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紙はこぶ、十条倉庫の汽車ポッポ

ご連絡 蓋コレクション館を久々に更新しました。地方の蓋を中心に、11蓋追加されておりますので、よろしければご覧ください。

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さてさて、期せずしてラーメン×暗渠の記事が2つ続きました(ほんとはあと2つあるんですが、置いといて)。今回は、久しぶりの”ゆるやか鉄”記事にしようと思います。
ちょうど、味噌maxさんとlotus62さんが王子・十条の左側をやっておられるので、わたくしは右側をば。

2011年の、5月のさんぽ。王子駅で降ります。
Kita2_2

何度か降りたことはある駅ですが、今回、ちいさな水路が線路をくぐっていることに気づきました。

Kita1

ちょろちょろと水が流れています。

Kita3_2

顔をあげると・・・、このときは、さくら新道もあったのでした。
王子駅のホームから見える、さくら新道のトタンの赤が、良い色だなと思って思わず写真に収めたのでした。

Kita4

ホームから北を眺めます。
JRの線路のとなりに、まるで合成写真のように、セピア色の線路が横たわっています。
これが、本日のテーマ、北王子線(日本製紙十條工場北王子専用線)です。

北王子線は、1927年に須賀線(後述)とともに開業しました。
もともとは「王子製紙株式会社十條工場」へとつながる専用線です。王子製紙の本社は東銀座で見かけましたが、最初は王子にあったわけですね、そっか、そりゃそうか。
今回はこれを、ゴールまで歩いてみたいと思います。

Kita6

では、駅から出て、北王子線に沿って歩き始めましょう。
上を新幹線が走っています。北王子線線路は一番コッチ側にあるので、横目で見ながら歩けます。

Kita7

あれ・・・、線路沿いに、なんだかへんな土地。

Kita8

線路がだいぶこっちに近づいてきます。
JRのほうは砂利がきれいに敷かれているのに、北王子線の線路には草がぼうぼうしてます。自分の鉄度合はそんなに高くないので、そもそも、この北王子線がいま現役なのかどうか、このときは知らずに歩いています。なんでここに来たかったかというと、マイ地図を眺めているときに、ここに引込線を見つけたから。ただそれだけでした・・・。

Kita9

歩道橋があったので上ります。
あ~、良い眺めじゃ~。
あ、そろそろ右に逸れていきそうですね。

Kita10

というわけで、一緒に右に曲がっていきます。
ふと、車止めに目が行きます。水路があったのか・・・?実は、ここに来たいと強く思った背景にあるのは、lotus氏の書いている新金貨物線の記事。この、新金貨物線を通して、わたしは「そうか、貨物線を歩けば、交差する水路跡がぼうぼうとした好い塩梅に残っているのが見られる!」と、一気に貨物熱が上がったのでした。
なので、線路と交差する水路がないか、期待して見てみるんですが・・・、ここはあんまり暗渠サインがないです。。

Kita11

おお、踏切。
この専用線、現役ではあるのだろうな。そんな雰囲気の踏切。

Kita12

凛とした線路。
草が生え、鉄は細くてよれよれに見えるけど、でも迷わず伸びてる。

Kita14

線路も見るけど、暗渠もね。こんなふうに違和感のある・・・水路っぽい土地があって、この延長線上にもあやしい場所がいくつかあって、暗渠かもなあ、などと思ったのですが、よくわからないままです。
しかもこれ、北王子線と交差しないし。そう、新金貨物線みたいに贅沢に水路と交差する線路じゃないのよ、ココは!(ちょっとがっかり。)

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ペコちゃんの飴を舐めます。・・・今回の記事に登場する食べ物はこの飴だけ。
この時期、わたしは胃を壊していて、一日中ろくにものを食べられないという状態にありました。いつもだったら、王子に来たならあれやこれや、ってなるんですが、もちろん酒なぞ呑めません。幸い体は動くので、歩くのですが・・・、そうそう、こんな時期も、あったよなあ。。

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あ、あの奥の建物は。
新幹線で帰省するとき、いつも見える建物。
窓からぼぉっと眺めていると、このカラフルな「木」がとてもよく目に留まって、そのたびに、なにかのホールとかかな、いや駐車場かな、などと、少しだけ想像するのでした。
結局、答えが出ないので、次に目に入ってくる川とか鉄塔とかに意識が行き、この建物がなんだかはわからないまま。そうやって、何年も。

そうか、ずっと気になってたあの建物が、今回のゴール地点なのか。

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ゴールに向かう前に、ちょっとだけ目を東に逸らしましょう。
かつては、北王子線の途中から、同じく貨物線の須賀線が分岐していたといわれます。須賀線は、大日本人造肥料(現・日産化学工業)へとつながる専用線でした。
いやぁ・・・大日本人造肥料ってなんかすごい響き。人造のあたりかな。

須賀線との分岐地点が、いまは公園になっていて、暗渠の公園みたいに違和感ありありな感じでそこにあるんです。その公園を分岐後の位置からみたのが上の写真です。

Kita18

須賀線は向こうに延びていきます。

「北区の鉄道遺産群」という鉄道総合技術研究所の方の講演を、北王子線めあてで聞きに行ったことがあるのですが、「ポニーワンレントラス」というちょっとすてきな言葉は覚えられたものの、北王子線の話はほっとんど出てこなかったのでした。むしろ須賀線のことが少し話されました。須賀線開業時に、「AB10形蓄電池機関車」を新製し用いたそうで、なぜなら須賀線沿いには周囲に火薬工場があったため、スパークすると危ないから。
この線路(今は見えないけれど、想像して)の先には、火薬工場があったんだな~。他にも須賀線が通るエリアには色々な工場があったので、いつか須賀線も歩いてみたいものです。

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北王子線に戻ります。

近づいてみると、建物の壁には白い鳥が舞っていました。
あれ、黒い鳥もいる。

Kita20

ここが到着地点のようです。
会社の門には「日本製紙物流株式会社」とありました。冒頭では王子製紙の専用線だと書きましたが、ややこしいことに現在この場所にあるのは日本製紙物流です。

印刷局に葉書用紙を補給するため明治43年に設立された王子製紙は、戦後の財閥解体に伴い3つに分割され、うちこの十條工場は十條製紙となり、のちに日本製紙となります。その日本製紙がこの工場跡を引き継いだため、現在ここにあるのは日本製紙系の会社になるようです。敷地はもっともっと広かったのですが、1943年に工場が閉鎖し、1976年に団地になったようです。

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外から、中をながめます。

後から知ったのですが、北王子線はこのとき、東日本大震災の影響で運転を休止していたのでした。ここで輸送しているものは、岩沼・石巻の工場で生産された紙なので・・・。

写真の、後ろに積まれている紙たちは、もしかすると震災前のものなのかもしれません。

Kita22

この、機関車たちも、いつまた動かしてもらえるのかわからないまま、じっと待っていたのかもしれません・・・。

ニュースを見たら、北王子線は2011年7月に一部運転を再開(現地の鉄道と工場の一部が操業を開始したため)したようです。朝1本のコンテナと昼に返却コンテナの1日1往復。通常は1日4往復ということなので、まだまだかもしれないけれど、でも再開はうれしい。
その後のニュースが出てこないので、いま北王子線がどのくらい復活しているかはわかりません。

Kita23

外側をぐるぐる歩いていると、ふとこんなのが。

「花咲けば 十条倉庫の 汽車ポッポ」

ふふふ。ほんわかしますねぇ~。

Kita25

ちなみに、時層地図をみたところ、この道をはじめ、周囲にはぐるりと水路があったらしいです。
それから、工場脇に大きな運河のようなものがあったようです。その運河、もともとは「神谷堀(甚兵衛堀)」という、江戸時代に排水を目的として掘られたものが、明治時代に製紙工場の新設に伴い拡張され、物資の搬出先にも利用されるようになった、というもの。
注: 神谷堀と甚兵衛堀は一緒にしてはいけないという記述もwebで見ましたが、ちょっと詳細が分かりません。

進んでいくと、巨大な団地。古地図を見ると、その団地のあたりから神谷堀が始まっていたようです。

Kitaouji

gooの昭和38年の航空写真を見てみると・・・、こんな風に、神谷堀ははじまって、隅田川につながっていたのでした。結構広いですね。

Kita27

今は埋められています。神谷堀の跡を隅田川まで行ってみると、跡地はこんなふうに駐輪場や公園などになっていました。神谷堀公園には、護岸が残っているそうです。
北王子線に交差してくる水路がなかったのは残念だけれど、むかしは北王子線のゴールから、またつながっている水路があった。そこには、東北で作られた紙が運ばれてきてた・・・つながる、つながる。

結構前のさんぽ記録ですが、なんだか、さまざまな思いが去来する記事でありました。   

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7 ゆるやか鉄」カテゴリの記事

コメント

ご紹介感謝です。
貨物線は、この「人知れず」感がたまりません;;;。
そして「日本製紙物流株式会社」の建物ですが、確かに新幹線や宇都宮線から見ていて異様に存在感がありました。
あれだけの好立地広壁面だと、つい「社名や一言なんかメッセージ入れるとかしないともったいないな」なんて思ってしまうんですが、仮にそうなっていたならあれほどまでの存在感は醸せないかもしれませんね。しかもそういうある種異様な(<ほめ言葉)建物が、貨物線ネットワークでいろんなところと繋がっている、っていうのもかなりわくわくします。
貨物線と運河の絡みも面白いなあ。そうか、昭和中期までの運送ネットワークを想像すると、貨物線と運河ってある意味ひと続きだったんですよねえ、たぶん。水と線路で全然道の素材は違うけど、モノがそこをシームレスに動いて・運ばれていたんでしょうねえ。

投稿: lotus62 | 2012年2月23日 (木) 12時20分

>lotus62さん

なぜ社名等を入れないのか、ほんとに謎ですが、でもやっぱりそれがいいですよね、あれは。いつもいつも見てしまいます。
たしかに、少し昔の地図を見ると貨物駅と運河ってだいたいセットですよね。なんだろう、自分が貨物線にほかより強く惹かれるのは、このひそかなる川要素も関係していたんでしょうか。。。

投稿: nama | 2012年2月26日 (日) 21時53分

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