地形にひかれて王禅寺 その3
王禅寺編のつづきです。
前回は王禅寺に寄ったあたりで終わっていますが、その隣の敷地(ここも絵図においては王禅寺の”寺山”とされていた場所)には王禅寺ふるさと公園、がありました。川崎市制60周年記念総合公園、なんていうオカタイ名前が本名みたいですけれど。
その公園もまた谷戸状になっていて、真ん中をこのようなフェイク川がはしります。確かとはいえないけれど、ここが”助左衛門谷”かもしれない、と思います。
そのフェイク川の流末は池になっていて、フェンス無し×浅瀬になっているのに、池に入ることが禁じられているという、小悪魔なつくりでした。
その池の下側は、このような暗渠っぽい空間です。この奥には、早野川という開渠が流れています。
早野川の現在の起点は”般若面調整池”で、絵図にも”はんにゃ免”と、池が描かれた場所があって・・・ほんの少し遡れば見られたというのに、疲労が出てきてやめてました。あー見たかった・・・般若・・・
早野川を少し下ります。
早野川の1番目の橋は、梨ノ木橋というカワイイ名前。そこからハシゴ式開渠がしっかりと見えます。流れもしっかりとあって、さらに坂の上から下りてくる側溝から、じゃばじゃばと音をたてて湧水らしきものが流れ込んでいました。
そして、この早野川流域に、王禅寺の絵図で一番気になった場所があります。
それは、絵図上では”けわいめん谷”、すなわち化粧面谷(けしょうめんやと)です。各谷戸の名前のなかでももっとも「ん?」な響き。
その由来は、王禅寺村が徳川秀忠夫人である”お江与の方”に、嫁入りの際に与えられた領地=御化粧領、であったことからきています。けわい=化粧、めん=年貢の免除、を意味するのだそうです。
いまも化粧面の名が残る看板を見られるかも、と思って探しましたが、結局見つかったのはこの公園の看板のみでした。
ここは谷と名がついてはいますが、丘の上にあり、鎮守五社の1つである比川社の脇を通って、さらに上へ上へと行った位置にあります。
なお、前回触れた”日吉谷”は、ここがお江与の方の御化粧領になったときに、日吉山王(山王社)が勧請され、その後についた呼び名なのだそうです。
それから・・・、また山をひとつ越えて、ひとつ西隣の谷へと移動します。(麻生川の谷→真福寺川の谷→黒須田川の谷→早野川の谷、とぐる~りと回って来て、再び真福寺川の支流の谷へと戻ってきました。まあなんてややこしいw)
籠口の池という、かつて溜池だったところに出ました。いまは”籠口ノ池調整池”と書かれています。”池”が被っていますが。
この上にも谷戸らしきものがあるようです。この写真の右側にじゃばじゃば注いでいるのは一見水道水でも入れてるのかと思う勢いですが、ここは調整池なわけだし、湧水でしょうね。。。
籠口の池を見るのもそこそこに、また山を上ります。地図上ではショートカットをしてお隣の谷戸に行きたいだけなんですが、地形上はスゴイ坂・・・ショートカットにした以上の体力が奪われた気がします。嗚呼、川崎の凹凸がわかる地図帳が欲しいぜ・・・
さらなる調整池、花島調整池あらわる。流末は真福寺川です。王禅寺ではさまざまな調整池をみてきましたが、ご近所でも調整池のテイストが結構異なりますね。
ここは、真隣にバスターミナルがありました。
近くにあった案内板を見ると、”花島”だけあって、たしかに島状でした。
さあ、そろそろ疲れてきましたよ。帰ろうか・・・でも、目の前にこんなでか蓋(軽自動車のタテよりも長いんです)があって、心躍ります。
でか蓋の上流は、開渠でございました。これは真福寺川の支流で、上流に”むじなが池”があるので、むじなが池支流(仮)と勝手に呼ぶことにします。
むじなが池支流(仮)はなかなか風流なところで、川沿いに古い柿の木があったりします。
水路と柿の木、王禅寺らしいであろう風景。
家々の玄関前をむじなが池支流(仮)の水路がはしります。それぞれの前に小さな橋がかけられ、水路は狭いながらもイキイキとはしります。
その上流はなんと何方向にも分岐していて、ひとつはこの山のふもとを流れてくるようでした。もうひとつ、追えなかったけれど右手の緑地に消えてゆくものもありました。
さらなるもう1本は、立派なハシゴ式で、
辿っていくと、じゃー!と湧水がすんごい勢いで出ている所あり・・・。
この、王禅寺近辺ほとんどの場所でそうなんですけど、なぁんか、水自体は汚くないのに、水路に妙なオレンジ色が付着しているのです。。土のせいなのでしょうか。それとも汚水?
追記:湧水でも鉄分が関連して、このような赤色が付着することはあるようです。この写真の場合、鉄バクテリア、かもしれない・・・と、ちょっとだけ補足。詳しくないんで自信ないですが;
じゃー!!の出てくる方向を探しに行ってみると、ちっこい谷頭のようなものがあり、湧いているのは見えませんでしたが、谷頭から2方向に流れが出ているように見えました。この、地味~な1本は、下流へとつなげていくと3枚前の写真、山のふもとに沿っているあの流れになりそうです。
うーん、一体いくつ谷戸や支流があるんだ!全部たどると帰れなくなりそうです。むじなが池をめざします。
白山神社の脇を通り、盛り土をしたような場所を抜けると、池っぽいものが見えてきました。
むじなが池かな?・・・と、のぞいてみると、
汚なっっ!
なんか妙な色です・・・。新ゆりグリーンタウン南調整池、でした。
追記:この汚いと感じた色合いは、妙な白っぽさでした。白といえば、俊六さんの書いてらっしゃる、ベギちゃん(ベギアトア)!?かと後で思いつきましたが、ベギちゃんはもっとベール状なので、これは何らかの成分が溶けているのかもしれません。謎は解けず。
さらに、調整池を遡って行くと、池じゃなくなって、フェンスの向こうから子どもの声がしてきます。
自分がいま立っている位置より、妙に低いところから声がするので、なんかふしぎな感じ・・・
フェンスの尽きるところまで歩くと、公園の入口が。そこはかとなく、(池のですが;)暗渠の公園でした。
すんごいじめっとしているのだけど、子どもがキャーキャー遊んでいて、なんだかうれしかったですw
上流側には、また池が出現。ここがむじなが池です。
釣りをしてる人も少しだけおり、フナなどが釣れるということでした。
あ、ちょっと水質がよくなっている・・・調整池に行くまで、一体なにがあったのでしょうか・・・
遡って行くと、さらに上流は池じゃなくて川の流れになっていて、こんな、岩をつたって流れ出る出来すぎの風景に!!
これが真福寺川の水源の一つなわけです。
水源をぜひ見ようと、岩のところへ行くと、なんとそこには、
見てはいけないものが・・・。
・・・・・。
脱力するのは一瞬だけでした。だってその先は、こんな凄い谷頭だったのです!
わかりにくいかもしれないけど、空川源流の一二郎池の端っこを、もっともっと切り立たせた”ザ・谷頭”って感じなのですよ!これはすごーい。
すごい、すごい絶景。・・・しかし残念ながら、ここでデジカメの電池が切れてしまいました。ははは・・・この崖を越え、柿生の駅へと帰ります。途中、猫と会話するおばさまに混ぜてもらったり、王禅寺名物・禅寺丸最中を買ったり、洋菓子やさんで柿の葉茶マドレーヌや柿の形のクッキーを買ったりしながら、帰ります。
これは、禅寺丸最中です。なかなか美味しかったですよ、カタチもかわいいし。もし餡の中に干し柿のペーストかかけらでも入っていたら、なお良いような気もしますが。
さて、さて。もう暗いですね・・・だのに、駅周辺でもいくつも暗渠を見つけてしまいました。駅の裏(駅と並行する裏道)にも一本、暗渠が走っており、そこのコンクリ蓋をガタガタといわせながら、地元の皆さんは家路につかれるようでした。
そのコンクリ蓋のすぐ隣に、王禅寺編その1で書いた、バスターミナルがありました。その2つをどうしても書きたくて、これは柿生駅のホームで伸びながら撮ったんですけど・・・伝わりにくい結果となりました;;
さらに、ここらへんに”沖ノ谷戸カフェ”という名のカフェがあるようです。看板で見ただけですけど、うわーん、行きたかった・・・!!
そんな、行けてない場所を多々残した王禅寺編。今回でひとくぎりとします。王禅寺の地形図に、絵図から関係用語をプロットしたのが、以下の図です。これだけでもまだ積み残しがあることを痛感します・・・。ちなみに、かうが谷(光ヶ谷)、はい松谷(這松谷)、白山谷(白山)、嶋田谷(島田)など、現在は宅地化されてしまい名残がほどんと無い、という場所も多いようですが。
王禅寺の、谷戸の背後にまつられていた、村人の拠りどころであった鎮守五社は、いまもほぼ変わらぬ位置にあるといいます。しかし、そういった昔の名残を留める場所の、また、切り立った崖の、すぐ隣にはぴかぴかで平坦な団地があったりします。
また、かつて、水にも土壌にも恵まれてはいない土地だったという記述がある一方で、現在わたしは、ここは水のまちであると、畑があり作物が実るところであると、感じていました。このギャップは何なのでしょうか・・・。
なんだかとても、ふしぎな余韻の残る、王禅寺の秋の旅でした。
| 固定リンク
「1-9 さんぽ:その他の暗渠」カテゴリの記事
- 日本経済新聞の暗渠記事に取材協力しました(2020.12.31)
- ライフルホームズ、暗渠記事に協力しました(2020.12.04)
- 「暗渠」で味わう街歩きの進化形 記事の先にある細かい話(2020.09.28)
- 滝の川 足元を流れていた川のこと 暗渠カフェで暗渠ソング(1)(2020.05.16)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
地形図が、図らずも紅葉っぽい感じでいいですねw
今回のあたりも味噌maxさん生活圏だったのでしょうかww
投稿: lotus62 | 2010年11月16日 (火) 09時17分
>lotus62さん
あはは、ホントですねぇ。紅葉に、銀杏!
かなりアップダウンが激しいので、ご近所でもこっちまでさんぽしに来るものかどうかはわかりませんが・・・、味噌maxさんが何かしらご存じであることを期待w
投稿: nama | 2010年11月16日 (火) 09時43分
生活圏でしたよw
王禅寺五差路あたりに住んでいて、散歩なら南は早野聖地や王禅寺ふるさと公園、北は稲城あたりまで。で、その上に当時はバイクを持っていたので、その辺の土地勘はあるつもりです。途中の調整池に黄色い亀とかいて、写真を撮ったりした記憶があります、が、残念ながら当時は地形的なことなどにほとんど興味がなかったのでw
そうそう、確か隠れ谷は、誰かが隠れてたんです。戦国時代だかなんだかの軍隊だと思ったんですが、なかなか思い出せません。残念。むじなが池は、狢がいたのかもw
投稿: 味噌max | 2010年11月16日 (火) 18時13分
谷を上ったり下ったり・・・お疲れ様でした。改めてこう見ると王禅寺って凄いですね。
妹が王禅寺(百合ヶ丘寄り)に住んでいるので何度か行ったことがありますが(最近はご無沙汰してます)、あの谷はほんと険しいと思います、
住んでいる方々にとったら、相当キツイんでしょうね。自転車だってツライんだろうなあ。(妹も毎日のように駅まで家族を車で送迎しているようです)
ここに比べれば、善福寺川や桃園川の谷なんて、谷とはいえないですよね。
投稿: リバーサイド | 2010年11月16日 (火) 20時54分
>味噌maxさん
おお~~、ほんとに王禅寺めっちゃ生活圏ですね!早野聖地ってスゴイ名前ですね。今回寄っていない、というか、知らなかったのでぐぐってみたら、ここも谷戸と池だらけ!!ですね~。王禅寺をぜんぜん知らなかったわたしからすると、もうすでに”王禅寺”という名前がカッコイイので、地名カッコイイわ地形すごいわで、そこに自然に詳しいの、うらやましいです。
隠れ谷は、軍隊が隠れてたほうですか!忍者かなとか思ってましたが、軍隊も良いですねぇ。ありがとうございます。
>リバーサイドさん
王禅寺を御存じだったのはそういうことでしたか。ほんと険しかったです。それがいくつもいくつも。
ちょうど、わたしも地元の方の通勤・通学を想像しながら歩いていました。でも住宅がかなり多いので、出勤時なんてむしろその送る車で渋滞ができちゃうんじゃないか?とか。妹さん、ご苦労さまです・・・。
投稿: nama | 2010年11月17日 (水) 17時22分
むむっ。この白濁は。
最近風呂に入りながら思うんですけど、ああいうのは風呂と洗濯の排水かもしれませんね。風呂と洗濯の石けん排水で家庭の雑排水の7割くらい占めますからね。
しかし川崎面白いですね。私もついにnamaさんはじめいろいろな方の川崎レポートがきっかけで、向ヶ丘遊園の味にとりつかれて、民家園の池まで行くようになってしまいました。まさに「遊園」。もう、川崎暗渠こわいこわい。これからもレポート楽しみにしてます。
投稿: 俊六 | 2010年11月24日 (水) 19時08分
>俊六さん
こんにちは。「風呂に入りながらドブ川のこと考える」がまずツボりましたww しかしそんな思いっきり生活排水が入り込む調整池、ってアリなんでしょうか。大雨でも降っていたのかな。。
「川崎暗渠こわいこわい」もツボりましたw そんな俊六さんには川崎暗渠の山がやってきますよ。ご存知かも知れませんが、lotusさんがちょうど、向ヶ丘遊園フラグたててます。
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-0b5f.html
むむう・・・向ヶ丘遊園にはいつか写真を撮りに行かねばって思ってるとこなんですが、民家園のほうもなんか良いんですか・・・・行かなければ・・・。川崎アツすぎます。。
投稿: nama | 2010年11月25日 (木) 17時57分