去年、花見を兼ねて行おうと思っていた暗渠酒マラソン。
先日、無事に開催することができました。
久しぶりのマラソン記事なので、暗渠酒マラソンの趣旨について再掲しておきます。初回である竜閑川焼酎マラソンでは、以下のように決めていました。
企画コンセプト:(竜閑川の)埋立てられた掘割沿いを歩きながら、飲み屋を飲み歩く。遺構が少ないが飲み屋は建っている、下町系暗渠に対する新しい味わい方の提案。
さらに、細かいルールとして、
・川沿いを逸れずに歩きながら、適当な飲み屋を何軒かはしごする。
・メイン走者は掲げた種類の酒を1杯は必ず飲むこととし、伴走者はそれに限らない。
・つまみは自由。
を、掲げています。
これまで、焼酎縛りの竜閑川焼酎マラソン、ビール縛りの忍川ビールマラソン、を開催しました。そして、藍染川桜酒マラソンは前2回とは異なり、酒の種類で縛らずに「桜を見ながらの酒」、また、青空宴会も含む、という特別ルールとすることにしました。
※後半部では居酒屋に何軒も入ることを考えると、人数は少なめに抑える必要があったので、広く周知できませんでした。
・・・去年、花見どころではなかった春を過ごし、今年、まだ花見どころではない人もいらっしゃるだろう中、いろいろな思いを抱えながら、花見をする人はしたのだろうと思います。
わたしもいろんなことを思いつつも、それなりに準備をし、楽しみに臨みました。
では、マラソンレポートに入りたいと思います。まずは、巣鴨駅に集合。そこから、マラソンスタートです!
源流である染井霊園を目指します。この辺の隠れ名所の一つだと思っている縄ばしご屋さんを通り過ぎ、霊園入口にあった「禁糞」という張り紙に衝撃を受け、のら猫に気を取られ・・・(こんな風になんだかんだと時間を取られちゃうのです)、霊園に入っていきます。
染井霊園の桜は、残念ながらほぼ散っていました。なので、上を見上げても桜色ではありませんでしたが、そのかわり、地面は桜色の絨毯でした。歩いていると、はらり、はらりと桜が落ちてきて、それもまたよきかな。
ここ(目の前の窪地)に長池があり、藍染川の水源となっていた、といわれます。
と、いっても、

藍染川の谷はこんな形をしています。(google earthさんありがとうございます。)古石神井川の谷を間借りするような形なので、源流部が所謂源流部らしいバランスをしていません。
長池は、お隣にある中央卸売市場(巣鴨御薬園跡)の土地までまたがる、大きなものだったようです。霊園には別な場所に丸池もあるという情報もありましたが、今回は突き止められず。
長池のほかにも、このあたりにはかつて至る所に湧水口があり、また、大根の洗い場もところどころにあったということです。今回の地図には載っていませんが、もう少し北にも谷がいくつかあって、川はそれらの水も集めて流れていました。
長池から流れ出す川跡に沿って、歩き始めます。
少し行くと、慈眼寺のところに不染橋の親柱(このまえ谷戸ラブさんが書かれてました)。わたしはマラソンのロケハンに来た1年前、この前を思いっきり通っているのに、見過ごしていました(がくーっ)。そしてその奥にある家のあたりが、少しだけ低くなっています。そこに、かつて釣堀藍染園という釣堀があったといわれます。
さっそく盛りだくさんな最上流部。このあたりは、「池ノ尻」という地名だった時代があるようです。
第一回目の給水にします。
給水ポイント(①)は、かつての海軍火薬製造所→外語大跡地、そして藍染川に西から迫る谷戸(の、公園)。そこで、レジャーシートをひろげ、チャーシューや玉子焼きやおにぎりと、日本酒をやっちゃいます。まだ午前中、11時にもなってないくらい(悦)。(なんと、給水中の写真を撮っていない・・・。)
ささっと飲み食いをしたら、大人な感じでさっと移動。支流が通っていたり、植木屋さんの伊藤伊兵衛宅の池があった場所などもありましたが割愛します。
本流に沿って下っていきます。
やがて染井銀座商店街と流路が重なります(商店街の北に区境があり、そちらも流路のようですが)。
染井銀座商店街は、マンホールが桜型になっているすてきな商店街です。
さっきからわたしは藍染川と連呼していますが、場所によって呼ばれ方が違います。このあたり、即ち上流部では谷戸川と呼ばれていたようです(そして田端あたりまでは谷田川がとても優勢)。でも、ここでは用語の統一ってことで藍染川と呼ばせてください・・・
染井銀座商店街は、猫のたくさんいる場所でした。この猫は犬と向き合ってくつろいでいたのだけど、シャッターチャンスをのがした!犬、逃げた!
さてそろそろ、2回目の給水です。給水ポイントは染井コミュニティ広場(②)。そこはすばらしき猫公園で、ろっちさんもレポートされていました。人なれしているし、とてもかわいい猫さんたち(またも写真を撮っていなかったので、ろっちさんの記事をご覧ください)。
桜もありつつ。缶ビールをプシュッ!と開けて、しばし猫さんとご歓談いたしました。・・・またも、給水中の写真がない・・・orz
ここではそんなに食事をしなかったけれど、猫の引力でなかなか長居した気がします。
で、伊藤つつじ園(崖下湧水をくみ上げた人工池)、染井跡(井戸跡、現染井稲荷)といった湧水ポイントはすっとばし、一行は大きい湧水池があったらしい林武平邸跡地を目指して、本流から逸れます。
商店街から、豊島区と北区の区界に沿って南下します。その道は狭く未整備で、池からの流れはここを通っていたのかな、と思わせるような雰囲気が漂っていました。入口は魚屋さんで、バケツに入ったどじょうを「むかしはこの川で採れてたかな」なんて眺めたり。
そして辿り着いた池跡は、たぶんだいたいここらへん。
左手に崖、そして道は中央のみ緩やかに凹んでいて非常に興奮する眺めでした。汽船会社で富を築いた林家の敷地はとても広く、庭内にはテニスコートと大きな湧水池があったそうです。
もうひとつ、目指した支流がありました。それは、駒込~西ヶ原にあったといわれる小川です。林家の池跡から東に回って、駒込3-6と3-8の間にあったという水源を目指して歩いていると・・・、
突如現れる絶景。支流脇にある、妙義神社の桜のうつくしいこと・・・!
神社のロケーション自体、みごとな岬っぷりで、それだけでもため息が出るほどで・・・。この美しさはこの写真では伝わりませんねぇ。とにかく、藍染川散策をするならば、妙義神社は入れたほうがいい場所です、ホント。
水源は上述の場所で、そのなだらかな谷頭で湧いた水と、津藩藤堂家下屋敷の下水とをあわせ、妙義神社の下を通り、このような狭い、いい谷を通って霜降橋の辺りで藍染川に注いでいたようです。妙義支流(仮)とでも呼びたいところです。
下流には亀の湯というどっしりとした銭湯があり(以前は妙義湯という名だったという)、その脇も小川は通っていたようです。ほかにもよく見ると、お店の名前などに「妙義」が残っていました。
合流地点である霜降橋(霜降銀座のゆるキャラ、しーちゃんもお忘れなく!ちなみに霜降銀座商店街のページは川の情報も多くて秀逸)には、肉のホンダがあり揚げ物がいろいろあります。そこで、次の揚げ物を仕込み、次なる給水ポイントへ。
つぎのポイントは、実は流路を若干逸れてしまう(マラソン的にはダメなこと)んですが、んーーー、まああげ堀とかあったかもしれないしいっか!と、無理やり採用された、東中里公園(③)。またもレジャーシートを敷き、食べつつ飲みつつ桜を愛でます。 Σまた、給水中の写真を撮っていない!
で、青空宴会はこれが最後なので、ひととおり飲み食べきり、また移動します。
つぎなる名所、中里用水ガードを通過。
「用水ガード!!?」と、暗渠のひとびとを盛り上がらせる、ニクい場所。
しかも、ガード脇にはこのような埋め込まれた橋があります。以前HONDAさんが教えてくださって、ずっと見たかったものでした。
今みたいにガードされる前の、もう少しくだけた風景をHONDAさんが記事にしています。
・・・ここまでの行程をいったん地図に示します。(yahooさんありがとうございます。)

木戸邸の池と書かれたものにまだ触れていませんでしたが、ここも割愛してしまいました。旧木戸孝允別邸であり、湧水で池を作り、下水を藍染川に流していたそうです。その湧水池は、木戸邸の敷地が分割された際に3つに分かれ、うち一つにはわずかに湧いていたようですが、近年マンションが建てられてしまいました。
また、左岸にある古河庭園の池も、藍染川の水源のひとつといわれます。
また、駒込には三業地(神明三業地)がありました(往時は400人の芸妓さんが居たものの、戦争を通し衰退)が、若干当時の建物が残っていたらしいんですが、もったいないけどスルー。谷田川通りを下ります。
交差点でもたもたしていたら、昔のことを語ってくれるおじさんがいました。その方は水源も流末も把握していて、そして、はっきりと「谷田川」と仰っていました。「藍染川じゃない」、と。この川のことを藍染川と呼ぶのはもっと下流のほうであり、「ここではそうは呼ばない」という意思が強く伝わってきた瞬間でした。
この近辺(田端)には田んぼが多く、洗い場が5つほどもあったといいます。それから、近デジだと細かい水路があちこちにあったりします。
谷田川通り、というダイレクトな名前の立派な通りもありますが、こんなふうな狭い道の方が実は区境であり、こちらも流路であったようです。
しばし、酒も飲まずに区界を歩き進める一行。
・・・それにしても、時々「あっちに地蔵があったから」とか、「いい看板建築があったから」とかの理由で、あさっての方向に人が消えては、小走りで戻ってくるのが面白かったですww
動坂と交わる地点にはかつて谷田橋という橋が架けられており、それが田端八幡神社(けっこう上)にあるので、見に行きました。ここもHONDAさんが記事にされていますね。
もっと南に行くと、動坂遺跡という太古の湧水点があったのですが、そして谷戸ラブさんお勧めのパン屋さんもあったのですが、断腸の思いでスルー。
さらに下流へ行くとやがて、北区、文京区、荒川区、台東区の区界がぞくぞく現れる場所があって、さらに下ると、藍染川の氾濫をおさえるために大正2年につくられた、谷田川排水路の分岐点があります。”谷田川”排水路、と書かれた文献のほうが多い気がするんですが、その暗渠上につけられた名は”藍染川”通り(&藍染川西通り)・・・荒川区になってくると、藍染川って呼んでも良くなるということなんでしょうか。
その後の流路も、本流は文京区と台東区の境を、そして支流が台東区と荒川区の境を流れます。
それが、ここ。藍染川の別称として「境川(区界なので)」というのがあることを、実感する瞬間です。すぐ西にはよみせ通りが通っているのですが、この細い支流のほうをあえて行きました。
このあたりは低湿地で、本流までの湿地帯が蛍沢と呼ばれていたようです。その名の通り、蛍の名所とされ、藍染川の別称として蛍川というものもあります。また、シジミ川とも呼ばれるほど、シジミが採れていたそうです。
うろうろしていたら、大使館というすばらしく気になるお店がありました。ここで給水できたら良かったけど、残念ながら休憩中。「大統領」があると思えば「質屋おぢさん」もあるし、ここらへんはすごいね。
蛍沢からの支流を追っていくと、やがて区界の道ではなくなり、カーブを描いて本流に合流してゆきます。その、流末部分には防災倉庫があったり、この写真のようなあやしい空間に木の蓋?みたいなものがあったり、
こんなふうな余った隙間となり、暗渠らしさがグッと上昇します。
この写真が合流点。もう少し下流に行くと、琵琶橋が架かります。
琵琶橋の架かる道の右岸側には団子坂があり、坂道には細い溝があり、きれいな水が流れて藍染川に注いでいたといいます。坂上の銭湯が捨て湯を流し、あたたかいので、子どもたちが長靴で溝に浸かっていたりしたそうです。
・・・ずいぶんながいこと、酒を飲んでいない気がします。疲れてきたのでよみせ通り沿いにある焼鳥屋Kに飛び込み(④)、喉を潤しました。焼鳥うまかったな、ここ。 ふぅ、写真(略
Kを出ると、すてきな屋根の工場。かつて、リボン工場だったとき、ここから色水が藍染川に排水されていたといいます。
しばし左岸ばかり見てきましたが、右岸にも湧水点があります。
千駄木2~3丁目には崖下の民家が湧水をためた池をつくっている、という記述を2つほどの文献で目にし、非常に見てみたかったですが現存しない可能性もあり、時間もないので割愛。
須藤公園は松平備後守の屋敷跡で、いまも立派な公園です。戦前までは湧水だけで滝ができていたそうです。いまでも湧きそうな地形ですが。
そしてそれよりも気になっちゃったのが、須藤公園脇のあやしい埋め跡。
2個ありました。なんだったんでしょねー?これは。
今見返してみると、縁に水抜きが集中していて、それもなんだか思わせぶり。
だんだん急ぎ足になってきます。元根津(古い根津神社の社地)、海蔵寺といった、過去の湧水ポイントは時間がないのですっとばし、汐見小裏の崖をてくてく歩きます。この崖がまた立派で、大正までは豊富に湧水が滴り、”竹筒を崖に刺すだけで良質の飲料水が得られ、水道不要の地”とまでいわれたそうです。
次は、太田ヶ原とも言われるやや高いところにある湧水池。太田道灌の子孫、太田備中守の屋敷跡であり、大きな池が2つあったようです。その跡は、どうなっているか知らなかったのですが、今はこのようなワイルドな公園として、崖下の池の雰囲気が残っていました!これうれしいなー。
ここから、藍染川に向かってほぼまっすぐに支流が流れ、そこにはウナギが棲んでいて、採って食べたという話まで残っています。
その支流に沿って下り、へび道(へび道の記事はこちら)をくねくね歩いて根津に到着します。

ここまでの行程は、こんな感じです。その後もみどころはあったのですが、以下の要領ですっとばしてしまいました・・・。
時間の都合で、まさかの根津神社の池たちを割愛。それから、根津には明治21年に洲崎に移転するまで、立派な遊郭がありましたが、それにはほとんど触れず・・・。
ひとつ前の記事で書いた、駒込邸内の2つの谷戸のうち、ひとつは藍染川の支谷で、それをせきとめて池にしていた場所がその後東大の野球場になったのですが、スルー。
藍染川の聴き取りをした文献には大概出てくる、「バンズイ(金魚屋で、藍染川氾濫時に金魚が溢れ、近隣の子どもが喜んで掬ったという)」跡地は横目で確認程度。
江戸期に藍染川の水はけを良くするために旗本5人で掘ったという五人堀についてもほとんどスルーで、むしろ根津の路地を練り歩いて孤独のグルメに出ていた「すみれ」を見つけてはしゃいだりしました。すみれで呑めたらすごく素敵でしたが、若干席が足らずに、「(おじさんの)膝の上なら空いてるよ」などと仰る先客の膝の上に同行者の男性が座る図を想像して「ウーン」と思ったりしました。
もう外は暗い。
急ぎ足で不忍池へ向かい、忍川ビールマラソンのときの集合地点で一本締めをしました。これで、2回分のマラソンがつながって、ちょっとうれしかったな。
・・・で、打ち上げは上野の、肉の大山です。最後の給水のみ、写真が撮れていました(涙)。
大山は、とにかく秀逸な店。混んでいたので、入口の立ち飲みエリアで、やみつきメンチ(100円)をパクつきながらハイボールを飲みます。うまいんだこれが!
そして中に入って、また飲みます。
今回初挑戦したのが、プレミアムメガ純ハイ。・・・でっか!
470円ほどで、めっちゃでかいです。持つだけで腱鞘炎になりそう。ってか重いんで持たないで呑んでました。そして濃いww飲んでも飲んでも減らない、果てしない! 最近出ていたジャン酎欲がちょっとおさまりましたw
そして、大山ステーキ。この肉肉しいかんじと、ソースがうまいのよ。われわれ、3回頼んじゃったのよ。それから本日2回目のコロッケも食べなきゃね・・・カレーコロッケもうまいんだね。。
と、まあ、夜は更けていったのでした。
反省点としては、酒マラソンのわりに酒を飲んだくれなかったこと。
よく考えてみたら、酒マラソンはもともと、あまり遺構のない暗渠の楽しみ方として考えたものだったのでした。竜閑川や忍川のように、あまり凹凸のない、どちらかというとオフィス街でやると、ある程度酒に集中できるわけです。それが、藍染川のように遺構も支流もいろいろ楽しめてしまうところだと、寄り道しまくっちゃうわけですよ。。
なので、なんだか中途半端な感じになっちゃったなー、行程が長くなって疲れた人もいたかなー、なんて、反省しております。
この反省を次につなげ、またそのうちに企画したいと思います。ご参加のみなさま、グダグダ企画におつきあいくださり、ありがとうございました!
4/25 HONDAさんのご指摘により、陰影図内の長池の位置、および、第3給水ポイントの記述について訂正しました。
<参考文献>
上村敏彦 「東京花街・粋な街」
菅原健二 「川の地図辞典」
清水龍光 「水」
原祐一 「教育学部総合研究棟地点・インテリジェント・モデリング・ラボラトリー地点の成果 第一節 『向陵彌生町舊水戸邸繪面図』の解読と描かれた施設の検討」
東京大学埋蔵文化財調査室発掘調査報告書10
森まゆみ 「路地の匂い、町の音」
横山恵美 「豊島区の湧き水をたずねて」 豊島区郷土資料館研究紀要第11号
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