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梅見る暗渠、清水口支流(仮)

今回は、千川上水から杉並方面を潤すために分水されていた、六ヶ村分水(当ブログでは千川分水と表記)のひとつを辿りたいと思います。

六ヶ村分水については、すぎなみ学倶楽部に図入りで説明があります。
それを参照すると、これまで当ブログでは、切り通し口(井草川上流として紹介)、四面道口(四面道口からの田用水として紹介)、天沼口(桃園川上流、追分用水として紹介)、阿佐ヶ谷口(相澤堀として紹介)については記事にしています。今日は、残るもののうち、清水口から分水されているものについて扱おうと思います。

なお、リバーサイドさんがこの暗渠を妙正寺川の四面道支流として紹介されていますが、上記の「四面道口からの田用水」(これは四面道から南側へと流れるもの)と区別するために、ここでは「清水口支流(仮)」と呼びたいと思います。

清水口支流(仮)は、千川上水の水を引き入れ、途中であちこちの湧水を合わせ、妙正寺川に注ぐものです。

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四面道交差点の北側に、このような排水場の建物があります。
で、ここが清水口支流(仮)の始点でもあります。・・・ここから入っていこうと思う人なんて、きっとあまりいないんじゃないかな。

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・・・でもね、抜けられるんです。

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入るとすぐに、広さはそこそこあるんだけど、裏道っぽい空間。(リバーサイドさんが通られた時よりも、整備されているかも!)

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放置バイク?が何台か置いてあって。

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おおきな二本の樹木がにょっきり。

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道路をまたぎ、ここからは、少し、入ってもいい雰囲気になります。おさんぽしている方もいらっしゃいました。

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それでも、地面を見ると、ぼさぼさしています。

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少し歩くと、用水路らしく直角に曲がり、車道と合流。道路の妙に幅広い位置を走ります。あの、幅広い場所が終わるところで暗渠が曲がるわけなので、とてもわかりやすいですw

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畑が現れます。とつぜん、ずいぶん大きな畑が出てくるのですが、この畑の敷地も含め、ここらへんは井口さんという名字の家が多いです。・・・そう、井草川のときに書いた、「草分け井口氏」の子孫と思われます。ちょっと古めで立派なおうちだな、広い敷地だな、と思うときには、井口家率が高い気がします。

さて、いま歩いてきている道、住所はずっと杉並区清水です。清水、という名のとおり、以前は湧水が豊富だった地といわれます。
ちょうどいま歩いている付近は、通称「水の出るところ」とか、「清水頭」と言われていたそうです。

そして、この辺の話で、以前から気になっていたものがありました。それは、まいまいず井戸のこと。
荻窪風土記で、井伏鱒二氏が以下のように記述しています。

ところが私のうちの近所の曽我医院のそばに、昔から清水と言われていた大型の四角い古井戸がある。(そのため、この土地を清水と言ったり、清水町と言ったりした)最初、これは丘の斜面にあったまいまいず井戸の枡形の段々を削り取った残欠ではないか。そんな風に言われているそうだ。

これもじゅうぶん、興味を引く記述なんですが、これに対し、

この辺りは井戸を掘るのに苦労する所ではないので何かの思い違いであろう。

と、羽鳥氏が「杉並の川と橋」内で井伏鱒二氏をバッサリ。
このバッサリっぷりがおもしろくて、妙に気になっていた場所でした。

そして、井戸の持ち主と身近な井口氏が種あかしをしてくれています。
結論から言うと、やはり、まいまいず井戸ではない、ということです。以下、時系列にまとめると、

・もともとは低湿地(3~40坪ほど)にあった湧水池(池は半坪ほど、崖下にあり、細流が流れ出ていた)で、常時清冽な水がこんこんと湧いていた(~昭和10年頃まで)。
・湧水は田圃に使えないので、持ち主の井口氏が南側から土を運び、盛土をして畑に作り替えた。その時に、池に大きな土管を埋め込んで、湧水を小川に流した(昭和10年頃)。
・昭和23年、通りがかりの祈祷師が、「これは水の神に対する冒瀆だ」的なことを言い、確かに家には長患いの者が居たので、泉を復元することにした。そのさい、土を取り除き、土止めのために漬物石を円形に積み上げたすり鉢状の形とした。

こういった経緯で、井戸にしてはちょっと気になる形状のものが、この地に生まれたわけです。通りがかりの祈祷師っていうのがまたおもしろい!

その井戸が、こ・れ・だ。

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確かに、石で覆われた穴がそこにあります。覗き込んでみましたが、残念ながら湧いているさまは確認できませんでした。というか、水面が見えませんでした・・・。
前出の井口氏は、平成7年の清掃時に湧き出るさまを見た、というので、普段は蓋をされるなどして、水面は見えないのだろうと思います。
平成7年時点での湧水量は、「10リットル入りのバケツを満たすのに約10秒」・・・たのもしい湧きっぷりですね。いまも、こんこんと湧いているといいのですが。

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井戸があるのが、その竹林の中。すぐ下を支流が流れます。車止めが見えている道が清水口支流(仮)です。
つまり、この井戸で湧いた水は、清水口支流(仮)にすぐに流れ落ちているわけです。今こんこんと湧いているとしても、すぐに下水管に落とされているということなのでしょうか。

ここで水路は再び直角に折れ、

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また、妙にふくらんだ道路の左端をつたって北上し、右に折れます。

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ちなみに、井戸のはす向かいに井伏氏が書いていた”曽我医院”であった場所があります。70年代の住宅地図では曽我医院は現役でしたが、いまはもう閉めていらっしゃるようでした。

この周辺には他にも、川底からもくもくと水が湧いている場所がいくつかあったといわれます。このように多くの湧き水があったことから、江戸中期頃から「清水」と呼ばれる場所となったのだそうです。

水路では昭和10年頃までは藻エビが採れ、ギンヤンマが乱舞していた、とのこと・・・。

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さ、直角に曲がった後の暗渠を追いましょう。コンクリ蓋はないのですが、車止めがあるのでやっぱりわかりやすいです。この支流は親切でいいなw

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流末が近くなってきました。暗渠は二手に分かれます。

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二手に分かれるとき、目の前にパァッと梅の花が広がりました。
暗渠沿いに梅林。梅見にもいい暗渠かもしれません。季節じゃなくってスミマセン・・・

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そしてこの道のつきあたりで桃井のほうからの流れとあわさり、沓掛田圃を潤し、妙正寺川へと注ぎます。今日はいったんここまで。この続きは、柄杓屋口からの分水、つまり桃井を通る支流のときにでも。

今回の行程は以下です。

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さて、ご飯でも食べましょっか。
荻窪駅に戻って、北口でなにかレトロなものでも、と思っていたら、

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がーん!富士食堂が取り壊されている・・・!!

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荻窪の北口は、どんどん歯抜け地帯になっているのですが、つい先日休業→復活をとげた食堂が、突然消えたことには結構なショックです。

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十八番も開いていないし・・・。カレー腹だったので、タマームというお店でカレーを食べることにしました。うん、これはこれでおいしいんだけど、井之頭五郎のスベッてるときのパターン、みたいな心境です。

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・・・と思っていたら、後から路地内に富士食堂の新店舗を発見しました。ほっ。
まだ開店準備中といった感じでした。

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てづくり感あふれる地図。以前みつけた井戸は、ちゃあんとここに反映されていました!井戸は3つあったから、3つめは新しいのかなぁ?

この路地ももうすぐ失われてしまうのかな、と、お店が減ったことに気づくたびに鳥もと旧店舗の喪失感を思い出します。しかし、やきやや鳥もとのように、古き良き店舗がいったん失われても、近くでまた営業していてくれるってのは、なんだか安心します。富士食堂、オープンしたら食べに行くぞーー!

<参考文献>
井口昭英「井草のむかし」
井伏鱒二「荻窪風土記」
杉並区教育委員会「杉並の地名」
杉並区郷土博物館「杉並の川と橋」

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