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2011年11月

堀ノ内支流(仮)のみどころ

実にひさびさ、杉並区に戻ってまいりました。といっても、お得意先の桃園川ではなく、ちょいと尾根を越えて今回は善福寺川の支流です。
なかなか、人気があるようで、
いいらさん 善福寺川堀ノ内支流(仮)
リバーサイドさん 善福寺川の支流を歩く(堀ノ内支流)
猫またぎさん 善福寺川・堀ノ内支流(仮)をたどる

と、リンクさせていただいている方だけでも踏破率が高い印象です。微妙に異なる時期に行かれているため、これらの写真を見比べているだけでも楽しいです。

Hori0 さあ、それではわたしもスタートしましょう。新高円寺の駅から向かいます。

以前、小沢川の支流について書いた時も触れた、ane-cafe。当時はベーグルがなかったので、そんなことを書いていますが、今現在はプレーンベーグルなら売っています。おいしい”へそベーグル”(よしながふみ命名)。ほかにも美味しそうなパンや焼菓子があれこれ。おいしい。五日市街道のほうにひっそりとある名店です。

・・・さて、ここから堀ノ内支流に向かうには、寺町を突っ切るように歩かねばならないのですが、実は堀ノ内支流(仮)の更に支流か、あるいは上流端の可能性もあるものについて、書かれたものを見つけたので、そこを歩いてみたいと思います。

Daiho

地図上、水色の点線の道。(ピンク色のがane-cafeの場所。)
「高円寺 村から街へ」によれば、五日市街道沿いにはかつて、東から西への水路があったというのです。街道沿いのお米屋さんが、その流れで水車を回し、精米していたという話も載っています(その流れは青梅街道沿いを流れる水路からきていると推測されています。そしてこの資料においては、青梅街道を流れる水路=おそらく千川上水の分水の、高円寺周辺での目撃者が複数おり、中野方面まで流れていたとされます。以前、たとえばこの記事のコメント欄などで谷戸っ子さんとともに言っていたことが、当たっていたようだ!と実に嬉しい情報なのでした)。

Hori1

その、五日市街道沿いに大法寺というお寺があります。
大法寺の脇には、こんな風なあやしい道があります。

前掲の資料では、暗渠を随分探索されたであろう方が、この道について”昔水路だったと推定できます”と書いています。

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・・・つまり、根拠が実は乏しいのです。そして、それ以上の情報を今のところ見つけられていません。古地図にも無いし、下水道は途中までしかのびていないし、とくに町境でもない。

一方、両側にもっと太い道があるのに、あえてお墓の間を通る細い道だし、カーブしているし、道端にはやたら水分を補給したような大きな木もある。
慈宏寺満願寺小沢川上流の蓋暗渠、・・・墓地を走り抜ける暗渠って、案外多いと思うんです。

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なので、ここについては白黒つけられないけれど、「ここにあったら良いな!」と思うんであります。

さて、墓地を抜けると、住宅街の道になります。いっきに暗渠感が失せますが、逆にここらへんからこの道は堀ノ内と松ノ木の町境(=暗渠サイン)になるのです。

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こういう道端の違和感、護岸だったらいいんだけどなぁ~~!

前掲の資料では、この道を水路が通って行くと推定し、「堀ノ内小学校へ至りますがこの辺りから台地になるため、小学校の手前で水路は東に折れ更に南へカーブし済美山脇の低地を通って善福寺川に注いでいました」と続けます。水路が折れるくだり以降は、まさに堀ノ内支流(仮)のことです。

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さて。
まっすぐ進むと堀ノ内支流(仮)の始点と思われる場所(というか現在名残のあるなかでは上流端)に近づきます。

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ここここ!

ここが堀ノ内支流(仮)の始まりとして扱われる場所。

あれ、なにか建物が建ち始めているようです・・・。

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ちなみにこれはさらに半年前のここ。
奥まで見渡せますね。

背後に犬がいて、かなり吠えられたことを(しかも唐突に)覚えています。ここに来るビビりな人は、気をつけましょうw

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今の細道を入っていくと、新築のマンションに出会います。
ここに以前、子宝湯があり、何回か利用したことがあります。ふるくて、大きくはなくて、人もあまりいなかったけど、ザ・銭湯という感じで良かったのです。銭湯に向かう道にも味わいがありました・・・。

わたしは最初、堀ノ内支流(仮)は上流端に子宝湯があるので、銭湯の排水路として始まったのかなどと思っていましたがそうではなく、

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「杉並の川と橋」には、”子宝湯脇の低湿地帯(推定)”が水源のように書かれています。

しかし、その湿地帯らしき場所につながる、大法寺からやってきた道から延びるこの細い空間は、もっと上流があるということを支持するかもしれないですね。

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さて、そろそろ川を下って行きましょう。

子宝湯跡地の脇からは、コンクリート蓋暗渠が始まり、猫またぎさんが注目していた車止めが早々に姿を見せます。天沼にも同じタイプを見た、というようなことを言いましたが、良く見ると若干違う
ひとつ前の写真でも、奥に見えてますね。

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コンクリ蓋は道路を横断します。

この風景、大好きです。

なんというか、コンクリ蓋がトコトコ歩いているみたいで。

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さあて、コンクリ蓋は間もなく無くなってしまいますが、道の雰囲気はぐんと暗渠っぽくなります。

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ちょっとほっとかれてる感じもいい。

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きたー、これ、ちょっと嬉しい。

「水路内」って書いてあるの、実は杉並ではまだ出会ったこと無かったのです。
キャッキャします。

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近くには井戸もありました。

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ただただ東へと進みます。

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すると、縦置きの車止めに出会います。
初めて縦置きに出会ったのは松庵川でしたが、さすがにあのときみたいに大爆笑はしません。けどなんだか明るく楽しい暗渠に見えてきますw(まぁあんときは寄ってたりもしたしね。)

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横がちょっと高くなったようで、こういう閉塞感のある場所もあります。

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車止め、縦アンド横。
なんだか、楽しそうですねぇ~この方たちww

(金太郎が残ってた時代だったら、金太郎のダンスみたいになってたのでしょうか。)

Hori19_2

ふとあることに気付きました。

地面をよーーく見てみてください。

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これ、ゆるアスファルト暗渠!

なんと、これも松庵川で初めて見た物件です。
善福寺川堀ノ内支流(仮)、おそるべし・・・松庵川よりもずっと短いのに、松庵川に詰まってるミラクルがここにもある。・・・同じ業者さんだったのか??

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まっすぐ道路、荒玉水道道路と交差もします。

交差した後、暗渠はぐぅっと弧を描き、南へと進路を変えます。
妙法寺前の通りともぶつかり、そこにはこの暗渠最初で最後の給水ポイントw、古めの中華屋さん(ここ何度か一人で行きましたが、酔っ払ったおじさんに絡まれたりしたのでもう行かないw)、和菓子屋さんなどがあります。

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さてだいぶ下流側に来ました。だいぶ幅が広くなります。

このあたり、”堀ノ内田圃”とか、”南田圃”とか呼ばれている場所です。今は家が建ちそうですが、駐車場が並んでいて、1980年代の住宅地図でもここらへんは駐車場でした。田圃→駐車場、と来ているのでしょうか。

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さてもっと下流、というか河口です。

ずいぶん余白のある、違和感空間です。他の方々の記事を見ると、善福寺川のあげ掘と交わる位置だったようです。

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で、ゴール。
整備されてきれいな護岸にのぞく、堀ノ内支流(仮)さんの河口。

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近くには、あこがれのゲルンジー駐車場もあるので立ち寄ります。

泉麻人氏が書いてて気になった場所。

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かつてここにはゲルンジー牧場という牧場があったらしくて、その名残なのか小屋があって・・・という話を読んで、ずいぶん経ってから来ましたが、まだそれっぽい小屋がある!?

なんて、堪能して、お腹がすいたので、善福寺川沿いで鶏の唐揚げを食べて帰りましたとさ。

・・・と、〆たいところではありますが、もう一軒みどころがあるんです。

再度、堀ノ内小近辺まで戻ります。

Matu

場所としては、赤い場所のところ。(堀ノ内支流は水色、子宝湯は黄色で書いています。)

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そこに、なんだか気になるものがありました。

貯水槽?でも、民家に?

なんかの倉庫?でも、こんなコンクリで窓のない?

焼却炉?でも煙はどこから?

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・・・もっとも近いのは、銭湯のはじっこによくあるやつ(あれってなんなんだろ?汗)に見えたんだけど、銭湯にしては、煙突が無いし。杉並区の新旧銭湯はすべてプロットしてあるはずの、マイ地図にも記載がないし。

前にまわってみると、こんな感じ。

うーん、うーん、なんなんだ??

・・・ちょうど、お隣の通路を掃除していらっしゃるご近所のおばあさんがいらしたので、思い切って質問してみました。

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すると、ここはずぅっと昔に閉められてしまった銭湯だ、とのことでした。

その名も、松ノ木湯。
その方のお話によれば、さかのぼること戦時中。徴兵されて男性がいなくなったときに、閉められたということなのです。

なので、貴重な昔の銭湯遺構ということになります。その姿を遺していてくださって、ありがたいことだなぁと思います。

ひとつ前の地図でわかるように、松ノ木湯は子宝湯のとても近くにあります。おそらく、子宝湯は松ノ木湯が無くなってしまったので始められた銭湯ではないでしょうか。その、先に閉められた松ノ木湯はいまもその姿をとどめ、後に作られた子宝湯は最近閉められ、すぐさま真新しいマンションになっている。
そして、この2つの銭湯はどちらも、この堀ノ内支流(仮)の脇にあるのです。

謎の上流端、ふたつの失われた銭湯たち。道路を横断するコンクリ蓋暗渠に、縦置き車止めに、ゆるアスファルト暗渠に、水路と書かれた看板?に、古びて狭い道に、ひらけた田圃跡の道・・・堀ノ内支流(仮)はその短い全長からは想像もつかない、実に多彩な見どころをもった、贅沢暗渠だと思います。

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ゲゲゲの湧水 後編

ひらがなやカタカナで表記された川ってどうも、気になります。川の地図辞典多摩東部編を読んだときには、案の定「マセロ川」がとても気になりました。そのときは完全に「ませろ」と読んでいましたが、今回はじめて正しい呼び名を知りました。ちなみに「マセ」とはなんなのか??・・・残念、由来は不明ということです(この川の流れる佐須村の小字だそう)。自分のあたまのなかでは、間瀬?などと、想像ふくらみます。
なお、マセ口川は、佐須用水、池の谷用水とも呼ばれるそうです。

そんなわけで。引き続き野川の支流、マセ口川水源=都立農業高校神代農場をうろうろします。

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神代農場の湧水池その3です。
これは左岸で少し横に凹んでいる地形のところから、染み出したものが溜まっているようです。鬱蒼とした木々に囲まれて、しぃんとしています。

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これは、左岸側にある水路で、自然の川っぽい形状のものとしては、マセ口川の最上流部といえるかもしれないもの。
木の枠のようなものがついてますが、かなり自然に近い状態の護岸です。

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ここはシイタケ栽培地の脇で、またしてもミニ谷戸のようになっているところです。
奥の谷頭から水が湧き、小さなせせらぎを作っています。写真ではよくわかりませんが、石垣のようなものがあり、その石垣全体からの滲み出るような湧水があるようです。
水量がけっこうあるのと、あまり歩きまわらないよう注意されているので、なかなか奥までいけませんでした。

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そしてその流れが、こうやって続いていきます。

いまはキレイな水がなみなみ流れていますが、渇水期には若干減るのかもしれません。調布市の湧水調査によれば、ワサビ田(前の記事に掲載)の湧水は渇水期にはずいぶん少なくなり、谷戸内の他所の湧水をポンプで持っていったりしているのだそうです。
また別な資料によれば(HONDAさんご提供ありがとうございます)、近年「枯渇、湧出を隔年で繰り返す」という記述も見られます。つまり、こうではない風景の時期があるかもしれないのですが、よく湧いているときに来てしまったためか、ちょっと信じがたいことです。

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下流側を臨みます。
この下に野草園があり、マセ口川はそこを抜けていきますが、残念ながら野草園は冬季閉園中のよう。

ここは水田。すでに稲刈りは終わっており、門から入って少し歩いたところに、収穫した稲が干してありました。

さあ、これで歩けるところはあるいたので、谷から上がります。

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あ、ウコン。
いつもお世話になっております(敬礼)!

神代農場の校舎の前に、レンガのかまどのようなものがあったことを見逃しません。・・・ああ、鱒をあそこで塩焼きにして食べたり、収穫したコメを飯盒で炊いたり、するのだろうか、彼らは。うらやましい!!なんてすてきな学校!

・・・かなり食に意識が行ってしまいましたが。いま見てきた自然モリモリの立派な谷は、「池の谷」と呼ばれていたそうです。

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道を挟んだ向かいに、青渭(あおい)神社という神社があります。
俗称は「あおなみさま」で、いま見てきた「池の谷」は大きな池であったという話があり、それが名の由来とのこと(「調布の古道、坂道、水路、橋」より。但し、名の由来である池の正確な位置は、わからないとも言われている)。
また、深大寺の伝説にある、娘を隔離した島というのも、池の谷だったのではないかという説もあるそうです。深大寺はこのすぐ近くなので、なるほどと思ってしまいます。

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それにしても池の谷の谷頭部分は衝撃的な深さです。

農場の方を見るとこんな。
道路の脇から、突然ガクーー!!と下がっていて凄い眺め。

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さて、一行は深大寺に移動します。
青渭神社から移動して最初に見えるのは、「不動の滝」。

あまり豪勢ではないけれど、口元からしょぼぼぼっと湧水が出ていますね。以前はここが修験道を修める道場となっていたそうで、ここで滝に打たれる人も居たとか・・・今の水量じゃちょっと物足りないかも。

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その流れはここから出て、

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逆川となり野川へと流れていきます。
この川は上流部が西向きに流れているから、逆さという名がついているそうで・・・そんな風にこの先を右折してしばし西流するはずですが、このときは写真奥の暗渠の口から道路を渡って水生植物園へと向かっているように見えました。ああ、本当のとこどうだったんだろ、未確認。

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逆川に沿って、一度水生植物園に入ります。
神代植物公園は有料ですが、支園である水生植物園は無料で入れます。本園が崖の上にあるのに対し、水生植物園は低地の水辺なので、むしろ嬉しいです。

水生植物園の中は、こんなふうに、あまりにもワイルドな状態で逆川の流路が何本か通っています。

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ところどころに池もありました。

なんかこの池、色が独特。
むかし訪れた、福島の五色沼を思い出しました。こんな色をしていたような。

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園内はこうなっています。
アチコチに水路がありますが、これらが逆川。
上に描かれた水路は、深大寺方面から、かなり鬱蒼とした谷川となって(「昔のまま」の景色らしいです)、深大寺城跡の下を通ってやってきます。逆川も、さっきのマセ口川も、下流のほうでは暗渠になるらしく、その風景もなかなかよさそうで、いつか行ってみたいものです。

・・・で、一行はお城の跡に寄って、空堀なども見、蚊に刺されながらちょっと休憩します。深大寺城は位置的にさほど重要でなく、あまり戦で活躍しなかったようですが、逆川やその周辺の湿地を自然の堀とした攻めにくい城ではあったようです。

一行は山を降り、逆川を渡って深大寺の中へと入ります。

調布市の湧水調査報告書(平成20年度)によると、豊水期の計測は平成19年の11月に、渇水期の計測は平成20年の2月に行われています。これらのデータと、平成16年の11月の記録を比較すると、深大寺においては(深大寺自然広場を除く)、平成16年にはあったけれど今はない湧水が3か所。平成20年度に観察された深大寺内の湧水は「そば処湧水北側」「水神苑北西側水路」「深沙大王堂北側」「境内水路」「延命観音堂南側(擁壁から)」「釈迦堂階段下(コンクリの隙間)」「本坊通用門東側(橋の脇、擁壁石積みの隙間)」「不動堂滝口」の8か所のようです。

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ここは「深大寺本堂」とされる場所。
深大寺本堂と元三大師堂の間にある写真の池は、ポンプアップのようです。なので直近の測定では湧水として扱ってはいませんが、「池の底部からの湧水が考えられる」としています。平成16年度の調査では豊富に湧出しているとされています。

深大寺は後方にある国分寺崖線に寄りかかるように建っており、もともとは三十数か所に湧き放題の場所だったようです。

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ここは「深大寺延命観音堂南側」で、池そのもの(も、このパイプの源も)からの湧水とは記されていませんが、池の擁壁からの浸み出す湧水が観察されているようです。
といっても、池自体の透明度もすごい。

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ちょっと奥へ行くと、カワニナやホタルがいるという立て札があり、写真手前から奥に向かって湧水が流れ出している、深大寺エリアでもかなり良い景色の場所が現れます。

このときは緑も生い茂り、流量も豊富で、なんとも安定感がありました。
ガイドさんの話によれば、深大寺の湧水が最も枯れていた時期というのがあって、ここと、前掲の不動の滝の2つのみにまで減ってしまったことがあるのだそうです。しかし、前述のように湧水源が機能し出したことがわかり、ほっとされた、とのことです。
この地点は、そんな枯れた時期にも生き残っていたほど、湧きやすい場所なのかもしれません。

・・・が。

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ここ、2010年の渇水期はこうでした。
ちょうど2010年の春あたりに撮った写真があるので、珍しく定点観測的な写真を載せてみます。

水はあまり流れているようには見えなくて、植物もまばら、石もとってつけたような違和感があって、「だ、大丈夫か、ここ?」「もしくは、いま整備中?」と妙に心配に思ったことをよく覚えています。

だいぶ印象が変わるものですね。

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ここは「深沙大王堂北側」。この池も以前はポンプアップしていたけれど、最近はポンプは使用していないということが聞き取りで明らかになったので、湧水源として認められのだそうです。奥から清冽な水が流れてきており、とても爽やかな感じのする場所でした。

この池のすぐ近くにある日本料理「水神苑」にも滝や池があるけれど、水神苑の滝および水車で使用している水はポンプで揚水したものなので湧水とはしないけれど、水神苑北側の石積みの隙間からは湧水が認められた、とのことです。

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つまりここらへんの湧水は、一度なくなったけれど復活してきているようです。

ひとつ前の写真で流れてきた水は、この池を通過します。流れはゆるやか~なんだけれどとくに汚れずに、澄んだ水が溜まっています。

この場所も、2010年渇水期に写真を撮っていて、

Cho47

撮った位置が違っちゃってますが、同じ池の渇水期の写真がこれです。
実はここ、案内図では「水源池不動尊」として示されているので、その名前からしてかなり期待して見に行ったのでした。それなのに、まるで湧いている様子がなく、淀んだ汚そうな水が溜まっているだけだったので、「だ、大丈夫かここ?」と、やはり心配に思いながら撮っていたのでした。

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こんどは深沙大王堂の脇です。さらさらさらさら流れてきてます。
癒されるばかり。

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その、下流。
深沙大王堂の東側に水路があり、そこを「境内水路」としています。たぶんひとつ前の写真とこれがそうではないかと思います。平成16年度の調査では場所が特定されていなかったもののようですが、しっかり流れています。

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ここは不動の滝と形状が一緒ですが、湧水なのかどうか確認できませんでした。不動の滝よりは多めに流れていますね。

前述のように、深大寺の湧水は一度激減しているので、資料によっては「深大寺を流れる水はその殆どが井戸から汲み上げたもの」という表現だったりします。でも、こうやって、何箇所も復活を遂げていると思うと、少しうれしい気持ちになりながら歩けるような気がします。

「湧水探訪 深大寺」によれば、かつてはここの水は水晶水と呼ばれたほど、とのことです。”雨期になると地面からふつふつと湧くほど”であった、とも・・・。

Cho50

ここは「本坊通用門東側(橋の脇、擁壁石積みの隙間)」ですが、今回の写真ではありません。

2010年の渇水期で、既によく湧いているように見え、むしろ2011年豊水期とあまり湧出量に大差ないように見えます。そんな場所もあるんですね。

Ge51

それから、お蕎麦屋さん・お土産屋さん地帯(たぶん一番混むとこw)に亀島弁財天の池がありますが、この池については湧水があるような記述は見られません。

が、自然に湧水が流れ込むのか、亀島弁財天の池の排水量が、なんだか違うのでお見せします。これ、2011年豊水期。ジョブァー!

Cho51

これ、2010年渇水期。ジョー・・・。

このときの自分はどこが湧水だとかよくわかってなかったんですが、とりあえず水が出てたら撮ってたみたいで、ここも撮ってましたww
流量の違いが面白いです。

Ge52_2

さて、ここで解散です。

蕎麦をたぐって、酒でも飲んで帰るのが理想的と思われますが、わたくしには数ヶ月前から気になっているモノがありました・・・。
じゃーん、そーばーサーンードー。
バンズ型に焼かれた蕎麦、長ネギや紅ショウガやそばつゆ、シソ、味の付いたお揚げが挟まってます。いや、これ結構うまいですよ。あり、あり!!正月にこれのラーメン版、ラーメンバーガーを食べましたが、それよりもこっちのほうが好きです。

Ge53

と、上機嫌でそばサンドをたいらげ、しょっぱいものを食べたら次は甘いもの。

じゃーん、焼ーきーまんじゅうーー。水路を行き来しながら、気になってたのでした。草もち、ふかしたもの、焼いたものと三段階あったので、もっとも気になった最終段階のを食べました。うんうん、おいしい。あったかいし。江戸時代、まんじゅうは温かいものを売っていたと聞くので、こういう感じだったのでしょうか?

Ge54

夕食っぽいものは食べなかったので、バスで吉祥寺に向かい、弁天つながり?で弁天湯のお湯につかり、ハモニカ横丁で飲みました。本当は弁天湯の脇に出来た立ち飲み屋さんに行きたかったのですが、訪れる前に閉店してしまったような雰囲気・・・

ちなみに、わたしは数年前まで、深大寺というのは長野県にあるものだと思っていました(本気)。
いや、行ったことがなくて、スーパーで「深大寺そば」って見たことがあるだけで、そしてTVで中継とかされると、どう考えても都内に見えないわけです。で、そばなので、長野かなと思っていたわけですww
・・・いまでも、三鷹や吉祥寺からちょろっとバスに乗るだけで、あの雰囲気に出会えるというのは、貴重な気がしています。思えば暗渠のことをますます書かなかった今回ですが、次回は杉並に戻って、暗渠探索にはげむ記事としたいと思います。

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ゲゲゲの湧水 前編

復活したつもりが、また休止状態になってしまいました。今年はどうも、そんな感じですみません。そろそろ、またぼちぼち、記事を書いていこうと思います。

さて先日、深大寺の湧水などをめぐるツアーに参加してきました。そんなわけで今日は暗渠よりも湧水のほうが多い記事になると思いますが、さわやかに再開、ってことでw

集合はつつじヶ丘。Ge1

つつじヶ丘となると、手持ちの地図には載っていないゾーンとなり、途端にアウェー感がグガッと増します。

そしたらちょうど、駅前で観光マップを配ってくれてました!わーい!
これ、去年調布を歩いたときにはなかったものなので、ゲゲゲブームの勢いで、きっと最近出来たばっかりってことなのでしょうね~。うれしいです。

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集合時間まで1時間ほどあるので、ご飯を食べます。
いい感じの食堂、「一休」を見つけました!

つつじが「丘」の、「富士見」街、にある定食屋さんです。むかしは、さぞ景色の良いところだったんでしょうね。

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一休の定食、いろいろ迷いましたが、焼きサバにしました。前日寝る直前に読んだ、酒のほそ道で、宗達がさんざん美味しそうなサバを食べていたからだと思われますw

ごはんはがっつり。酢の物もついて750円。満足なお昼ご飯となりました。ガテン系のお兄さんたちがいっぱい来ては(つつじヶ丘の駅は只今新築中)、モツ煮定食にご飯大盛りを食べていくようなところでした。

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そんな感じで元気をもらって・・・、いざ、ツアー開始。
まず、入間川(いるま、ではなく、いりま。imakenpressさんが探求されていました)を渡り、国分寺崖線に沿って歩いてきます。

すごい階段がいっぱい。

テクテクあるき、崖をのぼり、実篤公園へ入ります。

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実篤公園にはいると今度はわりと急な下り坂で、降りると池が見えてきます。

これが湧水池、”上の池”で、感嘆ものでした。写真奥の、囲いがないところがおそらく湧いているところだと思われます。
池の水はぴたりと止まっているように見えますが、みごとな透明度で、水底のザリガニも労せず見つけられます。

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さらにおどろいたのは、池で飼われている魚が、に、ニジマスのようなもの!!
鯉でも鮠でもないんですね、マスなんですね・・・なんてすてきな。

水路にニジマスなどを見つけるとすぐに美味しそうと思ってしまうわたしですが、もし自宅の庭園の飼いニジマスだったなら・・・うーん、それは食えない気がする・・・悶々

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道を挟んでもうひとつの”下の池”のある庭へと移動します。

武者小路実篤は子どもの頃から、水のあるところに住みたいと思っていたとのことです。もともと好きなひとでしたが、もっと好きになりました。

ちなみに、この隣にある実篤記念館に行くと貴重な実篤マンホールが見られるそうなのですが、この日は記念館には寄りませんでした。

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さて、さきほどの湧水池の水はどうなるのかというと。
実篤記念館の前の、この道路を奥から手前に向かって暗渠として流れ、手前にちらりと見える植え込みのある違和感空間を渡って、

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ここ、入間川に流れ込んでいます。

入間川実篤公園支流(仮)って仮に呼んでしまいます。

そうそう、入間川、なぜか最近えいはちさんも書かれてます。えいはちさんは丁度この上流(京王線の線路の北側)のへんな境界線について書いてますが、わたしも今回調布の地図を見てそれが気になってました。・・・最近、他の方のブログもとんと読んでいないもので、帰ってから「あ!」と思ったわけですが・・・

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実篤公園からの支流は、こんな感じで吐口からダバダバーーーっと出ています。いや、ダラダラ―っと、かな。

きれいな水・・・のはずなんだけど、なんかよくわかんない感じになってますねw

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それにしても入間川、ハシゴが鉄製?で、妙にくねってたかと思えば直角に曲がったりして、ちょっと変わり者の印象。
それから、ハシゴの位置が高いのか、妙な圧迫感を感じます・・・

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さて、一行はバスに乗り、深大寺方面へイッキに向かいます。

深大寺給水塔。

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通り道には、深大寺用水の暗渠っぽいものがありましたが、今回のツアーでは完全にスルーです。

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2つ目の目的地はここ。都立農業高校神代農場!

湧水の本にはよく載っており、見学もできるのですが平日なので、いままで「憧れの地」だったところです。
今回は土曜日なんだけれど、特別にツアーごと入れてもらえるのでした。ッシャ!

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高校の敷地は思いっきり谷戸です。この、地図はそのまんま谷戸なのです。

湧水池、わさび田、養鯉場、養鱒場・・・、看板を見ているだけだというのに、このワクワクすることといったら!

ツアーの方いわく、ここだけで4つの湧水点があるとのことでした。
しかし後から調布市湧水調査報告書を見てみると、調査はこの敷地のうち4か所で行われているけれど、それは全体の湧水量を測ることが難しいために4ポイントに絞っているだけのようです。また、”農場全体で湧水の染み出しや、染み込みがあると考えられる”と記述されています。こちらを参考にするならば、この地の湧水点は、無数・・・!ということに、なります。なんとまあ。

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看板の脇から、もう深い谷です。
上手く撮れなかったけれど、ここが谷頭です。この谷は、道路のすぐ横から始まっていて、そして最初っから大きな湧水池があります。

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この写真の奥、水門のようなものがありますが、はじめそこから湧いているかと思いましたが、後で資料を見ると、ここから水路を下流へと引っ張っているようです。

谷は両側を木々に囲われていて、肉眼でも谷底がよく見えなかったりします。それがまた、神聖な感じがして、高校に潜入しているということとあいまって・・・ふはぁー

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続いて、こんな空間が見えます。旧ワサビ田のようです。

ちなみに、ここはかつて、軍の射撃練習場(青年、初心者向け)だった時代があるそうです。戦後払い下げられて、その後都立高校の敷地になったようですが、そういえば以前、岩手大学の敷地内で、やはり谷に初心者用の射撃練習場があったのを思い出しました。笄川にもそういう所があった筈だし・・・、安全性の面からなのでしょうか?(音はかえって反響しそうだけどなあ)

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それにしても、自然環境を保全しているだけあって、むせかえるほどの「自然」です。

谷底に降り、徒歩で入れる上限まで来てみました。

ここは現・ワサビ田です。

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清冽な水がどんどん流れていきます。
もちろん、底の石ころを数えられる、上級の透明感。

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これは現・ワサビ田よりも上流側、左岸方向を写したもの。
なんてことない空き地に見えるかもしれませんが、これも池です。なんという膨大な量の湧水池・・・

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この、注ぎ口から水がダバダバと溢れているのでした。

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これもさらなる上流の、右岸方向です。

・・・ためいき。

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さて、今度は下っていきます。
敷地の中央部には養魚場があります。
鯉が悠々。
水のうつくしさは言うまでもありません。

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その、養魚場へ導水している暗渠の水路があり、そこを覗くと、こんな感じでした。

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魚のいない場所も多かったです。植物もむしろ何も育ってはいなくて、高校の方が「今はな~んもないから、全然面白くないでしょ?」と言ってらしたのですが、いえいえ全然面白いです!全力で面白いです!!むしろ豊水期なんで最高っす!!

・・・この、何もいない池に、しとしと注ぐ、こんな流れを見ているだけで、唸っちゃうのです。

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これらの湧水をあちこちに導く暗渠の、蓋がこんなに苔むしていました。
都内でこのような蓋があったら、きっと近寄りがたい雰囲気であることでしょう・・・が、ここは本当にさわやかで、無味無臭!(味は知らないけど)
・・・そんな風にあちこち堪能していたら、わたしの僅かに露出していたくるぶしに、虫さされが8個もできていました。

この、神代農場からの湧水は、マセ口(ませぐち)川となって、野川に注ぎます。マセ口川水源を、次回もまた少しご紹介して、そして深大寺の湧水たちへと移りたいと思います。

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