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またの名を観音川

”観音川”。
杉並にある、暗渠の1つであるはずのもの。
しかし、それを知る人は少ないでしょう。

初出は、平成6年の杉並郷土史会会報です。あの”松庵川”が名づけられたものと同一の記事(田中士郎「観音川と松庵川」)です。しかも、順序としては観音川がさきに紹介されていたのでした。

この”観音”とは、荻窪にある光明院のことを指しています。

Komyo

囲ったところが光明院の敷地です(gooさんありがとうございます)。甲武鉄道敷設の際に墓地部分を分断され、右側に環八が迫り、なんだか窮屈そう。

奈良時代、お坊さんがこの地を通りかかったときに、背負っていた観音様が急に重くなったので、その場所=荻の生えた窪地にお堂を祀った(=荻寺)と言われます。そのお堂が光明院であり、荻窪の地名の由来でもあります。

しかし、現在光明院があるのは、窪地というより明らかに高台。つまりは、光明院はかつては違う場所にあったはず。それはどこなのか?と、田中氏は推測していきます。
窪の場所については諸説あるようですが、田中氏は”現在の光明院と荻窪白山神社の間の低地”(上の写真の光明院の敷地のすぐ東)であると言っています。そして、その場所を通る小川があり、その川を”仮に観音川と呼ぶことにする”、としています。そして観音川の上流は、後に千川上水の分水と接続することにも触れています。

後日、同会報にて、松庵川についてはコメントが得られたものの、観音川についてはよくわからない的なコメントが1つあるのみ、松庵川のような盛り上がりを見せずに、話題は消え去っていきました。

・・・では、そんな川などなかったのでしょうか?
いえ、そこに水路はありました。六ヶ村分水(当ブログでは千川分水)のひとつと重なるようです。
実は、以前この川の下流部分を”四面道口からの田用水”として紹介したことがあります。ただし、取水口が何処かはわからずに。

今回も不確定要素はあるものの、上流端からご紹介することとしましょう。

Kannon1


六ヶ村分水は青梅街道を流れてくるので、青梅街道の何処かを今回の流れの上流端とします。田中氏のいう観音川の始点とは厳密には異なってしまいますが、そもそも水源が明らかにされていないので、今回は便宜上そうします。

奥に見えるのが青梅街道。八丁通りと呼ばれる区間です。
この辺りで取水していたと思っ・・・ているのですが、実は文献により取水口の位置がまちまち。数ブロック東か西かといった感じですが、わたしが推すのはこの位置。

六ヶ村分水の取水口は殆ど北側にあるのですが、珍しく南側にある四面道口(下荻久保村口であったものに井口氏が与えた仮称)から南下し、善福寺川に向かう流れ。それが、今回追うものです。

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流路沿いには銭湯もありました。
ゴクラクヤ

Kannon3


銭湯のあたりで直角に折れ、青梅街道と並走します。
上述のように、上流端について複数の情報がある中、ここだと思っているのは、銭湯と、この細道(とその先のあやしい空間)があるためです。

Kannon4


その先、こういうあやしい空間。
水路は、ここ=城西病院の脇を通って環八に向かいます。史跡散歩地図でもここに暗渠マークがあります。

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道がなくなったので、迂回してる途中にあった、かっこいい魚屋さん。

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さっきのあやしい空間のつながる先は、ここかな?
でも、辛うじて追えるのもここまでで、

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環八を渡るあたりで、すっかり消え失せてしまいます。
この水路は環八に中流部をほとんど飲み込まれてしまったようです。たしかに、何度行ってもよくわかりません。

Kannon8

南下していくと、連続麻雀牌マンホールがありました(正式名称は”伏越人孔”というようです)
このマンホールも暗渠サインのひとつと思っていますが、ここでは暗渠出現の前触れで、

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その先、やっとはっきりとした暗渠が現れます。
ここからは、前記事と重なりますがご容赦を。

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井戸?

そのさき、白山神社のほうから支流のようなもの(あるいはこちらからの分流か)がやってきて、

Kannon11

白山通り(ハクサンタウンズ)に合流。

たまたまですが、妙に躍動感のある写真になってしまったので、

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振り返った写真もお見せします。
唯一の暗渠らしい区間でした。

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白山通りに出ます。ここは今はカラータイル張りの活気ある駅前商店街ですが、以前から”観音おんだし”と呼ばれる道でした(観音おんだしについても文献によりズレあり。というか、観音=光明院の前を通り青梅街道に出る道路、というものが複数こう呼ばれていたのかもしれない)。
おんだしというのは、道が悪く荷車の後押しをしたような道に名づけられるものですが、この通りの場合、”赤土のベトベトする道”であったとされ、そんな表現からも水の存在を想像します。

また大正初期の頃は、ここは”昼でも薄暗い切り通し”で、”崖下に湧水があった”と言われます。矢嶋氏の記憶画では、この写真左端あたりに、湧水の小川が見られます。観音川に注いでいた支流かもしれません。

そして水路は線路を越えます。

Kannonmap1


越えた先、再び痕跡がなくなります。以前は水色実践部分かと思っていましたが、青色点線部分かとも思うようになりました。でも、下水管が通っているのは水色の道です・・・どちらか迷うところ。(yahooさんありがとうございます。)

ちなみに、水色も青色も含むこの一帯、”白山神社南側”は、沼地であり、草が群生していたといわれます。時代によっては、水路は一本ではなかったのかもしれません。

青色点線部分に行ってみましょう。

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こんなふうに窪池になっていることが味わえます。

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・・・うーん、でも暗渠なのかどうかはわかりにくいですねぇ。

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この先は道路もありません。

以降は、上記地図で点線と実線が重ねて書いてある道を通過して桃井二小の周辺を通り、善福寺川に注ぎます。
前記事ではその下流部においてもだいぶ迷ってましたが、桃井二小の前が水路になっていたことが確認できました。小学校の北東側と、南東側(こちらは商店街の前)をぐるりと”ドブ川”が囲い、途中で切れるものの忍川橋のところで落ちているように推測できます。おそらく、それが観音川の河口部です。

さて、このあたりにきたら、餃子の満洲がすぐ近く。これは満洲でしょう、ですよね・・・?と思いつつも、

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このようなとんかつ屋さんののサンプルニモマケズ、満洲ニモマケズ、

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この日行ったのはルースターというお店でした(だって予約してるんだもの)。
音楽食堂っていう看板に惹かれたのが最初です。上質なジャズやブルースやボサノバを、近くで聴ける(そして飲める)店。

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ジャークチキンとビールをたのしみながら、ジャズの夜。

このお店の裏手を、観音川はさらさら流れていたかもしれない。

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今回の行程です。??部分は、環八に飲まれて、ほんとうに痕跡のないところ。

千川分水のひとつ、四面道口(仮)からの田用水。またの名を観音川、という。
田中氏の言うとおり、ある時期までは”荻の窪”などからの湧水を集めた、ちいさな自然河川だったものに、用水路を接続した可能性もあるでしょう。

同時期に公表された松庵川が数々の暗渠者に愛され、こんなにも取り上げられているのに対し、この観音川の痕跡、そして存在感の薄さ。
川幅の細さからいって、松庵川のように氾濫などせず、コツコツと田圃を潤し続けていたかもしれない。ある日環八に飲み込まれ、静かに埋められていったのかもしれない。・・・そんなことを噛みしめながら、歩く。

決して、見た目に面白い暗渠ではないですが、その歴史と扱われ方の切なさの中に愛しさを感じる、そういったたぐいの暗渠でした。

<参考文献>
「井草のむかし」井口昭英
「おぎくぼいまむかし」杉並区桃井第二小学校創立50周年記念
「荻窪の古老矢嶋又次が遺した記憶画」杉並区郷土博物館分館
杉並郷土史会会報 第127号
杉並区史跡散歩地図
「杉並の地名」杉並区教育委員会
「杉並の通称地名」杉並区教育委員会

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