暗渠さんぽのルーツ
なんで、蛙が好きなんだっけ?
緑色好きが先か蛙好きが先か、忘れてしまうこともあるけれど、もともとは緑色。
中学生のときに諏訪湖のほとりで見た、東山魁夷の「緑のハイデルベルク」。
この絵に使われた、緑の持つ豊かさにやられ、そして緑色が大好きになった。
これが、蛙好きのルーツ。
なんで、暗渠が好きなんだっけ?
時々聞かれて、理由が1つではないから、うまく答えられないこともあるけれど、
もともとは地下が好きだったことによる。
小学生のときにやった、龍泉洞の研究・・・、いや、実はもっとさかのぼって、
幼少期にかこさとしの「地球」という絵本の、地下に広がる世界に目を輝かせていた。
つまりはこれが、暗渠好きのルーツのひとつ。
今回GWに帰省して、「地球」という絵本にどれだけ惹かれていたかということを、
あらためて味わったのだけれど、さらに、もっといろんなことが繋がった。
これまた、中学生のときにとても好きになった場所がある。
社会科のグループワークで行った、地元の人もよく知らないようなお寺。
今回、久しぶりにそこに行ってみることにした。
深沢不動尊。山形市のはずれの、山奥の谷戸にある。
立札には「不動明王を祀る、近郊近在になりひびいた古い不動尊。奥の院には多数の石仏あり。八竜川の水源地。」と、ある。
今回車で行ってみて、その山道の長さに驚いた。中学生や高校生だったときのわたし・・・自転車や徒歩で、こんな山道を延々上っていたのか。
このように、清冽な水が流れてきている。たぶん水源はすぐそこ。
谷戸には水の流れる音だけがし、人は誰もいない。
何度来ても、そうだった。・・・誰も来ることのない場所。
石仏だけがある。
足元に目をやると、石段の下からも水が勢いよく湧いている。
朽ちた鳥居。
この上に奥の院があり、そこにあった風景がもっとも好きだったのだけど、通行止になっていた。
この奥では、たくさんの石仏が崖にならび、あちこちから湧水が滴っていた。周辺はこれまでの写真のように、鮮やかな緑に覆われていて。幻想的な石仏群、湧水、緑。
いま見えるこの石段の一段一段も、実は湧水で湿っている。こんなふうに緑と湧水により演出された絶景は、ほかに見たことがないように思う。
これは手水?
参拝客は僅かにいるのかもしれない。
上の写真の、石段の下からもまた、だくだくと水が湧いていた。
駐車のためか、参道にはひそかにコンクリ蓋暗渠もあった。
今回いけなかった、石仏群の写真を載せているサイトが少しだけあった。
深沢不動尊・鬼越
深沢不動尊(←こちらも奥の院に行けていないようです)
滴る水と、緑。緑色好きなわたしにとって、あのときからここは、山形で一番好きな場所のひとつになった。
たぶんこれが、湧水好きのルーツ。
さてまた違う風景。山形市内には歴史ある石積み用水路が何本も走る。
これは御殿堰。と、桜。
洗い場もたくさん残されている。
思い返せば通学路にも、洗い場がいくつかあった(誰ももう使ってはいないけど)。
扇状地だからか、水路はどこも勢いよく流れている。
ほぼ直線かと思いきや、蛇行するところもある。
家々の隙間を縫って、人知れず。
御殿堰は鰻屋さんの横も通り過ぎる。
ここの鰻はなかなかおいしいので、よく出前で食べていたものだ。もしかしたら、この水路で鰻が採れていた時代もあったのだろうか?
鰻屋さんの付近は寺町と呼ばれるところ。
今の町名は違うのだが、旧町名でわたしたちも呼んでいた。今でも、お寺がたくさん並んでいる。
御殿堰は寺町を駆け抜ける。
墓地のなか、ひときわ音が大きく聞こえる気がする。
いま、墓地があったのは専称寺。最上義光が駒姫のために建てたという、山形では有名なお寺。
中学生のある夏、水彩画の宿題が出て、専称寺の境内を描いたことがある。
近所の友人と二人で、この場所に何日も通って、ミンミンゼミの鳴く中、だまって絵を描いた。いや、少しは話したかもしれない、好きな異性のことなどを。
ここ、この水路の縁のあたりで絵を描いたような気がする。
水路は、寺の中を抜けるときは開渠で大きな音をたて、道路を横断するときは暗渠となる。
そのさき、市街地を越えて、西部の田畑のほうへ流れてゆく。
この、御殿堰と、八ヵ郷堰にはさまれた場所に、実はかつての花街がある。
今は飲み屋街となっている。しかも結構好きな感じ。
花小路、という。アーチが架かる。
近年はレトロ飲食街として観光地化し(ようとし)ているようだが、このアーチはだいぶ前からあるように思う。
よくみてみると、ところどころに花街の名残があった。
祖父の時代には、芸妓さんもたくさんいたらしい。
わたしにとっての花小路は、子どもの頃の通り道でしかなく、大人になってからもあまり縁がない。
けど、いつも一緒に登下校していた友人(武井咲似)がこの花小路のなかに住んでいて、わたしは何の男気なのか、より遠方のその子を家まで送ってから帰っていた。だから、たんなる通り道とはいえ、とても愛着がある。
今回、徘徊していたら不思議な並行する水路を見つけた。
ひとつはただの側溝だが、もうひとつは民家の小さなお社から流れ出、下方にある神社(花街のなかの)の脇に抜ける、高いところに人工的につくられた開渠だった。そしてこれは、友人宅の目と鼻の先にあったのだった。
・・・わたし、毎日のようにこれを見ていたんだなあ。けれども、水が流れていたのかいないのか、まったく記憶にない。
さきほどの花小路のアーチの向こうには、「いっせんみせ」と呼んでいた駄菓子屋さんがあった。いまはもう廃業しているが、店の姿はそのまま。幼稚園くらいの頃から、通っていたと思う。
いっせんみせを過ぎ、角の駐車場。
???
この日はこの近くで飲み会。
飲み会はシーロムというタイ料理屋さんだった。
このお店で、高校のとき初めてイエローカレーを食べた。辛くて吃驚したことをよく覚えている。そのときも一緒にいた部活の友人と、「ぐるぐるグルメ」という小サークルを作り、食べ歩きをしていたのだった。ひとりで「山形食べ歩きマップ」を手描きし、市外の友人にプレゼントしたりもしていた。
・・・たぶん、わたしの食べ歩き好きは、このあたりから始まっている(もともとは家族がそうだったからなんだけど)。
あちこちにある用水路。
わたしは、こんな風景を脇目で見ながら、暮らしていたのかもな。
コンクリ蓋暗渠も、それ以上にあちこちにある街。
地下、暗渠、開渠、湧水、花街、食べ歩き・・・、東京で出会って燥いでいたこの風景は、実は故郷で深く付き合いのあったものたちらしい。
そんなことが、今回つながった。
これらすべてが、このブログのルーツ。
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コメント
これは素晴らしい!!
なんと素晴らしいお不動さんなんでしょうか!!
そして、花街の名残りがそこかしこに見てとれる小路。なんともいえません。
こういう美しい記事を一度でいいから書いてみたい。
胸の中がなぜかそわそわしています。
投稿: ジプキン | 2012年5月10日 (木) 02時58分
namaさんのお人柄がグッとにじみ出た記事ですね。
間違いない、いい人だ、とつくづく思いました(^^)
水も豊富で、きれいだし、寺町、墓地を抜ける
流れとかさらさら流れていきたい感じします。
投稿: Bake | 2012年5月10日 (木) 21時46分
>ジプキンさん
ありがとうございます。お不動さまに花小路、好きな風景をほめていただいて、わたしもと~ってもうれしいです!
記事もお褒め頂き恐縮です。わたしもジプキンさんが亡くなったご友人のことを書かれたとき、知らない方のことなのに、胸が熱くなりました。書き手の感情が、伝わってくるということなのでしょうか・・・
>Bakeさん
うひょぉ、そんなことを言ってくださるBakeさんこそが、イイ人なんだと思います~。でも、うれしいのでありがたくおことば頂戴しますw
山形の水路はどこも流れが早めで、さらさらさらーって行ってる気がします。地形的にそうで、市内の場所を説明するときも、東西よりも「上」と「下」でだいたい通じてしまうという・・・。
投稿: nama | 2012年5月11日 (金) 12時55分
先日は会えてうれしかったです。namaさんの記事を読んでいたら、私たちの山形がますます素敵に、そして誇らしく思えてきたょ。こんなふうに、ゆっくりじっくり風景を味わうのもいいものだね。次回はnama&マナティのツーショットを楽しみにしているょ。そして緑・蛙好きとはしらなかった!新鮮。。。私の中のあなたのイメージは、淡~いパステルカラーの紫だから
投稿: マナティママ | 2012年5月12日 (土) 22時22分
>マナティママさん
うわぁ、あのときのURL覚えててくれたの~?また読みに来てくれてありがとう!!わたしも、この趣味を通して、ますます山形が誇らしく思えてきてるとこ。たぶんマナティママのうちのすぐ近くにも、この水路の仲間が流れているはずだよ。
緑好きはねぇ、前面に出し始めたのはたぶん高校以降なんだ。高校のとき、全身緑で行って「ダッセぇ!」と言われたこともありww
・・・夏にはきっとマナティに会いに行くから、ヨロシクね~~。
投稿: nama | 2012年5月13日 (日) 20時28分
なんとか、このブログにたどり着いたよ☆
普段何気なく通ってる花小路のアーケード、路地のネオン♪
小学生の時に、何故か流行ったメンコを買いに行った一銭店も、時の流れとともに忘れてた…
ファインダー越しに覗くと、思い出も見えてくるんだネ!!
投稿: ヨーコ | 2012年5月23日 (水) 01時50分
>ヨーコ
うおお!ありがとー!!
一銭店、まだあそこに、あのままあるんだよねぇ。あの扉は開かないけど・・・でも、建物があるだけでもさ、なんかすごい気がしたんだよね。
見に来てくれて、ありがとね。帰省した後は、山形の記事を思わず書いているような気がする・・・。
投稿: nama | 2012年5月24日 (木) 22時26分