« 日本堤ポンプ所見学 | トップページ | 東京ラムネ工場、中野柴又編 »

マボロシのフィッシングセンター

「杉並新聞」を少しずつ読んでいます。
1ページ1ページ見るのでとても時間がかかるのですが、杉並ローカルな話題と昭和30~50年代の独特の言い回しに、目が離せなくなるのです。

今回は、そんな杉並新聞から、胸キュン杉並ネタをひとつ。

Fish1

行先は、ここ、善福寺川松ノ木支流(仮)です。

以前松ノ木支流(仮)の記事を書いたとき、nasunokaoriさんから成田東にあった釣り堀のことについて、情報を頂きました。このときと、このときです(コメント欄参照)、本当にありがとうございました。
その情報によれば、松ノ木支流(仮)の少し西に、”杉並フィッシングセンター”という釣り堀が、比較的短期間あったということでした。
とても胸おどる情報で、ぜひ、そのフィッシングセンター跡を見に行こう、と思っていました。

ええと、このあたりだったかな・・・。

Fish2

支流から、陸に上がります。この階段、なんで一番上がクイッてなってるんでしょうね・・・

パラパラと杉並新聞を読んでいたとき、まさにこの”杉並フィッシングセンター”がオープンする、という記事があったのでした。
ときは昭和44年、暮れ。翌年の元旦から、成田東に杉並区内最大の釣り堀(1800㎡)がオープンすることを告知する内容です。80人がいちどきに”へらぶなつり”を楽しめる、2つのマンモス釣り堀のほか、金魚や色鯉専門の2つの釣り堀もあるという。へらぶなつりは一日600円、半日400円・・・。

杉並区内の太公望たちは、大喜びしたことでしょう。

Fish3 

ここがその、杉並フィッシングセンターのあった場所です。
近辺に駐車場はいくつもあれど、新聞のおかげで住所が特定できていたので、迷うことはありません。

ふむふむ、ここだったのか~。たしかに広いな~。

Fish4

釣り堀というと、なんとなくもと池だったり取水排水の便の良さそうなところだったりと、低地を思い浮かべますが、ここは思っていたより高い場所にあります。

このフィッシングセンターは、もとは養鶏場だったのでした。
経営者がこの地に移住してきた昭和6年、善福寺川流域は田圃や雑木林しかなく、この位置から大宮八幡までは民家が一軒もなかったそうです。・・・しかし次第に住宅が増え、近所から苦情が出てしまったため、38年やってきた養鶏場を閉めざるを得ない状況になりました。
そして、色々考えられた結果、家族揃っての釣りファンであることもあり、鶏舎跡を釣り堀とし、再スタートすることになったのだそうです。

昭和45年1月の新聞には、オープンしたての杉並フィッシングセンターの広告も出ていました。”ミノファーゲン製薬横入ル”、と。

しかし、nasunokaoriさんも触れられているように、この釣り堀はそんなに長くは存在していなかったようです。どんないきさつで、廃業することになったのかはわかりません。記事内には経営者の方のお名前まで出ていたので、その後どうされているのか、妙に気になってきました。

・・・すると、駐車場のすぐ近くに、経営者の方のお宅がありました。この駐車場の管理をされているようでした。なんとなく安心して、帰路につきます。

の、前に、自分のサガというか・・・釣り堀の排水ルートがないかどうかも、気になってしまいます。

Fish5

この丘のあたりにはそんな暗渠らしい道はありませんが、ゆるやかに、松ノ木支流(仮)の方に下っていく道があります。

で、その道を下りきったところと松ノ木支流(仮)の間には、

Fish7

こんな空間があります。ここ、あやしい。
柵の向こうにはフィッシングセンター跡が透けて見えます。うん、勝手にここを排水路跡と思って今後は歩くことにします。

もうひとつ、釣り堀ネタを。
nasunokaoriさんのコメントには、”高円寺にあった屋内釣り堀”の話もありました。それについての記事も昭和40年のものに見つけました。

どうやら杉並で最初の”屋内釣り堀”は、昭和38年に高円寺に出来たもの(=おそらく、教えていただいた小杉湯近くのもの)であるようです。そしてその後の1~2年でアレヨアレヨと杉並には11軒の屋内釣り堀が出来たのだそうです!
商店街のど真ん中、いずれも一等地。アクセスもよく、手ぶらで釣りが楽しめて、朝から夜11時頃までやっていて・・・。夜はサラリーマン、昼は子どもで人気だそうで。鯉、フナ、うなぎに、金魚、メダカ・・・”金魚すくい”まで!

随分とたのしそうに思えましたが、実は記事は、この屋内釣り堀業を憂慮するトーンで綴られていました。景品や買取りなど警視庁で禁じている行為を行っていたものがあったり、夜営業もあるので青少年のたまり場にならないかといったたぐいの心配がされていたのでした。

その後、屋内釣り堀に関する記事は出てきませんでした。
昭和30~40年代には釣り堀・屋内釣り堀業はかなり流行っていたことがうかがえますが、爆発的に増えたぶん、短命に終わったものも少なくない気がします。何かの規制がかかってなのか、経営悪化なのかはわかりませんが・・・。HONDAさんがかつて書かれていた釣り堀ブームについて、杉並を通してやっと実感が持ててきました。
釣り堀。大正から在る阿佐ヶ谷の釣り堀そのなりたちについての記事のように長くやっているものと、上記の釣り堀ブームのときに出来たものでは、立地や川との関連性等で違いがありそうです。また触れる機会があれば、調べてみたいテーマです。
現在まで残っている屋内外釣り堀さんたちにエールを送りつつ。

<参考文献>
杉並新聞第1307号(昭和40年8月12日発行)
杉並新聞第1716号(昭和44年12月25日発行) 

|

« 日本堤ポンプ所見学 | トップページ | 東京ラムネ工場、中野柴又編 »

1-7 さんぽ:善福寺川支流」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/24013/55483095

この記事へのトラックバック一覧です: マボロシのフィッシングセンター:

« 日本堤ポンプ所見学 | トップページ | 東京ラムネ工場、中野柴又編 »