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谷田川木戸孝允邸支流(仮)と「あの欄干」

谷田川を下りながら、暗渠本では触れられなかった支流を紹介するシリーズ。舞台は駒込へとうつります。

木戸孝允(の別)邸が駒込にありました。そして、その邸内にも湧水池があったといわれます。木戸邸跡に向かうには、谷田川の谷底からこ~んな階段を上っていきます。

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ずいぶんと存在感のある階段。
東京の階段DBには、「駒込1丁目のクランク型階段」として紹介されています。

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もともとは広大だった木戸邸の敷地は、現在は分割されているようです。
先ほどの階段を上り、台地の上をてくてく歩いていくと、トーア駒込マンションという文字が見えてきます。このマンションは、木戸邸が3分割されたうちの中央部分に当たります。

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道路を迂回し南側に回ると、木戸邸があったことを示す石碑がありました。

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さて、湧水があったということはどれだけの窪みかな?
残念なことに、ぼーん、ぼーんと大きな建物が立ちふさがっていて入れません。急崖があることだけは、なんとなーく、隙間から見えます。

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幸運なことに、その一角がたまたま工事中でした。
いま、自分が立っている位置が道路の位置。突然深い谷が出現することが、工事現場からも感じ取れます。で、いかにも水が湧きそう、とは思うのですが、湧水池(の名残)など全然見ることができません。

・・・昔の写真ではどうでしょうか。木戸別邸は、昭和20年に空襲で焼けてしまったといいます。たしかに、昭和22年の航空写真ではここは焼け野原であり、ぼやけていて池があるかどうかもわからず、そして敷地の全貌もわかりませんでした。

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昭和38年になると(gooさんありがとうございます)、周辺には住宅が建っています。写真中央部分の、木々の間に水面が見えます。
右寄りにある民家がおそらく土居さんという方のお宅であり、このお宅と庭園が最後まで昔の面影を残していた、と言われますが、平成9年に取り壊されてしまいました。

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現在の航空写真。土居邸の後に駒込パークハウスというマンションが建っています。土居邸の庭には「フ」の字型の池があり、昭和50年頃までは湧水が見られたそうです。が、その池のあった位置にも建物が被さってしまっています。この谷頭の最後の湧水、今はどうなっているのか・・・

丸印のところには、いまも池がある雰囲気です。約10年前の情報だと、3分割された土地にはそれぞれ池があり、水を循環させていたようです。今もそれぞれ、マンションの中庭として、この谷頭の自然を利用してはいるみたい。

左側の敷地は以前は電通生協会館でしたが、これも今は新しいマンションになっているようで・・・それが売出し中の記事に、「木戸邸別邸があったこと」をウリとしている文言を発見w まあとにかく木戸邸はとても広く、その1軒の敷地に現在は何百?何千?人という人が住んでいる、というわけですね。

さて、水源探しはこのくらいにして、そこから流れる谷田川支流を追ってみましょう。

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谷を見ることはあきらめ、外からまわっていくしかありません。
坂を下っていく途中に石碑があって、ここは江戸時代後期以降旗本本郷丹後守の下屋敷であったこと、石碑は将軍から獲物を下賜されたことなどが書いてある貴重な史跡であること、明治になると木戸孝允がここを別邸としたことなどが書いてありました。

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限られた道を、なるべく谷に近づくように通ります。ここは谷戸の縁といったところでしょうか。

この壁の左端あたりが、豊島区と文京区の区界です。すなわち、谷の続きにあたるのかもしれません。

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そして、この写真奥の赤茶色のマンションの右端が区界。マンションの左側の土地がだいぶ高いので、この建物自体谷底にあるのかもしれません。

おそらく、木戸邸の急崖で染み出すように湧き出た水たちは、目の前の道路を横断するように流れて、

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この、丸印のところ=区界を下って行ったと思います。豊島区駒込と、文京区本駒込の間です。

明治期の地図だと、上流は描かれていないのに、むしろここに水路が出現します(もう少し南にも湧水池があったかのような描かれ方で)。

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この隙間がさっきの区界の反対側です。
ココから出て、

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ココを通り、

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谷田川へ注いでいたと思われます。

閉じられた上流端。途中からは追えますが暗渠感が乏しく、区界であることと、明治期の地図に一部だけ載っていること、くらいしか根拠のない支流です。が、ここも一応、谷田川支流と捉えたいと思います。

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駒込といえば花街(神明三業地)があったところでもあります。
この写真は三業地のエリアで撮ったもの、奥にちらりと見えるのがさきほどの谷底マンション。つまり、木戸孝允邸支流(仮)と駒込の花街はとても近く、というか、支流は花街の端っこを掠めて流れていたと思われます。
花街のあった低地は、谷田川本流の右岸ともいえます。大正10年に営業開始、数年でめざましい発展を遂げたというこの花街と、すぐ横にある田圃や水路との風景の組み合わせを、見てみたかったものです。最盛期で芸妓は400人ほどもいたといい、今の「静かな住宅地」からは想像もつきません。戦後、料亭34軒をマークしたのを最後にあとは衰退の一途で、現在は名残もほとんどありません。。

さて、一杯いくか。

ちょうど谷田川・藍染川の記事を書くため、このへんをウロウロしていたとき、「のみちけ」なるもののチラシを見つけました。
駒込巣鴨、谷根千などで展開している企画で、のみちけ公式ホームページはコチラ。5枚1綴りが3000円のチケットで、加盟店でお得に飲むことができます。基本スタイルはチケットを1枚(=600円)出せば、酒1杯と食べもの1つ。この時点でもうお得なのです。そして選択肢が結構多い(夏は50軒ほどだったかな)!チラシを見るだけでわくわくしてしまい、夏に”谷田川のみちけマラソン”をしてきました。
そう、暗渠酒マラソンと「のみちけ」のコラボレーションです。5枚綴りのチケットを1日で使い切る=5軒ハシゴする、という暴挙に出てきました。最初の3軒は谷田川沿いです。

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最初の1杯は、立ち飲み「逆転クラブ」で生ビールと焼鳥2本、ポテサラのセット。の予定だったのですが、ありがたい誤算?で、この日はポテサラがおでん盛り合わせになってやってきました!わーいうれしい!

近所のおじさま方が集う気さくな良店。ですが、あと4軒あるのでサクッと去り、

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2軒目は少し下って、板前で焼鯖と焼酎。サバがとても美味しかった!

3軒目はさらに下って家和(は、もう加盟をやめたっぽい?)でブロッコリーとホタテの炒め物ともう1品と紹興酒。なんと突き出しの枝豆もサービスという大増量。

そこからは谷田川を離れ、4軒目は駒込駅前のホワイトヒマラヤでネパール風鶏唐(うまい!結構いっぱいくる!)とレモンサワー。5軒目は巣鴨方面に移動して、ロイヤルスターシップでカレー(ルオーっぽい美味しいカレー!)とビール。・・・かなりの満足感でした。店とメニューの組み立てを考えるのもすごく楽しかったです。
※メニューは季節で変わることもあるようです。そしてエリアがまた拡大するみたいですね。

・・・なんだか記事が詰め放題の様相を呈してきましたが、最後に小ネタをひとつ。
タイトルは、「だんだん見えづらくなるあの欄干」です。

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HONDAさんが、中里用水ガードのところに橋の欄干が埋め込まれている、という実におもしろい発見をし、藍染川桜酒マラソンのときにはここは重要撮影ポイントとなりました。

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その後、谷田川・藍染川の項を書くことになったので、この欄干と用水ガードは是非入れたいなあ、と思い、改めて写真を撮りに行きました。

自転車が邪魔だなあ。それから、ホワイトバランスを酔っ払っておかしくしてしまった・・・。なので、もう一度日を改めて、撮り直しをすることに。

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再訪。

うぅ・・・自転車増えてる・・・。しかもヤな感じに・・・。

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今回の記事を書くために、再々訪。・・・見えづらさ進化してる・・・

結局、一番写りが美しいのは、最初にこの欄干の存在を知ることとなったときの、HONDAさんの記事だったのでした。ガードレールもないしね。わたしがこの欄干とガードを美しく撮ることができるのは、いつの日か・・・。

<参考文献>
清水龍光「水」
上村敏彦「東京花街・粋な街」

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コメント

木戸邸跡の池、以前見せていただけないか現地でお願いしましたが、あえなくお断りでした。。う~。

次の記事、湯気のお絵描きがクリスマスっぽくて可愛いです!
お湯の排水の湯気、都内でも見られたら風情を感じられそうですね。排水のタイミング時間帯とか気温とか、どういう条件下で観察できるんでしょうね。。

投稿: 谷戸ラブ  | 2012年12月13日 (木) 18時19分

>谷戸ラブさん

ありゃりゃー、お断りされちゃうんですか。分割されてるうちの、どこもなんでしょうかね?それにしても、お願いされたことあるんですねww
がま池のあるマンションは、入口に、池が見たい人はココに連絡を、と電話番号が書いてあるのですが、そこにかけても誰も出なかった・・・という微妙なできごとを思い出しました。

いやぁ、絵が下手なんですよほんとにw湯気が雪みたいに見えちゃってますよねー。
団子坂の銭湯の記述では、「子どもたちが長靴で遊ぶ」時間帯なので、きっと昼間からモヤってたんじゃないかと受け取りました。朝風呂もやってたのでしょうか。

つい最近、夜に雨水の側溝から湯気が上っているのを見、手をかざしたらあたたかかったので、あれはいったい何が流れていたんだろうと不思議でなりません・・・。

投稿: nama | 2012年12月14日 (金) 12時47分

木戸孝允とか大久保利光は維新後の大名屋敷を私物化した欲張り役人だったそうですね!虚飾の名誉だとか物欲には勝てなかったんですね。西郷隆盛や板垣退助はそういう悪いことはしなかったみたいですが。
木戸さんや大久保さんの子孫の方も物欲と名誉欲を継承しているのでしょうか?聞いてみたいですよね!

投稿: 豪太 | 2014年5月15日 (木) 18時19分

>豪太さん

はじめまして。わたしは川や地形は好きですが、歴史にはあんまり興味がないので、コメントに書かれたことは、よくわかりません~。すみません!

投稿: nama | 2014年5月20日 (火) 20時59分

はじめまして。
ページ、楽しく拝見しました。

20年近く前に、「トーア駒込マンション」に住んでいたことがあります。たしかに池はありましたよ。
池と反対側がマンションのエントランスで、そこは3Fでした。
我が家は1F。
ベランダの目の前に池があり、大きなコイやカメがたくさん居たのを覚えています。

池のほとりまで出られる構造にはなった居ませんでしたが、バシャバシャと鯉が跳ねる音が良く聞こえました。

あの水は、どこから来ているのかな。もしかして六義園の池とも関係あるのかな、なんて考えていました。

投稿: dkym304 | 2017年10月28日 (土) 11時42分

>dkym304さま

はじめまして。
なんとなんと、トーア駒込マンションに住まわれていた方からのコメント!とてもうれしいです。ありがとうございます。
しかも、ベランダの目の前が池とは、(そして池の音も聞こえるとは)風流ですね。
その頃ですと、湧水は枯れた後かもしれません・・・が、枯れたとされる水源に、気まぐれに水が湧くこともあるように、当時も少しだけ湧水が混ざっていたかもしれませんね。

投稿: nama | 2017年10月29日 (日) 14時38分

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