« 藍染川桜酒マラソンのおしらせ | トップページ | 田名 水づくしのたび① »

東海道さんぽ、と見せかけて

Sina1

前のことになりますが、北品川に行ってきました(書きかけてた日付を見たら去年の4月でしたw)。

めずらしく京急、北品川駅。駅を降りて踏切をわたろうとすると、案内板がありました。
ここには江戸時代、「磯の清水」という名水の出る井戸があった。品川宿内の半数以上の家でこの井戸の水を飲料にし、干魃の折にも涸れることがなかった。このことから、この横丁を清水横丁と呼んでいた。
すぐそこは海だというのに、すばらしい名水っぷりですね。

Sina2

北品川から新馬場へと歩きます。そういえば、初めて東海道を歩く気がします。
旧道・街道萌えはないはずなんですが、ちょっとウキウキしました。道端のふるい建物にうっとりしちゃいます。あ、ここ、”散歩もの”で雪駄買ってた店かもなあ、とか。。

Sina3

ふと海の方向を見ると、だいぶ低くなっています。このような水路跡っぽいものがありますが、海(運河)へと続く、排水路だったんでしょうか、どうなのでしょうか。

ここらへんから、東海道をそれていきます。目的地はもう少し海の方向にある、台場小学校。

の、前に。ふつうの住宅街のなかの、ふつうの道に、こんなものがありました。

Sina4

でかっ!

超特大径マンホール!?
車が乗って回転するやつ!?
パカッてひらいて、下から何か出てくるパターン!?

・・・謎です。

Sina5

まもなく台場小学校につきましたが、裏側だったので、表へとまわります。こんな細い道が小学校を囲っていて、あたかも水路跡のようです。学校敷地の周辺をぐるっと囲む暗渠のようなもの、ときどき遭遇する気がします(こういうの)。下水道台帳をみると、この道の下には下水道がはしっています・・・。
けれど、ここはもとは海。埋立後に排水路でもあったのかどうか、それは昭和初期の地図等からは読むことができませんでした。ただの防災用なのかもしれないし(←テキトウ)。

Sina6

ともかく小学校周りの道を歩きます。かくっと曲がるところに、お稲荷様がありました。昔の地図にも、今の地図にもみあたらない、ひっそりとしたところ・・・。

台場小学校の記念誌によれば、開校当時(昭和32年)、子どもたちはずいぶんとワイルドな埋立地で遊んでいたようです。このあたりには、”雑草が生い茂り、低い崖、小さな横穴、自然のため池”が広がっていて、ため池にイカダを浮かべてドロドロの水の中で遊んだり・・・。そんな光景がここにはあったようです。

Sina7

しかし、潔いまっすぐさですね。
ここは小学校の西側ですが、もう少し先に西門があります。いまじゃ道路ですが、その西門の前には目黒川(改修前)が流れ、造船所まであったそうです。

Sina8

さて、今回の目的である御殿山下台場(砲台)跡にたどりつきました!案内板があります。

徳川幕府は江戸の町を守るため、品川沖から深川洲崎にかけて11の台場を作ることにした。第4、第7は中途で工事を中止、第8以下は着工にも至らなかった。その代わり陸続きで五角形の砲台を造ることになった。これが御殿山下台場(砲台)です。明治になると埋め立てられ姿を消しましたが、幸いなことに台場の輪郭は道として残り、今でもその位置と形を知ることができます。跡地に建つ台場小学校の敷地はこの台場の半分ほどの面積を占めています。
台場跡からは石垣が発見され、小学校にはその石垣を使った記念碑が建てられました。石垣の上に立つ灯台は明治3年(1870)、日本で3番目の洋式灯台として第2台場に造られた品川灯台(←現在は愛知県犬山市の博物館明治村に移設)を模したものです。

んー・・・。つまりここは、御殿山下台場の跡地にちがいないけれど、目の前にある碑は、そこらへんに落ちてた石垣の石を集めてくっつけ、なぜか灯台を乗っけちゃったもの、ということなんですね・・・。ま、それはそれ。

黒船に驚いた幕府が、台場を築き、そこで使う大砲の火薬を水車で製造しはじめたことは、小淀川のところで触れました。つまり、以前書いた第3台場も、いま立っている御殿山下台場も、なんと淀橋の水車とつながっているのです!ほか、木材は関東地方の御林、石材は相模・伊豆・駿河、土砂は品川御殿山などからあつめ、かなりの手がかかっています・・・もう少し、お台場の話をつづけます。

「お台場 品川台場の設計・構造・機能」によれば、この御殿山下台場は、海上の台場列を支援する機能を持っていたそうです。もう少しつっこんでいうと、一番台場との間を通過する敵艦に対し、”一番台場と連携しながら、横打・追打の十字砲火を加えること”が主要な役割でした。参考までに、昭和22年の航空写真(gooより)に情報を加えたものを以下に載せます。だいぶ埋立が進んでいますが、江戸時代は御殿山下台場だけが突き出ていて、ここはほぼ海でした。

Daiba

御殿山下台場だけが陸続きで、その外形は”バスチオン”(五稜)に分類されるのだそうです。←バスチオンとか、もはや響きがカッコイイから引用してるだけw この築城方式について「品川御殿山下台場の築造と鳥取藩池田家による警衛(※)」から補足すると、御殿山下台場は当初の品川台場11基計画に含まれていなかったため、もとの”レドゥーデン(方形)のリニー(一定の間隔で複数個)”方式が適用されなかったようです。
また、なぜこの場所につくられたかというと、前掲資料(※)によれば、①第4台場の築造が中止(一応試射できるほどではあったいうが)によりできた防衛上の穴を補うため、②御殿山土取場の土出口として丁度この地(目黒川河口)が指定されたこと、という理由が大きいようです。陸続きにすることにより、負担は減るわけです。

また、最終的に台場は6基完成していますが、警衛はそれぞれ川越・会津・忍・鳥取・庄内・松代が最初に命じられ、大名を交代させながら続けられたそうです。なんと、庄内!ここで山形ともつながりました。なお、幕末期の江戸湾防備は、主戦論・平和的拒絶論・許容論・開国論の各立場の藩から選抜されているらしいこと、鳥取藩は本牧の防衛にてペリーの再来航を経験した経緯から御殿山下台場の警衛を命じられたらしいこと、なども、読んでみるとなかなかおもしろい・・・!(←幕末とかあまり興味なかったのに、台場が絡んだら面白くなってきた。)

Sina9

と、あちこちと情報がつながってうれしいところですが、旧東海道へと戻りましょう。

ここも運河方向へと下る細い道なのですが、なんだか地面が橋跡っぽいんです。・・・どこだったか、街道のジオラマに(ってか東海道かもしれない;)、街道をわたる小さな排水路がありました。それは石蓋の暗渠で街道を横断し、このような細い隙間をながれ、そして海へと注ぐものでした。
ここも、そのような水路のひとつだったかもしれません。

Sina10

ここはたしか、1回目に行ったときには気づかなくて、2回目に夜うろうろしたら見つけた店。

てんぷら、三浦屋の外観にめろめろです!雑誌やらTVやらで、けっこう有名なところだったみたいですが、知りませんでした。この雰囲気、”船宿・天ぷら”という響き・・・ああ、ここの天丼を食べたい!!

Sina11

サイドはひそかにもじゃってるし。もうとにかくこの店に入りたい。

・・・しかし、そこからが長い闘いでした。時間外で入れない。ランチ時間に間に合わない。夜も営業しているらしいのに、(正月だから?)たまたまその日はやっていない。などといった負け戦を何度も繰り返し(一部twitterでぼやいたw)、

Sina12 

ついに入店っ!!

待望のさかな丼です。きす、めごち、穴子が横たわって、彩りのししとう。ビール。

うまぁあぁ・・・・(涙)。これでおいしくなかったら、別な涙を流すところだった。店内の雰囲気ももちろん良いです。なんだかおうちの中で家族並んで食事してる、みたいな。
おいしゅうございました。満足。

Sina13_2

三浦屋のとなりは、古いのだけど、ちょっと気になる建物でした。
花街系の建物を見抜く力を持っていませんが・・・、なんか、ちょっとそれっぽい、ような?
「わが町北品川二丁目」によれば、江戸より受け継がれた品川遊郭は明治20頃には54軒(うち北品川16軒)、売春防止法の昭和33年には42軒だったそうです。いまだ名残をとどめる建物があっても、おかしくはないと思います。

Sina14

そして最後は、お風呂屋さん。天神湯であったまって、帰りました。

天神湯は、新馬場の駅近くのお風呂屋さんで、黒湯の温泉もあります。そして建物がすんごい(新しくてジャズが流れてる)です。「ここ、どこだっけ?」ってなります。風呂上がりの、フルーツ牛乳で、パシャリ。

いろんな要素詰め込んじゃった気がしますが、軍事めあての、天丼さんぽでございました。天丼食べるまで記事書かない、って思っていたので、長かったなあ、ここまでw

|

« 藍染川桜酒マラソンのおしらせ | トップページ | 田名 水づくしのたび① »

6 軍事もの」カテゴリの記事

8 花色街」カテゴリの記事

コメント

明治村で撮った灯台の写真、ありました。
http://p.twipple.jp/ENJz5

投稿: えいはち | 2011年2月 6日 (日) 00時10分

>えいはちさん

ありがとうございます。う、twippleでしたか。ブロックされて見られません。でも、昨日見たので大丈夫ですw明治村っていろんなものがあるのですねーー!w

投稿: nama | 2011年2月 7日 (月) 17時45分

ああ、御殿山下台場は海に突き出ていたのですか。
完全に陸地内だとばかり思っていました。
第三台場には行かれたことありますか?

旧東海道のこのあたりは、観光地化した表通りよりも、一歩裏路地に入った方が面白かった記憶があります。
妙に井戸だらけの場所があったりして。

投稿: 猫またぎ | 2011年2月 7日 (月) 18時34分

>猫またぎさん

突き出てる時代もあり、じょじょに周囲が埋められて、って感じみたいですね。第三台場は行きましたー。スーツ着てヒール履いてww

井戸だらけ。記事に書かなかったですが、小泉長屋とそこにあった2つの井戸は見ました。そして公園に猫が数匹いました。たしかに裏路地おもしろいですね。

投稿: nama | 2011年2月 8日 (火) 10時51分

> そこらへんに落ちてた石垣の石を集めてくっつけ、なぜか灯台を乗っけちゃったもの

この「石垣」って台場で使われていた礎石ですよね。
説明板の文章の「台場跡からは石垣が発見され」というくだり、なにか奥歯に物がはさまったような感じがしませんか。

投稿: 庵魚堂 | 2011年2月 8日 (火) 18時16分

>庵魚堂さん

あれ、そういえばそうですね。ここに台場が埋まってて、さらに石垣がなぜかその中に埋まっていたかのような・・・?なんかちょっとふしぎな感じです。

投稿: nama | 2011年2月13日 (日) 22時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/24013/48197511

この記事へのトラックバック一覧です: 東海道さんぽ、と見せかけて:

« 藍染川桜酒マラソンのおしらせ | トップページ | 田名 水づくしのたび① »