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花色街暗渠 玉ノ井編

去年まで宮古に住んでいた友人からきた連絡に、ひどく心を打たれました。じっくりと今を乗り越えようとしているその姿に、そして、そのつながりに。別な日、祖母から来た手紙には、遠縁の親戚も家を流されてしまった、とありました。それから、わたしの母校からは、おそらく東京と同じくらいの割合で仙台へ移るひとがいるから、いま連絡先がわからなくても、お世話になったひとたちが被災地にはまだまだたくさんいるはずで・・・。

だから、わたしは日々、「亡くなった方々」の名簿を眺めています。それがPDFでできている資料然としたものだということへの、違和感がなかなか消えません。もちろん、知り合いが亡くなっていなければいいのか?-否、です。健気に支援活動をつづける、我が故郷を含め、被災地全体への力には、とてもなりたいと思う、できることは少ないけれど。・・・確認をし手を合わせる作業、細々とした支援の作業、これらは長く続けるべきことだと思っています。

そんなわけで、1に仕事、2に震災絡みの活動、3に休息、としていたら、ブログとツイッターが後回しになってしまいました。合間にちまちま、ちまちまと作っていた記事を、ようやくここに更新します。

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ある日、墨東へいって、色街的物件をあれこれ見るツアーをしました。今回はそのレポート。もちろん、暗渠を絡めます。
まずわたしはこれまで花街と色街をごっちゃにしてしまっていたようです。その定義を読み、ごっちゃにしてしまうのは花街にも色街にも失礼ということを知り、これまで花街としていたカテゴリ名を、花色街(花街+色街)という造語にしてみました(内容は分けようと思います)。

Muko1

それはあまりにも暑い日でした。

知らなかったのだけれど、吾妻橋にも満願堂がありました。芋きんは、父親が出張時に買ってきてくれるお土産の中でもかなり上位のお気に入りでした(どういうわけか、父とわたし以外には不評だったけれども)。

なんとそこで、いもソフトクリームを発見。うんこビルを見上げながら、うまうま食べました。・・・あ、ちなみに今回の内容は、去年の夏のものです。季節感がえらいことになっていますが、あしからず。

で、ここから電車に乗ってやや北上するのです。それが今回の目的地、色街玉ノ井。

Muko2 東向島で降り、まずは白髭線という廃線跡をさがします。京成電気軌道が現荒川線へと乗り入れようと目論んで敷設されたらしい全長1.4kmのかわいらしい路線ですが、1928年からわずか8年で廃止になったものです。古地図と照らし合わせながら歩くと、ここら辺にあったっぽいのですが・・・
白髭線は永井荷風「濹東綺譚」にも、
去年頃まで京成電車の往復していた線路の跡で、崩れかかった石段の上には取払われた玉の井停車場の跡が雑草に蔽われて、此方から見ると城跡のような趣をなしている
と、描写されています。

白髭線は遺構がほとんどなく(ホームの擁壁があるらしいけど、今回は暑いので断念)、うまく追えませんでしたが、好きなひとはきちんと追ってらっしゃるようで、良いレポートがいくつもみられます。「デウスエクスマキな食卓 10年夏号 向島迷宮地帯」(以下、向島迷宮地帯)もそのひとつです。

さて、玉ノ井いろは通りにでましょう。「モツ煮狂い 第二集」によれば、ここと北側の裏通りは旧赤線地帯ということです。1945年~焼け残りの住宅をカフェー風に改造して営業開始。そして、いろは通り南側が「濹東綺譚」の舞台です。また、「向島迷宮地帯」によれば、いろは通りと賑本通りに挟まれた三角地帯が玉ノ井赤線の中心部であり、ドブの外が外部、中は内部という、吉原と同じ構造だったそうです。
たしかに、大正10~15年の地図を見ると、ここにはドブがあります。しかし吉原のそれよりも、ずっと複雑な形をしていました。

Muko3

玉ノ井いろは通り沿いには、こんなふうに金魚屋さんがあったりします。

たしかにこの近辺では一時期金魚の養殖が盛んだったと聞きますが(後述しますが玉ノ井についてはよく知りません)・・・その名残なのでしょうか。ここにあるということは、もしかすると隣接するようにドブがあったりしたのでしょうか。ちなみに大正の地図ではこの近辺にも池が沢山ありますが、いろは通り沿いにドブは確認できませんでした。

Muko4

もうお腹がすいてきました。いろは通りに、「興華楼」という渋~~い街の中華屋さん!があったので入り、五目焼きソバ750円を注文。
・・・自分の想像を超えたトッピングの焼きソバがきました。「五目」は中に入ってるんじゃなかったのか!卵、チャーシュー、カマボコの三目は、外側に鎮座しています。かっ・・・カマボコおもしろい。できればナルトにしてほしい!って、ナルトだってあったかもしれないのだけど、前過ぎて忘れてしまいました;
そしてココ、ランチにはコーヒーが付くのです。雰囲気的にちょっとふしぎ、でも嬉しい。

Muko5

いろは通りからなんとなく裏へとはいってゆき、北側へ足をのばします。(玉ノ井の内外について、このときはよくわかっていなかったので適当に。)

ふるいポスト!

お寿司屋さんがひっそりあって、せまくてかくかくした道があって、ふと、猫が居ます。

しかし、カフェ―建築には全然出会えないので、ちょっと物足りなくなってきたところに、

Muko6

あったあったー!
あまりにも有名な物件らしく、玉ノ井のことが描かれたものには、たいていこれが載っている。ので、ついにキターみたいな気持になります。独特の風情。なんとか、しばらく建っていてほしいもの・・・。結局この日玉ノ井で見つけられたカフェ―の名残は、これひとつでした。

「濹東綺譚」の”お雪”の家は、前述の”ドブ”沿いにあります。暗渠好きとしては、この小説内の”溝”という文字にいちいち反応してしまいます。
・(お雪は)やがて溝にかかった小橋をわたり、~略~家の前に立留った。
・(雨の日に)「アラアラ大変だ、きいちゃん。鰌が泳いでるよ。」~略~「うちは大丈夫だ。・・・」
・溝の汚さと、蚊の鳴声とはわたくしの感覚を著しく刺激し、・・・
・鉄漿溝より一層不潔に見える此溝も、寺島町がまだ田園であった頃には、水草の花に蜻蛉のとまっていたような清い小流であったのだろうと、・・・

玉ノ井いろは通りのやや南東にはそんなドブがあり、こういう風景と物語があったようなのです。。

Muko7 と、いうことをよく知らないまま歩いていたら、とても存在感のある、漆黒の看板建築に出会いました。「モツ煮狂い 第二集」によれば、ここは居酒屋とお好み焼きという営業形態で、昭和12年創業の十一屋さん。今の建物で30年以上の年季だということです。(アド街にも出てきたような。)

そしてすぐ隣が銭湯、墨田湯。なんて良い流れが作れる街なんだ、ここは!「向島迷宮地帯」によれば、隅田湯にはぷよぷよの筐体があったらしいですよ。。ああ、行けばよかった!ぷよぷよ、通だったら自己流で結構勝ち抜けられます。

Muko8

・・・まだ東向島駅の右側を少し歩いただけなのに、けっこういい時間になってきてます。いったん駅に戻り、向島百花園をめざします。

東向島から向島百花園へはすぐ行けますが、駅の北側から向島中の前を通る道を選ぶと、そこは水路の跡で、歩いていてもそれっぽい感じがします。じつはこのとき百花園で飲んだ吾妻ラムネは、以前ラムネ工場の記事で書いたものです。
中にはなぜか日本橋のレプリカがありました。・・・で、ここできびだんごが食べられるはずなんだけど、無い?無いぞ??(答えは次号。)

Muko9

もうちょっと行きたいところがあるので、向島百花園も早々に出て、墨堤通りに向かいます。
もうちょっとがんばって北上すれば、ロボットみたいにかっこいい、都営白髭東アパート(防災な団地!)が見られるんですが、暑すぎてがんばれませんでした。
・・・墨堤通りに沿うように、西井堀という水路も流れていたようです。この写真も西井堀跡なのですが、みごとに染物屋さんがありますね。

Muko10

西井堀は、おそらくここを、ぐねぐねと続いて行くようです。
それと交差する地蔵坂通、という通りにさしかかりました。この通りもまた、かつての水路のようです。そしてこの地蔵坂通近辺に、次なる目的地が待っている・・・次回に続きます!

(それにしても、今回は暗渠然とした道の写真がすくなかったですね。そのうち、玉ノ井のドブをぐるりとまわるために再訪したいところです。)

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コメント

おお~!向島きましたねぇ。自分も何度か足を運んだ事がある場所だけに「なるほどそういった視点で街を見るのか」と楽しみながら読み進ませていただきました。これは次回も楽しみです!適度なペースで制作お続けください。
それにしても素敵な異次元ヤキソバですね(笑)

投稿: 闊歩マン | 2011年4月 1日 (金) 22時03分

興華楼インパクトありますねー。内装もいい感じですしね。私も玉ノ井に行った時のお昼は興華楼です!金魚屋さんは気付きませんでした。気になってまいりました。

投稿: 俊六 | 2011年4月 3日 (日) 14時11分

>闊歩マンさん

実はあのあと足を運んでいたのに、レポがずいぶんと遅くなってしまいました。。わたしは基本的に下を見てばかりか、食べものを見てばかりなような気がしますw 
異次元ヤキソバってうまいですねー!異次元とか小宇宙という言葉がとても似合うヤキソバですね、これ。

>俊六さん

こんにちはー。興華楼、やっぱり惹かれちゃいますよね!赤い丸イスとクタクタになったマガジンが心底似合うお店。定食メニューも食べてみたいです。
金魚屋さんはちょっと新しい店舗でしたが、以前からありそうですよね(なんとなく)。

投稿: nama | 2011年4月 4日 (月) 18時09分

このカフェー建築は、知人のK君に案内されて、2度ほど見学したことがあります。
私、カフェー建築にさほど興味があるわけではないのですが、この建物はさすがに目が釘付けになりましたね。
K君が喜びますので、また書いて下さいw

投稿: 猫またぎ | 2011年4月 4日 (月) 19時57分

>猫またぎさん

K君て誰ですかww カフェ―建築がお好きな方なんですね。次回もこういう記事になると思うけれど、用意した写真等が記憶のかなたなので、はたしてK君によろこんでもらえるかわかりませんw しかし猫またぎさん、ほんとにどこにでも行ってますねえー。

投稿: nama | 2011年4月 5日 (火) 15時59分

ツイートでお知らせしといたんですが、気がつかれていないかも知れないので、こちらでお知らせです。
6枚目の写真のカフェー建築、いつの間にか更地になっていました。
このことを知って悲しみに暮れるファンがきっといっぱいいるのでしょう。
私は在りし日のこの建物を撮影できていませんでしたので、とても残念に思っています。

投稿: 猫またぎ | 2012年10月15日 (月) 23時29分

>猫またぎさん

こんにちは。すいません、気づいてませんでした。ツイッターは見ていない時間の方がずっと長いので(あとタイミングによって)、@をつけてもらってないものは気づかなかったりします。それにしても最近色々放置気味で、申し訳ないです。
あの建物、なくなってしまったんですね。自分が行った時も、すでに廃屋で、いつまであるのかなあという不安はありました。その気持ちが記事中の「なんとかしばらく・・・」という文に表れてますね・・・。
うーん、そうですか。自分もまた見にいこうと思いつついたので残念です。洲崎もそうですが、どんどんなくなってゆきますね。
情報、ありがとうございました。

投稿: nama | 2012年10月21日 (日) 22時29分

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