紅葉川をねちねちと歩く その9 長延寺谷支流(仮)と大日本印刷谷と未来の大径マンホール
長いタイトルになってしまいました。
紅葉川舟下り9番目の記事は、過去と現在と未来の合わせ技です。
前回の位置、本塩町から、カーブしながら左に進んでいくと、左手に谷の始まりを確認することが出来ます。市ヶ谷駅の真ん前、市谷田町。その昔水田があったことによる地名だそうで、川の匂いがします。
(本当はもう少し上流で合わさる支流がもうひとつありますが、これは次の記事に回します。)
市谷田町、市谷砂土原町、市谷長延寺町、と、坂道を上がっていくと、すぐにりっぱな崖が出現します。
見渡せば、両側が崖であることがわかります。つまり今歩いている道路は谷底、川があった可能性が高いです。
手持ちの古地図ではここに川をみることはできません。
しかし、たとえば「牛込改代町とその周辺」(伏見弘著)では、中世にはここ、”長延寺谷からの流れ”が紅葉川に注いでいたことが書かれています。
牛込城のことを書いた文献にも、ここにニョロニョロっと川が描かれています。
今は、広くて新しい坂道・・・。
道を上れば上るほど、崖がすごいことになってきます。崖萌えの人にはたまらんでしょうね~。
すると、ここでうれしいおまけに出会えます。
ごみざかほどうきょう。
ブラタモリで江戸時代のゴミ捨て場の話のときに、出ていましたねぇ。今回は割愛しますが、この歩道橋、上って、渡った先の階段の雰囲気がまたすてき。さきほどの切り立った崖の上へとつながっていて、上るけど下りない、というのもまたいい。
歩道橋に上って見ると、そこに広がるのは大日本印刷の敷地。でーん!!
社屋が谷の形に沿って、カーブしつつ、ず~っと連なっています。谷を所有っていいなあ。
大日本印刷谷って呼びたくなっちゃいます・・・。
まあ入れないので、とりあえずもとの坂道を上りつづけます。
振り返ってパシャリ。坂道はいつのまにか谷底から崖上へ切り替わっていて、 写真左側に谷がまだ続いているようです。
そっちには行けないけど・・・、でも、今回はこれでは終わりません。坂道の頂上までいくと、
そこにはこんな建物が!
ふふふ・・・またも(勝島に続き)、下水道の工事現場です。今回はタイムリーなことに、紅葉川と関係しそうな下水道だったので、非常にわくわくしております。
前回の経験により、アポ無しで行ってみました。
新宿区加賀町1~2丁目の汚水と雨水を集める下水道管をつくることが、この工事の目的です。
立坑を掘り、シールドマシンで横に掘るというあれです。
・・・さあ、この日の工事見学も、自分以外は集団のお客さんでした。それも、今度は全員小学生のな!
正直、勝島よりも厳しい展開です。下水道局の方々は「引率の先生ですか?」なんて聞いてくれるけど、ハイとも言えないし・・・子どもたちには「なにこの人」的な目で見られ・・・。
でも、中には入りたい!・・・と、ヘルメットかぶって軍手はめて準備します。
これは立孔。中はすごい広かったです。直径9m、深さ18m。
今まで見た立孔とはスケールが違います。
たのしい、とか、かっこいい、とか思っているのですが、孔の深さと、降りる階段の弱弱しさに、思わず手が震えてしまい・・・写真がぶれてしまいました。
小学生も怖がってたような気が、するけど、そこまで気が回らない。
下まで来ると、やっと安心です。
自分の軌跡を、見上げる。
こんな深さをずっと上り下りするなんて、現場の方はすごいなあ。
降りると、説明の係りの方が待っていて、あれこれ説明してくださいました。
今見えているのは、完成している側です。シールドマシンで掘った後、コンクリートのブロックを中に搬入し、機械で組み立てて下水道管の形にしていくのだそうです。
勝島のときと比較すると、内側の材質は現場により違いそうですね。
この現場は長延寺谷の上の方でしたが、ここから市ヶ谷駅前の外堀通りまで、地下3~17mの深さを499m掘り進めるのだそうです。外堀通りには下水幹線があるので、そこに流すのだそうです。
・・・外堀通りの下水幹線、とやらは、紅葉川の暗渠だったりするのでしょうか・・・?(紅葉川は外濠に合わさると書く人もいるので、ここはもう少し調べます。)
説明の方だけではなく、この空間には7名くらい下水道局の方がいらして、代わりに写真を撮って下さったりもします。
この写真はわたしのことを引率の先生だと思った方が、「子どもたちも一緒に撮りましょうか?」と言ってくださったのを、全力でお断りしたときの写真です。
立孔は頑丈そうな鉄で覆われていましたが、そこからはとめどなく水が滴っていました。
現場の方曰く、地下水の浸み出しということでした。
説明も面白いけれど、ときどきこの湧水に見惚れたりしていました・・・
ちなみに、地上に戻ると、わたしにマンツーで説明してくださる下水道局の方がついてくださいました。これ、大感謝!長延寺谷に川がなかったか聞いてみたけれど、それはスルーされ。ただ、ここの流域について教えてくださいました(後述)。
それから、ふと、工事が終わったらここはどうなるんだろう?、ここもまさかの大径マンホール?と思って聞いてみたら、やはり、この空間は残し、
こうするみたいでした!(ブルーは地面、黒いのはマンホール蓋で、灰色が立孔と下水管です。)
とたんに興奮してきました・・・。ここは直径9m、ほんとにほんとにおっきな大径マンホです。工事が終わったら、ここにこんなのが出来る・・・?
普通の人孔は深さ2mほどだけれど、大径マンホールは直径が長いほど、底が深い可能性がある、ということでした。正直、ここでマンホールの話が聞けるとは思ってなかったんでうれしい!
もう十分お土産をもらった気分でしたが、またもおまけをいただきました。
同じ、下水道の工事現場でも、品物が違うということがわかってきましたw
自分がはめた軍手、タオル、ボールペン、ウエットティッシュ、エコバッグ等をいただきました。ありがとうございます!!
興奮のあまり気付いていませんでしたが、移動してひといきついたら、足がガクガクでした。こんな靴で行くなっちゅう話ですね・・・
ワンピ、トレンカ、ぺかぺかのサンダルといういでたちで行く場所ではなかったようです。
(後の用事に合わせてしまったわけです。今度から気をつけよう。)
今回の工事は、加賀町1~2丁目の下水を集める管を作る、ということでしたが、スタッフの方に浸水などがあったのか訊くと、加賀町よりもさらに北の、甲良町で浸水があったそうです。甲良町は大久保通り沿い、つまり牛込川に近いため、ちょっと驚いて、「その位置だったら大久保通りのほうに流すのではないのか」と聞くと、そこは流域外なので流さない、とのおこたえ。
この流域はわたしが予想したよりもずっと広く、下の地図ではうすい青の部分を占めるのだそうです。この地に降った水をあつめ、紅葉川に注ぐ・・・その流れは中世と変わらないということですね。
今回の支流は、この立派な谷、大日本印刷谷長延寺谷にあやかって、紅葉川長延寺谷支流(仮)と呼ぶことにします。
ちなみに、鈴木理生氏は「神楽坂まちの手帖第10号」にて、紅葉川のことを長延寺川と記しています。本流と重なるような支流名をつけるのもまぎらわしいですが、そう呼ばなければわたしはもう大日本印刷支流、しか思いつかないので・・・w
牛込城の検証をする文献では、この長延寺谷支流(仮)を大日本印刷の敷地よりずっと下側からニョロニョロ描いていたりしますが、実際にはもっと上まで谷はあります。そして、水源についてはまたも、わかりません・・・。宿題。
この、人通りも少なくて目立たない場所にて、
かつて流れていたであろう、長延寺谷支流(仮)。
現在のひとびとが働く、大日本印刷谷。
そして、現在のひとびとのくらしを守るための下水管が新設されて、その工事現場は、未来の大径マンホールとなる。
そんな、いろいろなものが味わえた、短いさんぽでありました。
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