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日本閣と、逃げ出した鯉のはなし

東中野に、日本閣という結婚式場があります。

近くに、暗渠好き・階段好きの方に人気の高い、某階段を擁する暗渠があります。

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この川が流れ込んでいたのが、日本閣の敷地です。

そんな理由だけでも、「日本閣に行ってなにか食べたい。」とわたしを突き動かすには十分でした。とはいえ、都合良く日本閣での結婚式に出られるわけではない。ランチを食べるにもなんか高価だ・・・(美味いとも限らないし)。
そんななか、日本閣のスペースは現在じつはほとんど高層マンションとショッピングモールなのだということをやっと知りました。そして、その中に以前本郷で食べてなかなか美味しかった「栄児家庭料理店」も入っているのだということを、つい最近知りました。

行って、坦々麺を食べねばならぬ。

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JR東中野駅の東口を出ると、もう、すぐに入口です。下に桐ケ谷ガードが通っています。こっち側に来るのは10年ぶりくらいです・・・

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ずいぶんでっかいマンションだなあ。向こう側は神田川。
ま、まずは食欲を満たしましょう。ラーメン!ラーメン!

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汁無し坦々麺。

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まぜまぜ。

山椒が効いて、だいぶビリビリしましたが、ちょうど辛いのが食べたかったので、おいしゅうございました。

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そして伏兵がこれ。
ランチタイムは、水餃子が食べ放題なんです。食べ放題ですよ?(ラーメンと合わせて千円。)ほんで、この水餃子がおいしい!

あー、餃子ってなんでおいしいんだろ。

ゲフー。ごちそうさま!

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日本閣の裏にある大東橋には、年頃の娘は渡るとき振り返ってはいけない(そこで亡くなった女性の霊がついてくるから)などという言い伝えもあったそうで、昔は寂しい場所だったのだろうと思います。
今はなんだか、一帯はぴかぴかで、昔の雰囲気を感じることはできません。この木だけは、ずうっとあったかもしれないけど・・・

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この壁と階段は、やや昔からありそうですね。以前は駅に行くにはここを上って行くしかなかったのでしょうか。

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帰りは、桐ケ谷ガードをくぐって帰りました。先日、HONDAさんが桐ケ谷橋の欄干を発見されていました。この辺りの地名が桐ケ谷だったので、桐ケ谷橋もこのあたりにあったのでしょう。手持ちの資料で、ちょっと南の方の公園にあるらしいことが書いてあったので、そ のうち行ってみたいと思います。

日本閣の歴史はとても面白く、非常に川と縁のあるものです。
大正3年に鈴木磯五郎というひとが釣り堀を始めたのが最初と言われますが、その釣り堀は以下のようなかたちで始まっているのです。以下、地元の方のお話です。

「蚕糸試験場ってね、この2千メーターぐらい行くと農事試験場があったんですよ。そこに大きな池がありましてね、そしてね、雨とか水がでるとね、そこから水が流れ出して、そこのね、魚がみんなわたしの方の池へね、川へね、どんどんどんどん流れ込む。<中略>水がひいちゃうと、こんなでかい緋鯉だとか、鯉がね、たらいに一杯ぐらい難なく捕れちゃう。農事試験場からみんな流れる。
それでわたしんところでね、釣り堀をおやじが始めましてね、あれでも、わたしが覚えましても、三百坪くらいの釣り堀でしたね。それで、こっちの、農事試験場から流れてくる水をね、池へ入れるわけ。」

ところが、エゴの実を使って毒流しをした水が釣り堀に入り、持ち主が懲りてしまう。そこに日本閣創業者の鈴木氏がこの釣り堀をやらせてほしいと申し出、金魚の釣り堀を始める。
「釣り堀しながら、こんだ、お昼になるとお茶を出してた。ね、お茶を出して、こんだ、お昼を出すようになった。なかにはね、「一杯やりてぇんだけど、どうだろう」って。そう言って。「そいじゃ出そうじゃねぇか」って出して。そして、だんだんだんだん伸びたのが、今の日本閣。(「続 中野の昔話・伝説・世間話」より)」

近隣のひとびとは、鯉こくをつくるとき、この釣り堀にバケツを持って鯉を買いに行ったりしたのだそうです。関東大震災以降、畑を売って儲ける農家が増え、そういったひとたちが新井(の花街)から芸者さんを呼んで遊ぶ場所として繁盛したりもしたそうです。

HONDAさんが蚕糸の森公園から小沢川に注ぐ流れがないかと探索されていますが、その元になっているサイト、出典はおそらくこれだと思います。HONDAさんと味噌maxさんがこのことでやり取りしてた気もするんですが、検索で引っかからなかったのでおいときます。

ただしこの物語、このあたりの土地勘がある人だと、引っかかりを覚えるんじゃないかと思うんです。
わたしの場合、まず、「ん、蚕糸試験場に池なんかあったっけ??」
そして次に、「それにしても、蚕糸試験場?遠っっ!」 と、引っかかりました。

まず、蚕糸試験場に池があったかどうか。
現在、池はありますがこれは井戸水をくみ上げて循環しているもの。この地に湧水池があったという記述はみたことがありません。たしかに、蚕糸試験場では多くの水を使うので、排水が気になりはしますが・・・(HONDAさんが歩いた道が排水路だった可能性はあると思います)。
明治42年の地図を見ると、この場所に蚕業試験場はありますが、建物が整然と並んでいるのみで、池は見当たりません。

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昭和23年の航空写真(gooより)でも、池らしきものは東端の丸いものと、入り口付近にありそうに見えますが、いずれも小さく、鯉がいっぱいいるようには見えません。そもそも、ここが溢れたとして、小沢川に流れ込むような川も無いのです。
また、仮にあふれたとしても、東中野に到達するまでにはかなりの迂回を強いられます。以下の地図を見てみてください。

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蚕糸試験場から鯉が逃げたとして、その先は小沢川から神田川と流れて行くのですが、その行程は緑色の点線です。遠!・・・流路はこのように曲がりくねっており、日本閣の場所に鯉が集中して流れ込むのは不自然です。
ちなみに、水色の丸を2つ書きましたが、北側の丸は小沢川蛇窪支流(仮)の途中にあったとされる沼(大正時代のもので、写真も残っている)です。また、この近辺に養魚場があったという話もあります。
南側の丸は神田川沿いですが、いまの中野車庫の位置にも、かつて養魚場があったといいます(3号池まであるなかなか大きいもので、昭和23年頃まであったとのこと)。このような、蚕糸試験場よりずっと神田川に近い位置にも、鯉がいそうな場所はあったのに、話題に出てこないのは違和感があります。

そこで、わたしが考えている仮説はこうです。
蚕糸試験場ではなく、農事試験場だったのではないか。中野の谷戸運動公園のあたりにあった、農事試験場のことです。ここには長いこと池がありました。それから、隣に城山がありますが、城山にはもっと大きな池がありました。そして、この付近を水源として谷戸川が流れており、谷戸川をつたって鯉たちが神田川に行けば、東中野はすぐなのです。

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そもそも、引用したお話においても、「農事試験場」という表現が出てきます。こういった、地元の方のお話は、ときに記憶違い、勘違い、聴き取り違いなどを含むのでしょう。原文の2千メーターという表現は、日本閣と蚕糸試験場との距離ですが、これは後付けではないかと思うのです。
そうすると、「農事試験場からの流れ」は谷戸川のことをさし、谷戸川は神田川の西(旧住所は川添)を北上し、日本閣に注ぐので、なんともしっくりとくるのでした。

ちなみに日本閣、大正3年に「鈴木や」という釣り堀として始まり、大正9年に割烹料理店に、昭和10年に結婚式場になっています。昭和20年に空襲で全焼したものの、同26年には再開、現在に至るということです。

釣り堀はどうなったのでしょうか?
・・・関東大震災を機に、大正13年に阿佐ヶ谷に移転し、現在も「寿々木園」として営業しています。そう、桃園川支流といえる、相沢堀(阿佐ヶ谷川)沿いにあった、あの釣り堀!そういえばあそこは、鯉も釣れるけど、金魚も釣れる・・・東中野の歴史が残っているのだなあ、と、感慨深くなりました。
谷戸川の鯉でもって谷戸川河口ではじまった東中野の釣り堀。その後、阿佐ヶ谷の相沢堀沿いに移転。そう、どちらも桃園川の支流沿いなのです。日本閣と桃園川、実は実は、隠れた縁があるようです。桃園川好きにとっては、うれしい発見、な、おはなしでした。

<参考文献>
「続中野の昔話・伝説・世間話」 中野区教育委員会
「見たい聞きたい記録(のこ)したい-なべよこ観察隊-」
「中野城山居館跡発掘調査報告書」 中野区教育委員会
「青梅街道周辺地域」 中野区教育委員会
「杉並の川と橋」 杉並区郷土博物館
「昔をたずねて」 青少年育成東部地区委員会環境部
「東中野今昔ものがたり」 東中野地域センター
web「すぎなみ学倶楽部」

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