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2010年12月

谷なんです 梶ヶ谷編②

梶ヶ谷川(仮)のつづきです。

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前回、まさに梶ヶ谷駅のところにあった池から流れ出していた、流れ。深い谷を進み、家々の間を縫って、ここまできました。

暗渠は立派なコンクリ蓋の曲線美でもって、道路と併走していきます。

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すると、足元のマンホールの蓋が開いている!!この状態に遭遇する(しかも近くで見られる)なんて珍しいので、興奮してしまいます。

いったい、なにが??

・・・とりあえず、もったいないので、覗き見します。中にはキレイな水が勢いよく流れていました。

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そしてマンホールの蓋からはホースがはみ出ていて、先に続いています。ごぼごぼっ、ごぼごぼっ、という音がするので、暗渠から水を吸い上げているのか?と首を傾げてしまう、ふしぎな光景です。

先は工事現場のようです。

わくわく!

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そしてホースの先が、工事現場の一部につながっているようでした。
工事現場の方々がちょうど休憩に入られるようだったので、このホースが何なのか聞いてみました。すると、
「湧き水だよ、湧き水。ここは崖の下だからね、沢山湧いちゃって、こうやらないと現場に水が溜まっちゃうんだよ。」
とのこと。・・・ある種、湧水ととても触れ合える職業のひとつ、なのかもしれません。おじさまはとても自然なこと、という感じで言ってらっしゃいましたが、わたしは”湧き水”って聞くだけで「ほぉぉぉー!」とうれしくなっちゃうわけです。(どうも、ありがとうございました。)

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コンクリの舗装×白線×半渠蓋。ひとつひとつはよく見るけれど、この組み合わせでは案外登場しない。

この半渠蓋からのぞくと、やはり水は勢いがあって、「さっきの、湧き水さんも加わったんだよね」と、にやり、としてしまいます。

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ゆるやかに曲がります。
やっぱ曲線、たまりませんねぇ・・・。

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さきほどまでは、しずかな住宅街でした。ここからは、少し大きな通りに出ます。

訪問前はここで暗渠が消えるような気が(地図上では)していたのですが、ますます存在感を強めて、続いていました!

立派なコンクリ蓋。ここでほぼ直角に曲がるのですが、その曲がり方は江戸期のまんまなのです。

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うおっ。クリーニング屋さんの親分みたいなのが!

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クリーニング総合工場の前から、ちょっと変わった蓋になります。

長細くなって、間に鉄板が仕込まれ・・・強度を上げたいのでしょうか。なぞ。

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この広い道路では、すこしずつ出たり消えたりもするのですが、基本的に立派な暗渠がずうっと続いているのですよ。豪快に。

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フェンスで覆われ、ジャングル化していて歩けないところもあります。

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なにやら色々と物置用みたいになっているけれど、民家専用で閉じていて歩けないところもあります。

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入れないエリアの最後には、どーんと物置蓋が置かれていました。

それから、緑色の植物か野菜が入ったような袋が、ちょこちょこと置き去りにされています。

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どうやら、野菜とお花の直売所のようでした。それにしても、10円均一とはっ・・・。

梶ヶ谷川(仮)上流部でも、100円台だった気がするのですが。ここは、すごい。豪快。買えばよかったです・・・。しかも、暗渠直売所!(直売所蓋?ちょっとちがうかな・・・)

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直売所を過ぎると、またも暗渠の雰囲気は変わってしまい、この写真右側の、囲われた部分がそれです。なにかを待っているような、いないような・・・。

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左手にある、龍台寺というお寺からも、湧水と思われるものが合流してきていました。

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また物置蓋があって、そのつぎにコンクリ蓋が出、誰かんちの自転車置き場になって、そこで暗渠らしさが止まってしまいます。同時にわたしもここら辺で、タイムアップとなってしまいました。

このさき、下っていく方向には、溝の口駅があります。溝の口の駅周辺にある暗渠へと、これはつながるのかもしれません。

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今回の行程を簡単に。

よくみると、曲がっている角度が直角を超えてますね・・・。この不自然さ、どこかからは人の手が加わっているのかもしれませんし、梶ヶ谷川(仮)ではなく、ちゃんとした名のある水路なのかもしれません。でもま、続きの調査はまた今度・・・。

弟のつくった筍御飯なんかを、想像しながらあるいた、ちょっとしたナツカシさんぽでした。

さて。今年中にめぐったあちこちを、もっと今年中に記事にしておきたかったですが、どうやらこれが、2010年最後の記事になりそうです。
去年からはじめたこのブログ、今年は主役の桃園川を愛する人たちとの交流が何度もおき、さまざまな方向につながり、とてもありがたくうれしいことだな、と思っております。また、暗渠関係の方々とも交流させていただき、たいへんに刺激を受けました。どうも、ありがとうございました。来年もまた、よろしくお願いいたします。

最近、杉並近辺のことを書いていませんが、常に、戻っていくところは杉並、そして桃園川、と思っております。1月はそこらへんの記事が、書けたらいいな。

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谷なんです 梶ヶ谷編①

猫またぎさんが川崎で狂想曲を奏でている最中ですが、梶ヶ谷へ行ってきました。王禅寺のときのように、絵図の展示でココも気になっていました。
梶ヶ谷は以前弟が住んでいた地でもあり、「そういえば、”谷”だった!」な、地形なのでした。けっこう深い谷だった記憶があります。

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江戸期のここは、末長村にあたります。絵図によれば、ちょうど梶ヶ谷駅付近には、おおきな溜池のようなものがあったようです。そしてその溜池から、南へと川が流れていました。

ここに、池が!と思いながら、梶ヶ谷の駅を見上げます。こんな気持ちでながめるのは、初めてですw

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よくみると、駅の南側はこのように湿地帯にも思えるような、空き地でした。
その前にあった碑によると、末長~小字姿見台の中央を南北にはしる谷の名称は”池の谷”といい、谷の下手に池があったそうです。
”池の水は末長部落中央をせせらぎの如く流れ、野菜の洗い場に、防火用水に、大きくは灌漑用水として広範な水田を潤し、農業生活には欠くことのできない貴重な水源であった。”
と、碑にはあります。池の面積は約8300平米(橘村の村有地、末長住民が管理)あり、昭和12年に橘村が川崎市に合併の際、農家80戸の共有地として払下げた。ところが昭和38年、田園都市線の延長計画により、この共有地の中心が路線に入り、東急と住民が交渉を続けた。ついに昭和41年、共有地は駅の設置を条件に譲渡となり、その代金は末長の道路改修にあてられた。・・・と、まったく知らない歴史がそこには刻まれていました。

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以前は、ここに住む人たちにとって、大切な池だったようです。街としては発展したのでしょうけれど、大切な池の上に駅ができる、ということは、いったいどんな気持ちがするものなのでしょうか。

・・・ともあれ。その碑のすぐ脇から、コンクリ蓋暗渠が始まっていました。

池の周囲の低地には茅が生えていたそうです。ここにも生えていたでしょうか。

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池から出たせせらぎがあった道(絵図では主に道沿いに川があります)を、南に下ってゆきます。

左手には、急な階段。

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右手にも坂が見えます。ここは一見緩やかですが、駅からここに下ってくるときに、えらい急な階段を降ります。

この、階段だらけの地形のせいで、梶ヶ谷で車を運転する(引越し等を手伝ったので)のに苦労した記憶があります。

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この谷にはほとんどお店はありませんが・・・、数少ないお店のひとつに、暗渠サインのクリーニング屋さんがあります。”田園”だってw

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ゆるやかに蛇行しながら暗渠がすすみます。

数年経ちますが、だいたい記憶どおりの景色です。唯一の違いは、以前はもっと野菜の無人直売所があったんですが。畑が減ったのでしょうか? 弟は、よくそういった直売所で野菜を買い、時には筍を買ってアク抜きして筍御飯を作ったりしていました。

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川崎のあちこちで見られるような、凄すぎる蓋ってのは、ここにはあんまりありません。大きめのコンクリ蓋、たまにガードつきコンクリ蓋。
あ、今になって気付いたけれど、ここの塗り直された白い方は、スケキヨ化キャンペーンの一環でしょうかw

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さて、わたしが勝手に谷底かなと思っていたところに辿りつきました。
暗渠趣味よりも前のことですが、梶ヶ谷駅付近のマンション×畑、という風景がこの位置で農村風景に変わるので、なんだか気になっていました。道は続くんだけど、入ってはいけないような感じも。

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・・・そうか、ここも暗渠だったのか。この枯葉の積もった道が、さきほどのコンクリ蓋の続きです。

とても入りたい・・・けど、誰かの家の敷地のようにも見えるので、がまんします。

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下流のほうで侵入可能なところを見つけ、入ってみました。すると、みごとなコンクリ蓋暗渠でした。

この暗渠、何軒かのお宅の庭先を流れているのですが、庭で作業をしているおばさまがいらして、ちょっと気まずかった。そこで、思い切って話しかけてみました(半分は不審者対策)。
その方はここの生まれだそうで、
・梶ヶ谷駅は、昔は沼だった。おばさまが幼稚園のころは、まだ駅は出来ていなかった。
・そしてこの川は小学生までは”土手の川”で、魚も少し居た。
・駅ができた後、だいたい25~30年前くらいに、この川は埋められた。

等々、教えてくださいました。(ありがとうございました。)

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なんとー、梶ヶ谷駅って、そんなに新しい駅だったのかっ!!リアルに沼だったのかっ!!・・・ますます、梶ヶ谷駅を見る目が変わってしまいます。やっぱり、地元の方の話の方が、響き方がリアルですね。

不審者対策も無事終えたので、堂々と暗渠をさかのぼります。さきほどの落ち葉の暗渠が少し見えますね。

暗渠には橋が架かっていました。かわいいかわいい、自家用橋。

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もう少し下流。左手に竹林がみえますが、その竹林からも樋が伸び、湧水らしきものが滴っていました。

いまも水は湧き、川となってこの下を流れています。もう、完全に勝手に、”梶ヶ谷川(仮)”と呼んじゃいます。

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もう少し下流部に来ると、梶ヶ谷川(仮)は、道路の一部となります。
こんなふうに高い壁に囲まれ、コンクリ蓋で隠されていますが、数歩横へ行けば、ひろがるのはほぼ農村な風景です。・・・なぜ、この梶ヶ谷川(仮)を暗渠にしたのでしょうか。駅開業に伴い、上流部である駅付近が都市化し、ここもドブになったのでしょうか。おばさまの話からは、ドブで困った類のことは感じられませんでしたが・・・

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いまも流れている、そのようすを見ることができます。梶ヶ谷川(仮)はいまも生きています。

さすがに魚はいないでしょうが、水はキレイです。

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さすが川崎、よくみると実は変わった蓋でした。馬の蹄みたいなへっこみがついてる。・・・ひづめ蓋?

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さあて、道路に出ます。久しぶりに住宅地って感じの風景。駅近辺とは違って、昔からお住まいの風景。

道に沿って立派なコンクリ蓋が続きます。

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もう少し、下流まで。
ふと横を見ると、すんごい階段があって、頂上にはどうやら公園があるようなのですが(今思えば周辺の地形が良く見えたかもしれませんが)、絶対に登りたくない!と思いました。

梶ヶ谷、なんて、行く機会のある方は少ないかもしれません。けれど、少し縁のあるわたしは、ここにも暗渠があって、まだまだ続いていることが楽しくって仕方がありません。実は時間の都合で全部は追えなかったのですが、もう少し下流まで追った記録があります。なので、もう一回梶ヶ谷の記事が続きます。

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紅葉川をねちねちと歩く その5 防衛省の敷地には

今回は、川筋までは特定できなかったものの、紅葉川のさらなる水源かもしれないものについて、です。

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とつぜんですが、防衛省見学に行ってきました。

ここは、紅葉川を下るにあたって、触れておこうと思っていた場所です。古地図を見ると、この位置にあるおおきな池が、いやでも目につくからです。

そこで、ついに申し込んだ市ヶ谷台見学ツアー。予約が必要で、希望の日時にすんなりとは申し込めず、意外と混んでいる印象でした。

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行ってみると・・・、思いっきり混んでいます。なんじゃこの人数!
ツアーの解説員は、若い女性2人と、自衛官っぽいおじさまがひとり。おじさま解説員だけは、拡声器を使わずに大きな声で解説します、気合入ってます。いわく、10月だかにテレ東でこの見学のことが放映され、以来すんごく混みだしたとのことです。はぅーん、損なタイミングで来ちゃったな。

でも、まあいいんです。IDカードみたいなのを貰って、気合注入。集合場所が崖下なので、そういう意味でも興奮。あ、ちなみに、一部を除いて撮影してもよい、ということでした。太っ腹ですね。

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入口正面の階段です。外からだと一部しか見えないものです。うーん、広い。
ちなみに防衛省の庁舎は、伽藍建築をイメージに盛り込み、平等院鳳凰堂に類似する形状を追求した、とのこと・・・。各棟の屋上部は、迎賓館をイメージしているとのこと!建物ぜんたいの妙な荘厳さは、そういうことでしたか・・・。うーん全然知らなかった。

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エスカレーターで上ります。ってか、ここ、エスカレーターなんてあったのね!!エスカレーターマニアの方、喜ぶんじゃないかしら。

解説員いわく、ここは実は建物にして4階分の高さがあるからなのだそうです。階段全体が広すぎて、そんな高低差がわからなくなってました。たしかに、4階分の上り下りはつらいわ。

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さー、儀仗広場というところを目指します。歩きながら、周辺をじろじろ見てるだけで萌え。ああっそれらしき車がぁ。それらしき服を着たお兄さまたちがぁ。かこええ・・・。

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儀仗広場は、中枢となる建物の前にあり、国旗なども掲揚されている所です。
その場所が、この敷地内では一番標高が高い、ということでした。ちょっと下から見上げた写真も載せときましょう。

そして解説員いわく、都内で2番目に標高が高いということでした。「都内」とたしかに聞こえたけれど、ホントにそうなのか微妙だなとおもいつつ聞いてましたが(区内、とか、山手線内とかかな、と。まだ検証してない)。ちなみに一番高いところは、戸山の箱根山、と言ってました。箱根山は、人工の山だと資料で読みました(土を取ったところがスリバチ状になっている、と)。ということはここが、自然にもっとも高い場所?・・・なのか・・・? ここだって江戸時代とかに多少盛ったかもしれませんけどねぇ。江戸のひとはずいぶん削っては盛りますものね。

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で、むかしの庁舎を移築・復元したこの建物が次の見学地点。この市ヶ谷台、今は自衛隊ですが、その前は旧陸軍の土地、そのさらに前は徳川藩の上屋敷だったそうです。さきほど、盛った盛らないをつぶやきましたが、尾張徳川家がこの地にきたのは、この標高の高さゆえ、らしいです。

この建物は陸軍士官学校本部の1号館として、昭和12年に建てられたもの。それをコンパクトにし、記念館として残してあり・・・、って、この玄関、庭園美術館にものすごく似てる気がするんですけど。気のせい?

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でも、その歴史的建造物よりも、わたしの心はお隣にあるこの鉄塔に奪われているのでした。

こんなに間近で見られるなんて・・・ウットリ。

鉄塔があるところは通信関係部隊の庁舎で、そのお隣には情報本部があります。もう、激萌え!!!・・・でも、コッチはさすがに入れません。

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記念館には、極東国際軍事裁判の法廷として使われた大講堂も残っています。裁判のエピソード、構造上の工夫など、あれこれ説明がありましたが、割愛。

2階の部屋に、三島由紀夫がつけた刀傷があるというので、三島ファンでもなんでもないのに、「うぉー」とか言って写真を撮っちゃいました。

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あ、割愛しちゃったけど、講堂には色々な資料も展示されていました。壁にはアジアの地図があって、それは極東国際軍事裁判で使われた、地図とおなじものなのだそうです。製作は、”日本地図株式会社”・・・、いまの、ゼンリンなのだそうです。「ゼンリン!すげぇ!」と、なんでか興奮してしまうお年頃。

はふー、1時間ほど中で説明されて、外に出たらまた鉄塔。おもしろいのが、参加者の人数確認のため、いちいち整列させられるのです。整列して、キビキビ歩く・・・たまりません。いや、キビキビ歩くのは強要されませんw

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つぎは厚生棟です。ジムや食堂、売店なども入ってます。ここで、売店での買い物許可がおりました。
いかにもお土産屋さん、な店もあれば、軍モノの専門店もあり、ふつうにスタバ、デイリーもあります。でも、ふつうじゃないのが、この立ち読みの光景w

せっかくのリラックスタイム、撮影しちゃってスミマセン。

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非常に残念なことに、食堂には入れませんでした。メニューがとても豊富です。

べらぼうに量が多いとか、安いってわけでもなかったです。

・・・さあ、そろそろ、川とか関係ないんじゃん、と思われ始めてる気がします。実は、たまたまツアーのルートが、古地図上の池の近くを通るようでした。大体ココかな、なんて、印をつけてました。
話が戻りますが、記念館で、ドアの陰にコッソリたたずむ、”上屋敷時代のジオラマ”を見つけました。やはり池があったので、ひとりで食い入るように見ていたら、なんということでしょう、例の自衛官解説員の方が説明しにきてくださったのです。
その方いわく、
・これは琵琶湖という湧水池だった。
・かなり高いところから湧いていたらしい。
・現在の厚生棟のあたりだったらしい。
ということで・・・。すごい!なんでも知ってらっしゃる!!って、感動。ありがとうございましたっ(敬礼

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で、その厚生棟がまさに、いま出てきた建物だったわけです。たしかに、地下深くまで掘られてたけど、それと池が関係あるかは非常に微妙。

で、厚生棟から東に歩いていきます。実は、最初にわたしが池跡としてプロットしていたのが、だいたいここらへん。駐車場なんです。駐車場って、結構きてるよね。って思いながら歩いてると、後方に貯水槽みたいなものが!水っ気、ありました。琵琶湖はここらへんまで来ていたのではないでしょうか。

それから、なにか特殊なマンホールでもないかと、地面もよく見て歩きました。
すると、「汚水」、「雨水」、「排水」、「中水」、・・・って。中水??下水道好きなのにお恥ずかしい話ですが、知りませんでした、中水。wikiで見たら、”生活排水や産業排水を処理して循環利用するもの”だそうです。ふむふむ・・・西新宿で見た、リサイクル水が流れてるってことかな。この敷地内でやってるのかな?
それと、「排水」が「汚水」と分けられているのも興味深いです。これらについては、だいぶぶつぶつと考え込んでましたw

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なぜ、そのマンホールたちの写真が無いのかといいますと、それは気分的に「乱れずに歩く!」と思ってしまって、立ち止まらなかったからなのでした。ヘンなノリをみせるんじゃなかった・・・反省。

その先、ヘリコプターが展示されていて、乗るオトナがいっぱいいたけど、なぜかあまり興奮せず。ヘリの裏側はすごい崖で、侵入は出来なかったけど、深いスリバチのように見えました。

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雄健(おたけび)神社跡の脇を通って、殉職者の慰霊碑のあるメモリアルゾーンへむかいます。

「跡」となっているのは、御神体が奉還され、移設されたからです。メモリアルゾーンを見下ろす、岬のような場所に建っていました。

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さあ・・・、これで、ツアーは終わりです。

正面の階段の、上からのながめ。滅多に見ることができないものです。また申し込めば見れるけどw

この眼下には、紅葉川が流れていたはずなのです。高いところで湧いていたという、琵琶湖の水は、紅葉川に注いでいたでしょうか。古地図上では流路は見当たりません。しかし、細い流れがあったかもしれないし、いったん浸透して紅葉川付近で湧いていたかもしれない。琵琶湖の水、紅葉川に何らかの関係があるのではないかな、と思ってます。

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最後に、今回の戦利品を。
厚生棟の売店で買いました。ついつい・・・。戦車の絵がカッコイイ、パウンドケーキの缶詰。ヘリの写真の、パンの缶詰。それから横須賀で売っていそうな海軍カレーカツ。いろんなのりもののシール。自衛隊軍手!軍手、これからのさんぽでガンガン使っていこうと思います。軍手は、良いものですよ・・・。

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紅葉川をねちねちと歩く その4 川田窪支流(仮)つづき

期せずして、えいはちさんとのコラボ企画のようになっている、紅葉川、川田窪支流(仮)のつづきです。
今回も、前回とおなじ資料を参考にしつつ、舟下りとまいりたいと思います。

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小笠原邸からはじまる谷を下ってきて(後ろからきてます)、余丁町からの流れ(右から垂直にきてます)との合流点をみると、こんな感じです。・・・目の前に坂が出現します。紅葉川はこの坂の向こう側なので、まっすぐ下ろうと思っていたのに、へんな感じ。

流路はどっちだ?

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数歩後ろに下がります。流路が道になっているのだとすれば、どうやらここが、合流した流れが下っていく場所です。かくかくっとしてます。

暗渠感はありません。

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道沿いには、いろいろと気になる家がありました。

謎のでっぱり、謎の色合い、謎の曲った梯子・・・

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その先、第三の支流、女子医大からくる流れが合流します。この奥から流れてくるようです。

ちなみに、いまわたしが立っているあたりに、かつて万世湯という銭湯があったそうです。この銭湯が開業した時、地元のセレブが(町が二流になったと)嘆いたという話があって、興味深かったです。銭湯、喜ばない人もいたんだなぁ・・・。

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左側にいけば、金弁財天なるものがあったようですが、このときは気づかずに、スルー。

さあ、三つの流れを合わせた川田窪支流(仮)が紅葉川に向かって蛇行していきますよ。

大きく弧を描く、そのむこうはさきほど踵を返した丘です。ここは、水の流れが見えるようです。

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向うの丘はどんどん高くなり、奥が崖のようになっていきます。

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流れは微妙に蛇行しています。
住所は、”住吉町”にはいります。ここ、牛込区だった頃は”市谷谷町”だったのだそうです。谷が連続している・・・。で、この谷とは、この付近が”ジュク谷”といわれる湿地だったからとのことです。湿地につぐ湿地・・・。ちなみにジュク谷の場所の特定については、不完全なので、いずれ。

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住吉町をうろうろしてみると、なるほどジュクジュクしていそうな空間があります。ここは流路からちょっと右岸側にそれたところですが、車止めのある道です。奥は、崖。さきほど迂回してきた丘の下なわけですが、なんかが湧いてきそうです・・・。

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ここらへん、ジュク谷じゃないのかしらん、と思いながら歩いていると、別な方向にまた崖。そして階段がみえます。

それにしても、ジュク谷っていうネーミングセンスがおもしろい。

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あまりに急な階段だったので、ついつい近づいてしまいます(猫またぎさんとの違いは、疲れるから上らないところでしょうかw)。
住居の雰囲気が非常に良く、なんだか菊坂みたいだ・・・。(←誉め言葉)

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支流に戻ってきます。すると、あれ、以前はコンビニだったところが、いつのまにか韓国食材屋さんになっています!うわ~、おもしろいおもしろい(←輸入食材屋さん好き)!!

でもこのSFCとやら・・・、本家と大学、ダブルでパクリなんじゃないんでしょうか。大丈夫なんでしょうか、いろいろと。

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そのSFC(ソウル・フライドチキン)を引力に負けて買ってしまいました。店内に屋台みたいなブースがあって、いろんな韓国の食べものを売っています。たのしー!!w

一押しらしい、ヤンニョムチキンを買いました。ヤンニョムジャンがまぶされまくっていますね。
この後、そのまま仕事に行ったのですが、このビニール袋の中にたれがこぼれて、なんというか、大変でした。味は甘辛スパイシーで、ビールによく合いました。

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河田児童遊園が出現。じめ~っとしています。川沿いっぽい。

後ろはマンションがずどーーん!とそびえたつ風景です。対比がすごいです。

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もすこし下ると、念仏坂です。ここにはなんと、昭和5年頃には滝があったそうです。左側に。・・・た、滝!?
雨の日には、子どもたちが滝の下でばん傘を回して遊んだそうで・・・。

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いわれてみれば、階段の下のマンホールから、滝の音がしていましたw(そのような音は本当にします。)

道路の向かい側には、梅の湯という銭湯があったそうです。

そして昭和5年の回想の絵には、ここらへんからドブ川が記載されていました。

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あけぼのばし通りの商店街。フジテレビ時代を、残念ながらわたしは知りません。
もっとむかしは、道路の右側にどぶ川があったそうです。大雨が降ると、大水が出て魚屋さんからうなぎや魚が逃げ出すので、子どもたちはつかまえるのが楽しみだったとか。

それから、明治生まれの方のお話によると、この下には、道路一杯の広さの暗渠があって、「計器点検の時には舟で通った/水流を計る青ガンと称する電話ボックスのような鉄塔があった」とのことなのです。横を流れるどぶ川とは別に、です。なにその興奮する話!!?ごうごうと流れる地下水路・・・世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドを想像します。(話の感じからして、下水道ぽくない気がするんです。かなり惹かれるので、これもいずれ調べてみたいと思います。)

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この、サントクのあたりには、紅葉湯という銭湯があった、とされています。そう、もう、紅葉川本流はすぐそこなのです。

正確な合流点はわかりませんでしたが、川田窪支流(仮)は、あけぼのばし通りを下ったあと、すこうし西にずれて、靖国通りの向こう側にある紅葉川に注いでいたようです。

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ここはサントクのちょっと下、以前もかなり気になった空間。みずも児童遊園、です。こんなの暗渠としか思えないんですが。。。

昭和5年の絵には、この児童遊園の半分くらいに、”マンホール水道道路”と記載されていました。向きからしても川田窪支流(仮)の可能性は低く、水道道路、なのかもしれません。これも、宿題。

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 前回とあわせた、川田窪支流(仮)編の行程です。

支流沿いには、見過ごした弁財天のほか、謎の地下水路、滝(水源が不明)、しょうゆ工場にソース工場、”小池ラムネ”・・・など、わたしがもっと知りたいものが盛りだくさんでした。

積み残しもありますが、ひとまず次の支流へとまいりたいと思います。

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下北沢の北西と南東

紅葉川の途中ですが、下北沢ぶらり旅で箸やすめ。
駒場で仕事があったので、向かう途中でほんのちょっとぷらっとしたのです。

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一番街には川が流れていた。
これ、わりと最近lotus62さんが書かれていましたが、下北はよく行っていたため、感動度が高かった話です。たしかに、谷だった、氷室があった・・・今回はそれらをたしかめつつ、一番街から尾根までさかのぼってみよう、と思いました。

背後に、だいだらぼっち川(HONDAさんの記事で知り本当に興奮しました;庵魚堂さんのサイト、世田谷の川探検隊では下北沢西支流ですね)の谷が迫るところまで、きました。

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尾根と思しき位置には、東大原小学校があります。そして小学校の、プールがこちら側にあります。

採水口もあります。こういうながめ、暗渠沿いではときどき見る気がします。

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もう少し下ると、銭湯跡くさい建物がありました。クリーニング×コインランドリー、極めつけの水色(←むしろ関係ない)。

むかしの住宅地図などで検証したいところですが、まだです、、、

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もう少し下ります。両サイドに、崖がうっすらとあります。 

一番街の流れの、上流はここにあったでしょうか。あるんじゃないかなあ。あったら良いなあ。

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交差点に出ます。そこには、防火水槽仕込みの公園がありました。

大原1.1公園、って書いてあります。1月1日にでもできたのかしらんと思ったけれど、住所が大原1-1のようなので、そっちでしょうかね。

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さてさて、一番街商店街に入ってゆきます。ここからは、知った道です。

・・・すると、あー!氷室!わたしがずっと前に、かき氷を食べた氷室とは反対側にあって、しかも見た目が全然ちがうけど。あのレトロな店舗はなくなったようだけど、場所を変えたのかもしれません。

一瞬で、うれしくなりました。こんどの夏には、ここでかき氷を食べよう。
冬バージョンなのか、今は今川焼を売ってました。買いたかったけれど、開店前のようでした。

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もう少し下ると、こんどはせんべい工場がありました。ガシャコン、ガシャコン、と中で作業の音がします。おもてで、このようにせんべいを売ってます。もしかして出来たてせんべい、なのかな?そうだったら、買えばよかったかな。仕事先の関係者へのお土産を、この日ははらドーナッツって決めていたので、はらドーナッツに行っちゃいました。

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ここから先は、前出のlotus62さんの記事に、つながります。ここから、スズナリのあたりまで、ほそぼそと川が流れていたようです。

すこしカーブする風景。
なんかまだ、街が目覚めてない感じですね・・・こういうところ、高円寺に似ていて好きです。昼過ぎから、ぼちぼち、適当に。ごちゃごちゃ、ザワザワ・・・そんなのが好きみたいです。

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朝ゴハンからあまり時間がたっていませんでしたが、なんとなく早めのお昼ゴハンとしました。

ミートボールのグラタン、根菜にアンチョビソース、などのプレート。でも、う~~ん、な感じだったので紹介はしません・・・

食べて、仕事の用意をして、そしてもう少しだけ川を見に。

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森厳寺川(森厳寺川もHONDAさんが書かれています;世田谷の川探検隊さんでは、下北沢東支流と呼んでいますね)の一本西にはこういう歩道があります。車道と交わるところの舗装が、なーんか、暗渠くさいんですけど・・・。ここはすなわち茶沢通りですが、ここが町境でもあります。森厳寺川の傍流が茶沢通りにあったりはしないでしょうか・・・

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さて、いちど下北の街中にまぎれ、だいだらぼっち川と思われる道をちょこっと覗きます。

さっき東大原小の背後に感じた谷が、蛇行しながらやってきて、一瞬開渠になったりしながらやってきて、線路も越えて、ここにくるのですね。この道も、うろうろしたりお酒飲んだりしてた通りです。

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すぐ隣にあるこっちの道は、だいだらぼっち川と同じように蛇行しているので、傍流みたいに見えます。
そういえば、この道はすぐ左側にも道があって、暗渠のことを知らなかった時期にも、「なんで道の間がこんなに狭いんだ?」と思った覚えがあります。

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王将の前のみち。ここらへんで、サニーデイの曽我部さんとすれちがったことが。・・・じゃなくて、ここも道がヘンに出たり入ったりしていて(ああ、止めてある車が邪魔・・・)、そういえば違和感空間なのでした。
以前古地図で流れを見つけたのが、まさにこの王将の前を、奥から手前に来るところ。わたしが「川」と呼んでいた場所は、駅前からここに下ってくるみち(人の流れを水の流れに見立てて)・・・川は、本当にあったのですねぇ。ここの流れはだいだらぼっち川の支流のようにも見えますが、いかんせん、ここらへんのことはよく知りません。いくつも謎のままにしてしまいました。

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今回の行程です。(緑のところ。)

下北にくると、たいがいCDをあさります。この日はレコファンで、TOKYO NO.1 SOUL SETの知らなかったアルバムをたまたま見つけ、買って帰りました。高校のときから大好きなんですが、ちゃんと情報を追っていないのでいけません←わたし。

・・・帰って、ジャケをまじまじと見て、あらためて吃驚。なんと、この日最後に撮った写真と、このジャケの絵は、同じ場所でした・・・!うれしい重なりです。ここ2日くらい、このCDをエンドレスリピートで聴いております。

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おまけ。

下北の駅、改札のところに、情報ステーションなるものがあったので覗いてみたら、小田急線地下化工事のことがずいぶんくわしく説明されているのでした。わたしは今の駅の感じ、駅前の感じが大好きなので、工事への思いは複雑ですが、この情報ステーションの展示は気合いが入っているので、純粋に見ごたえがあります。鉄、地下系の人は楽しめるかもしれません。・・・こういう、航空写真もありました。どうも、まっさきに川筋を確かめてしまいます。

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紅葉川をねちねちと歩く その3 川田窪支流(仮)

紅葉川、舟下りの旅。
枝分かれする小枝の4本目は、若松河田スタートです。

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の、前に。若松河田駅近くにある、気になりスポットをさんぽしてからにしましょう。(川跡ではありません。)

まずはこれ。
レトロ喫茶のモーニングサービスに、「プリン」がついてます、まっさきにw。非常に良い感じです。

それから。国立国際医療センターを囲う石垣に、”地下道を埋めたような跡”があると、散歩の達人で見たことがあるので、ずうっと気になっていました。Momijir4

ただでさえ、魅惑的。しかもここは、旧・陸軍第一病院と、旧・陸軍軍医学校をつなぐ地下道かも、とのこと・・・。

「かも」が気になるけど・・・。

埋められたトンネル、しかも軍事モノというダブルです。ワクワクします!

・・・そして実物が見えてきました。

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へ?これ?
・・・いちお、トンネル型っぽいものはあるのですが、周囲の石垣の上にコンクリを塗ったような感じがしなくもない。こういう埋め方というのも、あるのでしょうか・・・?
結局、埋め跡かどうかは、よくわからないままです。
まぁ、いいや。見られたので満足しました。

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さて、もうひとつ見たい物件があります。それは、ダット。

”地域誌 この町の昔のくらし”をみると、若松町には乗合バスの発着ターミナル「ダット」があったそうです。バスの向きを変える、円形の鉄板があって、そこにボンネットバスを止めてぐるぐる回す・・・子どもたちが面白がって、一緒に回す・・・そんなほのぼのした光景があったそうです。この、写真のあたりがそうらしいんですが、いやぁ名残はないものですね。ちなみに、もうひとつの発着地は大隈講堂前で、言われてみればそっちはロータリーの名残がありますね。

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さて、いきなり時間帯が変わりますが、ここからが今日の本題。

まずは若松河田駅隣にある、”文化財カフェ”でゴハンにしよう、と決め打ちして、お昼にやってきました。
小笠原伯爵邸の、レストラン。・・・なんか、ランチって感じじゃない上、時間帯が合わなくって入れませんでした。

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その小笠原伯爵邸の敷地から、ちょっと眺めると、もうこの景色!

すぐそこに窪地です。ここの住所は河田町、ですが、河田町はおおむかし”川田窪”と呼ばれる土地だったそうです。いまでも、河田町には紅葉川の支流と思しき、深い谷が感じられます・・・

Kawata3 でも、まずゴハン。きょろきょろ見わたし、ハートを射止められたのが、レトロ喫茶”フリーマン”でした。
入ると・・・なぜか店内を埋め尽くす、近所の(?)おばさまたち(店員のおばさまも混じる)。レトロ喫茶でこの光景は初体験です。それと、喋りの勢いがすごい・・・ので、ひとり丸腰で乗り込んだことにビクビク。

食べもののメニュウは、良い感じです。・・・ん?オリエンタル?

わたし「すみません、オリエンタルってなんですか?」
おばさま「上にタレがかかってるのよ」
わたし「タレ・・・(脳内変換後)あ、カレー!それくださいっ!!」

して、出てきたのがこの、オリエンタル。マイルド~~な味わいで、スパゲッティ(パスタ、ではない)もやわらか太め、やさしくって、良い一皿でした。

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さてさて、満足してさっきの小笠原邸へともどって、なぜかもう一回窪地を見にいきます。ビルと崖のすきまに、ひっそりと神社がありました。

”地域誌 このまちに暮して”によれば、ここにある”団子坂”も川田窪と関係があるようです。むかしはもっと急な坂で、川田窪(低湿地)があるためどろんこ道で、転ぶと泥団子になるから、という由来のようです。

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神社の脇から、改めて窪地を見ます。うーん、よく見えないけど、すぐそこにV字のへっこみがあって、しかも歯抜けの空地になってます。

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では、抜弁天通りから谷へと入って行って、V字道をゆきましょう。ここが、まさに川田窪です。むかしは、湿地で、じゅくじゅくと水っ気があったのでしょう・・・そしてそこから、靖国通りの方に向かって、川の流れが・・・。
いまから歩く支流を、紅葉川の川田窪支流(仮)と名付けたいと思います。

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さっき、上から眺めた空地を、こんどは下から眺めます。

広大ですねえ。段々ですねえ。・・・取り壊されたらしき家々の、残骸が少し、哀愁。

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谷を下り続けます。やや、上方にでっぱりが出現。その上は公園です。「でっぱり」を見るとどうしても、吉田戦車のでっぱりネタを思い出してしまいます。でも、なんでここはこのでっぱりが必要なんでしょうか。

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さて、谷に沿って下ってまいりましたが、実はこの川田窪支流(仮)、3流が合わさる形です。
1つめが、いま追ってきた、小笠原邸の脇から始まる谷。2つめは、余丁町からくる谷。3つめは、東京女子医大からくる谷です。

ということなので、余丁町からくる谷も追いましょう。こっちは合流点から遡ってみます。車止めが、道の両脇に出現します。

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こんなふうに、車止めは何個も出現。ここは縦のやつと、奥にもありますねえ。でも、新宿区って暗渠じゃなくても結構車止め(というか通行止め?)がある気がするんで・・・惑わされないぞ、とか思いながら進みます。

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余丁町の谷が、両側にわかりやすく迫ってきました。ここは誰かんちの駐車場というか駐輪場というか、ですが、奥の方が谷頭っぽくなっていて、小さな沼でもあったような風情です。

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右にも左にも崖。反対側も、奥へ行くとこうなっていました。あ、また歯抜け地帯です。
崖に惹かれて入っていくと・・・、

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あ、井戸だ。
クラシックな井戸がありました。いまも使われているようです。

最近、地元の井戸調査に混ぜていただけるという機会がありまして、40強の井戸を見たり調べたりしまして、すこうし、前よりは井戸のことを知った気がします(まだまだ、これからですけど)。そして井戸にますます興味がわいています。

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さて、余丁町の谷が始まるあたりまでやってきました。広めの通りに出ます。
じつはここ、違和感空間で、こんなロータリーみたいなのと、階段が二本、無駄についてるのです。

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反対側からみると、こんな感じ。ロータリー的なものの隣にも車止めつきの道があったりして、わけがわからないです。実はここ、以前に紅葉川さんぽ準備のときも気にしてた場所です。
いったい、何・・・?

ちなみに、”地域誌 この町の昔のくらし”によれば、この1ブロック隣と思われる場所に貯水槽があります。回想による図なのでなんともいえませんが、この位置に貯水槽、のほうがしっくりくるのになぁ、とか思ったり・・・

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その違和感空間の向かい側には、余丁町児童遊園がありました。この公園は、雨水貯留浸透施設がついてて、水っ気があります。池があったとしても、位置的には、先回の弁天支流(仮)にも、いま遡ってきた谷にもつながりうる、ちょっと微妙な立地です。
・・・で。このふるーい看板を見て、最近持っていたモヤモヤが氷解しました。この公園は、道路予定地だったんですね。そしてどうやら、当初は昭和のうちに道路を作るつもりだったんですね!
その道路は、以前ヤマサキさんが教えてくださった、神楽坂にもできる放射道路。そのための用地が、ほかでもあちこち歯抜けになっているのだとしたら・・・、そうか、富久町のあそこも、さっき見てきた河田町のあそこも!これらは道路が出来る寸前なのか・・・。いや~、道路計画とかよくわかんないんで、歯抜けの意図がわかってませんでした。ヤマサキさん、教えていただき感謝です!!

道路予定地ならではの、ふるい家々が残され、しずかにその時を待つ、独特の雰囲気。マッカーサー道路のそれは、見ることができずに終わってしまいましたが、今回はたまたま触れることができたようです。

今回の行程は、次回に併せて示します。川田窪支流(仮)、もう少し続きます。今回はスルーしてしまいましたが、出世稲荷と金弁財天が流路沿いにある、というのも、なんだか気になります・・・。まだちょっと、この支流の個性がつかみきれてませんw

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紅葉川をねちねちと歩く その2 弁天支流(仮)

東京時層地図が欲しい・・・ipod touchを買ってしまおうか・・・。うつろな眼で腹をくくりかけた矢先、職場の忘年会その1がありました。今年はなんとビンゴの賞品に、ipod touchがあるじゃありませんか!キタコレ。こちとら着任以来一度も当たっていない(毎年三分の一は当たってる)運溜め中の身なので、今年それが当るっていうシナリオに違いない!・・・とか、盛り上がっていたら、本当に初めてビンゴが当たりました。ipod touchは一つ前の人がかっさらっていきましたがね・・・そんな流れによって、むしろ買いづらくなってしまいました。

なわけで、あいかわらず書き込みだらけのマイ地図(友達からは「受験生の辞書のようだ」と言われましたw)を持って、四苦八苦しながら妄想暗渠さんぽをしています。冬になりかけてるので、そろそろ紅葉川編に戻ろうと思います。

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まず、前回の補足。
牧場跡出来杉君エリアの前には、こんなモニュメントがあり、「かつてここは”まきば”でした。」と書かれた案内板がありました。暗くってちゃんと読んでませんけど;;

うわー、ここのお店のひとたち、きっと牧場跡だったこと知ってるよ!知っててステーキとか牛丼とか提供してるよ!・・・って、興奮。

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それから、お向かいにはメグミルクがかつてあったそうです。今は本塩町に移動していますが、あくまで紅葉川沿いなんですね、なぜか。
・・・メグミルクと牧場の関係は、わかりません。わかりませんけど、なんかうれしい。

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・・・じつは前回の記事のすぐ後に、”ステーキハウス鉄板牧場”へ、食べに行ってましたw

おすすめらしき、牧場ハンバーグを注文。牧場ってついてるので注文。すると、ものすごいアツアツの状態できて、こんな風な紙のカバーがかけられて、頃合いになるまで待たされます。

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その待っている間、他の席からウマそうな匂いがただよってくるので、ハラ減りにはキツイ・・・。
さて、紙をどけて、実食です。うーん、なかなかうまし!思っていたよりも美味しかったです、ハンバーグ。

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ふー、牧場跡で牧場ハンバーグを食べたぞえ!!さらに調子に乗って、この3軒の前で、牛乳を飲まずにはいられませんでした。

さらにさらに、ここのビルのオーナーが牧場と関係ないかな、と、調べようとしましたが、まだそこはわかりません。

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そしてこのとき初めて気づいたんですが、なんとお向かいには、ハンバーガー屋さんがありました!
むおー、なんてこった・・・肉、肉、牛乳、牛乳、肉じゃないかー!!!

このエリアの牧場色、すごすぎますw

さて、川跡の話に戻りましょう。前回は、富久町の水源について書きましたが、あの清滝不動尊からの流れに東からあわさる、もうひとつの流れがあるのです。

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その水源らしき場所は、ここらへん。明治の地図だと大きな池で、地図によっては流れが書いてあったりもします。

この写真の、手前部分が少し高く、向こう側が若干低くなっています。そして、玄関と駐車場が低く作ってある家々もあります。そういったつくりの民家があるところは、湿地帯だったかも、と、スリバチの方から教えてもらいました。

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池は大きなサイズのものが2つあったようで、その範囲はわかりにくいです。適当に歩いていると、クリーニング屋さんがありました。

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そして池から出た流れが、この工事中(高校の跡みたいです)の場所を横切り、清滝の流れへと合わさっていました。

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手掛かりが乏しいエリアです・・・。この道路だけ妙に広いですね。写真奥の方に池が広がり、手前の方に流れてきている、と妄想します。

歩いているときは知りませんでしたが、この場所、かつては市谷監獄があったそうです。池のあたり~工事現場は跡地のようです。”地域誌 この町の昔のくらし”によれば、市谷監獄→空地(野菜畑)→住宅(&高校)と変わってきているとのこと。つまり、池らしさは早い時分に失われていたのかもしれません・・・

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さてさて、ここまでは前置きみたいなもので、ここからが今回の本編です。

紅葉川支流をさぐろうとウロウロしていたら、偶然に暗渠サイン続出のみちを見つけてしまいました。ので、今回はその川っぽいみちを遡ります。
河口部分へとあるいていたら、違和感エリアがありました。妙に余っている、三角の緑地。右側が靖国通りです。

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緑地は置いといて、目的のみちは、わかりやすいことに”市谷台町”と”富久町”の町境です。
河口部分は、このビルの隙間です。・・・といっても、これについては川があったと記している文献は見つかりませんでした。つまり、今回は純粋なる妄想暗渠さんぽです。

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いきなり階段がありました。この時点で、ちょっと川跡感が失せます。・・・滝?・・・でも大丈夫、上流に行けば大丈夫だから!

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階段をのぼると、こんなふうな、ただの住宅街のみち、です。でも、右側が若干崖になっていますね。ちょっと期待がもてます。

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その通りにはクリーニング屋さんもありました。ちょっと安心します。

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こんなふうに、ぐにゅ~~~っと曲がったりします。曲がり角の防災資材置き場ってのも、感じ出てます。

ちなみに、奥の工事中のところは、前述の富久町のもうひとつの流れが通ってるところです。

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そのさき、碁盤の目のような住宅街の脇を通過するんですが、そこにも小さな崖がありました。

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おっとまたクリーニング屋さんです。しかも今度は、高級クリーニング。むかしからやっていそうな風情。

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そして唐突に商店街が始まるのでした。

まずは、この”フローラ”という洋食屋さんが、この看板だけですごく素敵な気がしてしまいます。が、残念ながらやってらっしゃらないかも。

その向かいに、お豆腐屋さんがありました。

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そして、一番の暗渠サインだと思ったのが、この弁天湯です。・・・それに乗じて、この支流には、”弁天支流(仮)”と名付けたいと思います。弁天とは、おそらく近くにある抜弁天のことではないでしょうか。

この弁天湯、すごい充実していて、サウナ、オスマン浴、露天、つぼ湯・・・等、10種類ものお風呂が楽しめるみたいです。オスマン浴ってなんだ!?・・・ともかく楽しそう。いつか入ってみたいです。

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うーん、あったらいいなぁ、弁天支流(仮)・・・。銭湯向かいには地味に氷室もありました。

・・・これも、後から知ったのですが、先の市谷監獄の話にからみ、この通りは”市谷監獄裏通り”と呼ばれていたようです。あまり人が通らなかったのかもしれず、昭和初期の回想の絵では、この通りには商店は登場しません。かといって水路が無かったともいえないわけで、水路、あって欲しいんだけどなあ・・・。

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ほか、同じ通りには蒟蒻系の食品工場もあり、クリーニング屋さんがもうひとつあり、とにかくこの狭いエリアに水を大量に使う施設が密集しているのです。ん~、あやしすぎる!!

加えて、鰻屋さんも一軒。鰻屋さんが微妙だとしても、ここはずっと町境のみち、なのです。総合すると、川であった可能性が高い気がします。

ちなみに、昭和10~18年頃には、”藤井テント”や、さらなるクリーニング屋さんもあったようです。

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通りはこの法善寺にぶつかって終わります。法善寺、専福寺、などとお寺が何軒か並んでいるので、どこかに水源があった可能性もあるでしょう。

法善寺の前の通りは、”まねき通り”というレトロな商店街で、ほんわかしたすごくいい感じ!空襲で一度焼けてしまったけれど、復興して公募によりついた名だそうです。

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実はさきほどの弁天湯は、むかしは”あけぼの湯”といい(やや遠いけど曙橋からでしょうか)、弁天湯は別な位置にあったようです(”地域誌 この町の昔のくらし”より)。
弁天湯は、”まねき通り”にあったそうで、このコインランドリーなんてあやしいけれど、銭湯跡っぽさはあまりありませんでした。移転したいきさつは知りませんが、”弁天”の名を残していることから、この地域にとってのこの名称の重要性を想像してしまいます・・・と、弁天支流(仮)の命名をさらに正当化w

Benten15 新しい道路を渡ると、抜弁天がありました。ここにはキレイな池があり、名前からいって湧水池があったよううなところです。いまのところ湧水があったと書いているものは見つかりませんが、ここは生類憐みの令の頃、犬小屋があった場所でもあるとのこと。中野のお囲いだって、複数の湧水で犬の飲み水をまかなっていたわけで・・・。

ここはこの辺ではもっとも高い場所、とは書かれていました。新しい道路のせいで、地形的に弁天支流(仮)と分断されていますが、もしかするとむかしは・・・。ここが水源だったら、”弁天支流(仮)”の名がよりふさわしくなるなぁ、などと、妄想拡がるのでした。

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今回の行程を、黄色で示しました。時間がないので、すんごいやる気ない感じの地図ですw

紅葉川支流、まだまだ半分にも行きません。なかなか、奥が深いです。

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暗渠沿いカフェ その3”海南鶏飯食堂”

暗渠沿いカフェ、第3弾。

九州の鶏飯じゃなくって、シンガポールチキンライス、です。

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最近の某事件の報道により、わたしのなかで「こわい街」という印象が強くなってしまった街、六本木。もともとわたしの活動圏からは外れる街、六本木。
その街中を、吉野川という風雅な名の川が流れていたことを、「あるく渋谷川入門」(おすすめ本にリンクがあります)で知りました。
HONDAさんが六本木ヒルズ~麻布十番の流れとして書かれていますが、結びついていなかった・・・。また、lotus62さんが、吉野川を辿ろうと試みていたようです。

ここは、TSUTAYAの裏のみち。むこうから下って来ると、

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六本木高校の敷地がえらい崖になっています。写真におさまりきらないくらいの・・・。ほんとうにものすごい崖。

グラウンド脇には、こんな排水管が出ていたり、

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湧水めいたものが出ていたり、と、暗渠的にはあやしさ満点の崖なんです。

しかし、「あるく渋谷川入門」によれば、吉野川は、この一本東のみち、芋洗坂を流れていたとのこと。なるほど川で芋を洗っていたわけですか。芋洗坂という名称は、R-1のときに初めて知りました(つまり芸人さんの名が先)よ・・・。

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とはいえ、このみごとな崖から、水が湧いて、それが吉野川の水に加わっていたような気がしてなりません。

いまの道路にだって、ほら。この側溝の下に、湧水が紛れ込んでいないかなぁとか、ついつい思ってしまいます。

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というわけで、暗渠かどうかがはっきりしないわけですが・・・、暗渠風味のみちが見える位置にある、海南鶏飯食堂、でゴハンをたべました。

ここにテラス席があるのですよ、めっちゃ道路の脇に。景観的には、かなり上等の暗渠カフェです!

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この後仕事があったので、昼ビールはがまんして、中国茶とチキンライス。
自分で炊飯器をつかって作る(鳥胸肉とそれを煮たスープ、ショウガ・ニンニクで炊き込む)こともありますが、それはそれでとても美味しいんだけど、やっぱジャポニカとインディカは違うので、インディカのものを食べたくなる時があります。
ちなみにシンガポールには行ってるのに、現地で食べたことはない(まだ幼くて食に開花してなかった)という自分的にはくやしすぎる過去があります。

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”吉野川の支流だったらいいな”さんに向かって、あーん。湧水とせせらぎを妄想、妄想です。
うーん、うまうま。ここ、チキンライスも美味しいけど、カレーもかなり美味しかったです。

・・・結局、ここはどうなっていたのか・・・。HONDAさんの記事によれば、ここら辺には湧水池がわんさかあった時代もあるとのこと。ピッタリこの場所には、あるような、ないような。明治の古地図では、この少しだけ南に1流(がま池からのもの?)あるようですが、やはりここには流れナシ。それ以上は調べていないのですが、うーん、気になってきました・・・w

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それから、この近くの渋谷川支流にも、ちょっと気になる暗渠バーがあります。・・・”青いひみつきち”。秘密基地ですってよ奥様!しかもこの隣の隣にあるのは、あの狭すぎる暗渠、”がま池からの流れ”(HONDAさんの記事にリンク)。良い場所ですねえ。
ただし、わたしが暗渠カフェで扱いたいのは”暗渠沿い””暗渠が見えるカフェ”なので、秘密基地は残念ながら外れてしまいます。でも、やっぱりちょっと行ってみたい・・・。

なお、あるく渋谷川入門の著者、梶山さんによるweb”あるく渋谷川”には、”その後の「あるく渋谷川入門」”なるトピックスがあって、それも面白く読ませていただいてます。・・・最初に庵魚堂さんからこの本の情報をいただいてから、少し書いたことと被りますが、梶山さんのこの渋谷川への愛情に、そういう方に、その活動に、とてもあこがれます。ケロキ師をはじめ、桃園川を愛する先輩方はすでに結構いらっしゃるわけですが、わたしもそういうひとをめざしていきたいなぁ・・・と、思います。

それから。暗渠カフェ、杉並に無いなどとぼやいていましたが、イケそうなお店を発見しました。はやくレポした~いです。

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