ダイナミック・チバの暗渠と軍跡 続・中山編
2つ前の記事、「中山編」の続きです。
葛飾川を遡上します。
この地にのどかな田園風景が広がるころ、葛飾川は流域にとって重要な農業用水でした。地元では、「ナガズ」「ながづ川」という呼称もあります。・・・ちょうど東隣の谷には「長津川」があるので、この「ナガズ」の由来は気になるところ。
勝間田公園(の前を走る国道)の手前にこのように段差があります。
おそらくこのあたりがかつては池の水が落ちるところで、富さんが営む「富さん」という茶屋がありました。
目の前は街道。風光明媚な景勝の地で、旅人がくず餅、でんがく、名物の「つきぬきだんご」などを食べ、お茶をすする場所であったそうです。池を眺め、詩が作られ歌が詠まれ・・・
しかし明治27年に総武鉄道が通ると、ひとびとは汽車をつかうようになり、街道には荷馬車や人力車が多くなり、「富さん」で休む人はいなくなってしまいます。そして茶屋は姿を消し、荷馬車の立場となってしまったそうです。
「富さん」から見えた池も、今では勝間田公園です。勝間田の池という溜池だったところ(名は万葉集から取ったそう。本郷溜、下り所の池、とも)で、昔から有名な池だったといいます。古地図にもデカデカ載っています。この公園全体が池、と思うだけでもデカいのですが、むかしはもっとで、道路の中央分離帯の松並木のところまで池が広がっていたといいます。
冬は氷の上で遊び、春は釣り、夏は水遊び・・・子どもたちが遊ぶ池。昭和10年に国道の拡張により一部が埋立てられますが、昭和30年には中の島が作られるなど整備されます。しかし生活排水が流れ込んで次第に汚れ、以前谷戸っ子さんが下さったコメントによると、昭和40年前後は「汚いな~!」と思うほどであったとのこと。
農業用水としての役目ももはやなくなったのでしょう、その後は全て埋められました。いまは、公園の奥のほうにフェイク池(枯れていましたが。湧水もあったらしく、埋立後もここらへんから湧いていたそうです・・・)があるくらいです。
池の畔には、葛飾神社。しかしこの神社は大正5年に遷されたものであり、旧社地には今も立派めの湧水があるようです。その湧水は葛飾川の流路から見ると西にはずれており、今回は気づかず・・・残念です。
米作の地であるため、国道沿いにはこのような溜池が多く存在していたそうです。
・・・この「溜池」には更に上流の葛飾川の水が流入してきます。その痕跡を探そうと、北に向かって歩きます。すると、
公園の入口のひとつに、橋跡がありました。
道路をはさみ、もう片側の橋跡も残っています。そのさき、心もとない感じの蓋のされ方ですが、水路の痕跡もありありと残っています。
直角に曲がり、未舗装暗渠に変化。
のっぺりコンクリ蓋に進化。
おおっと家の敷地に入っていきます。こんもりとした木々の庭がある、大きな家のようでした。
敷地の反対側へまわります。
水路が出てきたところ・・・ああ、なんて堂々とひとんちの庭を通っているのだ・・・暗渠の蓋は、うすい抹茶色の、ちいさな砂利のようなものでした。
家を出ると、すぐに橋跡。そして京成の線路をくぐります。
線路を出てきたところ。
「この先バイク進入禁止 船橋市河川管理課」って書いてあります。
河川管理課!
葛飾小学校の前に来ると、T字になって周囲を囲っているように見えます。
小学校の脇にて、支流が合流。
この支流の源は住宅地に飲まれ、追えませんでした。
その先は、小学校の通学路だからなのかわかりませんが、自転車を阻むためのコレがくどいくらいに現れます。1つ1つの距離が近くて、歩行者にとってもちょっとアレなんですけど・・・
で、もうちょっと遡ると舗装が悪くなります。イイネ~。
ここで地図上では左岸側に池マークが出てくるので、どうせ調整池だろうとそちらへいくと、
なにやら水を湛えた池がありました。
「きけんなので池にはいるな」の文字の配置にセンスを感じます。
なんとここ、ゲェロの池(ゲェロ溜、とも)、という湧水池でした。
ゲェロとはカエルのことで、暗くなるとウシガエルが鳴いていたことが由来です。というか、今もカエルは確実に住んでいそうです。
かつてはここで野菜を洗うこともあり、また、川エビ、フナ、ウナギも採れたそうです。夜になればホタルが舞って。・・・ここもJRの西船橋ができた昭和30年代から、溜池の役割が終わったとのことです。今も水が湧いていますが、中にいるのはコイばかり。畔では近所のおじいさんが池を眺めながらのんびりお話をしていました。
案内板によれば、ここらへんには他にも湧水池が点在し、葛飾湧水群と言われているのだそうです。し、知らなかった・・・
ゲェロの池から流れ出す、川跡もありました。
それは葛飾川の本流と並走するかたちで崖下をすすみ、
雑な感じで葛飾中学校(葛飾小のとなり)のグラウンドへ入っていきます。そしてグラウンドに沿って直角に曲がり、本流と合わさります。
ここ、歩いてみようと思ったらぐちゃぐちゃの湿地でした。葛飾川沿い、結構湧いてるな・・・
本流暗渠に戻ります。舗装が悪くなった場所から・・・ん、なんか地面がヘン・・・
これ、麻雀杯(参考)??
いえいえ陶器のかけらでした。
我ながら、こういう質感のものを見るたびに「麻雀杯!?」と思ってしまうおかしな思考回路になってきています。しかしコレ、船橋の他の場所でも遭遇することになるんです。船橋暗渠の名物のひとつになるだろうか・・・
陶器のすぐ横、右岸にはこんな風景。
突然、池が現れます。
この地域ではかつて、池の大半が稲作と関連していました。小さな池は種もみを発芽させる「タナヤ」に使われたといいます。この池について言及する文献はないのですが、おそらくはこれも「タナヤ」に使われた湧水池ではないか、と思います。
少し進むと、暗渠自身も水まみれでした。
どうやら脇からじゅくじゅくと湧いているようです。湧水が暗渠蓋の上にある風景。
ふと見ると横の駐車場も水びたしでした。
地面や横の湧水に気を取られていると・・・、
あ、橋だ。橋が前にある。
どうしよう、くぐろうか、やめようか・・・でも遠回りだし、くぐらなきゃ。
いいオトナですが、子ども心でくぐります。
見上げると、ほんものの子どもが数人、暗渠上で遊んでいました。
N「ごめーん、 ちょっと通らせてね~」
子「あのねぇ、ここねぇ、秘密基地なんだよ!」
N「へぇ、秘密基地!いいじゃん!」
いいなあ、橋の下にある秘密基地って。雨でも遊べるしねぇ。へへ・・・写真撮っちゃお。
子「あ、写真撮るよ。(ピース!)」
ピース!
まもなく古作橋。
脇の駐車場は古作橋駐車場といい、競馬をやっているときにはいっぱい車が止まり、やっていないときにはカラッカラです。
古作橋を渡ると、梅林でした。
右岸側には地形図では支谷が認められますが、川跡は見つけられず。
そのやや上流にて、前回書いた中山競馬場支流(仮)をあわせます。
本流上、四方固めをされたマンホールが何度も出てきます。
流路脇に公園があり、折渡の弁天さまが祀られていました。この地が昔海だったとき、ここが入江の一番奥であり、船が折り返し渡るというのが名の由来だそうです。
下流側にも海だったときに毘沙門丸という宝船が沈んだという言い伝えのある場所があります。ちょっと、海だったなんて想像しづらいですが・・・ここを船が往来していたのか・・・
本流はしばらく、ハシゴ式開渠風暗渠です。
中に管渠が埋まっているということなのか、土色の砂利が被せてあります。地図上ではここらへんはすべて開渠で、開渠扱いしたくなるのもわかる気がする・・・
武蔵野線の高架をくぐると、暗渠の感じがちょっと変わります。
プリンみたいでもあるけど、こういう和菓子もあった気がする。中に餡子が入ってるやつ。
フェンスが消え、また姿が変わります。
水門が突き出ていました。これはすごい・・・地元のヒト、ベンチだと思ってるんじゃないだろうか・・・。
この先に上流端があります。
盛土のさきに谷頭があります。盛土は実は、行田に行くときに通った道です。
水門から分岐する先にも行ってみましょう。
そこには、深い開渠がありました。
こうぐるーっと続いて、
途切れて、
湧水池があったらしい、木の生えていない窪地につながっていました。
豊水期には水が溜まっていたりするのでしょうか・・・?ちなみにこのときも僅かに湧いているようで、写真奥の流入口には水が溜まっていました。
葛飾川の水源は、古作の奥、薄暗い藪の中にある「ヨシ溜」であるといいます。おそらくこれがヨシ溜ではないか、と思います。かつては、何か所も湧水口があり川魚も多くいて、蛇やイモリもいたそうです。
いまじゃ公園の端っこにすぎませんが、昼間でも薄暗く人気はあまりなく、神秘的な感じは僅かにします。何十年も前には、ここからふつふつと湧いた水が、滔々と流れ出す風景があったのか・・・。
水源はきっともっとアチコチにあったと想像させる、湧水の多い葛飾川沿いでしたが、ひとまずこのもっとも水源らしい場所まできたので、これで探索を終わりとします。積み残しは、あるけどね。
今回の行程、陰影図で示します(google earthさんありがとうございます)。
競馬場から見えた谷は、こんなカタチをしていました。色々な蓋、あちこちの湧水、秘密基地。なかなか味のある一本でございました。
***
さて、あとは下って帰るのみ。
途中で見つけたお風呂屋さんに寄ります。
その名も、湯~トピア。ん、なんか荻窪で聞いたことある名前だな・・・w
サブタイトルは「スペシャルリーズナブル」。たしかに、雰囲気はスパのようなのに、銭湯料金です。なんか、カラオケ室もついてますw
リンク先にあるように浴場は洋風なのですが、露天は和風。外に出るとまず、滝と鳥居、池がデーン。はっきりいってこの池、露天風呂と区別がつきません!少なくともわたしは暗がりで「どっちに入ったらいいんだ・・・」と迷い、池に入りそうになり危なっ!!ってなりました。。少し目の悪い人、少し酔ってる人など、絶対年に何人かは間違って池の方に入っちゃってると思います。
でも、お風呂は広いし清潔、種類もいろいろで、良かったです。
何度も露天に出入りして・・・風呂あがりにロビーで一杯。ぷはぁ。
なんと、湯~トピアの前にも支流がありました。
これはもう湯~トピア支流(仮)と名付けたい勢いですが、実は葛羅(かつら)の井という立派な湧水がこの近くにあったらしい(これも取りこぼし。残念)ので、そこからの流れかもしれません。
まぁまぁ、今回はこれで堪能したので、行きにみつけていた京成沿いのいい感じの飲み屋さんでフィニッシュ。
さて、酒。
京成西船(もとは葛飾駅で、改称は昭和62年・・・結構最近なのですね~)駅前の立ち飲み屋さん、山形屋。
このビジュアル、たまりません!
さっそく瓶ビール。モツ煮に、やきとり。ぐびぐび~。もぐもぐ。
・・・あるものをメニューに見つけます。
ソーセージ。
いや、行田でスーパーに寄ったとき、相方が「ソーセージの種類と量が多すぎる」ことにえらく吃驚していたのでした。たしかに、なんか多いんですw そこで「船橋はソーセージの街」と思っていたところに、それほどメニューの多くない店の壁にドーンと「ソーセージ」。・・・これは頼まないわけにいかないでしょう。・・・で、ソーセージはなんとおでん鍋の中から登場しましたw おでん味のソーセージ、いい感じに美味しかったですよw
すぐ後ろにびゅんびゅん電車の通る風景。
お隣もハシゴし、チューハイで酔い酔い、帰宅しました。
実は、この時点では中山競馬場のオケラ街道の位置を勘違いしていて、飲み屋さんの名残がないな~と残念に思っていたのです。もちろんいまオケラ街道が様変わりしている可能性だって大いにあるけれど、このことは大きなリベンジ要因です。あ、湧水池もだけど。
ほんとうのオケラ街道を通りに、チューハイを飲みに、またまたここらへんに来なきゃいけませんね。
<参考文献>
かつしか歴史と民話の会実行委員会「葛飾の郷」
成瀬恒吉「葛飾誌」
綿貫啓一「郷土史の風景」
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コメント
nama様、こんにちわ。
葛飾川パート2、楽しく拝見いたしました。
私は勝間田公園から民家の敷地に入るところまでと、子供らの秘密基地あたりを見たことあるぐらいなので、今回もいろいろと未知の世界を知れてとても楽しかったです。
しかし、はしご式開渠付近は管が埋まっているのですかね?私もすごく気になりすます。もちろん勝間田公園にも管が埋まってるか?も気になりますね。
それと、今では住宅が密集しているのに、あれだけジュクジュク地や湧水が残っていたのには感激でした。
昔の田圃が広がっていた時代の葛飾川を本当に見てみたかったです。
もう一つ、葛飾川の開渠時代、上流域の谷の規模から察すると、大雨が降ったら京成線から勝間田池までの区間は凄い激流、あるいは洪水になったでしょうね。
あの区間の川の細さや直角曲がりは上流域に比べ異常に思えますよ。(笑)
ps.nama様、このさき千葉方面の暗渠探索予定はまだありますか? そのあたりの情報を教えて頂けると嬉しいです。宜しくお願いいたします。
投稿: 谷戸っ子 | 2013年4月22日 (月) 16時10分
>谷戸っ子さん
こんにちは。秘密基地のあたり、とても良いですよね~!現存する池の湧水もいいですが、傍らでさりげなく浸みだしている湧水がなんともすてきでした。
管が埋まっているかどうかですが、葛飾川本流部分は葛飾一号幹線という下水が走っているはずなので、おそらくあの下に比較的大きい下水管があるはずです。手持ちの資料はちょっとおおざっぱなので、正しい位置と下水管の形状まではわからないんですが、少なくとも上・中流部の本流はそうだと思います。上部が何故いまあのような形状なのかは、謎です。
たしかに、谷戸っ子さんも通られたはずの、勝間田の池のすぐ上流の直角は大雨時危なかったでしょうね。おそらく田圃ばかりであった頃は水の逃げ場はあったでしょうけれど、住宅地への過渡期には結構大変な時があったかもしれませんね。
千葉方面は、取材済なのが習志野~大久保、鎌ヶ谷~馬込沢、船橋東側、茂原で、これから行くもののうち決めているのは松戸、矢切、野田、千葉市、船橋(再)です。習志野学校などは資料も多いので、まとめるまで時間がかかると思います。それから、これから行く予定の場所は、流れでどんどん増えていく可能性が高いですw
投稿: nama | 2013年4月22日 (月) 17時25分
秘密基地の橋と、水門がすごかったですね。
こんな形の水門、見たことありませんが、本当に水門なのでしょうか。
千葉県内はずいぶん探索されてますね。
私は松戸だけ探索済みです。
松戸で暗渠と言えば、アレになります・・・。
もう少ししたら公開しますけど。
投稿: 猫またぎ | 2013年4月24日 (水) 16時12分
>猫またぎさん
こんにちは。たしかに自分もこんな水門はみたことがなかったですが、位置的に&他にこんな構造物がなかったことから、水門だというのが妥当な気がしています。現地の空気ではそうでした(←ひどい説明ww)・・・猫またぎさんもぜひ現地で検証してみてくださいw
松戸はまだこれからで、しかも過去にも松戸は乗り換えにしか使ったことがないので・・・「アレ」て言われてもwww ひゃー、すごい楽しみなんですけど~~!
投稿: nama | 2013年4月24日 (水) 18時58分
何と、昨日ここへ行ってきちゃいましたよ。
勝間田公園から上流だけですけど。
上流を追いかけていたら、下流に戻ってこれなくなっちゃいました。
なんとなくnamaさんのあの記事かなーと思いながら歩いていましたが、現地ではなかなか内容を思い出せないものです。
「舗装が悪くなった場所」に入っていかれたとは驚きました!
あそこは第一感入っちゃいけない場所と思って迷わずコの字に回り込みましたよ。
まさかまさかですねえ。
あの珍しい水門は、不覚にも気がつきませんでした。
自分で「水門がすごかったですね」などとコメントしているのに...。
暑さで目が濁っていたようです。
投稿: 猫またぎ | 2013年6月10日 (月) 12時26分
>猫またぎさん
うわははは!w わかります、それ。なかなか思い出せず、何かすごく特徴的なものを見つけたときに初めて「あ、〇〇さんがコレ書いてたかも・・・」っていうw それか、帰ってきてからネットでググって気づくパターンもありますしね。
「舗装が悪くなった場所」は、確かに若干入りづらいですが、柵も無いし大丈夫なのに・・・猫またぎさんなら入りそうですけどね、あそこ。ちょうど入口地点の家の飼い犬が人懐こかったような思い出があります。
あの水門はわたしには結構な違和感を放っていたように思われるのですが。でも猫またぎさんはコメント時から水門かどうか疑ってらっしゃる感じだったから、現地でもベンチ的なものだと思われたのかもしれませんね。それにこの暗渠はみどころが多いから、上流端は若干ダレルかもしれませんw
投稿: nama | 2013年6月10日 (月) 18時56分