バスからながむ、釜寺支流(仮)
バスはたのし。
環七を通る渋谷行のバスに乗っていると、フッと窪みと暗渠みちのようなものが見えることがあって、気になっていました。
位置的にはうさぎねこさん、リバーサイドさんが書いてらした「釜寺支流(仮)」ではないかとと思いつつ、でも、ほんとに「フッ」と通り過ぎるので、目の悪いわたしには本当に暗渠なのかどうかわからないまま。
ある日、代田橋からトコトコ歩いて来てみました。
環七から見下ろしたこの眺め・・・。
早く、この向こう側に、行ってみたくなりませんか!
上流端へ。神田川から分かれる流れのようです。
おそらく始点はここ。旧遊び場46番、現和泉緑地の少し下流で、「べんてん橋公園」がチラと見えます。この「べんてん」は、南方にある和泉の弁天池と弁天社に因むものでしょうかね。
広めの道だけれど、横に見える段差が水路感出してきます。
昭和40年代の地図では、北から交差してくる水路のようなものも見られます。
少し行くと、古めの家が数軒並んでいて、解体待ちのようでした。マンションでも建てられるのでしょうか、なりゆきはよくわかりません。
もっとも下流側の家の玄関のドアに、置手紙がかけられていました。
直筆の、おそらく40代くらいの女性のものではないかと思われる、しっかりとした字で、清掃業者さんへのお礼が書いてありました。毎日ありがとうございます、直接お礼は言えないけれど、と・・・
この手紙の主はどんな気持ちでこれを書いたのか、いま何処で何をしているのか、歩きながらも考えてしまいます。
遊び場73番の斜向かいには、こんな風に北から合流してくる水路っぽい道もありました。
そのさき、蛇行が激しくなります。この曲りぶり・・・ここは神田川の旧流路だったでしょうか。
その先、ちょっと気になる場所。まるで水車場のような島のような場所をのこして、左に行く道と右へ行く道があります。
といっても、左に行く道は、数軒の民家へのアプローチになっている程度です。あまり用途が無い道、そしてみごとな崖下です。
さて、右と左、どっちが流路だったのでしょうか?
答えは昭和38年のgooの航空写真にありました。釜寺支流(仮)は、立派なハシゴ式開渠として写っています。崖下には既に家が数軒建っています。崖下の細道がどうなっているかはよく見えませんが、本流は右の道のようです(しかも思ったより右側を流れています)。
このような違和感の残る場所は概して何かあるので、以前は沼であったとか、きっと何かあるはずなのですが・・・。
立派な崖が続きます。
興奮の連続です・・・奥にアレが見えてきましたよ!
コンクリ蓋の部、開始です。
きちんと整列してます。
両脇の柵や花壇といい、
この背筋をピッと伸ばした車止めといい、なんだかキッチリとしています。
それにしてもこの車止め、長い・・・。
どんくらい長いかっていうと、
こんくらい長い。
・・・縦に撮ってはみたものの、崖の長さが強調される結果となってしまいました。
あら、その先はちょっと乱れます。お化粧前?
環七との交差地点がここです。
冒頭の写真を、反対側から撮ったもの。
あまりおススメはできないけど、環七からツギハギ階段を下りてこられます。
環七を渡ると、崖はまだ続くけれど、暗渠感はめっきり乏しくなります。
ちなみに今まで見上げてきたこの崖の上は、通称「峯台地」というようです。やや北にあったとされる峰弁天湯は、この台地の名と関係するのでしょうか。
通称釜寺、東運寺。この少し下流で神田川と合流するようです。ここら辺の道は前掲の航空写真の頃から既に真っ直ぐすぎるので、早々に改修されたのかもしれません。
今回の行程です。峯台地のキワを通っている、神田川の分流でした。
さて、ごはん。冒頭の写真のすぐ横に実に昭和ですてきなお店が並んでいるのです。中華屋さんは閉まっていたので、お隣の大衆食堂に入ろうとしました。
井月。渋いですねぃ。
定食類が色々あるうえ、カウンター上のおかず小皿をいろいろ選べるようで、たまりません。・・・しかし、このときは連れがビールを飲むと決めていたようで、残念、このお店にはアルコールがないのです・・・断腸の思いでこの雰囲気の良い店を後にしました。
こんどは一人のときに再訪。
サバの塩焼き定食。お味噌汁はシジミにして。
白飯、味噌汁、焼魚、大根おろし、おしんこ、ミニ冷奴がトン、トン、トン、トンとやってきて、最後に目玉焼きが登場しました。ご飯足りるかな、っていうタイプの嬉しい気持ちになります。
さらに、おばさまがサービスで、目の前のトレーに盛られた出来立ての筍の煮物を下さったのです(ぼさぼさの髪に化粧もせず、愛想も良くなく黙々と飯を喰らうわたしに対して)!「これ、おいしいよ~」って。ウンウン、それ、おいしそうだなって思ってました!そしてホントにおいしいですぅ~!
それからそれから、テーブルに置かれたコレ。この手作り感とか、雰囲気とか・・・井月にはしみいる優しさがありました。
さきほど食べログをみたら、「閉店」マークがついていました(それ以外は情報なし)。何かの間違いだといいんですが。
さて、釜寺支流(仮)にも再訪します。
すると、こんな謎の空間がありました。シュロ?ソテツの下に小さな鳥居。
ちょっと意味が分かりません・・・すごい手作り感。これは、この木を祀っているってことなんでしょうか、それとも立体的立小便禁止マークなんでしょうか?誰か知ってたら教えてくださいww
<後日追記>
Twitterで寄せていただいたご意見がおもしろかったので追記します。
・ロマン→小人さん用鳥居
・小便禁止(ヒト用または犬用)
・不当投棄のごみよけ
・湧水点の名残
・小さな招ぎ代
・この鳥居をくぐると東伏見駅に着く/ワープ地点
ご意見下さったみなさま、ありがとうございました!
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コメント
もう私ら感覚がおかしくなっているのかもしれませんが、1枚目の写真などは美すら感じますね。このしっとり感。暗さ。あ、しっとりしてるのは雨上がりだからですか。鳥居の写真はシュロではなくソテツでは!
投稿: 大石俊六 | 2012年9月24日 (月) 00時27分
>大石俊六さん
そうそう、雨上がりだからなんですけど、なんだか、雨上がりに撮った蓋暗渠写真は総じて(いつも以上に)美しい気がしてます。濡れた暗渠って本領発揮みたいな感じなのではないかな、と。暗いけれど輝きをもっている・・・。
ソテツですか!失礼しました。いや~、植物とか動物の名前、だいぶ雑な括りでしか覚えていない気がします。詳しいひと、羨ましいw
投稿: nama | 2012年9月24日 (月) 19時32分
僕は暗渠化した神田川の支流を歩きました。富士見ヶ丘や高井戸、杉並区の南部は昔、蓋をされていなかった頃、支流を見ることが出来らのです。開渠となってる善福寺川や暗渠となってる桃園川、井草川の支流は蓋をされてるので見ることが出来ません。もしも僕は昔に生まれていたら杉並区の河川の支流を見ることが出来たかもしれません。井の頭の支流は見れたかもしれません。最近の人は暗渠化前の河川は全く知りません。
投稿: タクロウ | 2020年6月13日 (土) 15時28分
タクロウさんは、開渠の神田川支流を見たことがあるのですか。
投稿: nama | 2020年6月26日 (金) 21時33分