« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月

またの名を観音川

”観音川”。
杉並にある、暗渠の1つであるはずのもの。
しかし、それを知る人は少ないでしょう。

初出は、平成6年の杉並郷土史会会報です。あの”松庵川”が名づけられたものと同一の記事(田中士郎「観音川と松庵川」)です。しかも、順序としては観音川がさきに紹介されていたのでした。

この”観音”とは、荻窪にある光明院のことを指しています。

Komyo

囲ったところが光明院の敷地です(gooさんありがとうございます)。甲武鉄道敷設の際に墓地部分を分断され、右側に環八が迫り、なんだか窮屈そう。

奈良時代、お坊さんがこの地を通りかかったときに、背負っていた観音様が急に重くなったので、その場所=荻の生えた窪地にお堂を祀った(=荻寺)と言われます。そのお堂が光明院であり、荻窪の地名の由来でもあります。

しかし、現在光明院があるのは、窪地というより明らかに高台。つまりは、光明院はかつては違う場所にあったはず。それはどこなのか?と、田中氏は推測していきます。
窪の場所については諸説あるようですが、田中氏は”現在の光明院と荻窪白山神社の間の低地”(上の写真の光明院の敷地のすぐ東)であると言っています。そして、その場所を通る小川があり、その川を”仮に観音川と呼ぶことにする”、としています。そして観音川の上流は、後に千川上水の分水と接続することにも触れています。

後日、同会報にて、松庵川についてはコメントが得られたものの、観音川についてはよくわからない的なコメントが1つあるのみ、松庵川のような盛り上がりを見せずに、話題は消え去っていきました。

・・・では、そんな川などなかったのでしょうか?
いえ、そこに水路はありました。六ヶ村分水(当ブログでは千川分水)のひとつと重なるようです。
実は、以前この川の下流部分を”四面道口からの田用水”として紹介したことがあります。ただし、取水口が何処かはわからずに。

今回も不確定要素はあるものの、上流端からご紹介することとしましょう。

Kannon1


六ヶ村分水は青梅街道を流れてくるので、青梅街道の何処かを今回の流れの上流端とします。田中氏のいう観音川の始点とは厳密には異なってしまいますが、そもそも水源が明らかにされていないので、今回は便宜上そうします。

奥に見えるのが青梅街道。八丁通りと呼ばれる区間です。
この辺りで取水していたと思っ・・・ているのですが、実は文献により取水口の位置がまちまち。数ブロック東か西かといった感じですが、わたしが推すのはこの位置。

六ヶ村分水の取水口は殆ど北側にあるのですが、珍しく南側にある四面道口(下荻久保村口であったものに井口氏が与えた仮称)から南下し、善福寺川に向かう流れ。それが、今回追うものです。

Kannon2


流路沿いには銭湯もありました。
ゴクラクヤ

Kannon3


銭湯のあたりで直角に折れ、青梅街道と並走します。
上述のように、上流端について複数の情報がある中、ここだと思っているのは、銭湯と、この細道(とその先のあやしい空間)があるためです。

Kannon4


その先、こういうあやしい空間。
水路は、ここ=城西病院の脇を通って環八に向かいます。史跡散歩地図でもここに暗渠マークがあります。

Kannon5


道がなくなったので、迂回してる途中にあった、かっこいい魚屋さん。

Kannon6


さっきのあやしい空間のつながる先は、ここかな?
でも、辛うじて追えるのもここまでで、

Kannon7


環八を渡るあたりで、すっかり消え失せてしまいます。
この水路は環八に中流部をほとんど飲み込まれてしまったようです。たしかに、何度行ってもよくわかりません。

Kannon8

南下していくと、連続麻雀牌マンホールがありました(正式名称は”伏越人孔”というようです)
このマンホールも暗渠サインのひとつと思っていますが、ここでは暗渠出現の前触れで、

Kannon9_3


その先、やっとはっきりとした暗渠が現れます。
ここからは、前記事と重なりますがご容赦を。

Kannon10


井戸?

そのさき、白山神社のほうから支流のようなもの(あるいはこちらからの分流か)がやってきて、

Kannon11

白山通り(ハクサンタウンズ)に合流。

たまたまですが、妙に躍動感のある写真になってしまったので、

Kannon13_2


振り返った写真もお見せします。
唯一の暗渠らしい区間でした。

Kannon12


白山通りに出ます。ここは今はカラータイル張りの活気ある駅前商店街ですが、以前から”観音おんだし”と呼ばれる道でした(観音おんだしについても文献によりズレあり。というか、観音=光明院の前を通り青梅街道に出る道路、というものが複数こう呼ばれていたのかもしれない)。
おんだしというのは、道が悪く荷車の後押しをしたような道に名づけられるものですが、この通りの場合、”赤土のベトベトする道”であったとされ、そんな表現からも水の存在を想像します。

また大正初期の頃は、ここは”昼でも薄暗い切り通し”で、”崖下に湧水があった”と言われます。矢嶋氏の記憶画では、この写真左端あたりに、湧水の小川が見られます。観音川に注いでいた支流かもしれません。

そして水路は線路を越えます。

Kannonmap1


越えた先、再び痕跡がなくなります。以前は水色実践部分かと思っていましたが、青色点線部分かとも思うようになりました。でも、下水管が通っているのは水色の道です・・・どちらか迷うところ。(yahooさんありがとうございます。)

ちなみに、水色も青色も含むこの一帯、”白山神社南側”は、沼地であり、草が群生していたといわれます。時代によっては、水路は一本ではなかったのかもしれません。

青色点線部分に行ってみましょう。

Kannon14


こんなふうに窪池になっていることが味わえます。

Kannon15

・・・うーん、でも暗渠なのかどうかはわかりにくいですねぇ。

Kannon16

この先は道路もありません。

以降は、上記地図で点線と実線が重ねて書いてある道を通過して桃井二小の周辺を通り、善福寺川に注ぎます。
前記事ではその下流部においてもだいぶ迷ってましたが、桃井二小の前が水路になっていたことが確認できました。小学校の北東側と、南東側(こちらは商店街の前)をぐるりと”ドブ川”が囲い、途中で切れるものの忍川橋のところで落ちているように推測できます。おそらく、それが観音川の河口部です。

さて、このあたりにきたら、餃子の満洲がすぐ近く。これは満洲でしょう、ですよね・・・?と思いつつも、

Kannon17_2


このようなとんかつ屋さんののサンプルニモマケズ、満洲ニモマケズ、

Kannon18

この日行ったのはルースターというお店でした(だって予約してるんだもの)。
音楽食堂っていう看板に惹かれたのが最初です。上質なジャズやブルースやボサノバを、近くで聴ける(そして飲める)店。

Kannon19


ジャークチキンとビールをたのしみながら、ジャズの夜。

このお店の裏手を、観音川はさらさら流れていたかもしれない。

Kannnonmap2

今回の行程です。??部分は、環八に飲まれて、ほんとうに痕跡のないところ。

千川分水のひとつ、四面道口(仮)からの田用水。またの名を観音川、という。
田中氏の言うとおり、ある時期までは”荻の窪”などからの湧水を集めた、ちいさな自然河川だったものに、用水路を接続した可能性もあるでしょう。

同時期に公表された松庵川が数々の暗渠者に愛され、こんなにも取り上げられているのに対し、この観音川の痕跡、そして存在感の薄さ。
川幅の細さからいって、松庵川のように氾濫などせず、コツコツと田圃を潤し続けていたかもしれない。ある日環八に飲み込まれ、静かに埋められていったのかもしれない。・・・そんなことを噛みしめながら、歩く。

決して、見た目に面白い暗渠ではないですが、その歴史と扱われ方の切なさの中に愛しさを感じる、そういったたぐいの暗渠でした。

<参考文献>
「井草のむかし」井口昭英
「おぎくぼいまむかし」杉並区桃井第二小学校創立50周年記念
「荻窪の古老矢嶋又次が遺した記憶画」杉並区郷土博物館分館
杉並郷土史会会報 第127号
杉並区史跡散歩地図
「杉並の地名」杉並区教育委員会
「杉並の通称地名」杉並区教育委員会

| | コメント (0) | トラックバック (0)

目で見る杉並区の100年~牧場数珠つなぎ

<おしらせ>
・「おすすめ本」に、いまさらではありますが、渋谷川の本とスリバチ本を追加しました。
・過去記事「三四郎池支流(仮)の流れる先は」でお世話になった、原さん発行のニュースペーパー「向ヶ丘弥生町」内で、当ブログを紹介していただきましたので、この場を借りて御礼申し上げます。後日、記事内に原さんからいただいた新たな情報を追記します。

おしらせおわり。

-------------------

この頃は文献については文末に紹介する形式にしていますが(&右サイドバー)、久しぶりに一冊の本を紹介したいと思います。

「目で見る杉並区の100年」(郷土出版社)という本が先日発売されました。区制80年を記念するこの年に、明治まで遡って100年ぶんの写真を魅せてくれるというもの。
わたしは(珍しくだいぶ前から)予約をし、待ちに待っておりました。

100

ついに届いたその本の中には、知ってる場所も知らない場所も、杉並の昔の写真がいっぱい。といっても、文献で既に見ていたものもちらほら(有名な写真なんでしょうかね?)。
いっぽうで、歓喜の声を漏らしてしまうような情報もちらほら。水路関係で挙げると、桃園川改修工事、桃園川分流、阿佐ヶ谷弁天池近くの”洋食喫茶弁天軒”や、善福寺川沿いのゲルンジー牧場らしき写真などなど・・・。

水路と関係のない話から、ひとつ取り上げたいと思います。

以前、紅葉川の初期のほうで、富久町の交差点で「ここに牧場があった」とか言いながら牧場ハンバーグを食べた記事を書きました(こちらでも)。文献により若干名称がブレるものの、ここにあった牧場を四谷軒牧場といい、近デジの下巻、豊多摩群内藤新宿町大字北裏町(369番)でも、その名を確認することができます。
四谷軒牧場については、ググると赤堤のもの(1985年まであったらしい!)に関する記述が多く出てきますが、その名から察するに四ツ谷から移転してきたものでしょう。

その、四谷軒牧場の名残が、高円寺に現在も”四谷軒乳業(有)”として残っていると、「杉並区の100年」には書いてあったのでした。大正13年、新宿区三栄町(注:微妙に上記の位置とずれるので、要検証)にあった牛乳販売店”四谷軒”が、高円寺と荻窪に出張所を展開していたというのです。

写真を見ると、なかなか立派な2階建てのビル(昭和7年当時)の前に、配達用の”大八車に積まれた牛乳ボックス”がずらり10台以上。大八車・・・
さて、いまの景色はどうでしょうか。

Yotuyaken

このビルの5階に、わりと最近まで四谷軒乳業(有)があったようです。が、現在はもうなくなっているようでした(少なくとも表札はナシ)。
思いっきり高円寺の駅前で、目の前では大将3号店がもうもうと焼鳥を焼いています。。
もともとが牛乳販売の出張所だったわけなので、ここに乳牛がいたりはしなかったでしょうね、きっと。・・・それでも、語られなかった歴史に触れることができ、そして、かつてのさんぽと、今の高円寺駅前がつながりを持った瞬間でした。

四谷軒牧場の歴史とは、四ツ谷から始まり、杉並に出張所を展開し、その少し後に赤堤に移転し、・・・赤堤の牧場は約30年ほど前になくなり、高円寺の名残もつい最近うしなわれた。ということになります。
もうひとつの出張所である荻窪店は、どうやら下井草にあったようで、こちらは牛乳屋さんが現存している可能性が高そうです。しかも、妙正寺川沿い(乳牛もいた模様?)。赤堤の牧場は、北沢川のすぐ近くで、今も名残が多少あるようです。・・・もう少し調べたのち、牧場数珠つなぎ的に、訪れてみたいと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

東大島幹線工事見学

下水道系見学記事を連投します。なお、これ系の記事が溜まってきたので、”下水道系見学”カテゴリを新設しました。どうぞよろしくです。

つづきましては、小松川のほうに行ってまいりました。

Komatu1


東大島駅、初めて降りましたがここはイイ駅ですね。
地下のはずの都営新宿線が、川を何本か越えるため(でいいのかな?)、地上に顔を出す部分があります。で、東大島駅はなんと、旧中川の上に建っています・・・天晴な川上駅ぶりでした。

今回目指す場所は、ここから南下し、小松川第二ポンプ所。地図にすると以下の場所、小松川1-1にあるはずのものです(yahooさんありがとうございます)。

Komatumap

・・・無いんです。

どんな地図を見ても、小松川第二ポンプ所は載っていません。しかし、下水道局のお知らせ欄には上記のような住所がしっかりと書いてあるのです。

現地についてみてやっとわかったことには、小松川第二ポンプ所は、現在建築中なのでした。
しかし、ただでさえ方向音痴なわたしが、地図にも載っていない、看板も出ていない場所に向かうというのは、えらく心臓に悪いものでした。極めつけに、見学(受付)終了の時間まで残り20分を切っていたのです・・・;おーい、着けるのか??焦る焦る。

Komatu2


横から小名木川がやってきます。
こんな景色も、眺める余裕があまりありません。

Komatu3

あ!それらしき場所がありました。
あー・・・、良かった・・・たぶん間に合った。「見学の方?」と、スムーズに入れてもらえました。

Komatu4

入るとすぐに、このガントリークレーンのようなものが目を引きます。

これは、ケーソン工事なるものと伺いました。これから建つ、小松川第二ポンプ所の建物をつくる場所です。地上付近で建物をつくり、下に徐々に沈めていく工法だそうで、初めて目にしました。たしかに、ひとつ前の記事(両国)のように、ポンプ所は地下深くまである施設。こうやってつくってるんですねぇ。
いくつか区画があるようで、今見えているのは第3号ケーソン(施工中)で、1号、2号は施工完了しています。

Komatu5

これは、”汚染土壌(六価クロム)還元処理プラント”。
この土地から六価クロムが出てしまったので、処理するための設備です。汚染土と還元材をそれぞれこのベルトコンベアーで搬送し、向こうの四角の中にあるミキサーで撹拌、三価クロムにして処理後はミキサーの下から排出するのだそうです。処理後の土は、小松川第二ポンプ所の敷地の中にしまう場所を設けるようなことを仰っていました。

こんなふうに、見たことのないいろんなものに気を取られながら歩いていると、小学生の団体さんとすれ違います。ふふ・・・今日もニアミスで済んだぜ。
新たに来る人はおらず、時間的にもどうやらわたしが最後の見学者のようでした。現場見学を先にしていた一行と一緒に、プレハブ内で工事概要の説明を受けました。
そういえばこのとき初めて、同じ匂いのする人と出会いました。1人できてる人×2、カップル×1が居て、熱心にデジイチで写真を撮っています。質問したりもしています。でも、「工事現場好き」なのか「下水道好き」なのか、よくわかりませんでしたが・・・。

説明は、下水道局の方と、担当の鹿島建設の方が交互にしてくださいました。
今回の工事(正式名称は東大島幹線および南大島幹線その2工事)は、江東区および江戸川区の一部の雨水を収容する下水道を新設するためのものです。

Gaiyou

ポイントがいくつかありましたが、特殊高圧噴射装置搭載のシールドマシンを使用することもそのひとつでした。これは、勝島の時とたぶん同じ機能ですね。穴を掘りつつも、障害物の切断除去や地盤改良をしたりするときに使う機能です。

今回の工事では、中川大橋の水道橋防護と大島幹線防護と、都営地下鉄の下にある杭への切断改良がなされる(上の写真参照)とのことでした。

・・・さて、説明が終わり、現場に向かいます。

Komatu6


この下に現場があります。
なんと、わたしひとりに対し、3人の方がついてくださいました。というか、地上にいるときはもっとたくさん・・・またも贅沢見学じゃ~。

Komatu7

現場は、42mも地下にあります。
最初は階段で8mほど降り、

Komatu8


工事用エレベーターで一番下まで行きます。
この、スカスカで、ガタガタするエレベータで下ってゆくのは、なかなか・・・どきどきしました・・・。

Komatu9

一番低いところに、つきました!シールドマシンの裏側が見えます。嗚呼、絶景なり・・・。いまいる穴は、将来下水道管になるわけです。

この工事の特徴の一つに、”親子シールドマシン”を使用している、というものもあります。その名の通り、親マシンに子マシンが内蔵されているのです。径の異なるトンネルをつくるため、という理由だそうです。

親子だなんて、おもしろいなぁ。親の発進は今年の5月で、分離すなわち子の発進は来年になるのだそうです。つまり、いま見えているマシンは分離前、親子一緒ですね。

ちなみに、こんなデカくて複雑なものをどうやって持ってくるのかというと、52分割(!)してクレーンで立坑の下に運ぶそうです。

それから、この写真を見ると、既にできている壁を構成するセグメントは、コンクリートと鉄の2種あることがわかると思います。

Komatu10


これは鉄のセグメント。幅は30㎝だそうですが、ずいぶん大きく見えます。
これでも細いのだそうで、セグメントの1つ1つが微妙に異なる形をしており、それをつなぎ合わせて曲線部分をつくるのだそうです。
一方、コンクリートのセグメントはもっと幅のあるもので、使い分けることで直線部分の施工が早く済むようになっています。

Komatu11

立坑を下から見上げます。

しかし、深い・・・。深さ42mというのは、これまで見学した現場の中でも最深ではないでしょうか。上から見下ろしたら、だいぶ恐ろしかったです。

さて、またエレベータでガタ!ガタ!と地上に向かいます。

Komatu12

そうそう、てっきりポンプ所の何かかと思っていた後方に見える煉瓦の建物は、荒川ロックゲートでした。お隣さんだったんですねぇ。

見学は以上でおしまい。みなさんにお礼を言って、工事現場を後にします。

Komatu13

帰りは、すこしゆとりをもって歩くことが出来ました。大島小松川公園の中を通ります。

旧小松川閘門がにょっきりと顔を出していました。これは、この場所がかつて、荒川と旧中川の合流地点であったことをしるす、古い閘門です。もうひとつの扉は今はなく、残されたこれも、三分の二ほどが土の中に埋まっているという状態。それでも、すごい存在感がありました。・・・期せずして、新旧閘門を味わったわけです。

Komatu14

今回いただいた、お土産をお披露目。
エコバック、油拭き用のペーパー、メモ帳、えんぴつ、消しゴム、ボールペン、カッティングボード。お茶も。
毎回お土産が違うのが、また面白いです。

・・・この日はその後用事があったので、東大島駅では長居しませんでした。が、ここはどうも団地の駅という感じなので、もしお店を探すなら、おとなりの船堀のほうが面白い気がします。

Nohohon1

お食事するなら、船堀の駅近くにこんなお店があります。
韓流ダイニングのほほん。オープンカフェで、この無国籍ぶりがとてももやっとする外観。入ると、お皿や内装はイタリアンに見えなくもない・・・のだけど、メニューは韓国が基本、日本と中国がちょびっと。

Nohohon2

すごいのが、ここ、朝から呑めるんです・・・。という情報を、「朝呑み散歩」なる雑誌で得、ある日の朝呑みがこれw
洋風の陶器に入ったキムチラーメンと、グラスに入ったマッコリ・・・。水餃子もハイクオリティで、朝から上機嫌です。あ、一応、モーニングメニューもありました、鮭定とかトーストとか。すぐそこでキムチや韓国のりが売られています。ペット連れもOKなようで、足もとに犬の椅子みたいなのがあります。混沌、しかし落ち着くんだよなぁ・・・。

てなわけで、最後は若干逸れましたが、未来の下水道管見学でした。現場ごとに味が違うので、なかなかやめられない、とまらない・・・。
下水道局さま、鹿島建設さま、どうもありがとうございました!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

両国ポンプ所見学

久しぶりの下水道系見学記事です。
暗渠と下水道ってかなりの部分が重なっているので、下水道局施設の見学にもたまらないものがあります。

阿佐ヶ谷駅前の貯留管市ヶ谷の下水管新設勝島ポンプ所の下水管新設、と、見学系記事もたまり始めているので、そろそろ特集の新カテゴリをつくろうかな。

今回は、両国。
江戸東京博物館に向かうとき、誰もがその前を通っているはずの建物です。・・・わたしも、何度もここを通過しているはずなのですが、正直気づいていませんでした。

Ryogoku1


両国ポンプ所。江戸東京博物館の隣にあります。というより、周辺の景観との調和を図るために、江戸東京博物館との合築構造なのだそうです・・・!

Ryogoku

そうそうそう、そういえば、江戸東京博物館の切符売り場の階、無駄に広すぎると思ってはいました。このスペースの下に、ポンプ所があったんですねぇ。

Ryogoku2

敷地内に入ると、体験系のブースがいくつかあって、結構、人がいました。
小学生や地元の自治会系集団がやっぱりいらしたのですが、たまたま、わたしが中に入ったときは同時の人がいなかったので、ひとりで案内してもらえることになりました。しかも、わたしひとりに対して、職員さん二人がつくという超ぜいたく見学。

てなわけで、見学スタートです!わくわく。

まずは施設の概要を。両国ポンプ所は、付近の雨水を排水し、浸水被害を防止するための施設です。その排水面積は墨田区の約30%にあたる、422万㎡です。雨水のみが対象であり、汚水は砂町へ行きます。

かつて、近辺の都市化に伴って浸水被害が多発した時期があり、それをうけて平成14年にここは完成しました。このポンプ所が出来てからは、浸水は起きていないそうです(設置当時は予想されていなかったであろう、ゲリラ豪雨にも耐えぬいています)

Ryogoku3

地下5階までありますが、見学は地下3階から始まります。ここは、電動機(モーター)室。
この電動機が、階下のポンプを動かします。

比較のために人の模型が置いてあります。

Ryogoku5_2 

次は地下2階の発電機室。ここには、ガスタービン発電機があります。停電時にもポンプが機能できるようにと、立派なガスタービンが1基備えてあり、これでポンプ3台を動かせるとのこと。
ガスタービンはこの青緑色の箱の中に収められていて、入り口はこんな感じです。

Ryogoku6

これがガスタービンです。引きで撮れないので、見づらくてスミマセン。
かなり大きくて、ぴかぴかで、迫力あるものでした。なんと、このガスタービンは、ジャンボジェット機のエンジンとほぼ同じなのだそうです!

以前は軍用機用のエンジンを使用していた、とも教えていただきました。軍用機のエンジンは、もっと細長い形状なのだそうです。そして、現在でもファントムのエンジンを使っている水再生センターがあるのだそうです・・・うーん、いつかそっちも見学に行ってみたいものだなぁ。

あれこれ質問したり、デジイチでがしがし写真を撮っていたら、熱心なひとだと思われたのでしょうか、この後は1階に上がるのが通常の行程らしいのですが、

Ryogoku7

なんと、特別に地下5階も見せてもらえました・・・!!

地下5階は、沈砂池から汲み上げるポンプがある場所です。

まずは沈砂池からやってくる水を通す管。これがまた恐ろしく太い。

Ryogoku8

奥に見えるのがポンプです。とても大きいです。このエリアで最大のポンプみたいです。
ドーナツみたいな形をしていますが、上部に巨大な扇風機の羽様のものがついており、それを回して吸い上げるのだそうです。

このポンプを使い、沈砂池の水を汲み上げます(※自然流下で集められるため、沈砂池は低い位置にあるので、汲み上げないと河川に排水できない)。従来のものは水が来てからしか動かなかったため、急な大雨に対応しにくかったらしいのですが、これは先に空回しができる”全速先行待機型”なので、速やかに排水できるのだそうです。

ここには、このポンプが計6台(二種類の大きさがある)設置されています。すべて稼働させると、25mプールを5秒で排水できるのだと(!)。

Ryogoku4

機械ばかり載せてきましたが、模型を使って示すと、こういうプロセスです。
右にあるのが雨水が集まってくる沈砂池(途中で砂や芥が取り除かれる)で、その左側にある管の上にあるのがポンプ、ポンプで吸い上げた水が国技館通りの下を通って、左端の隅田川に流されます。

Ryogoku9

また、模型の”国技館通りの下”に着目するとわかると思いますが、実は、汲み上げた後の放流口までの流れは、このように段々に上向きになっています。

ということは流れきらない水が停滞するのではと思い、そのことを質問してみたところ、残った水はまた回収するということでした。水が停滞し汚れることは極力防ぐようです(ちなみに貯留設備の有無はポンプ所によりけりで、ここには無いそう)。

Ryogoku10
その、回収用の管も地下5階にありました。

次に向かうは、1階の監視室。業平橋ポンプ所の遠隔操作システムもありました。

このように見学していることが物珍しかったのか、お二人から「どうやってここを知ったの?」「わざわざこのために来たの?」などと訊かれ、答えていたら「・・・もしかして工場見学とか好きなタイプ?」と言われたので、「というより、わたし下水道が好きなんです!」と、はにかみながら言ってみました。いやそれはもう本心なんですが、お二人の反応は非常にうすかったです・・・。以前の市ヶ谷の見学のときも同様だったのですが、下水道局の方に「昔川があったところに下水道幹線がありますよね」などと話を広げようとしてみても、ほとんどスルーされてしまうのでした。

帰り道、それについてツイートしたら、本気にされていない/相手のライバル心に火をつけた/下水道という括りがでかすぎる/相手の専門によるかも/相手は「仕事」なので・・・、等々、色々な仮説をいただいて興味深かったですw 

最後に、お土産をもらいました。

Ryogoku12

エコバック、ボールペン、ウエットティッシュ、メモ帳、洗い物用ハケ、油ふき取り用紙、ゴーヤの苗。
イヒヒ。うれしいんだよな~、こういう下水道局オリジナルグッズ。下水道局さま、どうもありがとうございました!

さて、ポンプ所を後にして、久しぶりの地上を見てみましょう。

Ryogoku11

この道路の下を放流渠が通っています。
地図にすると、以下のような感じ。

Ryogokumap_2

両国ポンプ所に集まった雨水は、水色実線践部分(=放流渠)を通り、隅田川に注ぎます。(yahooさんありがとうございます。)注ぎ口は放流口といい、おそらく行けば見られたはずですが、今回は時間がなかったので省略。

ところで、このあたりには新しめの大きな建物がぼんぼん建っていますが、むかしはどんな土地だったのでしょう・・・と、明治期の地図を見てみると、両国駅のあたりには「両国橋停車場」があり、そのすぐ北には”F”の字のように隅田川からの入堀があり、さらに入堀から伸びる水路がぐるりと囲む中に、陸軍経理学校と陸軍被服廠がありました。

Ryogokus22

昭和22年になると、このように一つの入堀が残され、貨物駅と連携していました(gooさんありがとうございます)。前出の地図と比較してみると、ほぼこの入堀の上に、国技館とポンプ所と江戸東京博物館が建っているようです。
ポンプ所と水路は、やはりとてもご縁があるようです。

さあてと。ご飯も食べてから去りましょう。

Ryogoku13

両国、横綱横丁にある洋食?喫茶?ニューストンにリベンジしにいきます。
以前、ここに来たときに「スペシャルスナック」という、なんだかすごいカテゴリを見つけました。

New

・・・これ。左下がスクランブルエッグスペシャル、右下がチキンスペシャルです。
ビールのお供に一皿頼もうとしたところ、「今日はパンが切れちゃったから、スペシャルはできません」とバッサリだったのです。だから、リベンジ。メニュー名を言いたいだけ、ともいいますが・・・

ところが、この日はランチ時に行ったので、ランチメニューしか頼めないという負け戦でした。ランチメニューにはスペシャルは入っていないのです(涙)。

Ryogoku14

・・・てなわけで、スペシャル五目炒飯をたのみました。

野菜多めのヘルシー炒飯を、下に敷かれたキャベツの千切りと一緒に食べます。ちょっと面白いし、パラパラで美味しい炒飯でした。

と、なかなか充実の両国でした。
見学系記事、もういっちょ続けたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

暗渠沿いカフェ その5 ”三迺舎(さんのや)”

前回の暗渠カフェ記事ではカフェっぽくないものを書いてしまいまして、ちゃんとカフェっぽい店をお願いします的な声をいただきました。
そこで、今回はもっと喫茶寄りの店をご紹介いたします。・・・といっても、カフェの定義って「コーヒーが飲める店」のようなんですね。だから、今回は”和カフェだからいいんじゃないか”と思って紹介しようとしていたわけですが、抹茶があってもコーヒーがなかったら”和カフェ”じゃ無いんだろうな・・・ってか和カフェってなんなんだろう、そんな感じに頭がぐるぐるしてきました。

今回は、最近、に行っていた浜町川沿いから一軒。

Sannoya


場所はココ、浜町川は小川橋のすぐ上流です。
浜町川の川幅にあたる部分を厳密に把握はしていないのですが、お店の位置は、浜町川の川べりか、もしくは、川の上という位置に当たると思います。

Cafehama1

ここです。”さんのや”という和菓子屋さん。
その、和菓子の店舗の右側に、「氷」と書かれた布がはためき、コカコーラの宣伝のついた看板が置いてあります。そこには、イートインスペースがあって、午後の2~3時頃に開くようです。

ふつうに歩いているだけでも、軽く汗をかくくらいの気候だったこの日、この「氷」は実に魅力的でありました。

うすぐらい店内に入ります。・・・メニューが多いわけではないのですが、若干迷って、クリームソーダを頼みました。

Cafehama2

おお・・・なんてベッピンなクリームソーダなのでしょう。

くびれ、細身のからだ。まばゆいミドリ色。肌理の細かい白い泡・・・。

わきのシュワシュワを食べたり、アイスクリームをちょっと食べたりと遊びながら、ゆっくりとソーダを飲みました。

Cafehama3

窓の向こうはちいさな公園になっていて、子どもたちの遊ぶ声がよく聴こえました。
この窓の向こうに、昔は在った浜町川の流れを想像して楽しんだり・・・。かき氷も食べてみたいものです。

ところで、浜町川のことを千代田区側では”岩井川”とも呼んでいたらしい、という記述を見かけました。岩井橋に岩井河岸、岩井町(←の由来は岩井家)があったので由来はそこでしょうけれど、書き落としていたのでここで追記します。
・・・で、岩井川に関して調べているうちに、大和橋(浜町川の上流から2番目に架かる橋)にあったガレージの内部を撮った写真があったので大興奮!!山手線が渡る橋・くぐる橋というサイトで、この記事の一番下のところです。どうやら、浜町川跡をそのまま使っているようで、両側に護岸の石垣が残っているではないですか・・・。いつ通っても閉まっているあのガレージ。潜入できるものならしてみたい、という野望が出てきてしまいましたよ・・・。

さて、クリームソーダから話がずれましたが、今後も、川跡が見える場所で飲んだり食べたりしていきたいと思います。お茶もしていきますが、もっと”カフェ”に掠らないような店舗をご紹介することもあるかもしれず、そんなときはどうぞお許しくださいませ。嗚呼、”暗渠めし”というカテゴリ名にすればよかったよ・・・W

| | コメント (2) | トラックバック (0)

遊び場○番特集 その4(50、90、46、73)

なんて久しぶりなんだろう、遊び場特集

特集カテゴリについてはそれぞれ継続していく気満々なんですが、遊び場なんて最初に設けたカテゴリなのに、まだ「その4」なんですねぇ・・・。モタモタしてる間に、遊び場の写真自体は集まってきてるんですが。

杉並区の遊び場の定義については、「その1」参照。わたしは、この杉並区の「遊び場」が暗渠(ときには開渠)沿いや暗渠そのものにある割合を算出している途中です。

今回は、杉並区の中でも南側を中心にいきたいと思います。神田川の周辺、和泉付近。そして、ここらは南部公園事務所の管轄で、現存する遊び場が最も多いエリアです。

Asobiba50ban1


目的地に行く前に・・・玉川上水が井の頭線の上を渡る場所を通ります。
この中を玉川上水が通っているのか~・・・などと思うより先に、なんともいえない不気味さのようなものに圧倒されます。同時に格好良くもあって、目が離せない。此処は何処なんだろう?という気になってきます。
今はこのような管渠ですが、昭和22年の航空写真を見ると、当時はハシゴ式開渠だったようです。

Asobiba50ban2

明大前駅の、第二山手線の夢の跡。
詳しいことは鉄関係のサイトに譲るとして・・・この、水たまりのようなもの、通るたびに気になっています。この崖から湧いているように見えるので。

Asobiba50ban3


崖上にあるのは明大の和泉キャンパス。もと陸軍火薬庫。
生田キャンパスはもと登戸研究所。そして陸軍中野学校跡地に、中野キャンパス建設中・・・。

Asobiba50ban4


先ほどの、水たまりのあったところから、井の頭線の線路の両脇に延びる蓋暗渠があります。

Asobiba50ban5


両方とも、途中でこのように少しだけ覗き見ることができ・・・、水が流れています。

そして、地図で確認すると、西側の暗渠だけ、水路としてばっちり描かれているのでした。その先、神田川のやや手前で、神田川のあげ堀と合流するかのように地図上では途切れます。

・・・と、遊び場に全然関係ないことを書いてきてますが、実はこの暗渠のすぐ脇に、最初に目指す遊び場があるのです。

Asobiba50ban6

じゃーん。遊び場50番。
プロフィールは、昭和48年8月4日生まれ、307.40㎡です。比較的遊具が充実し、車通りも少なめなので、遊びやすいところなのじゃないでしょうか。
パッと見、広いように思えますが、ビッグサイズの遊び場がしのぎを削るこの杉並南部地区においては、中間の広さとなっています。

Asobiba50ban7


井の頭線がよく見えます。
春になったらいい感じに桜も咲きそうな場所でした。

Asobiba90ban1


つぎは、遊び場90番に移動します。
ここは、先にも触れた神田川あげ堀を下ったときに、通過した場所です。・・・神田川あげ堀の暗渠が遊び場の中を通っているし、それから写真の右側に見える土手のようなものは水道道路です。つまり、暗渠の交差地点ともいえる場所です。

Asobiba90ban2


遊び場90番さんのプロフィールは、昭和57年3月18日生まれ。3,216.60㎡の広さを誇ります。
この広さ、10年前の資料では杉並区の遊び場ナンバーワンになるのですが、どうも、近年できた100番台の新人さんたちに抜かれている気がします。要検証。

Asobiba90ban3


1位じゃないにしても、ここはほんと広いです、縦長に。
雪が積もったらソリすべりとかもできそうだな~。

46ban1


つぎは、遊び場46番へ。
これも和泉にありますが、今度は少し北東にいき、神田川沿いです。プロフィールは、昭和48年11月1日生まれ、462.30㎡。

このとおり、遊び場ぽい感じで今もぽっかり残っています・・・が、

46ban2


・・・あれ?改名しちゃったみたいです。今は杉並区立和泉緑地さんなんですね。
遊具は何もありませんが、椅子がわずかにあって、神田川を眺めながらボォッとできたりはしそうです。

73ban1

つぎは、73番。
昭和52年1月11日生まれ、235.77㎡です。
うーん、子どもが遊べるようなスペースがなくもないけど、建物が建ってます。

30年前の住宅地図を見たら、ここは学童関係の施設が建っていましたが、

73ban2

今もがくどうクラブでした。遊び場という表記はナシですね。
いったいいつまで、遊び場73番だったのかが謎です。

そして、ここはもう少ししたらご紹介する予定の、釜寺支流(仮)(←リバーサイドさん記事にリンク)沿いにありました。

つまり、今回ご紹介した4つの遊び場は、すべて暗渠・開渠沿い(あるいは上)ということになるのです!

今回の4つを含めて、これまでの計は、

訪問した遊び場(跡)の計は15こ。
うち、現存7、消失5、生まれ変わり3。
川(暗渠)との関係は、「あり」が12、「あるかもしれない」が1、「なさそう」が2(うち1は要検討)、と、なりました。

杉並区の遊び場が準暗渠サインになりえる感じがしてきましたねぇ。今後も、探索を続けていきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浜町川日本酒マラソン

今回の暗渠酒マラソンは、”浜町川日本酒マラソン”です。
浜町川に関する情報は、「泣く子も黙る浜町川」「泣く子も黙る浜町川 昼間編」であらかた書いているため、今回は川跡で酒を飲んだ、という内容が主となりますw
暗渠酒マラソンの概要については、過去記事(龍閑川)参照のこと。

浜町川の起点をどことするか、というのは、時代によって異なってくるのですが、一番長くなってる時=神田川からってことにします。てなわけで、神田川の和泉橋に集合・・・おおっと、すでに缶ビールを飲んでフライングしているランナーが2名ほどいるではないですか。いい川ビールですね!わたしはウコンを飲んでウォーミングアップです。

和泉橋に立って浜町川の水門を眺めてから、スタート地点へ向かいます。
なお、今回の縛りは日本酒であり、あまりにビール日和なこの日に、メインランナーになりたがる人はおらんだろう、と思っていたら、L氏が挙手してくださいました!L氏はその心づもりで、一杯目のビールを和泉橋で飲み干していた模様です。

Hamam1

さてさて、スタート地点です。

ここは柳原河岸。向こうの古い建物のこちら側にある出入口を見ながら、舟運があった頃に思いを馳せます。・・・ああ、それ、一人で来たときには考えなかったことだなあ。

Hamam2

もうひとつ、自分では気づかなかった発見。H氏いわく、この白い地面は橋跡ではないかというもの。たしかに、歩道の模様がこの部分だけ異なっており、まあるく盛り上がっています。
ちょうど、柳原橋があった場所です。

Hamam3_2

そうか、柳原橋跡は、残っているんだ・・・!すごいー!

ここ、都電の電停もあったということです。
写真のうち水色の四角が、現在浜町川跡として辿れるスペースですが、浜町川の川幅はもっともっと広かったといわれます。柳原橋跡との比較でみると、残りの左側のスペース(ビル1こ分)も浜町川であったことが推測できます。

つづいて、大和橋を渡って、

Hamam4

隙間を下ります。ここからはしばらく、ビルの間の一本道。
うぅ・・・夜でも大丈夫なカメラのはずなのに、ぼやけている。今回、ファインダーもろくに見ず、適当に撮ってただけなので、川跡の写真がひどいのばっかりww(なのでいろいろ省略します・・・)

ちなみに、この位置は浜町川の人生の中でも新しい部分です。開削された当初(江戸初期)は、流路は東日本橋3-2あたりまでしかなく、その後江戸期のうちに龍閑川合流地点まで、そして明治に神田川まで延長されます。
龍閑川との合流地点の前、岩井橋付近に藍染川(神田駅付近から始まる、神田の藍染川)があり、史料上の埋立時期を比較すると、藍染川と浜町川も交差している時期が僅かにあるはずなのですが、それが見て取れる情報がありません。なので、そこはサクッと通り過ぎて、

Hamam5

ちょうど、その龍閑川との合流地点のところに一つ目の給水ポイントがありました、昭和横丁。アウトドア席に座ります。待ってましたビーーール!

メインランナーL氏、なんと熱燗を頼んでいます。マジか。そして心優しきM氏が冷酒で伴走しています。わたしは無慈悲にビール。ごめんね!

奥に見えますのは鶏の唐揚げの残骸です。今は無き橋本会館の跡地を眺めながら、鶏唐や、ニンニクの天ぷらやモツ煮をつつきました。

Hamam6

さ、サクッと飲んでは去るのが暗渠マラソンのポイントです。

夜の浜町川をどんどん下ります。
こんな雰囲気の場所なんですが、なぜか、ところどころで人が座り込んで喋ったりしています・・・某氏の名コメント「浜町川は人が多い」。なんだろうオフィス街だからなのかな、夜に人が増える暗渠なんて珍しい気がしますよ。

川沿いに上品なイタリアン、賑やかな韓国料理、餃子のお店など、給水できそうなお店は数軒あるのですが、それぞれスルーして、

Hamam7

2つ目の給水所は、ここにします。きらく
実は1杯目のサワーとビールが安いので狙ってた店なんですが、そんでわたしは狙い通りサワーを飲んだのですが、・・・L氏がまたも熱燗を、M氏が冷酒を頼んでいます・・・ww
そして2軒連続で、熱燗はすぐ来るけど冷やは遅く来るという不思議。

Hamam8

ポテトサラダの天ぷら。
ちくわにポテサラがイン。この「きらく」にはなかなか気になる独創メニューがあり、また飲みに来てみたいな、と思いました。

そしてトイレでこの店の住所を見て、やっと気づいたのですが、ここは東日本橋3-2。・・・浜町川が最初に開削された時の上流端だった場所なんです!
奇しくも1軒目も2軒目も、浜町川の歴史的境目で飲んだことになるわけです。たんなる偶然だったんですが、なんかうれしいぞ!

Hamam9

鯛とオクラのわさび和え、珍味三種などをサクッと食べて、再び浜町川へ。
その先、遅れて参加のM氏とかなりスムーズに合流できました。お互いに現在位置を知らせるでもなく、「川を下る/上るから」という言葉だけで出会えるってスゴイな~w

夜の問屋橋商店街を味わいます。こちら側はしんとしていますが、

Tatinomi

反対側にはこのような海鮮立ち飲み屋があり(昼間の写真で失礼します)、かなり気になってました。店内、かなり賑わっており期待が高まったものの、人数制限があるようで「5人までだから」と断られてしまいました(6人だった・・・号泣)。

仕方がないので給水ポイント探しつつ下ります。浜町川から離れないというのが本来のルール(つっても自分で決めたやつだけど)なのですが、竃河岸だけは行かせて欲しいとお願いします。なぜかというと、

Hettuimap

前回の記事のとき、”久松橋のあたりから竃河岸が始まっていた”という記述を見て、消防署の裏から始まるように書いていました(この地図で青線を引いているものの一本北の太い通り)。が、それよりも一本ずれているということが時層地図等により判明し、しかもその道が細道だったので、胸がきゅんきゅんしていたのです。

竃河岸に入ります(写真撮り忘れ)。飲み屋さんが数軒あって、給水し放題!と嬉しくなります。

Hamam10

竃河岸の段差だけはなぜか撮ってました・・・。

竃河岸沿いの飲み屋さんも給水ポイントとして許可します(竃河岸=浜町川の入堀なので広義には浜町川・・・)!ってことで、入ったのがごっつぉう。位置的には、元吉原の廓内です。

Hamam11

串天盛り合わせ。なんか、見た目に風流ですね~。今度はL氏、冷酒にしているようです。

・・・って、また揚げ物か!気づくと揚げ物を頼んでいませんか、この人たち。

Hamam12

竃河岸の後半はこのように極細道となっていて、非常にたのしかったです。
歌舞伎町の辺りにある、裏路地に似てる。

Hamam13

最後の一ブロックだけ入れなくなって、人形町通りとの合流点に回ってみるとこういう感じ。
もとは、ここから左に折れ、吉原の周囲をぐるり囲って、浜町川に戻る入堀だったのでした。元吉原が火事で焼けてしまい、浅草に移転となったさい、その入堀は埋められてしまいました。けれど、この向こうにあった蛎殻銀座のおかげで、竃河岸だけが水路としての寿命を延ばすことができたといわれています。今も、その名残がこんな風にたしかめられます。

Hamam14 

ついでに人形町をぐるっと歩いて川に戻ります。いい感じの建物が多い!

酒つながりってことで酒屋さんをパシャリ。それから、この右側の路地を入ると、ワイン飲み放題の店もあります。

Hamamwine

これこれ。暗渠沿いで梯子酒だなんて酔狂なことをしている一行に、おあつらえむきの店かもしれない。しかし残念なことに、ここは流路じゃないんですよ・・・だから寄るわけにはいかなかった・・・嗚呼実に残念です!

我々には浜町川を最後まで歩くという目標があります。浜町川に戻ります。

Hamam15

夜の緑道。
一人で歩くとちょっと怖い夜の緑道も、数人いるから、なんだか安心な気がする。

Hamam16

で、箱崎川と合流してゴール!と相成りました。
夜の箱崎ジャンクションは、昼間よりも「ゴウン、ゴウン」と音が響いてくる感じがしました。これ見て、川跡のときよりも興奮してる人も・・・

で、箱崎川支流跡もちょっと見て、

Hamam17

人形町に戻って打ち上げ飲みをしました。
なぜか袋小路の話で盛り上がるなど。それぞれ、ぎりぎり終電に間に合うように帰ったようですが、終電を逃して更に神田川を歩いたというS氏・・・お疲れさまでしたホント。他のみなさまも、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!

※しかすけさん(←上記S氏のことですw)が、マラソン時に撮られた写真をUPしてくださいました。うーん、すてきな写真がいっぱい!!ぜひご覧あれ→”散策家しかすけブログ:浜町川日本酒マラソン” (しかも夜歩き続編もあるようですw)

暗渠酒マラソンシリーズ、焼酎、ビール、日本酒、という流れでやってまいりました。次はウィスキーかホッピーか、はたまたマッコリか?どの川、ってまだ決めていませんが、おそらく突発的に開催すると思うので、参加お待ちしてまーす。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »