谷田川暗渠の裏表と古河庭園支流(仮)
前回に続いて、谷田川を下ってまいります。
染井銀座商店街にちょうど出るところで目につくのが、この看板。
「昼食」どーん。気になります・・・。
以前は、谷田川の流路は右に折れる染井銀座商店街ルートのみと思っていたのですが、実は奥へ直進する区界ルートもあります。つまり、この看板を出しているお店は、暗渠沿いめし屋になる、ということ。益々、気になります・・・。
つくも、というらしいです。
「7品付き定食」「ご飯二杯まで同じねだん」まるで学生街のようなフレコミ。外語大があったころの名残なのかどうか・・・。染井あたりは歩いていても、この定食屋さんのニーズに沿うような人とはあまりすれ違わない気がするので、なんとも気になる看板です。この手書き感もね。
のれんには「本店」とあるので、支店もあるようです。
さてこの暗渠めし屋さん。開店まもない時間帯に、お腹もすいていないのに入ってみました。
カウンターと座敷があるのですが、まず目に飛び込んでくるのは金魚。金魚です。
寿司屋さんのショーケース的なものの上に、金魚の水槽があってブクブクしています。そして入ってすぐの座敷席には、食事用のテーブル上に水槽があり、金魚を眺めながら食事をする格好になっています。
・・・しかも、けっこうでかい立派な金魚。
もし魚料理を食べることになったら、わたしはその視界に耐えることができるのだろうか?そんな一瞬の怯えを感じ、奥座敷の金魚無し席に座ることにしました。
注文。「表に書いてある、7品付きのやつ下さい。」と言ったところ、どうやら定食は種類がけっこうあって、そこから選ぶようです。肉じゃがや焼き魚など、ホッとする系のラインナップ。
アジのひらき定食(680円也)にしてみました。
小鉢3つ、アジ、お味噌汁、おつけもの。おつけもの2種を「2」でカウントして計7品・・・か?
小鉢は、いかと大根の炒め煮や小松菜の煮たのなど、なかなか美味。そしてお味噌汁には柚子が一切れ入っていて嬉しいかんじ。
もうひとつの小鉢はどう見てもさつま揚げだったのですが、おばさんが厨房からおもむろに「マヨネーズ、かけてもいい?」とやって来、「?????」となります。その正体は、ジャガイモの揚げたのだったのですが、たしかにマヨネーズがあってよかったという味でした。
・・・「最近の人はマヨネーズ厭だって言うからさぁ。」わたしの小鉢にビュウッとマヨネーズを絞り、そう言って立ち去るおばさんを見送る、あの不思議な感覚は忘れられません。
食べ終わってしばし地図を眺め、トイレに行ったのですが、トイレにももれなく金魚はおりました。和式トイレの正面奥に、水槽が2台鎮座(しかも薄い板の上に置いただけ)。しゃがんで、立ち上がるときに頭を打つロケーションです。
もれなく頭を下からその板に打ちつけ、ぐわんぐわん揺れる金魚たち。わたしも金魚も、たいそう心細い思いをした瞬間でした。
そんな、ありがたい店「つくも」。金魚好きの方におススメでございます。
さて、この後、谷田川暗渠を下ろうとするなら道は2通り。商店街を行くか、区界を行くか。藍染川桜酒マラソンの時に通らなかった、区界のみちをゆきましょう。
いま写っている「家庭料理はせがわ」も、暗渠沿いめし屋と言えます。この看板だけ見ると和食屋さんぽいかもしれませんが、入口にまわるともっと混沌としてまいります・・・そして、ウェブを見てみると300円でカレー系のランチが食べられるみたいですね!へぇぇ~。
通るたびに写真に撮っちゃうのがここ。染井荘と井戸のようなもの。「染井」感があるので。
さすが区界、暗渠らしい空間です。
裏表、などと書きましたが、どちらが表でどちらが裏か、というのは、簡単には決められませんね。
もしかすると暗渠者的にはこっちの道の方が、「表」感があるかもしれません。
しばらく進むと、暗渠は大きめの通りと一緒になるかのように見せかけて、
区界は次の瞬間、かくっとこう折れます。
「ほぉ、こう来るか!」と唸る場所。
その先、氷室の裏を通ったりしながら、区界はクイッと南下してしまうのですが、暗渠は区界と別になり、もう一本の流路に近づいていくのでした。複数あったこの谷田川の流れは、霜降橋のあたりでひとつになると言われます。
その前に、旧古河庭園の排水が流れ込んでくる場所があります。
古河庭園は明治の初年、陸奥宗光が別宅として作ったものが始まりのようです(つまり江戸の大名屋敷ではない)。明治32年に古河家へ譲渡、大正3年に古河虎之助が拡張と改修を行い、大正12年までのわずかな期間、本宅としていました。戦後は大蔵省の所管となり、地元の強い要望から昭和31年に有料庭園として公開されます。
バラの写真で有名な旧古河庭園ですが、行ったことがありませんでした。まさか最初の訪問目的が、谷田川支流を探るため、になろうとは。
それは、とてもとても暑い日でした。
ジョサイア・コンドル氏の設計による(厳密にいうと後から小川治兵衛が和風庭園を作庭したらしいけど)”洋風から和風への漸次移行”を味わう余裕なく、”洋”をすっ飛ばして一目散に池を目指します。
リバーサイドさんが旧古河庭園の中をじっくりとレポートされていますので、内部についてはそちらをご覧ください。
坂道を下ります。谷田川の谷戸への傾斜を巧みに利用した庭園であるので、この坂も谷田川が削った崖をベースにしているわけです。
低いところに来ると見え始める心字池。約300坪もあるそうです。
三四郎池同様、この庭のために掘られた人工池であり、余土で南側に丘が盛られています。
池の水が流れ出し、下へと流れていくところが今日の観察ポイントです。
なお、池へと注ぐ水路もあって、そこには立派な滝がありますが、井戸水ポンプアップでの補給によるものです。(池自体には、いまも僅かに湧水があるそうですが。)
庭園内での流末。橋をくぐっていよいよ隅っこに来ます。
このあたりからテンションが上がってきます・・・わたしが見たかったものは、この流末部分なので。
門の少し手前で、開渠は終わっていました。敷地の排水はすべて、外園車道に沿った下水に吸収されて、裏門から谷田川に流れている、とのこと。すなわち、裏門近辺が最大の興奮ポイントです。
ではそそくさと庭園を去り、裏門の外側を舐めるように味わうとしましょう。
裏門の向こうは、うら寂しい公園でした。
余ったんでしょうかね・・・土地がね・・・。ちなみにここは水路敷ではありません。
でも水路敷っぽくって好きです、こういうの。
ウゥ、さみしい・・・
この、壁から左へと延びてゆく何処かが、谷田川への排水ルートになっているはずなのです。
この道か?
それともこの道か?縦に延びる道は、何本かあります。が、どこも暗渠っぽさがいまひとつ。
釈然としないまま一度家に帰り、近代デジタルライブラリー(しかすけさんthxです!)の古地図を見ると、いま見てきた道はどれも該当しないのでした。今はもう住宅に飲まれてしまった場所に、排水路があるのでした。どうりで!
現代の住宅の並びを見ると、実は一目瞭然なのです。yahooさんありがとうございます。ちなみに谷田川を青点線で示します。
水色の丸で囲んだ、真ん中にある不自然な隙間。
その隙間にあたる場所は、古河庭園の壁から見ると、ココから始まり、
ココから出てくるのでした!
・・・って、今もあるとは!!!
なんと護岸が残っています。僅か数メートルですが、暗渠らしい感じで残っています。しかし、明らかに道ではないので、一人で入ってキャッキャしていると、とても危ない人だと思われる気がします(一人でキャッキャしてましたが)。
お向かいはクリーニング店でした。水路の跡はここで消えてしまうけど、なんとも清々しい気持ち。
ただし、下水道台帳ではこの位置に下水管はありませんでした。両側の道に付け替えられたのでしょう。
いま見た水路の水も流れ込んでいた、川跡=霜降銀座商店街を、ウキウキ歩きます。あ、この焼鳥屋さん(SHOGUN)も、なかなかよいですよ。イートインできる場所があって、そこでおいしい焼鳥をつまみ、背後にある冷蔵庫から缶ビールを自分で取って飲む。そんな気さくな暗渠めし屋さんです。
商店街沿いが多いように見える谷田川ですが、ときどきこういう小さなタカラモノが埋まってもいます。清々しい気持ちで、谷田川をさらに下りてゆきます。待て、次号。
<参考文献>
北村信正「旧古河庭園」
清水龍光「水」
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