桃園川支流を歩く その43 天沼弁天池支流(仮)の上流 &イベント告知
【暗渠イベントのお知らせ】
まずはイベント告知のお手伝いをさせていただきます。3月に、『暗渠散歩会@和泉川 ~ 初心者参加大歓迎!』という企画が予定されています!詳細は、以下。ちゃらぽこさんのページからコピペしちゃいます~。
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3月20日(火・祝日)
和泉川の川跡をたどる 「暗渠」散歩会
時間:10時30分~17時ごろ
集合:都営地下鉄大江戸線・西新宿五丁目駅
参加費:1000円(昼食代・交通費別途)
暗渠散歩家・味噌Maxさんはじめ、暗渠方面の皆さまのプロデュースで、西新宿から代田橋駅付近を流れる神田川の支流・和泉川の川跡を歩きます。
現在は普通の道になっている、和泉川。かつては川が流れていた痕跡をたどり、街の歴史に思いを馳せながら、ランドスケープ散歩を楽しみましょう!!
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参加表明はTwitterやmixi(ちゃらぽこコミュニティ)などで行われています。どちらもやっていないという方は、ちゃらぽこさんのブログ(メール、電話、直接来店などでもOK)や味噌maxさんのブログのコメントでもいいみたいです。
突然ですが、うめわかさん!ここ、もし見ていらっしゃって、そしてご都合が合うようでしたら、ぜひぜひどうぞ~~(参加表明、ここにされてもいいですしw)。暗渠のひとも、暗渠でないひとも、いろんな方が来られるみたいです。ぜひお気軽に!
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さてさて記事のほうは、うふふの桃園川です。
なんともご無沙汰していました、桃園川支流編。
今回は、水源の向こう側にあるちょっとふしぎな支流です。
記憶をたどると、たしか翠月庵さんのサイトでこの支流の存在を知った気がします。
その名は、天沼弁天池支流(仮)。厳密にいうとその上部?
天沼弁天池より下流側の暗渠は見つかりやすいし、何度も歩いているのですが、この上流側にはあるとはあまり想像できないでいました。
天沼の弁天池へまず行きます。天沼弁天池公園。
いま、ここにある郷土博物館分館でおもしろそうな展示をやっています。「荻窪今むかし 荻窪の古老・矢嶋又次が遺した記憶画」というもので、題名だけ見てもピンとこないかもしれませんが、この記憶画自体は杉並の暗渠をさがしていると、文献で何度も見かけるものです。
まだ見たことのない記憶画があるかもしれない。川が描かれたものはきっと複数あるでしょう。生憎ここに行ったのは展示前だったので、そのうち見に行きたいです。
むかしは、この写真の場所も一面の池だったといいます。
今回は、弁天池よりもさらに北へと向かいます。
1ブロック裏に回ります。
たしかにあそこ、少しだけ低いかも。右側に入り込む道が見えて、そこが低くなってるように見えます。
その道に入ると、いきなり車止めが出現します。
蓋などはない、ただの道路ですが、暗渠のようです。
なにものなのか、よくわからない水路。桃園川なのにまだ行ってない支流。ワクワクします。
もうひとつ車止めが出現します。
そして、その左側にとても違和感。
橋跡のように見えます。
ここに橋跡があるのだとしたら、この位置を水が流れていたことになりますね。
これは少し進んで、振り返った図。
残念なことに、さっきの橋跡で痕跡が消えてしまいます。
橋跡から察するに、手前の家が建っている敷地あたりを通りながら、もう少し上流があったのではないでしょうか。
もう少し道なりに行くと、天沼西公園が出現しました。
公園というだけでも過去に池や湿地があった可能性がある気がしてしまいますが・・・、公園の向うに見えるのは東京衛生病院です。この公園と衛生病院の敷地、住宅地図で見るとほぼ一体に見えるくらいの位置関係です。
しめた。マイ地図には衛生病院のところに湧水印がついています。「杉並の川と橋」では、桃園川の水源のひとつに「衛生病院」と書かれているから、以前つけていた印です。衛生病院に池があって、それがこの公園を通り、さっきの水路になっているとしたら・・・なんて、妄想ふくらみます。
けれど、帰って確認してみると、「杉並の川と橋」の本文には衛生病院に池があったなんてことは書かれてはいませんでした。腑に落ちなくて、出所とされている「荻窪風土記」を見てみると・・・正確には以下のような表現です。
教会のカラタチの生垣の入口で落ち合って、天沼八幡様の鳥居の脇にある弁天池のまわりを歩きまわった。一筋のきれいな水の用水川が流れ、それとは別に、どこからともなく湧き出る水で瓢箪池が出来ていた。こういう湧水池は、武蔵野のこの辺には至るところにあるのだと青木が言った。
弁天池と、その近くに瓢箪池があるような表現です。
教会というのは、衛生病院のそばにある教会のことですが、この文章では待ち合わせに使われたに過ぎないようにみえます。そして、この教会(および衛生病院)から、弁天池まではある程度距離があるので、この瓢箪池も、とても衛生病院にあるようには読めないのでした。
桃園川探検の先輩たちが、弁天池と瓢箪池を記入している地図を見せていただきましたが、いまの弁天池公園のあたりに2つ池があるような図でした。
そして、この衛生病院のほうにまで、水路は伸びていないのでした。
でも、この暗渠はここにある。・・・なぜ?
とりあえず病院の敷地まで行ってみましょう。
病院のほうに回っていくときに通りかかった、宣伝の多い氷屋さん。
衛生病院です。・・・ここ、天沼時代になんかの病気で一度お世話になったことがあります。が、そのころとぜんぜん違う!もっと古っぽくて狭い感じがしたのに、あたらしくて開放的になっている!
案の定、池はありません。うーん、ぶらぶら歩いているだけでは、池があったような地形も雰囲気も感じられません。
ちょっと似てるなあと思ったのが、善福寺池の、池よりも上流部にあった水路たち。あれは、千川上水からひっぱってきたもののようでした。
今回の水路も、そうなのか?可能性はあるとは思います。青梅街道を通ってきた千川上水の分水を、四面道のあたりで天沼本通に分水し、それを引っ張ってくることはできるはず。だけど、そんな記述はどこにもないし、すでに近くを通っている追分用水があるわけなので、ここで分水する根拠は弱いし、説得力は低めです。
衛生病院のあたりが湿地帯のようになっていて、そこから水路でもあったのか?とも考えます。根拠がなにもないので難しいけれど、この一帯は地下水堆があることで有名なので、ありえる話かなと思います。
・・・結局、この暗渠もなんだかわからないままでした。また、ちまちま調べておこうと思います。
暗渠自体があまりに短かったので、他に近隣のことをあれこれ書くとしましょう。
道に沿って曲がりながら建つ家。
左側の壁が曲線ぽいのです。
奥まったところにある、さとうコロッケ店。
コロッケと、メンチと、串カツを買いました。紙袋を鞄に突っ込むのがちょっと気になって、ビニール袋は貰えないかとたずねたところ、「せっかくカラッと揚げたのをダメにしないようにその紙に入れてあるから。その紙は油しみないから大丈夫。」というコダワリをうかがえたので、紙袋は鞄に突っ込んだのでした。すると、油はしみないけれど、猛烈なコロッケ臭が紙から発せられ、、マイ地図からはしばらくコロッケ臭がすることとなりました。
コロッケ、うまし。
炒飯の万博。
くりぃ~む煮炒飯。肉ニラあんかけ炒飯。たか菜、めん太、じゃ子炒飯。いろいろあります。万博ですからね。
でも、万博炒飯っていうのはアリなのか?炒飯の万博の、万博炒飯・・・
ご飯は、ここではなくて、結構前からある喫茶店で食べることにしてました。
ことぶき通りのクレエルで、ナポリタン。
クレエル、横を通るだけだと、中には煙草を吸うおじさんがぽつぽつ座って黙々とコーヒーを飲んでいる店、というイメージだったんですが、全然違いましたw
さわやかで明るい雰囲気で、かつ昭和っぽい感じがして、店内は女性客が多かったです。てづくりのナポリタンでした。
このことぶき通りは、かつて近くにあった銭湯「寿湯」からついた名です。
寿湯は、なんと杉並で最初にできた銭湯だったみたいです。いまはもうないけれど・・・ことぶき通りも短いながら味があってすてきな商店街ですよ(だいぶ昔よりも変わっちゃったけれど)。
・・・今回の暗渠、水源が積み残しとなってしまいました。桃園川、まだまだわからないことがいっぱいです。
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
おお!告知ありがとうございます!思いの外集まってますね、人数。いや、楽しみです。晴れることを祈りつつ。
それにしても毎度の暗渠飯、美味そうです。いいですなあナポリタン。最近食べてないです。
投稿: 味噌max | 2012年3月 3日 (土) 21時19分
>味噌maxさん
企画ご苦労さまです~。うん、晴れるといいですねぇ。さすがに気温は上がってくれるでしょう。
ナポリタンて、ふつうのナポリタンと、時折妙に美味いナポリタンがある気がするのですが、今回はふつうのナポリタンでした。←でも、それがいい。
投稿: nama | 2012年3月 4日 (日) 18時06分
はーい見てます!^^呼びかけありがとうございます。
天沼弁天池の下流側は、namaさんの記事を見て初めて歩いた暗渠でしたよ。まだ上側にもありそうなのですね。気になる。
namaさんmixiにいらっしゃいますか?探してみます。
投稿: うめわか | 2012年3月 9日 (金) 17時56分
>うめわかさん
こんにちはー。
上流は気になったまんま、謎のまんまでスミマセンw
mixiは、わたし、やっていないのですよ~~。コメント時にいただいたアドレスに連絡しちゃってもいいかな・・・
投稿: nama | 2012年3月 9日 (金) 21時19分
初めて書き込みます。天沼弁天池支流(仮)のすぐ近所に住んでいます。
我が家は戦後間もない頃に越してきたそうなんですが、祖母がここにはドブ川があって、よく氾濫して何回か家が浸水したと言っていたのを記憶しています。
ただ、それを裏付ける資料は何もないのですが……。自分もここは気になっていて、今日たどり着きました。
投稿: 近所の者です | 2018年7月11日 (水) 23時23分
>近所の者です さま
コメントありがとうございます。
ここでも氾濫や浸水の話があったのですか。何回もとは、大変でいらっしゃいましたね・・・。
また、ここに「ドブ川があった」という証言をいただけるのは初めてかもしれません。お知らせくださり、どうもありがとうございます。
投稿: nama | 2018年7月23日 (月) 18時44分