねがいします。
----------オムライスの作り方---------
<材料>
ごはん、長ネギ、牛蒡と蓮根のキンピラ(お総菜の残りでよし)、じゃこ、ゴマ、ごま油、合挽肉、玉ねぎ、卵、塩コショウ、韓国のり、だしじょうゆ、酒・・・量は、適当です。
<作り方>
まずは飛行機を作ります。
合挽肉、みじん切りの玉ねぎ、卵、塩コショウをボウルに入れ、じゅうぶんに混ざるまで手でこねます。nama流は、玉ねぎは炒めずシャリシャリをたのしみます。ちょっと味をつけたければ、ソースを少々入れてもいいでしょう。
それを、飛行機の胴体、翼×2、尾翼に成形し、フライパンで焼きます。
焼きあがったら、お皿の上でくっつけて飛行機にします。
つぎに、掩体壕をつくっていきましょう。
掩体壕は鉄鋼コンクリート打設法”Z工法”でつくられていました。
調布のものと茂原のいくつかに使用されたZ5工法とは、工作物の形状の土饅頭をつくり、それを型枠としてコンクリートを打設、後に土を掘りだす、というもの。
茂原の残りに使われたZ6工法とは、型枠に鉄鋼コンクリートを打設する、というもの。
というわけで、Z5工法を採用して土饅頭をつくっていきましょう。
十穀米のごはん、水菜、長ネギ、牛蒡と蓮根のキンピラ、じゃこ、ゴマ、を、ごま油で炒めます。塩コショウで味付け。
今回は日本軍であること、掩体壕の雰囲気を出したいことから和風にしているので、お好みで顆粒のだしのもとや、醤油をハラリとかけてもいいでしょう。
キンピラやじゃこは枯れたススキ、水菜や長ネギは緑色の雑草、十穀米やゴマは石ころを表現しています。
この和風炒飯を、さきほどの飛行機ハンバーグの上にのせ、そして飛行機のかたちに沿って成形していきます。
この和風炒飯は、土饅頭であると同時に、(どうせ後からこのご飯を取っ払って空洞にするわけにはいかないので)現在の掩体壕の醸し出す土・砂利・打ち捨てられ感を演出する重要なパーツです。美味しく味付けしてください。
今回は、「茂原の2基め」の形にしてみました。
Z6工法が混じってしまいますが、ここでムシロを貼り付けたいと思います(ふんいき)。
韓国のりをちぎり、土饅頭の上に貼り付けていきます。
茂原のZ6工法は木枠を用いており、コンクリートを流す面にはムシロが使われていました。さきほどのムシロはそれが張り付いたままになっていた、というわけです。
掩体壕の入り口。前方から見ると、飛行機がちょっとはみ出すくらいがいいと思います。
ではさいごに、コンクリートをかぶせていきましょう。
卵、だしじょうゆ、酒を混ぜ、卵焼き器で厚めに焼き上げます。
厚めの方が、より飛行機を守れると思います。なお、卵液にタラコ、つくだ煮などを混ぜると、より雑なコンクリートの感じが出て、より物資不足の掩体壕らしくなるでしょう。
更なるコンクリート感を出していきたい人は、卵の白身で作るという手もあるかもしれません。
そしたら成形します。茂原の2基目のように、弧を描きつつおしりはキュッとしめて・・・
ここまで出来たら、本来は前述のように中の土を掻き出すのですが、無理なので炒飯は入れたままにしますw
おしりのところをカットします。
こちらは、入口ではないわけですが、作業をやりやすくするために開けているといわれます。カットした蓋は、もちろんおいしくいただきました。
ここで、玉子の焼き色が濃い方が、「掩体壕の上に盛られた土」感が出るでしょう。また、草木が植えられたりもしたことを考えると、さらに上に青のりをふりかけたり、パセリを突き刺したりしてもいいかもしれませんね。
さて、これで掩体壕オムライスは出来上がりです。
焼酎などとあわせ、あたたかいうちに召し上がってください。
***
実は3年くらい前に、調布の掩体壕の写真及び資料は用意してありました。しかし、この掩体壕オムライスをつくるにあたって、どうしても茂原は見ておかないといけないだろう。そう思って、先日茂原に行ってきた次第であります。そう、オムライスのために、茂原に。
次に思いついたのは「手榴弾メロンパン」だったのですが、手榴弾をかたどったグッズは持っているけれど、高射砲や掩体壕のように軍事遺構として何処かに実物が残る、というたぐいのものではない・・・ふぅむ、ボツかなあ。もしも軍事遺構クッキングを思いつかれた方いましたら、教えてください。どうぞよろしくお願いします。
「杉並の暗渠」をさぐるはずのこのブログ、いつのまにか「千葉の軍事もの」のことばかり書いていることにお気づきでしょうか・・・。しまいには今日は暗渠のかけらも無かったですね。
でも大丈夫、そろそろ戻ります。
千葉の暗渠のお話は、まだまだ続編がありますが、しばらく間を置いてからの再開としたいと思います。
<参考文献>
竹内正浩「軍事遺産を歩く」
千葉県歴史教育者協議会「千葉県の戦争遺跡を歩く 戦跡ガイド&マップ」
古橋研一「調布飛行場にも掩体壕があった」
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コメント
オムライス、面白い記事です^^
投稿: YKK | 2013年4月29日 (月) 21時49分
>YKKさん
ありがとうございます~ヽ(´▽`)/
投稿: nama | 2013年4月30日 (火) 12時08分
nama様、こんばんわ。
掩体壕、茂原近辺にあるということは、以前に千葉テレビだったか?のニュースか何かで私も知ってました。。。が、まさかこんなに沢山あるとは知りませんでした。その数の多さを知ることが出来たのもnama様のおかげです。
私も茂原近辺に出掛けたときは少し注意して辺りを見渡したいと思います。
投稿: 谷戸っ子 | 2013年4月30日 (火) 22時45分
>谷戸っ子さん
お返事遅れてしまい、すみません。
茂原は川・暗渠的にはそれほど・・・かもしれませんが、軍遺構的にはすごいです。軍事トロッコの廃線跡もしっかりとのこっていて、それはなんだか暗渠のような美しさがありましたよ。水路を廃線がまたぐところがとりわけよかったです!
投稿: nama | 2013年5月 5日 (日) 13時50分
暗渠に掩体壕にお酒好き。良いですね。
今度ご案内しますので、立川の玉川上水柴崎分水歩きしましょうよ。
ご案内しますよ。
URLは私の記事ではありません。ご参考になさってください。
投稿: にわ大地図部浅見 | 2013年5月21日 (火) 10時19分
>にわ大地図部浅見さま
こんにちは~。
ご覧いただいていたのですね。ありがとうございます!
柴崎分水、歩いてみたいと思っておりました。
貼っていただいた記事は、本田さんのブログの中でもとてもよく見覚えがありますw なぜなら、そのシリーズの(1)にあるように、拙ブログでぼや~~~っと歩いていた柴崎分水記事と関連があるからです。↓
http://tokyoriver.exblog.jp/14689959/
いつか全部たどりたいなぁと思いつつ、荒川とか千葉方面にハマっていってしまい、多摩方面になかなか戻れなくなっていました。そんなわけで未訪に等しい柴崎分水歩き、お声掛けいただきとっても嬉しいです。ぜひぜひ、ご一緒させてくださ~い!!
投稿: nama | 2013年5月21日 (火) 18時46分