あの娘が走った桃園川
今回は、ちょっと趣が異なります。
先日、庵魚堂さんからいただいた「動く桃園川が見られる」という情報(庵魚堂さんありがとうございました)。
それまで全然知らなかった「妹」という名の映画でしたが、即ポチしてしまいました。さっそく見てみると、かなり興奮の映像で・・・ストーリーというより、そこにある風景に、むかしの街並みに大興奮。今回の記事では、そこに出てきた桃園川まわりの風景を主に伝えていきたいと思います(日活のHDリマスター版より画像を拝借)。
いざゆかん、1974年の桃園川へ!
それは、映画のかなり最初の方に登場します。
林隆三の運転する車が、ある朝、この通りをぐんぐん走ります。
・・・どこだか、わかります?
それは、ここです。
高円寺南にある、エトアール通り。
いま西友がある場所にかつてあった映画館の名を冠した、エトアール通り。
桃園川が開渠だったとき、氾濫すると水がここまでやってきた、エトアール通り。
お気づきでしょうか、とんかつ「田むら」は、その頃からあるのです。
偶然にも、以前エトアール・ヨコギール支流のときにご紹介したのが田むらでした(絶賛している記事がコチラw)。
このエトアール通りを、林隆三は荷台に秋吉久美子を乗せながら走ります。秋吉久美子って、物心ついたときにはバラエティとかに出ている「なんか気の強そうな女性」という認識しかなかったのですが、若い頃はなんだかコニタンみたい(外見が)にカワイイ!!(コニタンはわたしにとってものすごい褒め言葉です。)
ここで見えている「田中カメラ」に、新聞屋さん(毎日新聞販売所)。1988年発行のゼンリン住宅地図には載っているんですが、今はありません。
エトアール通りのお店はずいぶん、入れ替わるか住宅になっているか、という感じで・・・。何度も映像を止めては凝視してみたのですが、どうも現存しているお店はほとんど無いみたいでした。
ただ、見上げれば看板建築だけは残っています。
早稲田からやって来た林隆三の車は、たぶんこの、桃園川極狭支流(仮)も通過しているはずです。
映像上はよくわからないけれど。
秋吉久美子は、エトアール通り上に居た犬に声をかけます。こんなふうに谷間をチラチラ見せながら。そしてここで車は左折・・・
この交差点、ちょっと地面がもっこりしていますよね。ってことは、
ここってことです。
写真右方向から桃園川支流が合流してくるので、その橋跡が地面にいまも残る交差点。
向こうがわに随分お店が見えましたが、いまは殆どありません。逆に右手前は当時「車庫」だったのが、現在レストランになっています。
支流に沿って左折した林隆三。その後どうするのかというと、
なんと桃園川緑道沿いに車を止め、天保新堀用水のほうへ歩いていきます。
実は、エトアール通りが出てきた時点でわたくし、アイドルが登場したときに絶叫するファンのようなテンションになってしまい、ここらへんはもうキャー!キャー!!ギャー!!!ってなってます(当然対象は風景ね、片手には地図)。
このビババウスというアパート、前掲のゼンリン地図には載っていました。が、今は一軒家&マンションになっていました。家は新しめだったので、もしかすると数年前までビバハウスはあったかも、しれない。。。
ビバハウスそのものはなかったけれど、周辺には映画と似たような構造のアパート群を見ることができます。
そしてしばらくこのへんをウロウロした林隆三は、
不機嫌そうに、天保新堀用水を歩いて帰ってくるのです・・・・!
うおぉぉぉぉおおお!!!
現在の風景。
いろいろ、違う。
でも、いろいろ、一緒です。
さて・・・後出ししようと思ってもったいぶってきましたが、桃園川そのものの画像もいきましょう。
カラフルな欄干(というより車止めかな)の残る橋跡。
り、リヤカー・・・。鉄塔の形ぃぃ・・・
最初画像をチラ見したときには、こんなにカラフルな桃園川は中野区に違いない、と思っていたんですが、
実は、ここでした。
高円寺南3丁目。東橋。奥に、天保新堀用水の暗渠が見える場所。
上流方向を見てみると、こんな感じ。桃園川は車道よりも少し下がってます。
今は、段差はありません。
だいぶ様子が違うのは、後に杉並区がここを緑道として整備したことによります。前掲のゼンリン地図ではここはまだ「公園」扱いでした(整備後に「桃園川緑道」表記になります)。
桃園川が暗渠化されるまさにそのとき、近辺では子どもの遊び場不足が叫ばれていて、この「暗渠上の公園」の登場はかなり歓迎されました。遊び場のことは過去にも書いてきましたが、また別記事で改めて触れたいと思います。
なるほど子どもらしい色彩の空間(次の画像は更にそんな感じ)。いまは、色合いからしても、大人たちの散歩の場所になっているというわけです。
さて、ここに車を止めた彼ら。
橋上でひと悶着あってから、
子どもたちが遊ぶなか、秋吉久美子が、走る、走る、走る!
林隆三、追いかける、追いかける!
子どもたち、ポカーン。
秋吉久美子、遊具に隠れる!
林隆三、手を伸ばして捕まえるゥゥ・・・秋吉、噛みつく!林、負けずに秋吉を引きずり出すゥ・・・
の、舞台だった場所がここです。
なんとまあ静かな。橋の袂のマンションだけが一緒です。
左手に材木店ぽいものが見えていたと思いますが、
そこは現在も材木店であり(正しくは当時は「(有)野中材木店」、現在は「(株)ノナックス」)、 材木は内側に置いてありました。
桃園川ラストショットはこれです。
この女性が立っている位置が、
だいたいココです。
・・・ええ、残っているんですよ、この欄干のようなものが。
それってスゴイことだと思うんです。杉並区部の桃園川本流は、とても落ち着いたトーンに統一するかたちで整備されたはずです。以前のカラフルな遊具が残るのは中野区のみ(支流も入れれば天保新堀用水にもありますが。それらも現在減少中)だし、こんなものが杉並区側に残っていることは、珍しいんじゃないでしょうか。
それを証拠に、お向かいはこのように撤去されています。
水色のペンキ痕だけをわずかに残して。
比較してみると、半分に切られて残された、という状態です。
・・・ここが映画のロケ地であったから、という理由で残されているのでしょうか?地元の方が懐かしんで、踏ん張ったんでしょうか。はたまた、区の善意でしょうか。・・・それとも、単に撤去忘れなのか。
いずれにせよ、良いものを見させていただきました。おそらく蓋がけ後の最初の姿である桃園川。子どもたちが遊具で遊ぶ風景。そして、その名残にまでつながるというお土産付き。
***
エトアール通りに戻り、折角なので「妹」に映っていたお店でゴハンにしよう、と思いました。ところが、冒頭の画像にあるように、田むらのあたりからしか映っていないのです。そして、目視できるお店で、今残っているものがないのです・・・。
田むらの隣に信濃という蕎麦屋がありそこそこ古いのですが、ここも映画のときには違う店名でした。
仕方がないので、エトアール通り上に当時も「あったであろう」店に行くことに。となると、田むらよりも東側にあるお店も候補になるので、あまから亭、いろは寿司、富士川食堂なんかも射程内に入ってきます。
選んだのは、天ぷら天米でした。創業50年強らしいので、確実にその頃からあったお店です。店内、入ってみるとたしかにそういう雰囲気。
天丼中心のメニューは二千円前後と思いきや、お得な丼がいくつかあって、
これは海老天、魚天、ホタテ天、ししとう天が入って800円。ホタテとかぷりっぷりで美味しかったです。コスパ良い!タレがちょっと辛めの濃い目で、ビールも欲しくなりましたよ・・・満足満足。同じ日、北口にある「天すけ」は長蛇の列だったのにここはガラガラで、もっと応援したくなりました。米粒と一緒にむかしの風景をかみしめるのにも、良いお店だと思います。
映像には出てこなかったけれど、秋吉久美子を乗せた車は、きっとこの店の前も通ったでしょう・・・。
映画に出てくる桃園川暗渠。そんなの、見たことが無い。と思っていましたが、流域は杉並中野、支流も含めれば結構な広さ。もしかすると、何処かでひっそり、映っていることもあるのかもしれませんね。
| 固定リンク
| コメント (11)
| トラックバック (0)
最近のコメント