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紅葉川をねちねちと歩く 外伝 牛込城のお濠たち

以前、紅葉川の前哨戦として牛込川の記事を書いていました。そして、牛込城のお濠に関する記事も書いてみたいな、などと言っていました。
わたしはお城への興味はさしてないのですが、暗渠の調べものをしているとときどき、そこにあった川がかつてお城の濠の役割を果たしていた、という記述を目にします。とくに中世の城は、周囲の川をよくまあ上手に使うものだと感心するほどです。(ちなみに桃園川にもそういう場所があります。)
そして、その、城に利用されている「川」たちのほうに、どうしても関心が行きます。牛込城も、周囲の自然河川を時には少し手を加えつつも、巧みに使っていたようです。

どれどれ、牛込城を取り囲むお濠たちはどんな面々だったでしょうか。実はすべて牛込川および紅葉川の記事で出てきた川たちなのですが、今回は頭上に城(といっても居館中心の素朴なもの)があったという視点で、読んでいただければと思います。

舞台となる、牛込城近辺の地形はこんな感じです。googleさん毎度ありがとうございます。

Usigomejomap

牛込城を赤丸、城郭をオレンジの点線で示してあります。牛込城の規模や建物の位置などについては、記録がないため不明とされており、文献によっても示し方がまちまちです。これは、比較的広範囲を示している、「牛込改代町とその周辺」内の予想図を参考にしたものです。

牛込城本丸の位置は、今の光照寺一帯と言われます。袋町に位置しており、「袋町」と聞くと低地にありそうに思うのに、高台にあってちょっと意外でした(道が袋小路なのでという由来のようです)

Koshoji

ここが光照寺。城に関するものは、お寺の前の説明板しかありません。

道向かいにある日本出版クラブのほうにも説明版があり、そこには地下三十尺で大きな横穴が発見されたと書いてありました。三十尺?横穴?いったい何だったのでしょうね・・・。

さて、以下、この牛込城を取り囲むお濠を順に紹介します(「牛込神楽坂若宮町小史」「神楽坂界隈」等を参考に)。
まずは北側の濠。

Kita

城の北側に位置するこの谷は、牛込川のものです。
それも、ちょうどお城のあたりは谷が深く、崖がきつくなっています。

Nanzoin

牛込川の水源について明らかになっている情報はまだ一つ。この、南蔵院の本堂前にかつて弁天池があり、そこから流れ出る川だったようです。
弁天堂があり、近くの坂に「弁天坂」の名がついていることからすると、なかなか大きい池だったのかも、とも思うのですが・・・(でも、谷はもっと西まで伸びるのです。別な水源もあったはず・・・)

明治のものでしょうか、南蔵院前を描いた絵には、門前に橋が架けられ、水路っぽいものが書かれているように見えます。
いま、南蔵院の敷地には池はないし、水っ気もないし、とても狭く感じます。

Usigometani

流れ出した先は、こうです。牛込川の谷は、現在大久保通りになっています。道路だけ写すとわかりにくいですが、両側にしっかりとした崖があります。この坂を牛込川は下ってゆきます。川を追うのは、今回は省略。

あ、牛込川の合流口らしきものを見つけたので載せておきます。なんとなく、合流口は今無いのではと思っていましたが、クルーズで神田川限界遡上をしていただいたさいに(onoさん本当に感謝!)、それらしき位置に古そうな穴が開いていたので、これではないかなと思っています。

Usigome_2

雨の翌日だったので、汚水がちょろちょろ出ちゃってますね。。

では、西側の濠はというと、まずこの位置。

Nisi1

ここが短い谷になっています。
ただし、今この谷に道はありません。家々の隙間になっているわけでもありません。

・・・神楽坂近辺をうろうろしていて時々困るのが、区割りの難しさです。この西濠の谷をたしかめるためには、ハイパー☆コの字ウォークをしないといけません。

Sawa_2

この道も、見えている限り交差してくる道がないんです。。。

さて、道路を進んでいくと深い谷があるのがわかるでしょうか。
この谷は写真左にいくにつれて浅くなり、右に行くにつれて深くなります。むかしは南町辺りを水源とし、前出の南蔵院の池に注いでいた沢があったそうです。そして、その沢を濠としていた形跡があると言われています。
水源は現在は住宅街に埋もれてしまい、わかりません。

このへんは閑静な住宅街ですが、ある日ぽつっと「FULL ON THE HILL」という肉まん屋さんが出来ていました。目黒五十番の支店という、かわいらしい店舗(すぐそこに神楽坂五十番があるのにw)。
このときは持ち帰りましたが、その場で食べられるようふかしてある肉まんもあります。野菜がしゃきしゃきする、ヘルシー肉まん!牛込城さんぽのおともにもモッテコイ!です。

Nisi2

そして、今の沢に対してやや西南にずれた位置にあるこの谷。ここがさきほどの沢とつながり、西濠となっていたのではないかという文献もありました・・・そのつながっているかどうかも、住宅街に埋もれて探索が出来ません。

その谷とは、

Sadohara1

開渠に感動していた、砂土原町支流(仮)のことです。

これを下ってゆくと、

Sadohara2

たしかにお濠っぽい?w

南側はこれまでねちねち攻めてきた、紅葉川の谷です。

Minami

いまは外濠通りになっています。
紅葉川跡として紹介していましたが、牛込城があった当時は、ここら辺は沼地であったようです。

Momijie9

城に近づいていくあたりの場所・・・この道の左手に崖があります。

Momijif1

日仏学院の前の崖。こういった険しさが、城の防衛に役立っていたと思うと、現地での感じ方がまた少し豊かになる気がします。

さてさて東の濠は、

Higasi

ここです。
わりと最近に書いた、熱海湯支流(仮)にあたります。

Atami1

この谷底から始まる熱海湯支流(仮)は、”はっきりとわかる濠跡”とまで書かれています。さあ・・・濠の特徴ってどんなものかはわからないんですが(川跡となんか違うのかな?)、

Atami9

石垣の脇を流れて行く、この風景なんてまるでお城の堀のよう・・・とは、思いますw(けれど、牛込城には石垣などはほとんどなかったと言われます;)。
この、石垣の中にあるのが東京理科大学です。

いま牛込城の本丸があったあたりは静かなものですが、それよりやや低い土地に、大きなビルをいくつも持っているのが東京理科大学。その敷地は櫓などがあったかもしれないという、お城の敷地とも重なっているのです。外濠の方向から見上げると、大学のビル群がお城みたいにこの地を陣取っているように見えなくもないというか、なんというか。そして学生たちが城下町を闊歩する・・・

そんなわけで、今回のお食事は理科大学食のカレー。250円でございます。
ベーシックだけど決して軽くはなく、どろり、まったりとしたカレーでした。こういうの、時々食べたくなるんだよね~・・・。

さて、この外伝をもって紅葉川関連の記事はしばらくお休みしたいと思います。紅葉川さん、いろんな思い出をありがとうございました。

Rika

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