« 東大島幹線工事見学 | トップページ | またの名を観音川 »

目で見る杉並区の100年~牧場数珠つなぎ

<おしらせ>
・「おすすめ本」に、いまさらではありますが、渋谷川の本とスリバチ本を追加しました。
・過去記事「三四郎池支流(仮)の流れる先は」でお世話になった、原さん発行のニュースペーパー「向ヶ丘弥生町」内で、当ブログを紹介していただきましたので、この場を借りて御礼申し上げます。後日、記事内に原さんからいただいた新たな情報を追記します。

おしらせおわり。

-------------------

この頃は文献については文末に紹介する形式にしていますが(&右サイドバー)、久しぶりに一冊の本を紹介したいと思います。

「目で見る杉並区の100年」(郷土出版社)という本が先日発売されました。区制80年を記念するこの年に、明治まで遡って100年ぶんの写真を魅せてくれるというもの。
わたしは(珍しくだいぶ前から)予約をし、待ちに待っておりました。

100

ついに届いたその本の中には、知ってる場所も知らない場所も、杉並の昔の写真がいっぱい。といっても、文献で既に見ていたものもちらほら(有名な写真なんでしょうかね?)。
いっぽうで、歓喜の声を漏らしてしまうような情報もちらほら。水路関係で挙げると、桃園川改修工事、桃園川分流、阿佐ヶ谷弁天池近くの”洋食喫茶弁天軒”や、善福寺川沿いのゲルンジー牧場らしき写真などなど・・・。

水路と関係のない話から、ひとつ取り上げたいと思います。

以前、紅葉川の初期のほうで、富久町の交差点で「ここに牧場があった」とか言いながら牧場ハンバーグを食べた記事を書きました(こちらでも)。文献により若干名称がブレるものの、ここにあった牧場を四谷軒牧場といい、近デジの下巻、豊多摩群内藤新宿町大字北裏町(369番)でも、その名を確認することができます。
四谷軒牧場については、ググると赤堤のもの(1985年まであったらしい!)に関する記述が多く出てきますが、その名から察するに四ツ谷から移転してきたものでしょう。

その、四谷軒牧場の名残が、高円寺に現在も”四谷軒乳業(有)”として残っていると、「杉並区の100年」には書いてあったのでした。大正13年、新宿区三栄町(注:微妙に上記の位置とずれるので、要検証)にあった牛乳販売店”四谷軒”が、高円寺と荻窪に出張所を展開していたというのです。

写真を見ると、なかなか立派な2階建てのビル(昭和7年当時)の前に、配達用の”大八車に積まれた牛乳ボックス”がずらり10台以上。大八車・・・
さて、いまの景色はどうでしょうか。

Yotuyaken

このビルの5階に、わりと最近まで四谷軒乳業(有)があったようです。が、現在はもうなくなっているようでした(少なくとも表札はナシ)。
思いっきり高円寺の駅前で、目の前では大将3号店がもうもうと焼鳥を焼いています。。
もともとが牛乳販売の出張所だったわけなので、ここに乳牛がいたりはしなかったでしょうね、きっと。・・・それでも、語られなかった歴史に触れることができ、そして、かつてのさんぽと、今の高円寺駅前がつながりを持った瞬間でした。

四谷軒牧場の歴史とは、四ツ谷から始まり、杉並に出張所を展開し、その少し後に赤堤に移転し、・・・赤堤の牧場は約30年ほど前になくなり、高円寺の名残もつい最近うしなわれた。ということになります。
もうひとつの出張所である荻窪店は、どうやら下井草にあったようで、こちらは牛乳屋さんが現存している可能性が高そうです。しかも、妙正寺川沿い(乳牛もいた模様?)。赤堤の牧場は、北沢川のすぐ近くで、今も名残が多少あるようです。・・・もう少し調べたのち、牧場数珠つなぎ的に、訪れてみたいと思います。

|

« 東大島幹線工事見学 | トップページ | またの名を観音川 »

4 資料」カテゴリの記事

コメント

こんな本が出ていたとは。
何たる不覚か、まったく知りませんでした。貴重な情報に感謝します。
慌ててネット注文したけど「お取り寄せ」だそうで、手に入るかどうか……

投稿: 翠月庵 | 2012年7月19日 (木) 22時15分

>翠月庵さん

こんにちは。
すべてではないですが、区内の本屋さんにおっきなポスターが貼ってあったりしました。値段が値段なので、本屋さんの前を通るたび逡巡し、ある日思い切って予約した感じです。でも、生活圏によってはぜんぜんこの情報は入らないと思います。限定販売ですしね・・・。
もし、手に入らなくても、区内の図書館には置かれそうな本ではないでしょうか。でも、手に入るといいですよね。お祈りしてます。

投稿: nama | 2012年7月20日 (金) 14時08分

お、牧場ですか!

牛には草地がいるけど、消費者は街中。その上、重くて腐りやすいから、昔の牧場と牛乳店は、立地がなかなかむずかしかったみたいです。都市と農村ができるだけ短時間で結べる場所を選ばないといけなくて。

東京東部だと、明治の初めには文京区のなかで牛を飼ったいたそうですが、その後は牧場は北千住や滝野川、牛乳店は下谷や根津にあったようです。水運を使ったかどうかはわかりませんが、牛乳店までは武蔵野丘陵の東縁の低地沿いにまとめて運んで、あとは罐に小分けして大八車で配達したそうです。
西部だとどうしたのかな?と思っていたのですが、なるほど、四谷と内藤新宿ですか。一番高い尾根筋に牧場と店があれば、あとは基本的には下り坂になりますからねえ。

自動車が普及するまで、東京の物資の運び方は、東部ではできるだけ谷筋の川と水路を遡っていって、最後に坂を上る。西部では甲州街道沿いからできるだけ尾根筋をたどっていって、最後に坂を下る、というのが主なやり方だったようですが、牛乳だと特にはっきりわかりますね。

投稿: sumizome_sakura | 2012年7月22日 (日) 20時54分

>sumizome_sakuraさん

ちょこちょこ、牧場が気になってました。
あああ・・・「牧場」と「牛乳店」を分けて考えていませんでした。国木田独歩の家の近くに牧場があって行くと牛乳が買える、といった内容の記述を見て以来、頭の中でそのふたつはくっついてしまっていました。そうか、四ツ谷時代、四谷軒牧場より少し都会?にズレた位置に販売店があるのだとしたら三栄町というのも合点がいきます。四谷軒牧場の位置も、妙に標高が高いなと思っていたのですが、なるほど・・・。恥ずかしながら、物流という観点がこれまで抜けていました。そしてそう考えると、いくつかの牧場の立地についての謎が解けるかもです。どうもありがとうございます!
ちなみに、過去記事は川との関係でばかり書いていました↓
(中野の島田軒牧場)
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/07/post-3849.html
(中野の川島牧場)
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/05/post-40ed.html
(柏木の2つの牧場)
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/08/post-0ea7.html

投稿: nama | 2012年7月24日 (火) 09時28分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/24013/55209764

この記事へのトラックバック一覧です: 目で見る杉並区の100年~牧場数珠つなぎ:

« 東大島幹線工事見学 | トップページ | またの名を観音川 »