桃園川銭湯巡礼 その1 藤乃湯とやきや
蓋コレクションに追加するのを忘れていた蓋が19枚あったので、さらに追加しました。→蓋コレクション館
どうやら撮影順に並ぶようなので、新しく追加したものが下の方にある場合もあります。今回追加したものは、日野、益子、松本、大田区、川崎あたりの蓋たちです。また、写真をクリックすると場所や蓋の説明(?)が出てくるので、ぜひ1蓋1蓋ご覧いただければと思います。
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さてさて。
待望(←自分にとって)の新シリーズの開始でございます。
その名も、桃園川銭湯巡礼。
桃園川沿いを本流支流と歩きつつ、かつて川べりにあった廃銭湯、そしていまも活躍している銭湯をひとつひとつ楽しんでゆく。に、とどまらず、「風呂あがりに一杯」を楽しめるお店も、あわせてご紹介しようってな企画です。
ちょうど、この企画を思いつき、第一弾を実行しようとしていたまさにその日(タオルと風呂グッズを持参して出勤)。友人がわたしに「好きそうだと思って。」と、贈ってくれたのが”昼のセント酒(久住昌之著)”。それが、ちょうど手元に届いたのです。そのような本が出版されていたとはつゆ知らず・・・いやいやいや、好きなの好きじゃないのって、まさに今晩、タオル持って銭湯行って一杯ひっかけようとしてるから!うおー!!なにこのシンクロニシティ!!
と、かなり興奮しまくったんですが、生憎その日は猛烈に寒い冬日となってしまったのでした。だからね、初回は銭湯、入ってないんです・・・呑んだだけ。
ゴホンゴホン・・・でも記事は決行します。まずは、桃園川本流を上流から河口まで行ってみたいと思います。
となると、降り立つは荻窪の駅。
桃園川を、千川上水の分水の分流地点からたどります。
教会通りとの交差を経てまもなく。
かつて、この水路沿いに「蔦の湯」という銭湯があったと言われます。
このタイル張りの道が追分用水ともいわれる桃園川の最上流部のひとつにあたる暗渠みちで、道路右側に蔦の湯がありました。
下流側から見ます(今度は左側が跡地)。銭湯跡っぽさがあまりわからない場所です。残念。
これが、桃園川の最上流部にある銭湯跡となるわけです。
蔦の湯は、井伏鱒二が利用していたといい、没後まもなく廃業してしまったとも聞きます。じっさい、荻窪風土記には、蔦の湯に朝湯に行くという描写が出てきます。
写真右手の一角に、昭和の風情が少しだけ残っていました。荻窪の裏道(暗渠でもないところ)を歩いていると、ときどきそういう場所があります。
つぎ、桃園川をゆるゆる下り、藤乃湯をめざします。
今度は、現役銭湯です。お、煙突がみえてきましたよ。
・・・って、あれ?こんなカタチしてたっけ?違和感ありまくり。
過去の記事を見返してみたら、2009年には煙突はまだこんな感じ。最近あたらしくしたみたいですね。なんだか、ロケットみたい。
表に回れば、以前と変わらぬ姿がそこにありました。
・・・閉まってます。ええ、昼に来たんで閉まってますね。
ええ、夜には行ってないんで中の様子は報告できません(涙)。後日行ったらここに書き足します!
ちなみに今回初めて気づいたんですが、藤乃湯にはお客様用駐車場のスペースもありました。秀の湯で初めてそういうのを見て、随分笑ったのですが。なんだ、頻繁に通っていた道にも同じようなのがあったのか・・・。
もう少し下流の銭湯跡まで見に行きましょう。
支流も元気かなっとパトロールして。結構好きな、天沼二丁目支流です。はい、二丁目さん、お変わりありませんね~。
撫でさせてくれるうえ、ゴロンゴロンしてくれる人懐こい暗渠猫も居ました。ね、こっち向いてる。・・・そんで、もう一匹ソックリなコ写真の右手でちっちゃくこっち向いてるw
このあたりに、かつて「庚申湯」という銭湯があったと言われます。以前地元の方からコメントをいただき、跡地が魚屋さん(写真右)の向かい(写真手前側)であると教えていただきました。このときいただいたコメント、いま見返してもワクワク。
庚申湯は、杉並区の銭湯組合の記録には載っていますが、30年前のゼンリンには載っていません。探してみると、天沼熊野神社社報に庚申湯の煙突が写っている写真が載っていました。天沼には建物がまだまばらで、銭湯の排水が桃園川になみなみと流れていたであろう風景。なんと、昭和8年の写真です。蔦の湯よりももっと前になくなってしまったようです。
この跡地のすぐ南(写真手前側)に、庚申塔があります。ただしこの庚申塔は、もう少し南にあったものを移動したらしいのですが、でもきっとこの庚申湯の名の由来なんだと思います。
さあ、これで廃銭湯と銭湯あるきは終わり。
風呂は入っていないんだけれども、飲み屋に行こう。今回行こうとしているお店は、「やきや」。
なかなかよさげな立ち飲み屋さんです。といっても、わたしは「立って飲むと早く酔ってしまう」という思い込みがあって、立ち飲み屋さんには普段ほとんど行きません。雰囲気は大好きなのですが。
したがって、天沼に住んでいた時代、やきやの看板はほぼ毎日のように見ていたんですが、素敵だなーと思いつつも、素通りしていたのでした。
その看板が指していた店の場所がここらへんのはず。青梅街道と線路の間にあるあの空間。あれー、なんか空き地がとても増えている。その空き地から見える、この風景。
店は見つかりません。
ないぞないぞ、と言いながらも、このあらわになった建物をバシャバシャ。
よくわかっていないけど、ここも再開発されてしまうのでしょうか?駅前にあった頃のとても良い感じの鳥もと。移転した鳥もとに、ようやく慣れてきたのに。2度も追われてしまうなんてことは、あってほしくないなぁ。
えっと、探しているのは「やきや」でした。駅前をウロウロ。
あ、井戸です。以前、満洲会をやったとき、みつけてはしゃいだ駅前の井戸。
ウロウロしまくっていたら、また井戸を見つけました!
いやー、全然気付かなかったなあ今まで。なんて思ってたけど、良く見るとこれとても新しいですね。防災用に新たに掘ったのかな?
おおお、もういっこありました!
この井戸もなんか新しいですね。それにしても、こんな狭いエリアに3つも。しかも実に堂々と井戸があります。うれしくなります。
新しいものだとしても、この界隈の雰囲気にちゃんと合っていて、ずっとそこに居たかのよう。
・・・で、「やきや」が南口に移転していたことが判明しました。北口のこの場所にあることで、なんとか藤乃湯帰りに一杯が成立すると思うんですが、南口に行ったら湯ざめするんじゃないかなぁ・・・ま、いっか。今日は風呂入ってないからw
いざ、やきやです。
どう見ても「パブ ヴァニラ」に負けてます。
新しい看板に店内。でも、暗くて狭くて良い感じ~~。
なんと、ここ、イカ料理専門なのです。それだけでも嬉しいのに、値段がすごい。そのほとんどが170円なんです(号泣)。
これ、ゲソ焼きに、イカさし。おいしいです。熱燗呑みます。マヨネーズつけて、七味振ります。なにこれ幸せすぎる!
入口寄りのカウンターでやってましたが、奥にはとっくに幸せになってる真っ赤な人たちがいっぱいおりました。混んでます。
とくに、このイカのみみが美味かった!ヅケにしてあったのが焼かれて、えもいわれぬ旨さ~~!おやじ、酒おかわり~~!
ほか、売りきれちゃってたけど、イカ大根だって食べたかったし、ゲソ揚げだって美味いに違いないよ。珍味系は苦手なわたしですが、わたあえとか塩辛とかも人気なんでしょうな。・・・すごいコスパです。なぜ、毎日素通りしていたのか、天沼時代のわたしの馬鹿。すごい満足感で店を出ました。
なお、藤乃湯のとなりにも、ごらんのとおり飲み屋さんがあります。
ひとっぷろあびたら、此処でいっぺえ、でも、いいかもしれませんね。
今回の行程はこちら。水色の点線が桃園川です。
あえて桃園川沿いの銭湯しかご紹介していませんが、もっと駅前に、かつて寿湯という銭湯もありました。一応書いとくと、現役でやきやに一番近いお風呂屋さんは湯~とぴあ荻窪です。銭湯料金ではないけれど、湯~とぴあも露天風呂で中央線の音がいっぱい聞けるので、そういう意味では好きだったりします。
次回は、本流下りの続きなので、阿佐ヶ谷周辺を予定しています。おたのしみに~。
・・・しかし、シリーズ開始一回目にして、銭湯特集なのに銭湯に入っていないというこのグダグダ感。・・・だって寒いんだもん!
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