紅葉川をねちねちと歩く その3 川田窪支流(仮)
紅葉川、舟下りの旅。
枝分かれする小枝の4本目は、若松河田スタートです。
の、前に。若松河田駅近くにある、気になりスポットをさんぽしてからにしましょう。(川跡ではありません。)
まずはこれ。
レトロ喫茶のモーニングサービスに、「プリン」がついてます、まっさきにw。非常に良い感じです。
それから。国立国際医療センターを囲う石垣に、”地下道を埋めたような跡”があると、散歩の達人で見たことがあるので、ずうっと気になっていました。
ただでさえ、魅惑的。しかもここは、旧・陸軍第一病院と、旧・陸軍軍医学校をつなぐ地下道かも、とのこと・・・。
「かも」が気になるけど・・・。
埋められたトンネル、しかも軍事モノというダブルです。ワクワクします!
・・・そして実物が見えてきました。
へ?これ?
・・・いちお、トンネル型っぽいものはあるのですが、周囲の石垣の上にコンクリを塗ったような感じがしなくもない。こういう埋め方というのも、あるのでしょうか・・・?
結局、埋め跡かどうかは、よくわからないままです。
まぁ、いいや。見られたので満足しました。
さて、もうひとつ見たい物件があります。それは、ダット。
”地域誌 この町の昔のくらし”をみると、若松町には乗合バスの発着ターミナル「ダット」があったそうです。バスの向きを変える、円形の鉄板があって、そこにボンネットバスを止めてぐるぐる回す・・・子どもたちが面白がって、一緒に回す・・・そんなほのぼのした光景があったそうです。この、写真のあたりがそうらしいんですが、いやぁ名残はないものですね。ちなみに、もうひとつの発着地は大隈講堂前で、言われてみればそっちはロータリーの名残がありますね。
さて、いきなり時間帯が変わりますが、ここからが今日の本題。
まずは若松河田駅隣にある、”文化財カフェ”でゴハンにしよう、と決め打ちして、お昼にやってきました。
小笠原伯爵邸の、レストラン。・・・なんか、ランチって感じじゃない上、時間帯が合わなくって入れませんでした。
その小笠原伯爵邸の敷地から、ちょっと眺めると、もうこの景色!
すぐそこに窪地です。ここの住所は河田町、ですが、河田町はおおむかし”川田窪”と呼ばれる土地だったそうです。いまでも、河田町には紅葉川の支流と思しき、深い谷が感じられます・・・
でも、まずゴハン。きょろきょろ見わたし、ハートを射止められたのが、レトロ喫茶”フリーマン”でした。
入ると・・・なぜか店内を埋め尽くす、近所の(?)おばさまたち(店員のおばさまも混じる)。レトロ喫茶でこの光景は初体験です。それと、喋りの勢いがすごい・・・ので、ひとり丸腰で乗り込んだことにビクビク。
食べもののメニュウは、良い感じです。・・・ん?オリエンタル?
わたし「すみません、オリエンタルってなんですか?」
おばさま「上にタレがかかってるのよ」
わたし「タレ・・・(脳内変換後)あ、カレー!それくださいっ!!」
して、出てきたのがこの、オリエンタル。マイルド~~な味わいで、スパゲッティ(パスタ、ではない)もやわらか太め、やさしくって、良い一皿でした。
さてさて、満足してさっきの小笠原邸へともどって、なぜかもう一回窪地を見にいきます。ビルと崖のすきまに、ひっそりと神社がありました。
”地域誌 このまちに暮して”によれば、ここにある”団子坂”も川田窪と関係があるようです。むかしはもっと急な坂で、川田窪(低湿地)があるためどろんこ道で、転ぶと泥団子になるから、という由来のようです。
神社の脇から、改めて窪地を見ます。うーん、よく見えないけど、すぐそこにV字のへっこみがあって、しかも歯抜けの空地になってます。
では、抜弁天通りから谷へと入って行って、V字道をゆきましょう。ここが、まさに川田窪です。むかしは、湿地で、じゅくじゅくと水っ気があったのでしょう・・・そしてそこから、靖国通りの方に向かって、川の流れが・・・。
いまから歩く支流を、紅葉川の川田窪支流(仮)と名付けたいと思います。
さっき、上から眺めた空地を、こんどは下から眺めます。
広大ですねえ。段々ですねえ。・・・取り壊されたらしき家々の、残骸が少し、哀愁。
谷を下り続けます。やや、上方にでっぱりが出現。その上は公園です。「でっぱり」を見るとどうしても、吉田戦車のでっぱりネタを思い出してしまいます。でも、なんでここはこのでっぱりが必要なんでしょうか。
さて、谷に沿って下ってまいりましたが、実はこの川田窪支流(仮)、3流が合わさる形です。
1つめが、いま追ってきた、小笠原邸の脇から始まる谷。2つめは、余丁町からくる谷。3つめは、東京女子医大からくる谷です。
ということなので、余丁町からくる谷も追いましょう。こっちは合流点から遡ってみます。車止めが、道の両脇に出現します。
こんなふうに、車止めは何個も出現。ここは縦のやつと、奥にもありますねえ。でも、新宿区って暗渠じゃなくても結構車止め(というか通行止め?)がある気がするんで・・・惑わされないぞ、とか思いながら進みます。
余丁町の谷が、両側にわかりやすく迫ってきました。ここは誰かんちの駐車場というか駐輪場というか、ですが、奥の方が谷頭っぽくなっていて、小さな沼でもあったような風情です。
右にも左にも崖。反対側も、奥へ行くとこうなっていました。あ、また歯抜け地帯です。
崖に惹かれて入っていくと・・・、
あ、井戸だ。
クラシックな井戸がありました。いまも使われているようです。
最近、地元の井戸調査に混ぜていただけるという機会がありまして、40強の井戸を見たり調べたりしまして、すこうし、前よりは井戸のことを知った気がします(まだまだ、これからですけど)。そして井戸にますます興味がわいています。
さて、余丁町の谷が始まるあたりまでやってきました。広めの通りに出ます。
じつはここ、違和感空間で、こんなロータリーみたいなのと、階段が二本、無駄についてるのです。
反対側からみると、こんな感じ。ロータリー的なものの隣にも車止めつきの道があったりして、わけがわからないです。実はここ、以前に紅葉川さんぽ準備のときも気にしてた場所です。
いったい、何・・・?
ちなみに、”地域誌 この町の昔のくらし”によれば、この1ブロック隣と思われる場所に貯水槽があります。回想による図なのでなんともいえませんが、この位置に貯水槽、のほうがしっくりくるのになぁ、とか思ったり・・・
その違和感空間の向かい側には、余丁町児童遊園がありました。この公園は、雨水貯留浸透施設がついてて、水っ気があります。池があったとしても、位置的には、先回の弁天支流(仮)にも、いま遡ってきた谷にもつながりうる、ちょっと微妙な立地です。
・・・で。このふるーい看板を見て、最近持っていたモヤモヤが氷解しました。この公園は、道路予定地だったんですね。そしてどうやら、当初は昭和のうちに道路を作るつもりだったんですね!
その道路は、以前ヤマサキさんが教えてくださった、神楽坂にもできる放射道路。そのための用地が、ほかでもあちこち歯抜けになっているのだとしたら・・・、そうか、富久町のあそこも、さっき見てきた河田町のあそこも!これらは道路が出来る寸前なのか・・・。いや~、道路計画とかよくわかんないんで、歯抜けの意図がわかってませんでした。ヤマサキさん、教えていただき感謝です!!
道路予定地ならではの、ふるい家々が残され、しずかにその時を待つ、独特の雰囲気。マッカーサー道路のそれは、見ることができずに終わってしまいましたが、今回はたまたま触れることができたようです。
今回の行程は、次回に併せて示します。川田窪支流(仮)、もう少し続きます。今回はスルーしてしまいましたが、出世稲荷と金弁財天が流路沿いにある、というのも、なんだか気になります・・・。まだちょっと、この支流の個性がつかみきれてませんw
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コメント
ダットってバスの転車台のことなんですか?
転車台だったら、10年前くらいまで杉並(松ノ木)にありましたよ。永福町~松ノ木の京王バスで使用されていましたが、路線が高円寺まで延長して転車台は廃止されちゃいました。
あと渋谷駅の井の頭線と銀座線の間にもありました。(玉電のホームだったところですが、現在はマークシティになってしまいました)
投稿: リバーサイド | 2010年12月14日 (火) 21時00分
井の頭線のわき、ありましたね〜。オリエンタルはオリエンタル・マース・カレーなんでしょうか。そして井戸調査、羨ましいです。地下水位の分布とか、見てみたいなあ。
投稿: HONDA | 2010年12月14日 (火) 23時43分
>リバーサイドさん
はい、転車台ということなんだと思います。ボンネットバス1台につき大人2人くらいの人力で回すやつみたいでした。って、10年前くらいまであったのですか!松ノ木とはまた、渋いですね~~wさすがに電動ですよね、きっと。マークシティのとこにもあったのですか!そういえばあそこは今もバス関係ですね、なるほど・・・。
>HONDAさん
おお、マークシティのところのをご存じなんですね。わたしも10年前~ウロウロしたことがあるはずなのですが、あそこがどうなっていたか、全然記憶に無いです。
オリエンタル!なじみがないので思いつきませんでした。あの粉末が使われているのでしょうか。あり得ます。けど、オリエンタルカレーの味がわからないので、検証できません、うぅ(涙)。
井戸調査。えへへ、誘っていただいちゃいました。そして高円寺には吃驚するほど丸井戸が残ってました!以前住んでいたマンションのすぐ近くにも共同井戸があったりして・・・。わたしはまだわからないことばかりですが、井戸底を測って「これは礫層だ・・・!」と凄く嬉しそうにしてらっしゃる主催者の方を見て、憧れを感じました。
ちなみに、ご存じかもと思いながら書きますが、区のボーリングデータは役所で見られたりするようです。区にもよるようですが、杉並はコピーを購入できるそうなので、そのうち買いに行こうかと思っています。
投稿: nama | 2010年12月15日 (水) 11時20分
こんにちはー。
お、おおーっ 冒頭軍事ネタに反応しましたーーっ
大戦中の軍事用地下壕とか通信隧道、はたまた秘匿地下工場などなど・・・心臓が高鳴ります。(病気かなぁww)
私も久々に軍事ネタを書きたくなりました!!
ってコメントになってなくてごめんなさい。
投稿: imakenpress | 2010年12月15日 (水) 15時11分
>imakenpressさん
こんにちは。いやいや、コメントになってますよ~wどうもありがとうございます。
地下壕、隧道、地下工場!・・・ですよねー!今回の地下道跡(?)は正確なソースがわからないし、秘密めいたものじゃなかったかもしれないけど・・・。
軍事ネタ、ぜひ書いてくださいっ!w
投稿: nama | 2010年12月15日 (水) 16時03分
昨日たまたま若松河田まで散歩しました。
この記事ちゃんと読む前だったので、偶然に驚いてます。
ただメインは例の西向天神とか新宿6丁目界隈だったので、
この辺はあんまり詳しく見てません。
それでも小笠原邸とその敷地の眺めはビンゴでした。
出世稲荷にも行きましたよ。
今日中にはアップできるかな。
いや、この辺りは「その2」になるから明日以降でしょう。
投稿: えいはち | 2010年12月16日 (木) 12時22分
>えいはちさん
おお!!そうでしたか!わー、記事がたのしみです。わたしはこのあと、曙橋のほうへ下ってゆくのですけどね。
出世稲荷についても書いてくださいね!金弁財天というの、あとから地図で見つけて、しまった弁財天を逃してしまった!と残念でした。そのうちリベンジしにいくとおもいます。。
投稿: nama | 2010年12月16日 (木) 22時40分
余丁町児童遊園ですねえ。
別の意味でここも違和感空間です。
その答えはリンク先に。
(ちょっと怖い、というか重い場所なのでご注意ください)
投稿: 庵魚堂 | 2010年12月20日 (月) 22時33分
>庵魚堂さん
コメントありがとうございます!リンク先、まだ拝見していなかった記事でした。同じ看板を同じように撮っていて、おもしろかったですw やはりあの昭和の看板は、気になりますよね。
で・・・、そうでしたか、あそこにあったんですか。実は富久町や弁天支流の記事のときに、跡地を歩いていたことを後から知って、碑もあったらしいけど、どこだったのかなあ、なんて考えていました。そうですか、ここでしたか・・・。道路になってしまったら、いったいどうなってしまうのでしょう。
投稿: nama | 2010年12月21日 (火) 12時16分
おーっと、庵魚堂さんのリンク先の次の記事、西向天神&富士塚!
投稿: えいはち | 2010年12月22日 (水) 08時41分
>えいはちさん
!
よく気づかれましたねー!気づいてませんでした。
そしてもう少し遡ってみたら、紅葉川のことも書かれていたのですねぇ。なんだか、お宝発掘、みたいな楽しみ方をしてしまいました、庵魚堂さんのブログ。
投稿: nama | 2010年12月22日 (水) 20時33分