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田圃の中におけるとんこつラーメンの食し方

今回は、桃園川沿いのちょっとした、ちょっとしたお話。

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東高円寺と中野の間に、田中稲荷という神社があります。
見逃しそうなほどに小さく、ひっそりとした空間ですが、中に入り案内板を見ると、ここが「受持神」を祭神とした旧高円寺村の農家の守り神であることが書かれています。
農家の守り神。きっと重要な場所だったのでしょう。以前は初午の日に家々で赤飯を炊いておむすびをつくり、神前に備えて豊作を祈願していたそうで、案内板によれば今も稲荷講がつづいているようです。一時期近所に住んでいましたが、恥ずかしながら知りませんでした。

また、桃園川沿いに広がっていた水田の中にあったことから「田中稲荷」という名であることも書かれています。

田んぼの中にあるから田中。だなんて、わかりやすすぎるようでいて、実はあんまりわかっていなかったこと。最初にこの田中稲荷の由来を知った時には、「ほう!!それで田中!?しかも、桃園川沿い!」と、ずいぶん興奮したものです。
明治あたりの古地図を見ると、たしかに田んぼの中にお社マークが書いてあります。そして、今自分がいるこの足元にも、田んぼが広がっていた。つまり桃園川の水がここまできていた・・・そう想像するのもまた、嬉しかったものです。

・・・ここら辺までは、すぎなみ学倶楽部をはじめあちこちに書いてあることだし、ちょっとイイ話、として心に留めておくだけだったかもしれません。
が。ある日、たまたま通りかかったら(ってこの道はしょっちゅう通っていた道だったのですが)、・・・田中稲荷の、脇の塀から何かが飛び出している。

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2本、ちょこんとはみ出ている。四角い石のようなものが。

目をまあるくして近寄ります。・・・これ、親柱じゃない?
うおおおお、橋?欄干?残ってるのっ???

小走りで裏に回ってみます。すると、

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あー。・・・。
親柱じゃなかったみたいです。神社の囲いだったようで。こうやって見てもまだ橋っぽいですけどねぇ。

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というわけで、一瞬にして失恋気分なのでありました。
いま、田中稲荷の隣にはこんなふうな駐車場があって、だけど三角でいびつな形をしています。

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gooの昭和38年航空写真を見てみましょう。緑の○の中が田中稲荷です。
当時は駐車場の部分までが境内のようで、さきほどの囲いが現役です。広い空間があり、木々も鬱蒼としています。
ちなみに上部には開渠の桃園川が見えます。タマリマセンな~!

<後日追記>「杉並風土記」に、田中稲荷に関する話が載っていました。
先述の、初午の日の豊作祈願の赤飯のおむすび。これを家に持ち帰り、鶏に食べさせると、鶏が狐に盗られないといわれていたので、近所の方は頂いていたそうです。が、子どものころ、帰る途中に食べて親に怒られた、というお話と・・・
境内の松の木(大正初めに枯れてしまった)に、真夜中に人を呪いながら釘を打ち込むと、呪われた人に災難が起こるという迷信があり、じっさいに釘が何本も打ってあった、というお話。
やっぱり地元の方のお話っておもしろいなぁ。

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いまでも、田中稲荷から北へと歩いていくと、すぐに桃園川に到着します。
稲荷橋が架けられている、今歩いてきた道は、堀之内新道と呼ばれるものです。妙法寺の檀家総代をしていた関口兵蔵というひとが、明治29年にに私財を投じて作ったものだそうです。旧中野駅からここを通り、東高円寺のニコニコロード、蚕糸の森公園の西側を経て、妙法寺の門前まで続く道。

中野の方にはY字路があり、「ほりのうち道」と書かれた石碑があるので、堀之内に行く道なのだということは、なんとなく思っていました。
この付近から中野駅に行く場合、大久保通り→中野五差路→駅前、という経路と、この堀之内新道→桃園通り→レンガ坂→駅前、という経路がありますが、この付近の歴史を知らなかった頃から、わたしはなんとなく後者が好きで、そちらばかり通っていました。前者の方が高低差が少ないにも関わらず、です。
なんとなくトコトコと、まぁるい坂道を上りながら、駅から離れた細道になぜかある商店街、古いお店たちの跡、中華屋さん、飲み屋さん、おせんべい屋さんをのぞき、井戸をながめ、桃園通りやレンガ坂の賑やかな道を闊歩する。・・・なつかしさや、ほんのりした温かさがある道。実はその道が、明治~昭和初期のひとたちが旧中野駅と妙法寺を往復していた道だったのでした。

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さて。
田中稲荷に戻ってきましょう。
実は、田中稲荷のすぐ隣に、好きなラーメン屋さんがあります。その名は「ばりこて」。

ラーメンの好みって特に分かれるものだと思うけれど、わたしにとっては、おいしいとんこつラーメン屋さんです。今日は、ばりこてラーメンのnama流食し方をお目にかけましょう。

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頼むのは必ず「博多ラーメン」600円也。麺は「ばりかた」で。

一杯目は、にんにくを匙に一杯入れ、食します。
にんにくを混ぜたら、数枚入っているチャーシューたちを麺の下に押し込み、とにかくズルズルと麺を食べます。一心不乱に。隣人と会話するなんてもってのほか。TVに気を取られてもならない。

麺が半分になったら、替え玉のことを意識し始めます。

心の中でカウントダウンをしてゆき、残り三口ほどになったなら、

「すみませ~ん、替え玉、”かた”でお願いします。」

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替え玉はすぐさまやってきますが、その間に残りの麺をすべてすすり、すすったなら、目の前にある「すりごま」をおもむろにつかみます。一匙、二匙、三匙・・・、五匙ほどでしょうか、「胡麻ラーメン」になったなと自分で感じるまで、すりごまをふりかけます。

替え玉をスープに流し込み、上からもすりごまを少しふりかけ、胡麻ラーメンぽさを向上させます。

そして、替え玉をすすりはじめます。今度は、チャーシューを少し食べても良い、と自分に許可します。チャーシューは大事に、麺の合間合間に三枚ほど食べます。

さて、さきほどと同様、途中から次なる替え玉のタイミングを意識します。

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同じ要領で「かた」を頼みます。お腹がいっぱいになりそうなら、「替え玉、半分、かた」にします。ここは「替え玉半分」があるのですばらしい。

またも、待ちながら麺をすすり、次は「高菜」を少々、スープに混ぜておきます。ここの高菜は、けっこう辛いので、たくさん入れてしまうとスープの味が帳消しになるので注意。
いよいよチャーシューは全部食べてしまい、替え玉があるからと控え目に絡ませていたスープも、もう麺に絡ませ放題です。

こんなふうに味を変えながら3杯たのしみ、満足したならすぐに帰ります。並んでいることもあるお店なので。。

ほか、280円で博多らしいおつまみがいくつかあるし、餃子もあります。これらを先に呑みながら食し、〆に麺を食べるという手もあります。
けっこう遅くまでやっているので、終電で帰ってきてここで〆る、なんてこともありました。

・・・なぜ神社の話から、ラーメンについて力説する流れになっているのか。それは、ここにラーメン屋さんがあるのだから、仕方ありません。
今は駐車場とラーメン店に挟まれ、小ぢんまりとしている田中稲荷社ですが、むかしはひらけた土地の中に、堂々と建っていたことでしょう。それを想像しつつ、
「嗚呼、むかしはこの足元にも、桃園川の水が流れていた時期があったんだなあ~~」と思いながら、「すみませ~ん、替え玉、”かた”で!」なんて言うのも、オツじゃあありませんか。

ちなみに、田中稲荷は高円寺天祖神社の境外末社であるとも書かれています。高円寺天祖神社の周辺にも桃園川の水に関するお話がありますが、それはまたの機会に。

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