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2012年6月

直江津、海のちかくの水路たち

昨夏、用があって直江津と高田に行ってきました。そのときに書きかけていた記事だったので、写真のサイズが以前のまま(小さめ)なんですが、修正せず続行。それぞれの水路についてよく知らぬままに、ふらふらと歩いた記録です。

直江津は、奈良時代から「水門(みなと)」と呼ばれる歴史ある港のまち。初めてやって来ました。

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ここが直江津駅前。駅のロータリーの奥にあるメインストリート?がこういった感じで、じつに素朴です。

とにかくのどかでしずか。

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その通りを進んでいくと、さっそく水路を見つけました。

蓋といっていいのか・・・人工芝の歩道が水路の上にかけてあります。ちょっと雑な感じで。横の隙間からのぞくと水の流れが見えるので、暗渠とも言い難い感じ。・・・これも半渠?
しかし斬新だなぁ。

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そして、この人工芝水路上歩道は、飲み屋街も兼ねているようでした。左手に見えますのは、”コンパ”。

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”コンパ”の奥は、”冬ソナ”となっております。

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もう少し遡ると、水路脇に製氷工場が現れました。
建物がだいぶ古いですが、現役のようです。水路脇に製氷工場!ひゃっはー。

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敷地内には、”ミネラルアイス”の自販機もありました。もう稼働していないようでしたが。

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もう少し遡ると、開渠になってました。家の前を通っており、小さな自家用橋が架けられています。
この水路には、冬になるとそれぞれの家が、雪かきをした雪を捨てに来るのでしょうか・・・ふと山形の水路を思い出しました。

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そしてこの水路には、横からも支流がどんどん来てました。
ハシゴ式開渠を見ると、なぜか「おっ、都会」などと思ってしまい。

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開渠を見るとかならず目を凝らして、魚がいないか確認します。
おっと・・・ここには、鮠が泳いでました!ぴちぴち。

この水路を海の近くまで追ってみたら、もう少し下流には、ハゼがいっぱい、じっとしていました。こんな、街中の小さな水路に、ハゼ。港町ならではですねぇ。

その先、関川という大きな川に注ぎます。

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メグミルクの販売所。まるで、ついさっきまで牧場だったんじゃないかという風景。この前にも、鉄板蓋暗渠がありました。
この辺、歩いていると細い開渠と暗渠が縦横無尽に入り乱れています。

北に向かって坂道を上ってゆくと、日本海に出ます。日本海沿いでご飯を食べようと思います。

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いるか。この外観・・・くぅぅ。実はここ、狙っていたお食事処でした。
素朴な町の、素朴なお店。おまけに、店の向こう側には遮るものなくズザーッと日本海が広がっています。マズくたって、きっと良い気分になれる気がするんです。

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ところが”いるか”さんは予想を裏切って素晴らしかったです。
このかき揚げ、めちゃくちゃおいしかった!!!
イカが新鮮でぷりぷりさっくり。衣が薄めで、揚げたてサクサク。今のところ、生涯かき揚げランクのかなり上位に居ます。

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食べたら、直江津市立水族博物館へ。水族館の周囲をぐるっとスカイサイクル(100円)でまわれます。海を見ながら。

水族館のことは割愛。売店で、”パインクリームサンド”というとてもレトロなパンを見つけたのですが、そしてパッケージにキュンとしたのですが、すぐに食べたいと思わなかったので買わずに帰りました。
・・・後から妙に気になったのでググったところ、”サンドパン”(コッペパンにバタークリームを塗ったもの)が新潟のご当地パンだということがわかり、さらにパインクリームサンドは直江津のオリジナル懐かしパンだということがわかり、といっても売ってる店が無くて(そもそも店が無いの)、大後悔しました。しばらく、パインクリームサンドのことばかり考えていたと思います。

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お店屋さん探して、ウロウロ。駅から離れたところに、おそらくメインの買い物の場だと思われるイトーヨーカドーがありました(でもヨーカドーにもサンドパンは売っていなかった)。その前を通るバス通りも、よくみれば歩道が暗渠です。包囲タイプのやつ。

ちなみに、新潟県にいくと、除雪設備のために道路がこんなふうに赤茶けていることが多いです。おなじ豪雪のはずの山形県ではそうでもないので、赤い地面を見ると「あー、新潟に来たなー」って思います。赤茶け暗渠。

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駅より東側~関川にかけての地域には、関川に向かってのびる支流暗渠のような細い裏道が何本もあります。

その、暗渠らしき道になぜか仮設トイレ。

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おなじく、暗渠らしき道に謎の仕切り板。

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関川の河口。向う岸には工場地帯が見えます。

日が暮れるまで、この波打ち際で親子が釣りをしていました。

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翌朝。
朝ごはんには地元のパンが食べたい。と思い、早起きをしてパンを買いに行きました。
もちろん、パインクリームサンドから繋がってきてるのですが、調べてみると、直江津にはバラパンというレトロなパン屋さんがあって、人気のあまりお昼には売り切れてしまうというのです。まずはバラパンに、早く行かないと。

車が次々止まり、既に家族連れが買いに来てました。この店構え・・・やはり素朴。

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伝統的お総菜パンをいくつか買いました。バラパンの脇にも水路。

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もう一軒行きます。日清パン。ここが、パインクリームサンドをつくっている店です。

けれど、開店時間らしき時間にまだ開いていなかったので、小雨降る中、店の前に立って待っていました。我ながら、食べ物への情熱を感じる瞬間です。

日清パンもまた素朴な店で、各種パンのほか、コッペパンにその場で好きなクリームを塗るシステムもありました。しかし既にパンを買いすぎていたので、そっちはあきらめました。

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これが、パインクリームサンドです。・・・かわいい!!
やわらかいパンに、クリームと半生のパイナップル片が挟まれ、初めて食べるのに懐かしい味。

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1つだけ買うのもなんなので。カステラパンやソーセージパンも買いました。

新潟といえば、”イタリアン”しか思いつかなかった自分ですが、イタリアンはこの地域では食べられないようです。けれど、すてきな地元グルメに満足いたしました。

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高田に移動します。

側溝の蓋にゾウ。2つおきくらいに、動物の絵がこんなふうに描かれていました。
ほかに星座パターンもありました。

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高田駅前には、観音開きの桜蓋。これ、和風でとっても好みの感じです。
道路の脇に、ぽつぽつありました。

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高田駅近くに流れる、儀明川。
高田城築城の際、3本の川が大きく改変されたそうで、この儀明川は、やや東を流れる青田川に合流していたものを、西に新しく移されました。青田川は、城内と城下の堀の役目をし、堀らしく直角に曲げられたりしています。また、これらは関川の支流なのですが、関川も蛇行していた流路を変えられ、天然の外濠となったのだそうです。・・・昨日見た関川の大きさを思い出し、その工事の壮大さに唸ります。

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朝市に遭遇。雨だったためか、人はまばらでした。

付近には側溝や小さめ開渠がやはり縦横無尽にありました。交差点などでは、このように水路が複雑に合流しています。

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補強されてるのかな?雪の重みに対してなのか、車の重みに対してなのか。両方なのか。
直江津もそうでしたが、やまほど走る細い水路とは、雪国ならではの排水設備なのかもしれませんね。

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高田名物、雁木(がんぎ)の残る通りをぶらぶら。
その後用事を済ませ、直江津に舞い戻って、港で小アジを釣って帰ってきました。

雪が降ったら、これらの景色はいったいどうなるんだろう?・・・想像できるような、できないような、雪と海の街の水路たちでした。

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泣く子も黙る浜町川 昼間編

夜の浜町川の記事を書いたことがあります。
そのとき、わたしは浜町川跡の持つ雰囲気に酔いしれ、それを文面では伝えようとしていたのですが、如何せんカメラが貧弱。それから、あのとき途中で帰ってしまったことも悔やまれ、新しいカメラも買ったことだし、と、撮り直しに行きたいなと思っていたのでした。

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水天宮前で降り、前回と逆向きに辿ろうと思います。
水天宮前の駅の上は、高速道路だらけ。わたしは橋裏への興味は朧ですが、龍の腹のように見えるものだけはカッコイイと思っていて、ここなんかもまさにそう。

箱崎JCT?・・・箱崎という地名、車に乗ってる時に見かけたことがあるくらいでしたが、下はこんな感じなのねー。

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さあ・・・浜町川の付け根だ、と思っている場所に到着。以前歩くのを止めた浜町川跡から、まっすぐに隅田川に向かって伸ばした位置です。うまい具合に、そこは下水道局の敷地で、ポンプ所がありました。

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隅田川側から見ると、こんな感じです。水門♪onoさんサンクスです。

後から知ったのですが、ここは浜町川ではなく、箱崎川の支流でした。水天宮前を東西に走る道路(さっき見上げていた高速の下)が箱崎川跡で、隅田川から分かれ、日本橋川と交差して亀島川へと向かう水路でした。箱崎川には橋の遺構もあったようで、そのうち見に行きたいものです。
そしてこのポンプ所~箱崎川に至るまでの短い区間を流れたのが箱崎川支流。つまり、箱崎川を挟んで川の交差点のようになっており、向こう岸からが浜町川なのでした。

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昭和38年の航空写真を使ってみると、わかりやすいと思います(gooさまありがとうございます!)。

なお、箱崎川支流の右側に、「中州」という場所があり、古くから納涼や観月の名所であったといわれます。もとは砂州だったのが江戸期に埋め立てられて歓楽街となったのですが、その後、土砂ごと撤去されてしまいます(洪水被害説と寛政の改革説あり)。その後、また土砂が堆積して中洲が甦り、100年後くらいにまた埋め立てられ花柳街に・・・という、時代によって地面があったりなかったりする興味深い場所です。

箱崎川支流は、最終的には昭和45~47年に埋め立てられ、現在は上述のポンプ所と、首都高速道路(株)のビルとなっています。

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これが首都高速道路(株)の敷地あたり。水天宮駅そばにあるシティエアターミナルの、リムジンバスも止まっています。奥に、水色の下水道局の建物が少しだけ見えます。

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たしかに、浜町川緑道はもう少し北東の、ここからスタートしているのでした。
目の前の道路は、箱崎川跡です。そして奥に見える公園のような土地が、浜町川跡です。

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浜町川緑道のすばらしいところは、高速の裏側を眺めながら歩けるところではないでしょうか。独特の風景が広がります。

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ラジオ体操、ここでやられるんでしょうか。

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親水空間もありました。水は溜まっていたり、いなかったり。

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頭上の道路は、降り口なので段々地面に接近してきます。その、ぎりぎりまで公園でした。ここ、今は閑散としていますが、昼時に通ったらまあまあ人がいました。

その先は閉じられた空間になり、天井が地面にくっついて終わります。

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上にあった道路はこんな感じ。狭く思えたけど、2車線もあったのか。

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さあ、今度はさらにしっかりした緑道の始まりです。会社員に近所の親子連れ、けっこう人が通ります。

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緑道って単調なので省略しますが、最後の方に親水公園がふたたびありました。

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緑道から見える位置に、カナダの物産店”チーナジャパン”があって、・・・なんとなくそういうの、わたし避けて通れないんですね。なので、思わず入って物色。メープルスプレッドとメープルキャンディを買いました。ほんとは、(この後用事がなけりゃ)冷凍庫にあったスモークサーモンや、”スモークサーモンクリームチーズパテ”と冷凍のベーグルを、あるいは”オマールロブスターみそ”とワインを、なんて買ってウキウキするのもよかったんですが。

緑道に戻り、ぼんやりと歩いていると、やがて道が途切れ、ちょっと違和感のある場所に出ます。

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ここ。正面の建物はこれまで緑道だった場所の延長上、つまり川の上に唐突に出現します。脇にはさりげなく、暗渠サイン度の高い防災倉庫。・・・違和感あるところ、何かがあるというものです。

・・・この場所から、”竃(へっつい)河岸(かまどを扱う店が多かったため命名)”という水路が人形町の駅の場所まで走っていたそうです。
この竃河岸は元吉原を囲む水路の一つ(南端)でした。つまり、いま立っている場所から左奥に、吉原があったということになります。
そして、吉原が浅草に移転した後、廓を囲む水路は埋められたのですが、この竃河岸だけが残り続け、蛎殻にあった銀座でつくられる貨幣の資材を輸送する水路として機能していたのだそうです。

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竃河岸の分流地点から先に進むと、さっきの建物が消防署だったことがわかります。斜向かいにも消防署があるというのに、川跡の真上に建物がデーン。

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前回の記事では歩くのをストップした場所に出ます。久松小学校脇。

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その道の左側には小公園があり、小さなプールがありました。
ここ、時間帯によっては向かいの小学校の子どもたちで大賑わいだったりします。夏には彼らは、プールでジャバジャバ遊んでいるのでしょうか。

そんな無邪気な空間のすぐ近くに、元吉原がありました。

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浜町川跡から南西にちょっとだけ行くと、いまも花街があります。
地図をたよりに、見番があるらしき場所に行ってみると・・・、ありました、芳町組合!

この場所は江戸時代には葭などが茂っているだけの沼地であったといいます。その沼を埋めて周囲に堀を巡らせた遊郭をつくり、葭原(のちに吉原)ができました。その後、40年ほど、火事により浅草の同じく低湿地に移転するまで、ここは艶っぽい場所だったわけです。

吉原移転後、この地は近くにあった芝居小屋関連で盛り上がります。その中には陰間茶屋(男色目的)もあったけれどやがて天保の改革でつぶされ、その後は色は売らず花街に。優れた芸者のいる芳町は、花柳界でも上位の場所となっていたようです。

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見番のお向かいには料亭、浜田家があります。優良店マークつき(というか、☆つき)。創業は大正元年で、以前は芸者屋の屋号だったとのこと。・・・芳町花柳界の料亭はどんどん廃業していってしまい、いまやここが唯一の料亭なのだそうです。
一軒だけなのか・・・でも近隣をうろうろしていると、まだそれらしき建物が残っているように思えました。

・・・暗渠ついでに、色々食べ歩くこのブログですが、さすがに料亭食べ歩きはちょっと。かわりに、人形町界隈で気になる飲み屋さんを何軒か見つけました。

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トレンドスポットくじらい。・・・トレンドスポット・・・?

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おでんナポリ。
おでんナポリ、うどんナポリ。
四ツ谷の某飲み屋さんに「うどんナポリ」というメニューがあったことを即座に思い出しました。うどんナポリは、うどんのナポリタンであり、紛うことなきうどんナポリでした。てことは、おでんナポリとはっ・・・!?

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ここは以前の記事で触れていたきしめん屋さんだと思います。今も浜町川沿いにおなじく店舗はあるのですが、開いているのを見たことがありません。ここに移転したってことなのかな。一度食べてみたいものです。

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へんな場所に稲荷。

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人形町探索はこのくらいにして、浜町川に戻りましょう。

逆向きに歩いていたので気づくのが遅れましたが、問屋橋商店街が変わらぬ姿で其処にありました。ちなみに、問屋橋商店街の延長線上に、水道局のテレメータがありました。

問屋橋商店街の真ん中に、振り返り美猫。

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川の上ばかり通っていますが、たまには脇から見た風景も。横からちらりと見る問屋橋商店街は、周辺のオフィスビル群に比べるとやはり独特の雰囲気でした。

オフィスビル群、と描写してしまいましたが、この付近はさっきから呉服屋さん系の会社が多いです。

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その先、浜町川から見える、気になったうどん屋さん。
昼、しかも短時間しか営業していないようなのが、な~んか、におう。ここは美味いんじゃないだろうか?

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日を改めて行ってみました。十文字屋
カレーセット500円也。立ち食いです。
蕎麦もあったけど、麺は、かけうどん也。で、メニューにあったとり天を追加したら、もう売り切れちゃっているとのこと・・・。そこでわたしがガッカリした感を出してしまったのでしょうか(努めてクールに居るはずなんですが)、おばちゃんが「あなた、天かす好き?うちの天かすはね、自家製でかき揚げのときに出るやつでね、野菜とか入ってて美味しいのよ~」なんて優しい言葉をかけてくれたのです・・・!!もちろん「好きです!」と答えて天かすをいっぱい入れてもらい、出てきたのがこのかき揚げうどんみたいな外観のかけうどん。
あ、うまいわこれ。出汁も、うどんも実にいい塩梅。天かすももちろん。うまい!
汗かきながら食べました。大満足。

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その向こう、商店街みたいになってます。
浜町川跡の中でも、比較的お店が密集している場所です。

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かと思うと、少し行っただけで一挙に暗渠っぽくなります。
これはこれで、ものすごく落ち着く。

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地面がきれいだな・・・。右のマンションとか、めっちゃ最近建った感じですね。
ここら辺は右手に馬喰町があり、衣料系の問屋さんがずらり並んでいます。問屋街って本当に好きさ・・・この道沿いにも、繊維ビルなんてのが建ってたりします。

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竜閑川との合流地点に出ます。
左側に竜閑川児童公園があり、その向こうにいい感じのみち(竜閑川)が続きます。浜町川とL字型につながり、輸送路として機能していた時代もあれば、連結が無くなった時代もあり。今は、道として(公園を挟んで)つながっています。

・・・ん?なんか、奥が工事現場っぽくなっている気がするんですが・・・。

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え!

嗚呼・・・。そこにあった昭和の名残”橋本会館”が、なくなっているのでした(橋本会館についても前記事参照)。
まだ在った頃、といっても、既にお店は営業しているようには見えなかったので、亡霊のようなものだったかもしれません。そのとき撮った写真はあまりにもぼやけていて、もう一度撮りたかった、せめてもう一度見たかったのに・・・。

橋本会館は、今や「昭和幻景」の中でのみ、見る風景となってしまいました。

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その横を通るとき、工事のために期せずして極セマな暗渠道風になっています。

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さて、大和橋ちかくまでやってきました。

問屋橋商店街で見かけた茶トラにそっくりな猫がここにもいて、追いかけたら、その先にまたそっくりな茶トラが3匹もいて。浜町川は茶トラ頻出地帯みたいです。

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よっぽど停められたくないらしい・・・

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そのさき、靖国通りを渡ると、駐車場になってます。

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通れたり通れなかったり。こんなふうに入れなくなって、もう一本道を渡ると駐車場があって、その先に分流地点があります。

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神田川から見た、浜町川の水門。植物に覆われ、ひっそりとあります。

最後に、今回の行程を。

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”浜町川”の”浜町”は、隅田川の端にあったため(もしくは昔海浜だったため)についた俗称で、明治以降に町名になったものです。そして、その浜町一帯(葭しかない沼地だった)を造成するときに、排水路として開削されたのが浜町川です。向きとしては神田川→箱崎川、のようです。
その開削と埋立の歴史については、前回の記事に譲ります。
龍閑川よりも深く広い、立派な水路で、運河としてずいぶん使われていたようですが(確かに現役時の写真を見ると、随分広く、小舟が両岸に悠々停まっていました)、戦後は不要とみなされ、瓦礫で埋め立てられました。前の記事に書いたように、ヒトの都合で造られ、そして埋め立てられてしまった川。

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埋められてゆく浜町川・・・
(gooさんありがとうございます)

杉並の暗渠の持つそれとはまた異なる、場所ごとの味わいが目くるめく変化する川でした。橋本会館がなくなってしまったように、浜町川自体も目くるめく変化を遂げている、今まさに最中なのだと思います。

<参考文献>
「川跡からたどる江戸・東京案内」菅原健二
「消えた大江戸の川と橋」杉浦康
「昭和幻景」藤木TDC・イシワタフミアキ
「中央区 歴史・観光まち歩きガイドブック」中央区
「東京人 花街・色町」
「東京花街・粋な街」上村敏彦
「水のまちの記憶」中央区立郷土天文館

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善福寺川支流まんぷくツアー 後編

成田東支流(仮)を水源から下ってきたのが前回
善福寺川沿いで一休みしたら、こんどは別の支流に移ります。

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善福寺川の湧水、今日もヂャー――――!!っと元気。

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今度は、松ノ木支流(仮)を遡るのです。入口はここです。
松ノ木支流(仮)、善福寺川のヌシ、リバーサイドさんがもちろん記事にされてます。

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横に親水空間がありますが、ここに水が流れているのを見たことがありません。

崖上は松ノ木中。高射砲があったので、何回か過去記事でも触れています(←リンク先には戦時の高射砲陣地の航空写真アリ)。

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横に広がる、意味ありげな空間。

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河口は広めだった流路、ここら辺から暗渠らしくなります。

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成田東支流よりも、ずっと高低差があるように感じます。特に、左岸が高いです。

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上ることを拒む階段。

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ぽっちり外蛇口。

実は松ノ木支流(仮)にはコンクリ蓋暗渠は一切登場しないのですが、こんなふうにたのしみを添えてくれる脇役さんたちが居ます。

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交差する道路に出ると、すぐ隣に、成田東支流(仮)が走っているのが見えます(丸で囲んだところに、成田東支流(仮)の金太郎がいます、写真は松ノ木支流(仮)に立って撮ったもの)

暗渠を歩いているうえでは、成田東支流(仮)と松ノ木支流(仮)は交わることはありません。しかし、この2本は地図上では支流-本流の関係に見える(この場合、より短い成田東支流(仮)が支流となるのかな)し、地形図上では明らかに同じ谷にあります。

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前編のときに触れたように、成田東支流(仮)は”天水田圃”を潤す小川でした。しかも、”善福寺川との合流口まで”田圃は続いていたとされます。すなわち、成田東支流(仮)と松ノ木支流(仮)の水は合流していたと考えられます。ある時期からは、田圃を挟んで用水路・悪水路の関係だったのでしょう、その残骸として、2本がほぼ並行するかたちで下流部は残っているのでしょう。
「杉並の川と橋」においても、この2つの流れは”天水田圃南で合流”し、”松ノ木田圃の用水として利用された”とあります。天水田圃の広がりが、文献によって若干ずれているようですが、、、

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合流地点付近は、暗渠も入り組みます。こういうカクカク道と、左に走る道とに分かれ、住居の区割りもちょっとふしぎな感じ。

この、合流地点とものすごく近い場所に、銭湯”吉の湯”があります。

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というわけで、さっき素通りしてきた、成田東支流脇の”ゆ家和ごころ吉の湯”に入ります。

吉の湯、代替わりのときにリニューアルしたというようなことを、散歩の達人で読んだ気がするんですが、行ったことがありませんでした。ともかく、3年ほど前に建て替えたようです、壺湯などを備えたきれいな露天風呂と、ネイルアートなどの新サービスを携えて。風呂好きの、えいはちさんkekkojinさんからも評価の高いお風呂屋さん。じっさい、めちゃくちゃ充実したお風呂でした!!!

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最もうれしいのは、待合スペースで生ビールが飲めることではないでしょうか。ソフトクリームもあるし、かき氷も始めるみたい。こりゃ某所とか某所とか行ってらんないわ。絶対にまた来るわ。

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ちなみに吉の湯、となりに遊び場98番があるのです(遊び場○番の記事もそろそろ書くぞ・・・)。

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はぁ、さっぱりした。
ゆるゆる下っていきましょう。

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1ブロック隣には松ノ木の商店街が走ります。朝さんぽしにいったら、営業しているお豆腐やさんがあったので、うれしくなって買いました。

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大径マンホ。

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大径マンホすぐ脇には、何かを無駄にしない精神。

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そのさき、ぼさぼさ。

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最近、暗渠脇に暗渠関連グッズが置かれているのを見ることが多いです。蓋さんたち。

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松ノ木支流(仮)脇にはもうひとつ、熱海湯という銭湯が以前はあったようです。このあたりに。

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そのさき、五日市街道を渡ります。
成田東支流(仮)が五日市街道付近から湧き出しているのに比べ、松ノ木支流(仮)はひょろひょろと北上し続けます。
ただし、水源は明確ではありません。

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上流端と思しき場所。
ここの2ブロックほど向こう側には、桃園川の支流である、石橋用水路の水源が湧いていました。ささやかな分水嶺。

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上流端から少し東にあるのが、梅里中央公園。この、公園自体が含まれるかは定かではありませんが、近辺が湿地か何かだったのではないかと推測されています。
いま、その名残はありません。

さて、踵を返して買い食いに向かいます。目指すは、kekkojinさんに教えてもらった鳥一というお店。

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・・・ここかぁ。
これはすばらしい外観(というか、何度もここを通っているというのに、気づいていなかったヒドイわたし)。夕方に行ったら、数名の行列ができていました。
焼鳥の種類が豊富で、つくね(でかい)だけでも3~4種。焼鳥のほかにも、メンチとかミニメンチとか、フライドポテトとかフライドチキンとか、いろいろあってこりゃ何回も行かなきゃいけないね!

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善福寺川沿いに持って行って食べます。でかい。お肉、食べでがあっておいしー!
つくねは食べきれなかったので、持ち帰って目玉焼きを添えて焼鳥丼にしました。

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もう一軒。
実は、往路から既に気になっていたお惣菜屋さんがあります。小原惣菜店
お昼どき、ほかにもお店はあるというのに、近所の人がつぎつぎとここに向かうのです。すごい売れ行きだ。ぬう・・・これは、デキル店なんじゃないだろうか・・・

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かつ丼が美味しそうで。あと”スパゲティ”が気になって気になって。帰りにもまだ残ってたら買って帰ろう、と心に決めていたのでした。

そして、”スパゲティ”があったので、購入!たしか200円(300円だったかも)。お皿に移したら、がっつり一人のメインディッシュぶんはありました。味付けはもうまさにナポリターン。うまいうまい。
お隣のエビフライ、これもすごい。中くらいのが7尾入って、230円。なにがすごいって、すぐ下のショーケースには、同じ大きさのエビ天が1尾140円で売られてるんですよ。・・・え?これ、おかしくね・・・?・・・って、ふしぎに思うんだけど即買い。カリッと揚がった、おいしいエビフライでした。

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五日市街道沿いにはネパール風のカレーラーメンやカレーうどんのお店もありました。なんだそれ、キニナル!でも、もうまんぷくですたい。

・・・善福寺川支流暗渠のさんぽついでに、気になるお店でおいしいご飯。何度でも楽しめそうです。

<参考文献>
「杉並の川と橋」杉並区立郷土博物館
「杉並の通称地名」杉並区教育委員会
「デウスエクスマキな食堂11年冬号 団地団地Revolution!商店喰いⅡアーケーダー」刈部山本

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善福寺川支流まんぷくツアー 前編

なんとも呑気なタイトルです。まんぷくツアー。
・・・要するに、善福寺川支流暗渠の近くで、いろんなものを食べながらさんぽしましょう、ということであります。その概要をtwitterで呟いた頃は寒い時期だったのでなかなか行かれず、暖かくなってから行ってまいりました!

新高円寺の駅からスタートし、五日市街道を西へと歩いていきます。

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五日市街道の新高円寺~善福寺川までの区間は、心なしか米屋さんが多いです。以前、五日市街道沿いの米屋さんが、水車を保有していたという話をチラと見たので、どの店だろう?などと米屋さんばかり見ていたためにそんなことを思ったわけですが・・・

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あれ、れれれ?
五日市街道沿いに、いつのまにかこんなカワイイお菓子屋さんができてました。焼き菓子カフェ「Harmonie(アルモニ)」、オープンしたてのようです。
かわいらしい飲み物・食べ物が並んでいて、控えめなイートイン席でひとり、ボォッとしたくなるような雰囲気。辛党のひとには、甘さ控えめにつくってある”胡椒スコーン”(ほんとに胡椒が効いてておもしろおいしかった!)やキッシュもあったので、ランチにも対応できるお店だと思います。

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この企画について呟いたとき、うどん系の方から教えていただいたのがこの店、夕虹。これまた五日市街道沿いにあります。肉汁うどんですって!!実にうまそう。そして店内にはお客さんがぎゅうぎゅうです。この日の昼飯候補は2軒あり、両店とも昼のみの営業だったのでかなり悩みましたが・・・涙を呑んでこちらをスルー。こんど食べにくるぞー!

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成宗教会。このあたりの住所は成田東ですが、かつては成宗であったことを思い出します。

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トマソンっぽいドア。でも飛び降りることは可能だし、高所ってほどではない・・・中所ドア、くらいでしょうかね。

五日市街道沿いのいろんな風景に心を奪われながら、いったん善福寺川を越え、関東バスのターミナルまで行きます。
そう、まずは、あそこで食べるのさ・・・どの駅からもアクセスがいまいちなのに、行列のできるラーメン屋さん、一歩

並ばずに入れましたが、すぐ後に満席になってました。

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まずは、餃子!・・・と、ビール少々。博多ラーメンの店ですが、なぜか「宇都宮餃子」です。

羽がすごいッス。はてしなく広がってる。・・・羽だけポリポリ食べたりね。
具は野菜がシャキシャキするヘルシーな感じ。

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本命はこれ。
納豆チャーハン!!!

うぁぁぁぁぁもう一目見た瞬間にコレは美味いってわかるビジュアル!
ちょっと味濃いめなんだけど、それがまた堪らない。止まらない。

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紅ショウガかけると美味しいよって、後ろの人が言ってたから、かけてみたの。
パラパラなの。納豆も絶妙な感じでそこに居るの。美味いのぉぉぉぉ!!
あー、これホント美味しいなあ。高校のときの生徒会長(が、以前松ノ木に住んでいた)に教えてもらった人気メニュー。ありがとう会長!

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ラーメンも頼みます、博多ラーメン。これもうまし。
でも、餃子半分とチャーハン殆どを食べちゃったので、控えめに替玉はしないでおきました。だって他の店も行くからね・・・。でも替玉のある店で替玉をしない勇気って相当なものでした・・・。

さあてと。ここから、暗渠に向かいましょ。
まずは成田東支流(仮)を水源から下りたいと思います。
成田東支流(仮)は、リバーサイドさんが紹介されてたもので、素敵だな、素敵だな、行きたいな、と思っていた暗渠です。

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水源と言われるのは、ここ、東洋幼稚園付近です。
この幼稚園、まるで小学校のようなつくりで、とても広々。校舎の再利用なのかと思ったのですが、昭和30年から在るという・・・。

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園庭には頬杖をついたラクダがいました。

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幼稚園敷地の脇が、微妙に低くなっていてミニ谷頭を思わせます。しかし、”幼稚園付近が窪地、低湿地”とされるので、もしかすると幼稚園を建てるにあたり盛土をされたのかもしれません。
ともかくこの幼稚園園庭から水が湧きだしていて、そのため昭和初年まで付近は”水流し”という通称名で呼ばれていたといいます。

湧きだした水は、すぐに五日市街道を横切るようです。しばらく、流路の痕跡はないのですが。

Narita

地形で見てみると(google earthさんありがとうございます!)、水色の円内が成田東支流(仮)で、円の右上端あたりが東洋幼稚園です。
でも、左上端から始まる浅い谷のようなものも見え、そちらには何かないのか(言及する文献は無し)、とても気になるところ。

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西側の、浅い谷が曲がっているあたりに行ってみると、こんなふうにあやしい(段差はあるし、道幅も不揃い)雰囲気で、ほそ~い流れがあったんじゃあるまいかと、想像力が掻き立てられます。

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・・・でもまあ蓋などは無く。
明確に暗渠が始まるのはこの都営マンションの奥からです。

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コンクリートの道だと思って下ってゆくと、いつのまにやらそれがコンクリ蓋になるのです。

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・・・いつのまにか。
苔むしている脇腹もステキ。

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うつくしい御姿ですね・・・。

東田小学校から南西に広がるこの一帯は、かつては田んぼでした。さきほどの湧水と雨水が水源となる”天水田圃”であり、旱魃が多かったと言われます。基本が湧水だのみなので、あまり良い米は採れなかったのかもしれません。

この天水田圃は、善福寺川までずっと続きます。

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その先入れなくなって、次に見えるのはここ。
すごく狭い!
そして、進入禁止の枝が立て掛けられてあります。車止めよりも、さりげなくて、この枝のことがなんか好きになってしまいました。

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リバーサイドさんも触れておられた、染物屋さん。

通称地名の説明において、ここは昭和10年頃まで”牛入処(うしいれど)”と呼ばれていたとされ、「ここは染物屋があり淋しい場所であった」と書かれています。牛入処の由来については不明とされていますが、”牛込”に似たその字面からは、大昔に牧場的なものがあったように思えてきます。

さてその記述からすると、随分昔からあるらしきこの染物屋さん、反対側にも看板があり、現役のようです。・・・すぎなみ学倶楽部に、ここのことが載っていました。どうやら、独立されたのは昭和30年代のよう。・・・ということは、それより以前は、ここに別な染物屋さんがあったのでしょうか?成田東支流(仮)沿いに数軒並んでいた?それとも、情報提供者の記憶違い・・・?
わからない点もありますが、以前は成田東支流(仮)に直接落とされていたであろう染色工場の排水は、現在もこのコンクリ蓋下の下水管に落とされているのでしょうね。それはきっと一緒なんだろうな、と、足もとを眺めたりします。

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染物屋さんの脇から下流は、細~~い道となります。
これ、リバーサイドさんが通られた時にはコンクリ蓋暗渠だった道です。左岸のアパートが建て替えられて、暗渠の上に微妙に張り出し、コンクリ蓋に薄くアスファルトが盛られてしまったようです。

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鉄塔の真横でその細いアスファルト道が終わります。

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その先は安定感あるコンクリ蓋暗渠に戻り、横は銭湯(吉の湯、次回に詳述)の壁となります。あああ、この壁向こうの風呂に早く入りたい!

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すぐ足もとには、こんな石があって気になり・・・線下、と書いてありました。すぐそこに鉄塔あったもんね。

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コンクリ蓋はまだまだ続く。

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マンションがすぐ隣にあって、写真撮りながら興奮してる自分が一階の人に見つからないといいなぁ、などと思いながら通り過ぎます。

曲がる。

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金太郎が待っててくれました。

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黄色い植物だらけのおうちがありました。

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もう少し下ると、

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今度は薔薇がいっぱいのおうち。

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・・・なんかだんだん、ジャングル感出てきました。猫頻度も上がります。
もう少しで河口です。

その先、善福寺川のあげ堀と合流して成田東支流(仮)は終わります。

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・・・で、すぐ近くにコレがあるんすよ。釣堀武蔵野園。善福寺川沿いで最高に好きな場所です。

次はここで呑む!

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シンプルに、枝豆とびいる。

孤独のグルメ(TVのほう)では、ゴロちゃんがここで実にうまそうに食事していたので、随分混んでるかな?と思いきや、屋内席はわりと空いてました。

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あれ。屋外に席が増えてました。コッチの席は家族やカップルで比較的混んでました。でもこのテラス席、ちょっと前までは思いっきり釣堀だったんですけどw イケスの蓋になってると思いながらこのテラス席でビール飲むのも、なんかいいかも・・・w
武蔵野園の屋外部分、なんとなく、ツギハギにリニューアルしたようでした。ほんとは、ここのソース焼きそばが好きなんですが、ここではアッサリと飲み食いするにとどめ、次の目的地にまいります。

あれ、まだ二軒しか寄ってないですが・・・、行程が短めなので、そんなに大量に飲み食いできないことに気づいた、折り返し地点。

後編へ続く!

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西荻窪ひみつ暗渠 第二松庵川(仮)

西荻窪。松庵川のやや北に、もう一本暗渠があります。
ここもずいぶん、西荻らしくひみつめいてる暗渠。今回は、そこを歩いてみようと思います。

以前のデジカメと今のの混合写真なので、大きさが少々入り乱れますが、ご勘弁を・・・。

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ビターキャラメルソースのプリンで開始します。このカタチ、ナッツの置かれ方・・・かわいい!かわいすぎる!!
空音、というカフェでした。西荻であった某用事(これが、結構大変だったものだから)を済ませ、コーヒーを飲んでプリンを食べて。そうやって呼吸を整えて、暗渠へ向かったのでした。

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それは唐突に始まるんです。

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反対側はこう。とくに川の匂いはしません。
この暗渠は何者か、というと、記述がある文献は1つだけ。しかも、短い短い一文だけ。

女窪からの流れは、神明中学校の周りを流れて本村橋付近から善福寺川に落ちていた。(「杉並の川と橋」より)

所謂松庵川は、松庵窪の「男窪」からの流れであり、その流れについては当ブログ含めいろんな方が記事にされています。松庵窪とは、甲武鉄道の敷設用土採取跡地から水が湧いたものであり、西荻窪には線路を挟んで南北に2か所あったと言われます。北側にある「女窪」が、今回の水路の水源にあたります。

「女」窪が、現在の吉祥「女子」中学・高等学校の位置にあるということは、おもしろい縁と言えるでしょう。吉祥女子の中には潜入できないままですが、閲覧可能な情報からは内部に池というより噴水のような、人工的な池があることまではわかりました。が、これは、女窪の名残とは関係ないような気がしています。
そして、女窪から流れ出た水は、西荻窪の駅付近で線路を横断して、上記の写真の場所までくるようなのですが、その痕跡はいまではさっぱりわかりません。唯一手がかりとなる地図では、この写真の場所あたりまでの水路が点線で描かれているので、もしかすると最初から暗渠だったのかもしれません。

・・・不確定なことだらけ。

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わからないことばかりではありますが、しっかりと目の前に暗渠の道はあります。両側の地面が高いです。

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苔むしてもいます。

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どこまでもまっすぐ伸びます。

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カワイイ壁がありました。
クリーム、グレー、水色の色合いも、この扉のバランスも。

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まだまだまっすぐ続きます。

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護岸・・・ではないかな。
でもそしたら、この石たちは何から何を護っているんだろう。

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そして唐突に終わります。
ここから道路と混ざってしまい、そしていよいよわからなくなります。

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「現在位置」のあたりがちょうど、よくわからなくなってくる場所です。神明中のまわりを周る、と書いてありましたよね。・・・でも、正直に一番外側を大回りしてしまうと、本村橋には行かないんです。

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学校のプール(とその採水口)というと、暗渠沿いにあることが多いですが、それはココ。で、ココを通ると仮定しても、やはり本村橋には行かなくなっちゃうんです。地形的にもよくわからない、難所だと思います。

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神明中学校とブロックを分け合うのが、この天祖神社です。
神明中学校というより、この敷地の周囲を水路が走っていた方が、しっくりくる気がするんですが・・・。

この、神明中学校周辺(天祖神社の東側、神明中学校とその東並び一帯)には周囲に桜が植えられた馬場があり、ゆえに「桜の馬場」と呼ばれていたそうです。そして馬場の周囲には低い土手があり、土手の両側に深い溝があった、とのこと・・・。この溝は、この水路と関係あったでしょうか。なかったでしょうか・・・。

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よくわからないままとにかく下ってゆき、噂の本村橋のところにある合流口?まで来ました。

もやもやしっぱなしだったので、また別な日に再訪。

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遠目に見た本村橋です。橋名が示すように、この上荻2丁目のあたりは、「上荻窪村本村(ほんむら)」と呼ばれていました。村の中心であったことがうかがえます。
この本村橋付近、以前はいろいろなものがあったようです。

まず、この本村橋付近は通称「橋場」と呼ばれ、洗い場もあったそうです。この地で採れた出荷野菜を洗う場として重要だったそうで、記憶画を見ると、ずいぶんと広い洗い場で、大根を洗っている様子が見られます。

本村橋の上流は通称「榛の木原」で、冬には天然氷を製造していたといいます。
そしてこの写真の左手のどこかに、昭和初期まであった「穴稲荷」は、塚上に稲荷社があり、中腹に横穴(大昔からあったらしい)があり、その穴に榛の木原で作った氷を入れて保存したりもしていたという、実におもしろいところ。残念ながら、いまは跡形もありません。
善福寺川の川沿いの道が、本村橋の付近だけやたら広がっていて、ちょっと違和感があります。ここらへんに稲荷があったのでしょうか。

写真の本村橋の下に、2枚前の写真の合流口がわずかに見えますが、このあたり、合流口が他にもいくつもあるのです。前回あまりに謎が解けなかったので、どこかの年代に下流部が付け替えられて異なる流路になったと仮定して、辿ってみることにしました。

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本村橋から少しだけ下ったところにある合流口の上。奇しくも、ここは遊び場13番です。ただの道路みたいに見えますけどね・・・。
遊び場ということは、暗渠指数が高いはずです。

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おっ、こんなにメタルなマンホールは初めて見たよ?

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遊び場13番からまっすぐ行くと、ここに出ました。神明中学校の門ですが、ちょうど天祖神社の敷地との境目です。水路が天祖神社をぐるりと回ってくると仮定すると、色々とつながってくるんですがねぇ。
微地形専門ではないので足のレーダーが全然機能しませんが、地形的にもここがまあまあ低いような気がします(他の道よりは辛うじて)。

・・・数少ない手がかりさえも、無視するような仮説になってしまいましたが、消えた暗渠の行く末は、”天祖神社の周囲をぐるりとまわり、本村橋よりやや下流で合流する”と考えるのが今のところ自分にはしっくりきています。

ああ・・・もう何か食べよう、そうしようそうしよう。また、本村橋まで戻ります。

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隣の置田橋まで遡ります。この写真のあたりは、かつて田圃があったところ(かつ、上述の榛の木原=氷の製造場所も近い)。甲武鉄道は田圃に盛大に土盛りをして敷いたものなので、それ以前はもっと左側までも田圃だったことでしょう。ここは鍋屋田圃といい、昭和初年頃までそんなふうに呼ばれていたそうです。後述する本村庵蕎麦屋の屋号が「なべや」であったから、とのこと。・・・この田圃の向かいに、本むら庵があります。

・・・本むら庵で、蕎麦をたぐるとしましょう。
本むら庵は、創業大正13年。40年以上にわたり、石うすで挽いた蕎麦を手打ちにし、こだわった美味しいお蕎麦を提供しているお店です。

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入店する前に、うろうろしてみました。お店の裏手がこんな崖だったんですね。

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駐輪場になっている違和感スペースがあり、その先には謎の開かずの扉がありました。一応、このノブを回してみましたが、開きませんでした。

さぁさぁ、この地が本村と呼ばれていた頃のことを想いながら、蕎麦をいただきましょう。季節ものの、桜えび天おろしそば、にしてみました。

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桜えび天っ!!こうくるかー!
桜えびというから、てっきりかき揚げがくるものと信じて疑わなかった・・・。この形状だと、触感がとてもすてきで、一匹一匹の旨味とインパクトが凄いです。蕎麦をぜんぶ食べきるまで、天ぷらは冷めることなくサクサクでした。サックサク。おいしゅうございました!

今回の流路はこんな感じです。不明部分について、水色で薄く記しています。
善福寺川桜の馬場支流(仮)と名付けても良かったかもしれませんが、水源が女窪であることを考えると、「第二松庵川(仮)」と呼びたくなってしまいます。

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これまで、西荻窪の暗渠について、いくつか書いてきました。松庵川城山下支流(仮)、そしてこの、第二松庵川(仮)。
いずれも善福寺川の支流にあたりますが、その他にも共通点があると感じます。それは、ひとつには、文献がとても少ないこと。そして、直線(と直角)ばかりで構成されることです。まだ扱っていませんが、松庵川の排水路的に作られたらしきもう一本も、直線で善福寺川に向かいます。

これらをプロットしたものを見てみると、

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(松庵川の中流部以降はサイズの都合で割愛)
みごとに、曲線部分がまるでありません。実は松庵川の下流部になると、曲線を描く部分が出てきますが。でも、今回省いている、善福寺川の上流部にある他の支流たちも真っ直ぐだし、最上流部にある千川分水から引っ張ってきている流れもカクカク気味なんですよねぇ・・・。いずれも、悪水路、用水路、といった目的をもって、人工的に作られた「らしい」のですが。そうならそうで、もっと情報があってほしいのですが・・・。

もやっとするような、それがたのしいような、謎解き西荻窪。
第二松庵川(仮)、上流も下流も、まったく痕跡をとどめず、ただただ真っ直ぐな一本の暗渠が残るのみの川。
ひみつの多い西荻の川の中でも、もっとも「ワカラナイ」の多い川でした。

<参考文献>
・「荻窪の古老矢嶋又次が遺した記憶画」 杉並区立郷土博物館分館
・「杉並の川と橋」 杉並区立郷土博物館
・「杉並の地名」 杉並区教育委員会
・「杉並の通称地名」 杉並区教育委員会

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