田名 水づくしのたび①
昨夏、しかすけさんのサイトで見て、素敵だなあと思った地、田名。水路を覆う、遊歩道のあるまち。行きたい!と言ってからだいぶ時間が経ってしまいましたが、この冬についに味わうことができました。
町田で降り、バスに乗ります。
町田駅はたまぁぁぁぁにしか来ないので、すでにちょっと観光気分です。JRの線路のところにある看板が手書きで、なんだかカワイイ(”よ”がデカくね?w)。
・・・なんとバスの行き先はこれ。
水郷、ってがっつり付けちゃってます。なんという自信。これぞ水郷。
バスに乗ると、途中まではまあ町中の風景なんですが、いきなり崖を下りはじめ、山肌にだくだくと水が湧いているさまがすぐそこに見えるという、すごい景色になります(「わー!」「きゃー!」ってなります)。そしてまもなく、終点水郷田名。
その「水郷田名」で降り、バスターミナルからてくてく。ターミナルのそばに飲み屋さんと美容室が一軒ずつ。がらん。
あ、早速用水路暗渠です!ちなみに田名は、わたしの神奈川用地図には入っていないし、ヤフーの地図をプリントアウトして持ってきたけれどかなり心もとない感じで、勘をたよりにするしかない状況です。
暗渠はガタガタっとした感じで、つづきます。うんうん、これは、もししかすけさんのあの風景にすぐ出会えないとしても、水路がいっぱいある予感。期待できそうです。
あ、見上げると電灯にも「水郷田名」。
しかし予想以上にしぃんとしていて、商店街らしきものはなく、お店も人もまばらです。(というわけなので、今回食べあるきには期待しないでくださいw)
さっそく良い感じの開渠です!
ここは、山形の石積み用水路に似たものを感じます。ひっそり、ひっそりと。
さらさらゆくよ。
なかなか、きれい。
随所に暗渠もあります。相模川から来ている用水路の暗渠で、
こんなふうに4コマ漫画みたいになってるのもあります。
あ、よくみると、4コマ漫画蓋暗渠は、ぽつ ぽつ、と連なっていました。
おもしろいw
ぷらぷらと歩いているだけで、どんどん暗渠開渠に出会います。
この物置みたいなところの下から、ゴォォ・・・と音がします。
裏に回ると、やはり水路。犬も歩けば、水路にあたる。
物置の裏、まっすぐに向こうにのびてゆきます。
ここはずいぶん、凛とした開渠ですねえ。
そしてさきほどの物置へと注いでくるのは、この水路でした。一転して観光地風になります。
ウッドデッキがあって、椅子があって。
鯉がわしゃわしゃ泳いでいる。
けど、水質はいまひとつです。この場所だと、鯉すらよく見えないくらい;
ふと横には・・・、水郷パーキング。
水郷パーキングかぁ・・・w。一度は借りてみたいものです。
さて、ようやっと目的の水路に出ました!!わりと早く出会えて、うれしい!
さらさら流れる水路の、半分を板が覆っていてそこを歩けます(ある意味半渠か)。んんんん~~~、こんなところ歩けるなんて、幸せすぎる。
この、木の板をカコン、カコン・・・と、歩きつつ水路を見ます。
大きな鯉が優雅にゆらゆらしています。取るなって言われても、これを取る気にはなかなかならないと思うんですが(でかすぎて)・・・
いじめたりしないでください、の文言には愛らしさを感じてしまいます。どうやらここは、新堀と呼ばれているようですね。
こんなふうに、洗い場もあります。
洗い場自体はもう使われていないようですが、この石積みが実際に地元の生活を密着していたことを、感じさせます。
案内板がありました。それによると、
江戸時代末期に造られた由緒ある新堀用水路も近年の都市化により、往時の面影を失ってきました。
そこで昭和63年度から水路と下水の分離工事を行い合わせて散策路としての木道を設置し、錦鯉も放流され往時の清流が蘇り、平成4年度に全国土地改良事業団体連合会により農村景観百選に選ばれました。この入選は町並に調和した清流を泳ぐ錦鯉、散策路としての木道の景観、地元「新堀用水路を愛する会」による景観の維持・向上の努力などが認められたものです。
そして、平成4年当時と思われる、とても透き通った流れの写真がありました。残念ながら、現在はその頃よりは澱んで見えます。しかし、いまでも随所に地元の方が水路を大切にしているようすがうかがえる気がします。
「足元に気をつけて歩きましょう」
ほんとに、酔っぱらって歩いたらボチャン!てなりそう。
なんだか、谷保の水路みたいに、水路と人との距離が近くて、それがうれしくてたまらないのです。
ほら、ここの風景なんて、とても似ている。
ちょうどここにも、案内板があって、それには、
この水路は、烏山用水といって今から約130年ほど前、田名の領主烏山藩が相模川から用水を引いた(山王崖から隧道を掘って)血のにじむ努力 その後改修により新堀とよばれる 久所、望地の水田を潤す水田が無くなって来て、水も汚れてきた そして地元の皆で大改修しうまれかわったのが平成2年
「これからは、みんなで力を合せこの水路を愛し守っていきましょう。」
と、手書きで書いてあるんです。木の板に、手書き。文章も素朴。
ここは新堀用水路(旧烏山用水)、ということみたいです。
どこまでもつづく・・・。家々の間を縫っていくようすもステキです。
チャンスを逃してしまいましたが、向こうに猫が過ぎりました。
ほとりに、材木屋さんのある風景。
暗渠沿いによく材木屋さんを見かけ、川を幻視しようとするわけですが、今後この画が幻視の好材料になりそうです。
水路をカコカコ歩いていると、すぐ脇に観光協会の建物があることに気づきました。冒頭で書いたように、今回はこの地の資料がものすごく乏しい。なにかチラシ1枚でもいいから、ないものか・・・
と、観光協会の建物のあたりをうろうろしたら、
なんと「観光協会」の実態は、カラオケルーム・・・!自由参加・・・!お気軽に利用っていわれても!
しかも中からうっすら漏れ聞こえる気がする・・・。うろうろしすぎて、参加を促されてもわたしは清野とおる氏のようにはなれないので、退散、退散。
またもとの水路に戻ります。
さっきから何回同じような写真撮ってんだよ!って思われるかもしれませんが・・・、ちょこっとず~つ感じが違うのですよ。良い木道だよなぁ。
観光協会のちょっと先でこの遊歩道は終わり、
町角の水路となって、町を迂回するようでした(※)。
この用水の取水元、相模川も見に行ってみます。
このビーグル君が、さっきからずっと近くをうろうろ。といってもコッチが興味を示すと逃げてくし、諦めるとそこにいるし・・・、でも首輪つけてるのに全然飼い主らしきひとが居ず、かなり自由に走り回ってるのでした。(この、のびのび動物!が田名の自分的裏名物です。次回参照。)
あ、鮎供養塔。ここではかつて、鮎漁(しかも鵜飼い)が行われていたそうです。
それから、ここに渡し船もあったようですね。今はずいぶんとしずかな地ですが、明治~昭和初期は歓楽街もあり、かなり栄えていたそうです。立派な用水が張り巡らされた”水郷”は・・・華やかな過去を持つ地だったのでした。
高田橋という大きな橋のところには、お米屋さんがありました。かつて水車でもあったり、したのでしょうか(確認しませんでしたが新堀沿いに水車が2つ残っていたようです)。
ザ・米・・・。
相模川の土手の方から見下ろすと、さきほどの迂回する水路(※)の下流部がありました。
鉄骨のはしご式で、U字溝が浮いててへんな感じになってます・・・最後は暗渠となり、追えなくなります。
今度は別な暗渠から出てきたらしい水路が、突然ありました。
だいぶ廃れちゃった雰囲気ですが、覗いてみると、コッチには小さな魚がいっぱい!鯉を泳がせてるより、ずっと見ごたえがあります。
こういう場所で、いくらでも小さな魚を眺めて過ごせます。たのしい・・・
防火水槽、二重貼り。
ここらへんは、後からできたらしき団地でした。「水郷田名団地」。
団地の中を抜けていくと、またも水路がやってくるのがみえました。
それが、団地唯一の食料品店の脇に出てきて、あとは暗渠になってゆくのでした。
水郷田名団地の東側を、大堀(相模原幹線用水路)が流れてゆきます(新堀は西側)。今回紹介したいくつかの水路はここに向かって流れているように見え、そして大堀自体はは「弁天へら釣り場」「弁天どぶ」「望地弁天キャンプ場」というやたら弁天の名のつく地を通って相模川に注ぐようでした。
次回は、この大堀に合流する、ありえない湧水!の巻につづきます。・・・かつての、華やか歓楽街、田名。しかし、現在でもなお我ら暗渠・水路ファンにとっては歓楽街!な光景を、お目にかけたいと思います。
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コメント
「水路ファンの歓楽街」って、なんだか「オバケが墓場で運動会」みたいな感じですね。いやなんとなく。
ときに、この木道の直下はどうなっているのでしょうか?二ヶ領用水宿河原線方式みたいなのかなって思いまして。
やっぱり材木屋多いですか。親戚にドブ川のそばで材木屋をやっていた人がいまして、「やっぱり昔は材木はこの川で運んだの?」って聞いたら、「国鉄の貨車」って言ってました。
投稿: 俊六 | 2011年2月14日 (月) 19時38分
>俊六さん
墓場で運動会w ああ、でもなんとなく、の感じは伝わってくる気がしますw
この木道の下も、水路だったと思います。というか、そういうつもりで歩いていたがために、下を覗くのを忘れていました;
材木屋さんはみるたび「やっぱり!」って思っちゃうのですが、そうですか、運ぶのは国鉄でしたか。もっと昔のことも知りたくなるけれど、上水脇にも材木屋さんはあるし、運送というよりは湿気が目的なのでしょうかね?
投稿: nama | 2011年2月15日 (火) 09時34分