江戸川橋の用水路に排水路
牛込川や紅葉川の資料をあつめているとき、気になっていた場所がありました。
それは、蟹川の河口近くに走っているらしき下水路。水道町西側、かつ改代町東側に町境界を示す下水溝があり、神田川に注いでいたといいます。そして、その跡が今もわかるというのです。
・・・ある日、ベジタリアンの友人と江戸川橋の「ボナ!つぶつぶ」という雑穀料理の店に行ったついでに周辺を散策したら、なかなかいい場所だったので、昼間に再訪することにしました。そして、再訪の際に上述の下水路を見てみることにしました。
神田川の、石切橋のすぐ近くです。
・・・って、なんだよ!その下水溝跡って、ボナ!つぶつぶの横なんじゃないか(写真右手が店舗です)。
えーと、言い訳をしますと、つぶつぶでご飯を食べたのは夜であり、わたしは遅刻をしていたので江戸川橋駅方面から焦りながら早足で歩いてきたのであり、この暗渠はちょうどその反対側に位置しているのでした。
ともかく。ボナ!つぶつぶのすぐ横を走っている、水道町と改代町の境(というか、最初の数メートルは新宿区と文京区の区界)である細い細い道。これが実にいい感じなのです。
ざくざくと入っていきます。・・・塀の上に大きなクリップが見えますが、ふとんを干すためでしょうか。
それにしてもひたすら真っ直ぐです。さらに狭まりそうな予感。
ぎゃー!すばらしい!せまーい!!
壁もいろいろ。ちょっとすてきな煉瓦がのぞいていたり。
しかしこの狭さ、境井田支流(仮)に迫るものがありますね。
真っ直ぐはしばらく続きましたが、ちょっと広い道に出ます。
ああ~、もう終わっちゃった。
振り返ります。
しかしその南側にもまだ町境の直線は続きます。
ちょっとの間広い道となって、その先の町境は直角に折れて、蛇行し始めます。
その、折れる場所がここ。さっきまでの細くて良い雰囲気が戻ります。
この下水溝の流路に関する記述は、わずかに次のものだけ。
”流末は築地片町から改代町南側往来を横切り北方向へ直線に流下し東古川町の東境界を通り、江戸川に落ちていた”・・・うぅーん、どこから始まる流れなのかが、よくわかりません。この写真の道はたしかに改代町の南側なのですが・・・。
その南側にある良い感じの道も間もなく終わります。
ん、右側の壁は、なんかの工場?
いえいえ、銭湯でした。竹の湯。
それが、銭湯はだいたい載っているマイ地図になぜか載っていないのです。近辺に3軒の銭湯を見つけましたが、いずれも載っていません。なんでだろう?
竹の湯の向かいあたりで、北から支流のようなものが合流します。
鉄板蓋が少しだけ見えて、あとは植物がのっかっていて、家と家の隙間を走ってくるのですが、1ブロックいったら消えていました。
何かの排水路だったのでしょうか?この近辺は地下水位が高く、水が湧きやすいようなので、すぐそこで湧いていたのでしょうか?
道なりに進むと、伝久寺、田中寺という寺の前をカクカクと通ります。
伝久寺内にはかつて池があり、そこを水源とした小川が北へ流れ、西に曲って蟹川に合流していたという記述もみられます。したがって、この道はその蟹川支流であるようです。その小川は下水扱いとされ、伝久寺前あたりから板や石で組まれた、実にしっかりとした下水遺構が出てきたそうです。
道としてはさっきまでの暗渠とつながっているかもしれないのだけど、こちらは西流して蟹川に向かうという・・・。蟹川の河口近辺には、何筋もの細流がみられるので、いま来た道もなんとなく蟹川につながっている、細流のひとつなのかもしれません。
ブッw
その小川跡にはこんな看板がありました。さすが印刷業の街。付近にはたしかに印刷会社が何軒もあり、フォークリフトが何台も停まっていました。
近辺をフォークリフトが走行するすがたを想像すると、地元の田舎道をトラクターが走っているときのような、妙にほんわかした気持ちになりました。
再び新宿区と文京区の区界に出てきたので、うろうろします。また、横から支流暗渠のようなものがやってきます。
未舗装の道路もありました。ここも水路だったでしょうか。
いま歩いてきた道は、改代町をぐるりと囲んだ道ともいえます。このあたりは、もともと低湿地帯であり、明暦大火の後に居住者の労力により埋め立てられ、畑になった土地です。
改代町にある印刷会社が工場を再建するときに、地下からその埋立の形跡が出てきたそうです。遺構は、赤松材(比較的たくさんの)が交互に縦横に組まれ、その上に塵芥の層があり、その上層に盛土がされていたということです。
あの不自然な真っ直ぐさといい、人の手のかかったものなのでしょう。流路の全貌といい、わからないことが多いですが、ひとまず次の目的地に移ります。
すぐ近くに地蔵通り商店街があるので、浪花家のたい焼きなどを食べつついきましょうか。この商店街、なかなかほのぼのしていて良いです。
地蔵通りの入口には地蔵があり、これは神田川があふれたときに流れ着いたものだといわれるそうです。こんなところにも、川繋がり。
次の目的地は江戸川橋とくくるには少し遠いかも。神楽坂駅のほうが近い、矢来町をめざします。矢来町の西端に、イイものがあるのです。
その、イイものをめざして、夜に徘徊してました。例によって道に迷い、適当に歩いていたら、突然こんな地形が現れたのでした。
ぽっかりとひらけた低地に、お墓が並びます。きっと蟹川が削った谷でしょう。しかし、あまりに唐突で、想像以上に標高差があったので、「うぉー!なんだここ!!」ってバクバクしましたw
あんなものを見てしまうと、崖下がどうなっているのか確かめたくなってしまいます(大抵そこに暗渠があるから)。
崖下に向かうべく、早稲田通りを歩いていると、暗渠好きな人だったらたぶん即座に入りたくなるタイプの道が出現します。
入ります。すると、
その先にこれがあったのでした。
階段界ではきっと有名なはず、マンホール階段。「東京の階段」で一番好きな階段です。マンホール自体が階段になっている、味のある階段。これが見たかった(=イイもの)のだけれど、たまたま暗渠っぽいと入った道にあったので、感動もひとしおです。
・・・ただし、自分が思っていた姿とは少々違っていました。本もしくはリンク先には、古い大谷石の間から雑草の生える以前の姿が載っているのですが、今は写真の通り、すっきり整備されています。
それにしても、なんかここ、暗渠っぽいんだよなぁ。
マンホール階段の上に出ます。崖下だけれども、谷底よりは高い位置にある、ちょっと不思議な道路があります。・・・しかも、奥は行き止まり。
ちょうど近所の方がいらして、目が合ったので、立ち話をさせていただきました。その方の仰ることには、
・この道路は、以前は酒井家の用水路であったと言われる。
・その方が住み始めた40年前には、この道は未舗装で、歩きやすいように石を置いていた。
・この道もそこに下りる階段も私有地である。
・近所(矢来町)で家を建てるときに、地下から用水路が見つかった。
・このマンホール階段は、以前から危ないので、修繕を依頼していたが叶わなかった。震災後にいよいよ歩きにくくなったので、都に言って直してもらった。
と、いうことでした。
マンホール階段が名所らしく、ときどき写真を撮りに来る人がいることもご存知でした。見た目には味があってすてきな以前の姿も、地元の方からすると使い勝手が悪いものだった、ということなのですね。
それにしても、このちょっと高くなっている道がかつて用水路だったとは。たしかに町境になっているし、あり得る気がします。
うん、満足。そろそろお昼ごはんを食べに行きましょう。
江戸川橋の近くの、蕎麦人弁慶で昼からいっぺえ。蕎麦味噌に板わさ。それから日本酒は岩手、あさ開の「水神」。なんとも、暗渠さんぽにふさわしい酒ではないですか。
岩手であさ開に寄ったことを思い出しながら、呑みました。
それにしてもこのお店、ツマミがけっこう充実してるんです。そして、うれしいことに「ちょこっと蕎麦」というメニューがあるのです。そうそうそうそう!それなのよ!飲んで食べたら、〆に蕎麦が欲しいけど、ときにはちょっとで良かったりもするのよ。そしてやってきたちょこっと蕎麦は、しゃっきりとしたおいしいお蕎麦でございました。
呑兵衛の気持ちをようわかっていらっしゃる、優良店でありました。
今回歩いた、江戸川橋あたりの下水溝暗渠と用水路暗渠。どちらも、古地図では水路としては描かれていませんが、町の境として、そしてその雰囲気に水路の名残をとどめており、ちょこっと歩きに相応しいかもしれません。
<参考文献>
神田川ネットワーク「神田川再発見」
伏見弘「牛込改代町とその周辺」
松本泰生「東京の階段」
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コメント
前半の蟹川系の水路は、旧ふろっぐねすとさんが書かれていたのを思い出しますね。
未舗装路のところもたどってらっしゃいました。
確かにこれほど細い暗渠道(って言っていいんですかね)は少ないですが、下町の方に、割とまとまって存在する場所もありましたよ。
後半の「マンホール階段」はちょっと様相が変わってしまって残念です。
投稿: 猫またぎ | 2012年5月 7日 (月) 12時59分
>猫またぎさん
ふろっぐねすとさんの、蟹川のところは見ていなかったかもです。この下水溝跡は、蟹川の支流扱いだったってことなのですかね(嗚呼心からいいらさんの復活を望む・・・)。
「下町のほうの細い暗渠道がまとまって存在する場所」あまり思い当たりません。いつか出会いたいです~。
マンホール階段の整備はわたしも最初がっかりしたのですが、近所の方のお話を聞いてしまうと、あまりがっかりばかりもしていられないなーと思いまして。夜は暗くなるし、歩きづらかったらしいです。
投稿: nama | 2012年5月 7日 (月) 18時44分