紅葉川をねちねちと歩く その12 熱海湯支流(仮)と温泉山
秋だから歩こうだなんて思っていた紅葉川。気づけば秋も過ぎ、雪も降り・・・、それでもねちねちと、だいぶ下ってまいりました。
前回の、感動の開渠を見た後。南町、袋町と、うだうだ歩いてやってくると、長い下り坂に出会います。坂を下るときというものは、いちばん低いところに川があるはずだと思うので、いやでも胸がおどります。通過してきた「袋町」、池袋的な由来だったら良いのになと思ったのですが、水ではなく道が行き止まり状態だったので袋町、と書いてあるものが多いです。じっさい、大部分が丘の上です。
その、袋町からの下り坂はクランクになっていて、そして、低いほうへ低いほうへと足を運べば、そこにはひとつの谷があるのでした。このT字路が谷として確認できる最初の場所です。
その谷は一本の道になっていて、しっとりとした飲み屋さんが並んでいます。小栗横丁という、名前の付いた通りのようです。
この通りはずっと、両側を崖に囲まれているしっかりとした谷です。その谷底感を味わいながら歩いていると、突然左側に暗渠サインである銭湯が現れます。・・・熱海湯。ふるくて良い雰囲気です。なんとなく名前からして「湯が熱そうだ」と思っていたのですが、実際に熱いみたいですww
そしてこの道、いくつかの資料により、川があったことが明らかになっています。たとえば、「神楽坂界隈の変遷」では、紅葉川下流部にあたる大下水に、神楽坂下交差点のあたりで合流する、”若宮町近辺から流れてくる裏町の下水”として書かれています。
「神楽坂界隈」では、この道を牛込城の東濠とし、”はっきり解る濠跡””湿地的な水濠の可能性””両崖の高さからいって、かなりの水量があったことさえ想像される”などと記しています。前者は江戸期、後者はさらに前のことをさすわけですが、今日見つけた新宿区のwebでも、ここには”片側(北側)に幅一尺ほどの小川が流れており、この地に湧水が豊かであったことの証である”なんて書いてありました。もしかすると、結構最近まで(たとえば昭和まで)小川はあったのかもしれません・・・。地形からしても、細~い谷が結構な崖に対して鋭く入り込んでいるので、湧水量はわりとあったかもしれません。
ここは、熱海湯に敬意を表し、紅葉川熱海湯支流(仮)と名付けてしまいましょう。
熱海湯の裏は、すぐにこんな崖です。熱海湯支流(仮)は、長さとしては短いものですが、谷頭だけではなく途中の崖からの浸み出しなどもあったかもしれませんね。
写真が全然うまく撮れてませんが、熱海湯階段。「東京の階段」にも取り上げられており、この曲がりっぷりが良いと、”景観”で高得点を叩き出しています(「東京の階段」は、紅葉川の谷に絡む階段率が高い気がします、なんだかうれしいです)。階段の上にはちらりと鳥茶屋別館が見えています。鳥茶屋、太~いうどんのうどんすきは食べたことがありますが、むしろお昼の親子丼を食べていません。食べてみたいものです。
それから、神楽坂といえば、花街でもあるわけで・・・この階段を上ったさきに見番があります。今回は写真がないのですが、花街のことを書いたサイトを探すと、写真はいくつも見つかります。たとえば新宿区のサイト。
それから、それから。地元の方の思い出話を集めたものの中に、面白い記述を見つけました。
今の「マサ美容院」のあたりですが、明治も終わり頃まで崖がありまして、温泉山なんで呼んでおりました。今の銭湯とでもいいますか、大衆浴場がありまして前側にはちょっとした休みどころもあり、何となく温泉気分になれそうなつくりで、夏の夕方などは浴衣を貸してくれまして「ええ、ご案内!!」なんて景気のいい声をかけられたものです。
おもて通りには「温泉」って書いた大きな幕が下がってました。階段を上って風呂に行くんですが、この辺の人はたいがいここにはいりに来ました。(「神楽坂界隈の変遷」より)
この温泉山、正確な位置が書かれていないのですが、現在神楽坂近辺を検索すると”マーサ美容室”が神楽坂3-6で出てきます。その位置は丁度、熱海湯支流(仮)の谷から崖を上ったところであり、熱海湯階段を上ったところともいえます。つまり、この場所がかつての”温泉山”であった可能性は高いと思います。
ここからは更に想像ですが、なぜこんな、熱海とは縁のなさそうな場所なのに、”熱海湯”と名付けられたのか、などと考えてみると、もしかすると熱海湯の前身は温泉山の風呂屋だったのではないかと思えてくるのです。場所もほぼ隣。その”温泉感”を引き継ぐべく、熱海と名付けたのではないか・・・想像がふくらんで堪りません。できればお風呂に入りに行って、伺ってみたいところです。
お風呂上りにはちょうどよい、牛乳屋さんもありましたw
この地が「牛込」だったことを考えると、牧場の名残?なんて・・・w
その先、道が新しくなってしまいます。東京理科大がちょうど校舎を新築したばかりです。少し前は、もうちょっと見晴らしの悪い石垣があったような気がするんだけど・・・どうだったかなぁ。とりあえず、熱海湯支流(仮)の暗渠みちが残っていて、ほっ。
もうちょっと下流へ。右側の石垣は理科大のものです。さっきから、大学の敷地に入ってきています。熱海湯支流(仮)は、この道の左側を流れたはずです。
歩けるのはここまで。あと1ブロックで紅葉川本流に合流できるのですが、奥にみえる建物のところで道はストップです。建物の右側にある隙間のあたりを流れていたのかもしれませんが・・・。
その隙間を外堀通りから見てみるとこんな感じ。うーん、ちょっと無理があるかな。ここだけ、名残がなくなっているかもしれませんね。
現在、下水道台帳を見ると、さっきまでたどってきた道の下には下水管がありますが、この隙間のところにはありません。
さてさて、神楽坂までやってきたなら・・・すてきな飲み屋さんはいくらでもあります。その中でも、とくにすてきなのは、有名店ですが”伊勢藤”。このときはつきだしが3つ来たのですが、どれも独創的、そして美味。白鷹を燗で、ゆるゆる呑みました。紹介を見ていると「喋っちゃダメ」なのかと思っていたのですが、お客さんはそこそこ楽しそうに喋っていて、でも心地よい静けさがある、そんな店でした。
今回の行程。熱海湯支流(仮)を緑色で示します。
かつてあったかもしれない、崖上の温泉山のことを想像しながら、熱海湯で湯につかる。風呂上りには、牛込に思いを馳せながら牛乳を飲む。そのあとは、もちろんお酒・・・そんなたのしみが、この一本の支流暗渠の上で味わえてしまいます。
これで紅葉川の支流は最後の一本です。けれど、江戸城ができる前、紅葉川の下流部右岸には、もしかしたら支流があったかもしれません。今は、跡形もないけれど。それについてもそのうち、調べてみようと思います。
支流の紹介はおいておくとしても、もうちょっと、書き残したことがあります。紅葉川の記事は、あと少しだけ、続きます。
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