« 2011年7月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年8月

紅葉川をねちねちと歩く その9 長延寺谷支流(仮)と大日本印刷谷と未来の大径マンホール

長いタイトルになってしまいました。
紅葉川舟下り9番目の記事は、過去と現在と未来の合わせ技です。

Momijid1

前回の位置、本塩町から、カーブしながら左に進んでいくと、左手に谷の始まりを確認することが出来ます。市ヶ谷駅の真ん前、市谷田町。その昔水田があったことによる地名だそうで、川の匂いがします。

(本当はもう少し上流で合わさる支流がもうひとつありますが、これは次の記事に回します。)

Momijid2

市谷田町、市谷砂土原町、市谷長延寺町、と、坂道を上がっていくと、すぐにりっぱな崖が出現します。

Momijid3

見渡せば、両側が崖であることがわかります。つまり今歩いている道路は谷底、川があった可能性が高いです。

手持ちの古地図ではここに川をみることはできません。
しかし、たとえば「牛込改代町とその周辺」(伏見弘著)では、中世にはここ、”長延寺谷からの流れ”が紅葉川に注いでいたことが書かれています。

Momijid4

牛込城のことを書いた文献にも、ここにニョロニョロっと川が描かれています。

今は、広くて新しい坂道・・・。

道を上れば上るほど、崖がすごいことになってきます。崖萌えの人にはたまらんでしょうね~。

Momijid5 すると、ここでうれしいおまけに出会えます。

ごみざかほどうきょう。
ブラタモリで江戸時代のゴミ捨て場の話のときに、出ていましたねぇ。今回は割愛しますが、この歩道橋、上って、渡った先の階段の雰囲気がまたすてき。さきほどの切り立った崖の上へとつながっていて、上るけど下りない、というのもまたいい。

Momijid6

歩道橋に上って見ると、そこに広がるのは大日本印刷の敷地。でーん!!

社屋が谷の形に沿って、カーブしつつ、ず~っと連なっています。谷を所有っていいなあ。
大日本印刷谷って呼びたくなっちゃいます・・・。

Momijid7

まあ入れないので、とりあえずもとの坂道を上りつづけます。
振り返ってパシャリ。坂道はいつのまにか谷底から崖上へ切り替わっていて、 写真左側に谷がまだ続いているようです。

そっちには行けないけど・・・、でも、今回はこれでは終わりません。坂道の頂上までいくと、

Momijid8

そこにはこんな建物が!
ふふふ・・・またも(勝島に続き)、下水道の工事現場です。今回はタイムリーなことに、紅葉川と関係しそうな下水道だったので、非常にわくわくしております。

前回の経験により、アポ無しで行ってみました。

Momijid9

新宿区加賀町1~2丁目の汚水と雨水を集める下水道管をつくることが、この工事の目的です。
立坑を掘り、シールドマシンで横に掘るというあれです。

・・・さあ、この日の工事見学も、自分以外は集団のお客さんでした。それも、今度は全員小学生のな!
正直、勝島よりも厳しい展開です。下水道局の方々は「引率の先生ですか?」なんて聞いてくれるけど、ハイとも言えないし・・・子どもたちには「なにこの人」的な目で見られ・・・。

Momijid10

でも、中には入りたい!・・・と、ヘルメットかぶって軍手はめて準備します。

これは立孔。中はすごい広かったです。直径9m、深さ18m。

今まで見た立孔とはスケールが違います。

Momijid11

たのしい、とか、かっこいい、とか思っているのですが、孔の深さと、降りる階段の弱弱しさに、思わず手が震えてしまい・・・写真がぶれてしまいました。

小学生も怖がってたような気が、するけど、そこまで気が回らない。

Momijid12

下まで来ると、やっと安心です。

自分の軌跡を、見上げる。

こんな深さをずっと上り下りするなんて、現場の方はすごいなあ。

Momijid13

降りると、説明の係りの方が待っていて、あれこれ説明してくださいました。

今見えているのは、完成している側です。シールドマシンで掘った後、コンクリートのブロックを中に搬入し、機械で組み立てて下水道管の形にしていくのだそうです。
勝島のときと比較すると、内側の材質は現場により違いそうですね。

この現場は長延寺谷の上の方でしたが、ここから市ヶ谷駅前の外堀通りまで、地下3~17mの深さを499m掘り進めるのだそうです。外堀通りには下水幹線があるので、そこに流すのだそうです。

・・・外堀通りの下水幹線、とやらは、紅葉川の暗渠だったりするのでしょうか・・・?(紅葉川は外濠に合わさると書く人もいるので、ここはもう少し調べます。)

Momijid14

説明の方だけではなく、この空間には7名くらい下水道局の方がいらして、代わりに写真を撮って下さったりもします。

この写真はわたしのことを引率の先生だと思った方が、「子どもたちも一緒に撮りましょうか?」と言ってくださったのを、全力でお断りしたときの写真です。

Momijid15

立孔は頑丈そうな鉄で覆われていましたが、そこからはとめどなく水が滴っていました。

現場の方曰く、地下水の浸み出しということでした。
説明も面白いけれど、ときどきこの湧水に見惚れたりしていました・・・

ちなみに、地上に戻ると、わたしにマンツーで説明してくださる下水道局の方がついてくださいました。これ、大感謝!長延寺谷に川がなかったか聞いてみたけれど、それはスルーされ。ただ、ここの流域について教えてくださいました(後述)。

それから、ふと、工事が終わったらここはどうなるんだろう?、ここもまさかの大径マンホール?と思って聞いてみたら、やはり、この空間は残し、

Manho

こうするみたいでした!(ブルーは地面、黒いのはマンホール蓋で、灰色が立孔と下水管です。)
とたんに興奮してきました・・・。ここは直径9m、ほんとにほんとにおっきな大径マンホです。工事が終わったら、ここにこんなのが出来る・・・?
普通の人孔は深さ2mほどだけれど、大径マンホールは直径が長いほど、底が深い可能性がある、ということでした。正直、ここでマンホールの話が聞けるとは思ってなかったんでうれしい!

Momijid16

もう十分お土産をもらった気分でしたが、またもおまけをいただきました。
同じ、下水道の工事現場でも、品物が違うということがわかってきましたw

自分がはめた軍手、タオル、ボールペン、ウエットティッシュ、エコバッグ等をいただきました。ありがとうございます!!

Momijid17

興奮のあまり気付いていませんでしたが、移動してひといきついたら、足がガクガクでした。こんな靴で行くなっちゅう話ですね・・・
ワンピ、トレンカ、ぺかぺかのサンダルといういでたちで行く場所ではなかったようです。

(後の用事に合わせてしまったわけです。今度から気をつけよう。)

今回の工事は、加賀町1~2丁目の下水を集める管を作る、ということでしたが、スタッフの方に浸水などがあったのか訊くと、加賀町よりもさらに北の、甲良町で浸水があったそうです。甲良町は大久保通り沿い、つまり牛込川に近いため、ちょっと驚いて、「その位置だったら大久保通りのほうに流すのではないのか」と聞くと、そこは流域外なので流さない、とのおこたえ。
この流域はわたしが予想したよりもずっと広く、下の地図ではうすい青の部分を占めるのだそうです。この地に降った水をあつめ、紅葉川に注ぐ・・・その流れは中世と変わらないということですね。

Choenjimap

今回の支流は、この立派な谷、大日本印刷谷長延寺谷にあやかって、紅葉川長延寺谷支流(仮)と呼ぶことにします。
ちなみに、鈴木理生氏は「神楽坂まちの手帖第10号」にて、紅葉川のことを長延寺川と記しています。本流と重なるような支流名をつけるのもまぎらわしいですが、そう呼ばなければわたしはもう大日本印刷支流、しか思いつかないので・・・w

牛込城の検証をする文献では、この長延寺谷支流(仮)を大日本印刷の敷地よりずっと下側からニョロニョロ描いていたりしますが、実際にはもっと上まで谷はあります。そして、水源についてはまたも、わかりません・・・。宿題。

この、人通りも少なくて目立たない場所にて、

かつて流れていたであろう、長延寺谷支流(仮)。
現在のひとびとが働く、大日本印刷谷。
そして、現在のひとびとのくらしを守るための下水管が新設されて、その工事現場は、未来の大径マンホールとなる。

そんな、いろいろなものが味わえた、短いさんぽでありました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

紅葉川をねちねちと歩く その8 本流~本塩町支流(仮)

紅葉川をどんどん下ります。
前回は、策の池から流れ出る支流を追いました。今回は、そこから本流を少し下って、右岸に出現する支流を遡りたいと思います。

Momijib1_2

荒木町を通り過ぎ、津の守坂通りを越えると、ちょっと前まで右側にあった切り立った崖はだいぶマイルドになり、住宅街の広めの道を進むことになります。

このようにゆるく蛇行する以外は目立って暗渠感はありません。

Momijib2

ところが、そのカーブの先にある桝箕稲荷神社はこのようにちょっと風変わりな建ち方。

神社の両脇に細い道があるのだけど、神社の前後には太い道が走っているから、なんだか神社だけがポツンと島になっていて、違和感がありまくりです。

Momijib3

「島」っぽさを思わせるものとして、神社の隣にじめっとした公園があります。そして、古地図を見てみると、この公園はむかし、池だったのでした。
ここは、紅葉川と池の辺。ずいぶん湿っぽいわけです。

ちなみにここに行くといつも、猫がいます。人慣れしていて、椅子に座ると隣に座ってくれるほど。茶色のまだら模様なので、わたしは「ゴマだれ」と呼んでいます。

Momijib4

さて本流をもう少し進みます。今まで、辿ってきた紅葉川本流は、ずっと「崖下を蛇行する車道」であり、それ以外のサインは殆どありませんでした。

ところが、ここにきて初めての、紅葉川本流の立ち入り不可区間が登場します(この写真の中央)。それも、暗渠感溢れるやつ!

Momijib5

この立ち入り禁止っぷり・・・。暗渠っぽい。わくわく!!

・・・こんなふうに、蛇行する歩ける道よりも、まっすぐな歩けない道のほうに、萌えてしまうわたくし。

Momijib6

本流は、全行程のうちここだけが、分断された区間のようでした。(そしてここが一番楽しかったw)

数メートル川下から、また歩ける道が続きます。

さあ、もう少し行くと、古地図上で水路が描かれている場所が現れるはず・・・

Momijib7

ところが、その支流と本流との合流地点と思しき場所が、よくわかりません。案の定道に迷って、ぐーるぐる。

比久尼坂、という坂が東へ延びる、このエリアが違和感アリなので、崖上へ登ってみることにします。

Momijib8_2

んー、あやしいすきま?

(と思って撮ったはずなんだけど前のことなので記憶が抜け落ちている・・・あとで現地に行ってみますw)

あやしいよな、あやしいよな、と思いながら歩いていると、出会いは、唐突に!

Momijib9

目の前に暗渠らしさをたっぷり纏った道が現れます。

こういう風景が突如ひらけたときの、毛穴がブワッと開く感じ・・・、たまらないです。

Momijib10

くねる、くねる。
アスファルトが、川の流れに見えてくる。

Momijib11

・・・ん?

???

ふと、暗渠沿いの塀の上に、こんなものがwww

Momijib12

どう見てもコンビニの巻き物www

罠か、罠なのかこれは。
しかも開けてないから、猫向けじゃなくて人間向けの罠なんじゃないか。

そして暫くこれを見つめてしまう自分ッ・・・!

Momijib13 はぁー。食欲旺盛なわたしですが、罠にひっかからずに、無事に通り過ぎることが出来ました。

まだまだいい感じの暗渠はつづく。

・・・と思いきや、この先のカーブを曲がるとパタッと広い道に出ます。道に沿って歩いてみても、川っぽい空間はありません・・・

Momijib14

しばし周辺をうろうろしたり、地図を見たりして、諦めかけて、この雰囲気のある路地を探検することにしました。

ここを通るのは勇気が要る・・・けど、この奥は崖下になっていて、そしてさっきの支流暗渠が続いていたのです!

Momijib15

その空間は残念ながら民家の中で入ることが出来ないので、上流に回り込みます。

あー!あった!!ここだー。

Momijib16

振り返って上流を見ると、そこは適度に細く、くねり、寂れ感のある上物でした。

Momijib17

もうずっと興奮しっぱなしです。

明治19~21年の地図には、ここに水路が描かれています。現在、わたしの地図には、ここに道は描かれていません。が、現在ここは本塩町と坂町の町境となっています。

Momijib18

あー・・・ここほんとに良い暗渠だなあ。

Momijib19

でも、少し前から、既視感のようなものが・・・なんだかここ、初めてじゃないような気がする。

以前、庵魚堂さんが「パッケ下」として紹介されていた暗渠。後日ひそかに行っていたのです。それと、似ている。
同じ新宿区だからなのか、そして同じ頃に暗渠化されたものなのか、下を這うタイル(?)の感じに、崖、家々の取り残され方が、似ている・・・

Momijib20

そんなことを考えながら歩いていたら、プツっと暗渠は終わってしまいました。

たしかに、古地図上でもこのあたりで終わるのです。・・・いや、始まるのです。けれど、水源についてはまだ何もわかりません。

 

Honjio

ひとまず、本塩町を通るので、本塩町支流(仮)と名付けます。
今回の略地図はこんな感じ。

本塩町支流(仮)、始まりは本当にあそこなのか、水源は何だったのか。今回追えなかった、合流点は現在どんな感じなのか。いつ、暗渠化されたのか。この川で遊んだ人の話はないものか・・・あれこれ、もっと調べたくなってしまう支流でした。

あの罠も、いったいどうなったのか・・・。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

紅葉川をねちねちと歩く その7 策の池支流(仮)など

実は8月2日で、暗渠さんぽは2周年を迎えていました。
今年はめちゃくちゃ更新が遅いですが、読みに来てくださる方々、ほんとうにありがとうございます。
2周年記念ぽいことがなにかしたくって、桃園川の記事一覧という、過去記事リンク集を作ってみました。右サイドバーの一番上に表示してゆくので、たまに思い出してもらえると幸いです。ほんとは、記事にした暗渠ぜんぶの一覧を作りたかったんだけど、、今は断念です。ちまちまやってきます。

*****

暗渠を歩き、資料を読み、その土地のひとたちの話を聞いていくと、そこにあったであろう川が感じられ始めて、とても豊かなさんぽをすることができます。
その一方で、たったひとつの「川」を知るのにさえ、とても時間と労力がかかります。・・・それはなんだか「人」と似ていて。桃園川のことだって、わたしはまだまだ、知らない。

もしかしたらどこかで書いたかもしれないけれど、わたしのやりたいことは、こんなふうにひとつの川にじっくりと寄り添うような、なが~く、ゆっくりとした暗渠さんぽなのかな、と思うようになりました。
もちろん、好奇心は旺盛なほうなので、他のいろんな場所にも飛び飛び、いくと思いますけど。

*****

さて。紅葉川を、ひきつづきねちねちと歩きたいと思います。前回より少し川を下って、曙橋の駅を少し過ぎた地点。

Momijia1

向うに見えるのは、外苑東通り。つまりは曙橋なんですが。ちなみに曙橋の由来は「ここから日の出がよく拝め、都内の立体交差の第一号」ということからきてるのだそうです。

写真左側、外苑東通りが出来る前は、ただの崖地帯だったみたいです。
「地域誌 この町の暮らし」には、このあたりに崖、泉、銭湯(宝来湯)、といった水関係文字が並んでいます。

Momijia2

今じゃああまり崖気分でもないですが、言われてみればたしかに結構な急斜面ですね。

このあたりに「泉」と書いてあるので、むかしはこの崖から水が湧いていたのかもしれません。それもきっと、紅葉川のささやかな水源であったことでしょう。

そして右手に「合羽坂」があります。合羽坂の由来は、このあたりが明治までは田んぼや池で、住んでいたカワウソとカッパを間違えてのこと、だそうです。

Gake つまりはこんな風になってるみたいでした。・・・と、これは曙橋近辺の、紅葉川左岸のお話。今度は右岸のお話を、もうちょっと上流に戻ってから、することにしましょう。

Momijia5

前回の愛住町のあたりからひきつづき下っていくと、紅葉川本流は、靖国通りに出たり出なかったりします。

ここでいったん靖国通り沿いに出て、

Momijia6

そして川跡はすぐさま裏通りに下がっていきます。時代によっては、この裏通りに2流あったりもするようです。

あれ、いつのまにか、川沿いカフェが出来てました。
この写真の右手、瓜吉って書いてあるところ。ここ、紅葉川の真横にあって、オープンエア席もあるのです。良いね良いね。

Momijib21_3

でもこの日は店内でランチをすることにしました。ハヤシライスに、根菜を含めたいろんな野菜が入っていて、卵ものっていて、おいしい。ハヤシライスに根菜って、アリだね!中国茶もあって女性好みな感じです。

Momijia7

食べたらもうちょっと川下りをします。
ここらへんの紅葉川から見える崖は、けっこうすごいものがあります。

歩きながら右側を見ているだけで、崖、階段、階段、崖。階段の多い場所だと思います。こんなちいさな階段も。

Momijia8

こんなに上に建ってる建物も。

ここから、洗濯物を落としちゃったりしたら大変だろうなあ、とか、ながーい階段をつかうとき疲れるだろうなあ、とか、そんなことを考えたりしながら。

この崖上と崖下がちょうど町境になっています。紅葉川の本流には痕跡が比較的少ないですが、ここを歩いていると、川気分がちょっと上昇します。

Momijia9

ふたたび曙橋に出ます。
これは・・・、地層ではあるまいか。あの、スリバチ学会がタモリ倶楽部に出たときに、話してた場所ではあるまいか?
地層が好きなわけでもないけれど、なんだか観光地気分です。

Momijia10

さて、荒木町にやってきました。荒木町といえばアレです。すばらしいスリバチと策の池。

策の池のある谷戸は以前、紅葉川の支谷だったといわれています。その資料もねちっこく手に入れにいったりしたわけです。

で、紅葉川本流から見えるこの路地。ここあたりがその谷の下の方なのではないかと思われます。

Momijia11

谷沿いらしき建物に、なぜかこんな注ぎ口と、謎の池がありました。

なんだろう・・・蛇口もついていないし、金魚も泳いでないし、用途がよくわからない。すごい違和感。

松本だったら湧水口認定してるとこです。

Momijia12

そしてここは、前の年に来た時はもっといびつな地面の路地だったのに、きれいに舗装されてしまってました。

いいらさんも旧ふろっぐねすとにて、紅葉川のときにこのあたりを探索されているようなのですが、そのときには木の蓋みたいなものや、水路敷を思わせる雰囲気があったのですが・・・うぅ

Momijia13

もう少し上流に寄ります。

このあたりだと、現地形から流路を推測することはできます。低くなっているところがおそらく策の池から出てきた川の跡です。

地図によっては、このあたりにも小さめの池が見られる時期があります。

Momijia14

せっかくなので、また策の池に近づこうと思います。

・・・なんだか、遺跡のようなものが。すごい段差のある場所のようで、この建物の3階くらいの位置に、もう一方の地面があります。策の池の周辺にたどり着くためにはここを登って登って・・・、

Momijia15

さあ、この向うが荒木町の一級スリバチです。

以前ここの土地についての資料をみたとき、このスリバチのうち一部分は人工の土手であり、その下を排水路が暗渠として通っていることを知りました。
そしてその場所が、おそらくここです。この、階段の下を暗渠が通っているはずです。さきほどからリンクしている資料では、以下のように書かれていました。

・平成9年に荒木町で下水道の工事を行った際、昭和以前から存在するらしき石組みの下水路が発見された。調査の結果少なくとも幕末期から存在。
・その石組みの下水路は現在でも下水道として使われている。
・この暗渠は本来、(策の池の)泉水を排水する目的で作られた。
・この石組み暗渠の延長は53m、断面は長方形で、内法は幅63cm、高さ88.8cm。底石、壁面、蓋石からなる。

池をつくるために作ったフェイク土手。そして最初から土手の下をくぐす暗渠目的で造られた、ふるい下水管がこの真下を通っている!・・・そしてそれは、いまも下水を流している!
おまけに、この下に広がる土地は、かつて花街でもあった・・・そんな幾重にもなる萌えを味わえる場所が、ここなのです。

Muti うーん、荒木町の地形って、本当にすごいなあ。前回策の池に行ったときには、スリバチ部分ばかり歩いていましたが、今回はその北側にも谷っぽいものが残っていることも味わえました。
大雑把な地図にすると、こんな感じ。策の池が策の池として整備される前、おそらく水色部分のような策の池支流(仮)が、紅葉川に注いでいたと思われます。
・・・策の池支流(仮)は、そのむかしこの地があまり人の住まない、荒れ地みたいな場所だったときに、もっとも自然なかたちで流れていた小川だったのかもしれません。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年11月 »