桃園川銭湯巡礼 その2 玉の湯と川名
右サイドバーの「おすすめ本」リンクに、久住昌之「昼のセント酒」を追加いたしました。そりゃあ、暗渠と直接関係あるかといったら、ない本ですが。。。この本との出会いについては、その1の記事の冒頭に書いているように、ちょっと運命的なのでした。
久住氏が、三鷹の銭湯に行く章があります。そこでは、風呂(千代の湯。充実した露天風呂があるし、生ビールやおつまみまで提供している、すんばらしい銭湯!)あがりに、すぐ近くにある古い飲食店のうち、「万平」と「ゴング」を見ています。しかし、久住氏はそこで「万平」を選ぶのです・・・いやいやいや、そこは「ゴング」だろう!!というのが、この本に対する唯一の不満です。わたしは「ゴング」の方に入り、美味いとか不味いとかではなく、「やっぱゴングだよなぁ!」と思ったのでした(ふんいき)。
さて。桃園川銭湯巡礼、その1は水源から天沼までの間の、廃銭湯および現役銭湯について書きました。その2は、ちょっと川を下って、阿佐ヶ谷が舞台です。
阿佐ヶ谷駅北口を出て、目的地に向かいます。今日は、桃園川本流(上の写真)はスルー。
さらに北にある、桃園川北側支流(仮)が今日のスタート地点です。北側支流(仮)と書いていましたが、ここはおそらく桃園川本流の旧流路のひとつでしょう。そう思うと、支流呼ばわりもなんだかな、というのが最近の心境です。(今年のうちに、旧流路についてはまとめたいと思っていますが、もうしばらくお待ちを・・・)
金太郎が居るし、本流の緑道よりこちらのほうが好きだったりします。この日はベンチに小鳥が居ました。一羽は、「・・・ぐぇ。・・・ぐぇ。」と(あんなのは初めて聞いた)、まるで蛙のような鳴き声だったので、わたしもたまらず蛙の真似をしながら、しばし小鳥と会話。
その、桃園川北側支流(仮)の続きがこれ。そして、この流路沿いに富士見湯という銭湯がかつてあったようです。おそらく、右手手前のマンションかなーと。ここから富士山が見えたとは思えませんが・・・もう少し崖上からは見えたのでしょうか?
もう少し先に、K師匠曰くかつて水が湧いた場所というのがあるようなのですが、うろうろしてみても「湧きそう」感があまりわからず・・・
もっと下ります。好きな場所のひとつ。
この北側の流路は特に、コンクリ蓋職人さんの腕が冴えます。
直角、ゆるいカーブ、いずれもきっちりぴったりと蓋の間の処理が施されています。
さあ、もうすぐ玉の湯です。今日の目的地!
このコンクリ蓋暗渠は、玉の湯に向かう参道なんじゃないでしょうか。
気持ちが昂ぶります。
玉の湯。
マッサージ風呂や薬湯風呂もあり、サウナもあって、なかなか広い。待合にソファもあるけど、アルコールは置いてないようでした。でも、今日はそのほうがいいのさ。風呂から上がったら、何も飲まないで次の目的地に行くのだから。
・・・なぜ「コイン」が小さいのか。
今来た暗渠みちを戻ります。縫い針車止め・・・ふふふ。
タオルを手に持って、ひらひらさせながら歩けばちょっとだけ乾くし、いい感じ。
到着したのが川名です。まず、「焼鳥割烹」って謳っているのがいいです。割烹といっといてこの外観なのがさらにいいです。もう少ししたら、店先でもうもうと肉が焼かれることでしょう。
この、まだまだ明るいうちにってのがまた、いいです!
川名と言えば・・・、
食べものの印象より、壁に並んだこのオヤジギャグの印象しかありません。・・・下ネタ多いな。
むしろ、もっともっとたくさん貼られていたと思っていたんですけど、記憶が変化しちゃったのかなあ。でも、前は貼ってあったギャグが無くなっているような気もするし。来るたびに増えてたり、張り替えてあったりしたらまた面白いんですけどねwそんなことはないようです。
さー、ビールを飲もう。
なぜか、つきだしはフルーツ。オレンジがきたけど、向かいのテーブルにはぶどうも置いてありました。
ビール、ごくごくー!うめぇー!
焼鳥を待つ間、とりあえずと頼んだ煮込みが妙においしかったです。ごぼう、にんじん、大根、こんにゃく、ほかにもさまざまな野菜が入っていて、深~い味。
で、焼鳥盛り合わせ。ん~、うまい。うまいうまい。
たしかメニューの中で高いのはお茶漬けやゴーヤチャンプルーなどの5~600円台のもので、基本的に100円~300円台で、コスパもなかなか良いと思います。
まだ18時にもならないうちに、席がほぼ埋まって、愛されてる感じがしました。
今回の行程は以下。川名も玉の湯もばっちり暗渠沿いです。
阿佐ヶ谷の地図って、ぐねぐね道がひときわ多くって、ほ~んと見惚れちゃう・・・。
銭湯排水が河川に流されていたその昔。いま歩いてきた川には、蔦の湯の、藤乃湯の、庚申湯の、富士見湯の、そして玉の湯の、排水がどぶどぶ流れていたのかもしれない・・・。冬には湯気が立っていたかもしれない。5軒分の銭湯のお湯。それっていったい、どれだけの人が使ったことになるんだろ?・・・上流から、銭湯のことばかり考えながら下ってくると、そんな排水まみれの想像もしてしまう。そしてビールの泡となる。そんな銭湯と、お酒の旅でした。
つぎは、さらに桃園川を下って、高円寺にまいります。
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コメント
稲荷神社支流にある廃屋は、昔銭湯だった場所です。いつ無くなったかは覚えてませんが、昭和40年代までは存在してました。
投稿: | 2013年1月31日 (木) 17時14分
>?さん
コメントありがとうございます。
稲荷神社支流というのは、馬橋稲荷神社支流のことでしょうか?となると、「長寿湯」という銭湯が支流沿いにあったらしいです。仰っているのは「長寿湯」でしょうか?例によってわたしの持っている情報は正確な場所まで特定できるものではないので、長寿湯の場所=今は廃屋、とうかがえただけでもとても貴重です。ありがとうございました。
いまは本流沿いを下っているので紹介しませんが、終わったら支流の銭湯跡を書きますので、そのさいに紹介させていただきます。あらためて、ありがとうございました。
投稿: nama | 2013年2月 4日 (月) 23時28分
コメントしたものです。
長寿湯だった気がしますが、記憶が曖昧です。改めて航空写真を見てみましたが、廃屋からそのすぐ東側にある水路と平行してる道路までの敷地が銭湯でした。また、昭和38年の航空写真を見てみるとこの敷地にある屋根と高円寺の弁天湯の屋根が同じに見えます。銭湯なので建物の作りが同じだったのでしょう。
投稿: | 2013年2月 5日 (火) 22時28分
>コメントをくださった方
昭和38年の航空写真、見てみました。思わず「これか!」とつぶやいてしまいました(笑)。なるほど弁天湯と同じに見えますね。長寿湯があったとされる番地でした。今度また現地で確かめてきたいと思います。本当にどうもありがとうございました!
投稿: nama | 2013年2月12日 (火) 19時10分