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善福寺川支流まんぷくツアー 後編

成田東支流(仮)を水源から下ってきたのが前回
善福寺川沿いで一休みしたら、こんどは別の支流に移ります。

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善福寺川の湧水、今日もヂャー――――!!っと元気。

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今度は、松ノ木支流(仮)を遡るのです。入口はここです。
松ノ木支流(仮)、善福寺川のヌシ、リバーサイドさんがもちろん記事にされてます。

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横に親水空間がありますが、ここに水が流れているのを見たことがありません。

崖上は松ノ木中。高射砲があったので、何回か過去記事でも触れています(←リンク先には戦時の高射砲陣地の航空写真アリ)。

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横に広がる、意味ありげな空間。

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河口は広めだった流路、ここら辺から暗渠らしくなります。

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成田東支流よりも、ずっと高低差があるように感じます。特に、左岸が高いです。

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上ることを拒む階段。

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ぽっちり外蛇口。

実は松ノ木支流(仮)にはコンクリ蓋暗渠は一切登場しないのですが、こんなふうにたのしみを添えてくれる脇役さんたちが居ます。

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交差する道路に出ると、すぐ隣に、成田東支流(仮)が走っているのが見えます(丸で囲んだところに、成田東支流(仮)の金太郎がいます、写真は松ノ木支流(仮)に立って撮ったもの)

暗渠を歩いているうえでは、成田東支流(仮)と松ノ木支流(仮)は交わることはありません。しかし、この2本は地図上では支流-本流の関係に見える(この場合、より短い成田東支流(仮)が支流となるのかな)し、地形図上では明らかに同じ谷にあります。

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前編のときに触れたように、成田東支流(仮)は”天水田圃”を潤す小川でした。しかも、”善福寺川との合流口まで”田圃は続いていたとされます。すなわち、成田東支流(仮)と松ノ木支流(仮)の水は合流していたと考えられます。ある時期からは、田圃を挟んで用水路・悪水路の関係だったのでしょう、その残骸として、2本がほぼ並行するかたちで下流部は残っているのでしょう。
「杉並の川と橋」においても、この2つの流れは”天水田圃南で合流”し、”松ノ木田圃の用水として利用された”とあります。天水田圃の広がりが、文献によって若干ずれているようですが、、、

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合流地点付近は、暗渠も入り組みます。こういうカクカク道と、左に走る道とに分かれ、住居の区割りもちょっとふしぎな感じ。

この、合流地点とものすごく近い場所に、銭湯”吉の湯”があります。

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というわけで、さっき素通りしてきた、成田東支流脇の”ゆ家和ごころ吉の湯”に入ります。

吉の湯、代替わりのときにリニューアルしたというようなことを、散歩の達人で読んだ気がするんですが、行ったことがありませんでした。ともかく、3年ほど前に建て替えたようです、壺湯などを備えたきれいな露天風呂と、ネイルアートなどの新サービスを携えて。風呂好きの、えいはちさんkekkojinさんからも評価の高いお風呂屋さん。じっさい、めちゃくちゃ充実したお風呂でした!!!

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最もうれしいのは、待合スペースで生ビールが飲めることではないでしょうか。ソフトクリームもあるし、かき氷も始めるみたい。こりゃ某所とか某所とか行ってらんないわ。絶対にまた来るわ。

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ちなみに吉の湯、となりに遊び場98番があるのです(遊び場○番の記事もそろそろ書くぞ・・・)。

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はぁ、さっぱりした。
ゆるゆる下っていきましょう。

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1ブロック隣には松ノ木の商店街が走ります。朝さんぽしにいったら、営業しているお豆腐やさんがあったので、うれしくなって買いました。

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大径マンホ。

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大径マンホすぐ脇には、何かを無駄にしない精神。

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そのさき、ぼさぼさ。

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最近、暗渠脇に暗渠関連グッズが置かれているのを見ることが多いです。蓋さんたち。

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松ノ木支流(仮)脇にはもうひとつ、熱海湯という銭湯が以前はあったようです。このあたりに。

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そのさき、五日市街道を渡ります。
成田東支流(仮)が五日市街道付近から湧き出しているのに比べ、松ノ木支流(仮)はひょろひょろと北上し続けます。
ただし、水源は明確ではありません。

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上流端と思しき場所。
ここの2ブロックほど向こう側には、桃園川の支流である、石橋用水路の水源が湧いていました。ささやかな分水嶺。

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上流端から少し東にあるのが、梅里中央公園。この、公園自体が含まれるかは定かではありませんが、近辺が湿地か何かだったのではないかと推測されています。
いま、その名残はありません。

さて、踵を返して買い食いに向かいます。目指すは、kekkojinさんに教えてもらった鳥一というお店。

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・・・ここかぁ。
これはすばらしい外観(というか、何度もここを通っているというのに、気づいていなかったヒドイわたし)。夕方に行ったら、数名の行列ができていました。
焼鳥の種類が豊富で、つくね(でかい)だけでも3~4種。焼鳥のほかにも、メンチとかミニメンチとか、フライドポテトとかフライドチキンとか、いろいろあってこりゃ何回も行かなきゃいけないね!

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善福寺川沿いに持って行って食べます。でかい。お肉、食べでがあっておいしー!
つくねは食べきれなかったので、持ち帰って目玉焼きを添えて焼鳥丼にしました。

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もう一軒。
実は、往路から既に気になっていたお惣菜屋さんがあります。小原惣菜店
お昼どき、ほかにもお店はあるというのに、近所の人がつぎつぎとここに向かうのです。すごい売れ行きだ。ぬう・・・これは、デキル店なんじゃないだろうか・・・

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かつ丼が美味しそうで。あと”スパゲティ”が気になって気になって。帰りにもまだ残ってたら買って帰ろう、と心に決めていたのでした。

そして、”スパゲティ”があったので、購入!たしか200円(300円だったかも)。お皿に移したら、がっつり一人のメインディッシュぶんはありました。味付けはもうまさにナポリターン。うまいうまい。
お隣のエビフライ、これもすごい。中くらいのが7尾入って、230円。なにがすごいって、すぐ下のショーケースには、同じ大きさのエビ天が1尾140円で売られてるんですよ。・・・え?これ、おかしくね・・・?・・・って、ふしぎに思うんだけど即買い。カリッと揚がった、おいしいエビフライでした。

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五日市街道沿いにはネパール風のカレーラーメンやカレーうどんのお店もありました。なんだそれ、キニナル!でも、もうまんぷくですたい。

・・・善福寺川支流暗渠のさんぽついでに、気になるお店でおいしいご飯。何度でも楽しめそうです。

<参考文献>
「杉並の川と橋」杉並区立郷土博物館
「杉並の通称地名」杉並区教育委員会
「デウスエクスマキな食堂11年冬号 団地団地Revolution!商店喰いⅡアーケーダー」刈部山本

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1-7 さんぽ:善福寺川支流」カテゴリの記事

コメント

生ビールの写真が素晴らしすぎて目を奪われてしまいましたw(゚o゚)w

投稿: ジプキン | 2012年6月20日 (水) 01時43分

namaさん、こんにちは。 松の木支流は私が暗渠徘徊を始めた所で、家からチャリを6回漕ぐと着きます。

古地図を見ると水路は梅里中央公園の南辺りで消えていますが、写真よりもやや北側で公園の北側を通る道路との合流地点から水路はありました。 もちろん開渠でしたが50年ぶりに行ってみて道路の幅の狭さにビックリしました。  写真右側が水路で各家の玄関口には1m位のコンクリの橋が掛っていました。

合流地点北側の家には井戸があるので、もしかしたら石橋水路付近まで続いていたのでしょうか?。

熱海湯は写真の左側の交差点角にありました。 今は犬の美容室などがある所です。 風呂屋の暖簾を潜って1mも出ると路線バスとぶつかる位道幅は狭かったです。

大口径マンホの手前2m程と最上流部までの間はS41年までは開渠でした。

バイク・チャリ・街路灯が写っている所にある階段を上がって100m程行った場所にも釣り堀がありました。 (現在は駐車場)

5枚目の写真、車止めの上流部と道路手前(下流部)5m位もS42年位までは開渠で、水路は公園に向かって右側にありました。

松ノ木中横の森(緑地公園)にもビックリしましたが、ただの傾斜地で凸凹した原っぱでした。(S50年頃確認)


釣り堀ついでですが、高円寺にも釣り堀があったのをご存知ですか?。 聞いてビックリでした。 廃業年など聞き忘れましたが、30年ほど前には営業していたようです。


投稿: nasunokaori | 2012年6月21日 (木) 22時39分

>ジプキンさん

ありがとうございますw
何の条件が良かったのか、ずいぶん綺麗な色が出てますよねw

>nasunokaoriさん

こんにちは。至近距離ですね!そしてここが最初の暗渠なのでしたか。沢山の貴重な情報を頂きまして、深く感謝します。
・上流端について⇒思ったより北まであったんですね。もう一度行ってみようと思います。今度、その情報を文中にも追記させて下さい。
石橋用水路の水源は、ゆる~い崖下にあるので、松ノ木の上流端の先はうっすら上り坂になっているのではないかと思っていました。従って、そんなに北まで行かないんじゃないかと思いましたが推測にすぎないので、これも現地に確認に行きたいと思います。
・熱海湯⇒角でしたかぁ。銭湯跡の建物って、わかりやすいときもあるんですが、熱海湯跡は難しかったです。
・釣堀⇒松ノ木にも釣堀があったんですねぇ。ちょっとびっくりです。高円寺のも、知りませんでした。流行っていた時代があったのですね。以前、銀座のデパート屋上に釣堀がある写真を見てかなり驚きましたが、いまのカラオケ屋さんみたいなノリであちこちにあった娯楽だったのですかね~。いや、面白いです。2つの釣堀について情報を集めたいと思います。

ほか、水路の情報をたくさん、ほんとにありがとうございます。後程、本文に追記させていただきます。

投稿: nama | 2012年6月22日 (金) 12時51分

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