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2010年11月

桃園川支流を歩く その40城山ロマンと栗コーダー

秋のイベントもの、第3弾は中野近辺です。・・・紅葉川はどこへいった!

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これは先週のことだったかと思いますが、駅前に八天堂がお店を出していました。北口の切符売り場とトイレの間の、いままで催事はやってなかったような空間で。

以前、伊勢丹にきたときに売り切れてばかりで買えなかったので、食べてみましたクリームパン。クリーム、クリーミーなのにあっさりでふわふわ。めちゃウマ!!

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え、もちろん主目的はクリームパンではありません。今回は、ライフのところから天神川をずい~~っと下っていきます。

天神川下流部、以前は途中で追えなくなると書きました。そして谷戸っ子さまから合流点まで追えるはず、というコメントをいただいていました。・・・はい、それらしき道が、ありました。どうやら、流れる水の気分になって進めばいいみたいですw。

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暗渠サインはほとんどないですが、道がくねっていて、じとっとしていました。うーん、天神川こうなってたかー。

この天神川を下ると、城山と名のついた商店街を横目に、谷戸川(わたしが呼ぶところの谷戸川は、桃園川の北側にある流れです)に流れ着くのです。この、城山、が、今回のターゲットです。

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谷戸小学校の正門前、つまり谷戸小学校の南側をあるきます。

ここらへん、大正期には”用水路だらけ”とかつて書きましたが、じつはこの道にあった水路は、もう少しだけ西に水源をもつ、川だったのです。というかこれが、谷戸川みたいです(谷戸川が固有の水源をもつかどうかは知らなかったのです・・・)

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え、谷戸川をさかのぼります。谷戸運動公園があり、少年が野球をしてました。

この谷戸運動公園、かつて城山町といわれた地だったそうで、
”谷戸運動公園裏に幅5.4mほどの土塁が残っていた”
”1675年の村の記録には「中野村のうちに9百坪ほど土手を築き、から堀を掘ったところがあり、これを昔から城山と申し伝えている。
そこは、もともと名主堀江卯右衛門の先祖からの屋敷地で、いまは年貢地になり、代だい卯右衛門が所持している」とある”

などと書かれた案内板がありました。

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谷戸運動公園のはんぶんは、工事中でした。”浸水対策の下水道管を新設しています”・・・ここは谷戸川と天神川の合流点からそう遠くないし、水のあつまってくる、とくに低い土地なのかもしれません。

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運動公園の入り口。地下には防火水槽も仕込んであるようです。
水っ気、ありますねぇ。

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そしてそして。
いまの運動公園の、お隣のブロック(谷戸川の隣であり、桃園川との間の地)には、えいはちさん曰く”最後の暗渠サイン”の、駐車場つきファミレスもあったのでした。
そしてお向かいには、これまた気づいていませんでしたが材木屋さんがありました。

・・・さて、今回は、このあたりにあった”お城”の跡を見に来たのですが、城そのものというよりは、城の内外にあった水関係のものを味わいにきた、という感じです。また、これは中世の城なので、所謂城と言うよりは、屋敷と土塁と堀、というつくりにすぎません・・・。中野区ではこの城山のことを比較的扱っているので、幾つかの文献が存在します。なかでも、もっとも信頼のおけそうな、「中野 城山居館跡 発掘調査報告書」を参考に以下を書いていきます。
以下の図は、前掲書にあった概略図から拝借(多少切り取りました)。北が下で、桃園川と天神川が見えますし、谷戸川はここからすぅっと始まっています。

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これは、1918年のようすだそうで、城山には土塁が残り、池がありますね。
・・・ふと思い出して、gooも見てみました。すると、

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・・・さきほどの、図にそっくりな池と土塁があります!城跡の輪郭がから堀のような感じで、残っているように見えます。(gooの昭和22年航空写真からとってきました。)じっさい、”昭和初期までは、土塁と堀についてはほとんど完存していた”といわれていました。
いまは、池のあたりで、少年野球が行われているわけです。(ちなみに、写真右で切れているのが谷戸小。)

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では、お城の周囲を歩いてみましょう。左のマンションは、城跡の上に建っています。そしてこの道が推定土塁範囲の東端で、城山中央通り商栄会でもあります。あまりお店はないんですが・・・。リンクを貼ろうとぐぐったら、おー、しかすけさんが記事にされてました!

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さてこんどは、土塁の西端へ。すると妙に暗渠くさい細道に出くわしました。これねぇ・・・暗渠かと思っちゃうんですけど・・・。

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ゆるい坂道になっていて、のぼってゆき、振り向くとこんな感じ。

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その、振り向いた位置で、少しだけ左側に寄って写真を撮ると、こんなんが見えてきます。みごとに左側の土地が高くなっていて・・・ここだけ土塁が残されたまま埋められでもしたんでしょうか?

ちなみに、土塁の内側には側溝が、建物近辺には溝が、あったようです。また、屋根付きの井戸と、小型の補助的な井戸(どちらも推測)跡もあります。

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土塁の南端は、谷戸川(=自然のお濠になっている)の手前だったわけなので、さっきの運動公園前の道が南端です。
そうだ、谷戸川の水源っぽい地形は、残っていないかな?うろうろしていたら、侵入は出来ないけれど、この写真の奥に崖があって、そこらへんが湧水の雰囲気を醸してました。そこから手前に向かって、ずいっと流れてくる、という感じじゃないでしょうか。

なお、このお城の主について、前掲書では、これまで挙げられていた人物は”平将頼・平正常・太田道灌・中野氏・平重俊・堀江氏”としたうえで、さまざまな検証を経て、14世紀~16世紀の主が中野氏、あるいは平重俊。15、16世紀は堀江氏であった、と考察しています。太田道灌!って書いてる史料もあるのですが、そこには夢と希望が詰まってたんでしょうね・・・

また、「桃園郷の今昔」には、この城にからめ、灌漑用の貯水池の話が書かれていました。しかし、その位置は、今回の話の場所からは、ど~~も遠いんです。なので、貯水池については、またこんど。

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さてさて、この日はこのイベントのために中野へまいりました。栗コーダーカルテット in プラネタリウム!!!  栗コーダーカルテットは、生渋栗というアルバムを買ったさいに(けっこう最近)知りました。もともとは渋さ知らズが好きで(あの吉祥寺っぽさが)、そっち目的で買ったそのアルバム。これが、2つのグループが互いの曲を、交互に演奏しあっていくという、おもしろいつくり(←ぜんぜん説明できていない)。なおかつ、ノリの”渋”、癒しの”栗”が絶妙で・・・そんなわけで、癒しの”栗”が、プラネタリウムだってよっ!!と、すぐに飛びついたのでした。じつはこれで、ここでは3回目のライブだそうですが・・・リコーダーやらのやさしくかわいい音楽、プラネタリウムの星空と解説。それにとどまらない、すてきな時間でございました。・・・ちょっぴり、寝ました。それがまた、いいのかもw

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西荻にある謎の池、用水、湧水②

前回は、タイトルのうち”謎の池”しか消化してませんでした。西荻さんぽ、続きにまいりたいと思います。

前回は善福寺川に注ぎこむような用水路暗渠が縦に3本、横に1本。その1本を遡って行くと、ガードレールの先でぷつっと途切れていました。

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その先、前進して行くと、青梅街道にたどりつきます。ところが、その青梅街道のほんの少し手前に、暗渠が出現します。

いやー、1枚目から酷い写真ですね!われながら・・・しかしもう、外が薄暗くてこのデジカメじゃムリなのです。この写真の中央のフェンスに挟まれた空間、用水路の名残のように見えます。

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この暗渠は青梅街道の数メートル脇を、青梅街道に沿うように進んでいます。
しかし、塀と民家の間なので入ることは出来ません。塀の上から手をのばして撮ると・・・ん、サトイモか?いつのまにか畑になってます。いいのだろうか・・・

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その数メートル下流は植物が散乱していました。

現地にいたときは、これは千川分水の分流ではないか、と考えていましたが、よく考えてみたら、これこそが千川分水(六ヶ村分水)という可能性もあります。青梅街道そのものより少しだけずれているのは、相澤堀でもあったことです。
・・・実はまだ史料を見ていないのですが、”神田川「まる歩き」しちゃいます!!”さんでは、これを千川上水の井草川分水としており、井草川分水というのは六ヶ村分水のことを指すようです。
ちょうど、その水路跡は善福寺と関町の、というか、杉並と練馬の区境になっていました。

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・・・ただ、青梅街道から西に外れていくカーブ状の水路もあるので、自分の頭の中では流れの向きがちょっとわかりにくいことになっています。千川分水のことは、あとで調べて補足したいと思います。

青梅街道に沿った流れが、ようやっと表に出てきました。

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流れは道路を渡り、なおも青梅街道に沿うように、そして区境となってここに在ります。

この車止め・・・
車止め界のトマソン物件ではないでしょうか。彼は、何を守っているのか・・・。

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青梅街道に面したお店の裏手。ここも流路みたいです・・・

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お店の駐車場から探すと、おお、つづいてる、つづいてる!

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しっかりと、家と家の間の、囲われたぼさぼさ空間として残っていました。

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その後、たぶんこうきます。この塀のあたりが区境になるのかな。右側は青梅街道で、車がびゅんびゅん走ってるわけです。

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その後はまたしばらく入り込めない空間が続いて、遠目からみてると塀がナナメに街道に向かってきていて、おそらくここがその延長線上。すなわちここから青梅街道脇に、水路が姿を現すようです。ちょうど、この右手に「ココカラ杉並区」な看板がたってました。

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ここからあっちは杉並区。で、ここのブロックにはかつて富士の湯という銭湯があったみたいです。今回は名残りのある建物が見つけられませんでしたが。

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さあ、概ね、見たい暗渠を見ることができました。おそらく、前回見た善福寺池へと注ぐようないくつかの用水路は、千川分水から分けてもらっていたものかな、と考えているところです。

ひとまず西荻の駅へと帰ろうと、善福寺池に出ます。いままで気づいていませんでしたが、善福寺池の上の池と下の池の間には、こういう玉川上水っぽい水路がありました。写真・・・くらすぎ・・・

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すっかり暗くなりました。善福寺川の始まりがここです。

手前の、池から注ぎ出す流れのほか、左の吐口から合流してくる流れがあります。説明板によると、善福寺川の水には”千川上水から”の流れも足されているとのことなので、おそらくそれでしょう。

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あとは川沿いを歩いていきますが、途中、どうしてもきょろきょろして車止めを探してしまいます。そして見つけると遡ってしまいます・・・。
これは、かなり細い道だったようですね。遡ると、なかなか急な坂道で、

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おお、登りきると、井草八幡宮の裏手へ出ました。井草八幡宮に湧水があったという話、聞いたことはありませんが、こういうところに水ってありそうだし、、いやいや、千川分水をくりっと回してきてたかもしれないし・・・(どれも想像です)

ちなみにこの支流の合流口付近に、善福寺川の底からの湧水その1があるようなんですが、見つけられず。

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仕方がないので、もう少し下流にある、底から湧く湧水その2を見に行きます。以前、工事中で見られなかったやつです。 

おわー、すごい!湧いとる湧いとる!!前方後円墳みたいなのの真ん中から、ぼこぼこと・・・!以前の工事は、この前方後円墳で囲うためだったのかしらん・・・?と、リバーサイドさんのところを見たら、以前からこれのようですw

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暗がりの中じっと見ていると、もうひとつ流れがあるようです。この写真は護岸を上から撮ったものですが・・・、護岸のつなぎ目(写真手前中央)から、湧き出ているように見えます。

なかなか興奮します。
・・・ただ、ここについて、以前、webかなにかで「あまりに水量が多いので、水道管から漏れているという噂もある」という記述を見たことがあります。・・・たしかに、すごいぶくぶくですけど、、なにもそんな夢の無いこと。。。

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と、へんな情報をもったままここに来てしまいました。そしたら、すぐ脇にこんな説明板があったので、ひと安心しました。ここまでするんなら、これはきっと湧水ってことでいいんですね。ほっ

おかげで、ビミョー・・・に疑いながらの興奮になってしまったではないですか。今度は昼に見に行こうかな。

ここで、川沿いから離れて、崖のものすごい井荻公園を通り、ぐりっと駅方向へ行って、通称”たんば通り”まで行きます。そしてキャロットの近くにある八百屋さんへ。ここは、ふぞろいだったり、傷ついてたり小ぶりだったりの野菜やくだものを、どーん!どーん!とケース単位で店頭に並べ、ワイルドに売っているのでたいへん好きだったのでした。この日も、紅玉5個で500円、姫リンゴ30個で600円、小さめキウイ10個で100円、とか。嗚呼たのしいー!でもそんなには消費しないので、おねがいして紅玉2個、姫リンゴ5個だけ買いました。

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うーん、西荻はやっぱりええのう。帰りには、駅前のごちゃごちゃした空間に寄ってしまいます。

。ここは以前から南口にも北口にもありましたが、南口の店舗が異様に増えてました。あと少しで、通りの両側ぜんぶ戎になるんじゃないかっていう勢いです。ひとつひとつ、小さくて雰囲気ある店舗なのでいいですけどね。焼鳥&ビールでクイッと疲れを癒し、イワシコロッケという変化球も投げてみました。うへぇ、ポテトサラダの球の周りに、イワシを貼り付けたフライが出てきましたww・・・うまいんだ、これが。   

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さて、今回の①②のうち、あるいた暗渠を緑の点線で示します。

青梅街道のすぐ脇を流れる千川上水の分水、そこから取水したものが現・善福寺4丁目の田畑を潤うるおし、善福寺池に流れていた(←それは、大丈夫なのか・・・?)と、推測しています。が、まだまだ穴も多そうなので、要・史料収集と補足、です。

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西荻にある謎の池、用水、湧水①

今回も、最近のイベントネタより。

秋、それは学園祭の季節。大学の敷地、といえば・・・、以前、chocochips.co.ukさんからいただいた、気になっている情報がありました。

Nisi1_2 それは、東京女子大学構内の、池のナゴリというもの。「池のナゴリから、何かある」、ただそれだけでワクワクするというもの。いつの間にか、わたしの頭の中で「謎の池!謎の池!」となっていましたが・・・

ともかく、最近は行く頻度がカクンと落ちた、西荻へゆきます。東京女子大は学園祭で、なかなかにぎわっておりました。
まず、構内に入ってすぐに見える池。これは真っ平らなところにあるし、なんかちがうでしょう・・・

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池さがしがメインですが、もちろんお祭りもたのしみます。みつけたらつい食べてしまうのが、バナナチョコ。いくつになってもバナナチョコです。

売り切れてるお店も多かったので、豚汁、餃子あたりを少し食べるのみでした。おなかすいた・・・いや、あとで駅の方で何か食べよう。

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ひととおり、構内をうろうろしてみました。すると、目立たない処に、ひっそりとあったのがこの池です。

ちょっとした丘状の地形の下にあるし、そこからのびる瓢箪形で、自然のもののようにもみえる。
けど、湧いているかどうかわからないし、出ていく川の流れもない、自己完結タイプです。これって池のナゴリといえるのか・・・Nisi4

よくわからないけど、隠れた池を1つ発見したら、うれしくなってしまいました。

(ただ、おそらく松庵川の方角には行かない気がします。行っても方角的には善福寺池だと思います。はたしてこれが、chocochipさんの仰るものかはあやしいものだけれど。)

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構内にはぴかぴかの場所もありましたが、レトロな建物と、このような”武蔵野”感のある林が残っていました。

区内にいるのだということを忘れてしまいそう。

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ですが、大学をうろつくのもそこそこに、善福寺池へと向かいます。杉並史跡散歩地図で、善福寺池の端っこに暗渠のマークを見つけていたからです。

坂を下り、善福寺池のある谷へと。

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以前は気づかなかったけれど、下の池の脇には、水を供給する場所がありました。これがうわさの、地下水ポンプアップの水なのでしょうか。

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それから、上の池の西側に、なんだかとても気になる施設がありました。
この派手な緑色の壁、どことなく漂う”水道局”な香り・・・気になります。
斜面を上がっていくと、

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そこは、杉並浄水所でした。
ふるくて丸い事務所と、その周りにある丸い沈澱池のようなもの。
水は湛えられていませんでしたが、現役ではあるようです。後からwikiでみたら、”区部の浄水所としては地下水を原水とした珍しい浄水所”ということでした。おそらくこの下(?)に、3つの井戸があるようです。

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道路を挟んだ反対側には、こんなもっこりスペースがあります。なんか配水するところ、って感じがします。

・・・どうやらここの水は、水質が良くておいしいらしいのですが・・・、わたしはこの近くに住んでいましたが、当時の水道水は、ほんとに不味かった。飲んでお腹を壊したり、眼に入ったらずっと痛かったりしていたんですけれど。。。

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善福寺池には、紅葉が始まった木々もありました。井の頭公園より、石神井公園より、地味ぃ~な感じがまた良いです。

すこし、あたりが暗くなってきました。遅の井(湧水があったとされる)のレプリカを見ながら、「遅いのう」とつぶやいたりしながら、通りすぎます。

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さて、気になっていた暗渠へとむかいます。

うわ、思いっきり、ある・・・!けっこう深く掘られている感じです。
車止めも舗装もけっこう新しいので、想像するに1,2年前まではかなり絶品だったんじゃないでしょうかね・・・ここ。

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奥へ進み、横を見ると、もっと深いものが合流してきます。

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このようにちょっとクネったりもしてはいますが、用水路のように見えます。地形から察するに、これらは善福寺池の”ほうへ”、流れてゆくようです。

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強引な深さをもっていて、家へ上がる階段はこんなにも急です。踏み外しそうでこわい・・・

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お隣にある、並行しているもの。こっちはもう少し浅めです。

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ラスト1本。
似たようなものがぜんぶで3本が並行し、善福寺池に注ぐかのように流れています。

おそらくここらへんは田畑で、用水路だったのかと想像しますが、だったら善福寺池から引けばいいのに・・・いったいどこから取水してるんでしょう?

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史跡散歩地図によれば、暗渠のマークはさきほどの3本のほかに、東につづいているものがあります。
それが、この道。この道は坂になっていますが、それを上から下りてくる感じで水路があったもよう。

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その水路は善福寺の脇をすり抜けて、

(ややこしいことにこの善福寺は池の由来の善福寺とは別物らしい)

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この道を通り、・・・でも、史跡散歩地図ではこの道の途中のどこかで、水路の跡がぷつっと切れています。ちょうど、ガードレールもぷつっと途切れています。

でも、そのちょっと先に、また水路跡があらわれるのでした。

この続きは、ぜんぶ書くと長くなっちゃいそうなので、いったん次回へまわします。ひっそりひっそりと在った謎の池に、ひっそりとした善福寺池、小規模で地味な杉並浄水所・・・近くに住んだことがあってもあまり印象に残っていなかったものたちでしたが、こういったものたちが結構好きです。

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日立中央研究所庭園開放

いろんなネタがたまってきていますが・・・つい最近、日立の湧水を見に行ってきました。ちなみにここは、春の一般公開のときに、リバーサイドさんがレポートされてます。

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春に行かれなかったとき、ここの湧水が夢に出てきたのです。わたしは、大きな池のほとりをぐるぐる歩いて、そして湧水点は四角い透明なボックスみたいなもので守られていて、そこを覗き見てはよろこんでいたのでした。

そんな、文字どおり”夢にまで見た湧水”。その湧水がある、日立中央研究所の入口がここです。国分寺の駅からてくてく歩いて・・・

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わたしが想像していたよりも、ずっとずっと混雑していたので、入口でちょっと面食らいました。こんなに、湧水好きな人って多いのか・・・?と。

門からまもなく崖があり、底を沢が流れていて、橋で越えていきます。崖でジャバジャバと音がしましたが、勢いが良すぎるのでそれにはちょっと懐疑的。

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その先、食べものを売っているブースと芝生の広場みたいなものがありましたが、一目散に水のほうを目指します。

さきほどの沢からくるのでしょうか、きれいなせせらぎが、さっそく見えました。

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その流れは、池の周囲をぐるりとまわっていくように見えます。沿って行くと・・・、あ、石積み。ああ、これは、春にバークレーで見たstrawberry creekにとても似ている!!うつくしい木々と、澄んだ水、澄んだ空気、そして石積み、というのが。
あのとき、バークレーで国分寺を思い浮かべたわたしでしたが、今日は国分寺でバークレーを思い浮かべている・・・やはりどこか、似ているのかもしれない。

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さて、大池が見えてきました。この日配られたプリントによれば、この大池は、構内数か所の湧水を利用して昭和33年に”造られた”とのことでした。
それから、この敷地は、もと別荘地や山林畑、湿地帯などであったところを、譲ってもらったものだそうです。ふだんは関係者しか入れないのでしょうけれど、見事、としか言いようのない自然の残され方です。

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大池の外側をまわる流れが、こんどは石積みじゃなくて土の土手になっています。
そうだよなぁ、土手って、本来は土なんだよなあ、きっと。それだけでも、妙に、なつかしいようなうれしいような気持ちです。

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このあたりまではスムーズに山道を歩けましたが、ここからは人だかり。水門があって、野川に流れていく水路があるようでした。
”大池の水は、構内数カ所の湧き水が流れ込んだものである。その水があふれ、この水路からJR中央線、西武線の下のトンネルで潜り抜け、野川の流れへと続いている”・・・あふれている、という表現がぴったりな、この場所。なんだかうれしくなります。

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自転車乗りっぽい一行があらわれて、「これが野川の源流だ!」とうれしそうに仰ってました。いろんなテイストのひとたちが、皆ここで立ち止まっては写真を撮っています。
水門からも、あふれていますが・・・、上の写真のあふれ方の方が好きだなあ。

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野川へと向かう水路の、脇に少し水が溜まっている場所があって、そこには鯉が遊びに来ていました。足を止めて見ていると、あれ、上からの流れは無いのに、水紋が・・・。良く見てみると、”ふつふつと”湧いているように見えます。

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たぶん湧水点ではないか・・・、ものすごくワクワクします。
野川へとゆく水路も見よう・・・とすると、ここはゴォォォォォ!とものすごい勢い。暗くて、怖い感じでした。このさき、”JR中央線、西武線の下のトンネルで潜り抜け”ているわけなので、線路の下に暗渠があるということ。これ、萌えます。わたしはこの日、野川まで行きませんでしたが、リバーサイドさんは反対側の写真も載せていらっしゃいますb。ありがたや。

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こんどは大池のほとりをゆっくりと歩きます。
まるで、鏡。

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紅葉もうつくしく、大勢の人が集まってくるということがやっとわかってきました。

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また、小さな流れがあらわれて、大池に注いでいました。きれいな、きれいな・・・。

クレソンが自生していたので、少しだけかじってみました。おー、ちゃあんと、クレソンのあじ!

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クレソンの流れは、ここからだくだくと湧いているのでした。ちょっと列ができていたので、並んで待ちます。

すごい勢いで、この石の下から出ています。”ふつふつ”とも、”じわじわ”とも異なるこの湧き方は、TVでしか見たことが無かったものです。うーん、すごい!ここも野川の源流の一つなのですよねぇ。
説明板をみていたら、ここだけでも、豊水期500L/分、渇水期200L/分ということでした。いまでも感動の量ですが、もっとも~っと水量の多い時期もあるということでしょうか。

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すぐとなりの崖からも、浸み出しがあるようでした。
木々に隠れて見えませんが、足元は小さな沼のようになっていました。

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少し歩くと、ミニ谷頭みたいな場所があって、ちいさな池がありました。ここでもおそらく湧いていて、大池に注いでいく出口もありました。

ひとつ前の崖も、ここも、立ち止まって見ている人はありませんでしたが、前述の湧水点も含めると、さまざまな湧き方を観察できる庭園!!ってことになると思います。

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ふたたび、大池へ。ほんとうに広くて・・・この大きさの池で、この透明度っていうことが、あり得るのですね。
語彙のなさが情けなくなってくるほど、”すごい、すごい”を連発の景色です。

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はぁぁ・・・満足。さいご、帰りながら、竹林と大池を。
和のものが好きなので、竹林・紅葉・池・鯉、のとり合わせにも満足しました。

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最初にスルーした、広場や屋台の場所へ。

時間が遅かったからか、食べもの屋さんの商品はほとんど売り切れていました。それから、直売の野菜もあったようですが、それもすっからかん。
ここから池は見えないけれど、コザに寝そべってゆっくりしているのも、良さそうでした。そうか~、ここ、紅葉狩り、とか、ピクニックという訪問の仕方もあるわけなのですね。これは良い!!

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すっかり、リピートしたくなっています。つぎの春にでも・・・。

帰りみち、噴水がある位置と、

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来る時に聞こえたジャバジャバの位置がとても近いことに気づきました。写真、右側でぼやっとしているのがジャバジャバ出ているところですが、これは湧水というよりは、噴水の排水では?と思ったりしてます。排水といっても、きっと湧水を引いた噴水で、きれいなものだろうと思いますが。
だけど、庭園をみてみて、このくらいの水量が湧くというのもありうる、という気にもなってますが。

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さ・・・、日立ではなにも食べられなかったので、だんごの輪島でみたらしや3色だんごを買い、それから南口へいき、すた丼でお昼ご飯です。
最近は中央線沿いのあちこちですた丼を見かけますが、軽く5年以上はすた丼を食べていない気がします。久しぶりのすた丼。やはり味はおいしいものの、結構胃にきましたw

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おなかいっぱいでお店から出てみると、なんと気になっていた殿ヶ谷戸庭園は、すた丼のすぐ隣のブロックでした。

ここへ行ったり、東経大や姿見の池など、国分寺の湧水と水路を堪能したり・・・したかったのですが、この後の時間帯は、お仕事をすることになってしまいました。うぅん勿体ない。けど、かならずやまた来ると思います。待ってろよう、国分寺の湧水たち!

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桃園川支流を歩く その39大人の縁日周辺

阿佐ヶ谷ジャズストリートにかこつけて、相澤堀の阿佐ヶ谷駅近辺をさんぽした前回
そしてすぐに「大人の縁日」が開催されたので、またほぼ同じところを再訪するのが今回です。

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大人の縁日。大人が昼間っからアウトドアで酒を飲めるイベントです。開催されるのは、阿佐ヶ谷駅南東にあるもと湿地帯、”一番街”。
そこに向かおうとすると、やっぱり目が行っちゃいます、いいなあ、この豆腐屋さん。

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その豆腐屋さんの前方から、もうなにかが始まってます。

うーん、イイネイイネ、道路にイスと机が出てますよ。でも、開始時刻を少し過ぎてから行ったのに、まだまだ準備中の店があって、開始してませんww ひともまばら。

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その先、ジャズストリートのときに相澤堀の流路の一つではないかと想像していたあたりに、素朴なステージのようなものが。ステージに続く、花道のようなものも。
ゴザだけど・・・。

ライブが行われるようであります。

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花道は裏手までつづきます。
ちょうどここが、流路だと思った細道。

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ゴザの終点・・・出演者、このアパートから出てくるのでしょうかww

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それから、一番街では各種食べもの屋さんの出店のほかに、フリマスペースと、こういう無料で提供する場(無人)がありました。
これ、菊正宗の販促用?徳利ですが、わたし、こういう白×青の陶器好きなんですよ。しかも和の花柄なんて最高。というわけで、もらってまいりました。

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もっとすごいのがここ。ここは、大きなシートの上に一見フリマのように沢山のものが並び、人だかりです。お店の中からつぎつぎ、おばさまがものを持って来ては並べてます、売れ行き好調だから、商品追加~!みたいなノリで・・・無料なのに・・・。豪儀だな・・・。

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あ、ええと、もちろん今日は、昼ごはんと昼酒をしにきたのです。まずはイラン料理の出店で、煮込み料理とクスクス、ビールをいただきました。
ちょうど隣では、お店のお子さんらしい、イラン人の男の子が昼ご飯を食べていて、談笑しながら食べました。うまし!

ほか、道のあちこちに、焼き鳥、焼きそば、チヂミ、牛スジ煮込み、カレー、キッシュ・・・、すてきなものがいっぱいです。フォカッチャサンドの隣に手づくりバスボムが並ぶという混沌。(買ったけど。)

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一番街の、裏手の路地もいい感じになってます。前回ゴールデン街に見えたところで、この日も常連さんがびっしり。ちょっと入りづらいですが、豚汁や、焼き牡蠣がありました。

牡蠣を焼いてる隣には、地べたに座って宴会をしだすおじさま方。その向こう側では、地べたに座ってクレヨンで絵を描く女の子。混沌・・・

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お。先日は気づかなかった、コインランドリー発見!しかも、マンションの一階、はじっこのすごーく違和感のある位置なんです。
実は、このブロック(やたら開放的なラブホのある一角)には以前”鶴の湯”という銭湯がありました。このマンションがもっとも銭湯跡くさい気がします。

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カニクリームリゾットのコロッケ、なんてのもあります。おいし~~。歩きながらぱくぱく。
さきほどのステージで、沖縄民謡のライブがあるらしいので、泡盛片手に待機していたら、予定時間を過ぎても始まらない・・・。聞いてみると、歌い手さんが、「まだ大阪」で、間に合わないらしい。またかww

なんだか似たような目にあってますが、それがまた面白く。沖縄成分が不足していたからかどうかわかりませんが、この後ふらっとパチンコ屋にいき、海物語の沖縄版(前身であるギンパラはさんざ打ちましたが、沖縄版は初)とシーサーの出てくる台(基本的にドラムは好きなんですがこれも初)、なぜか沖縄系の2種を打ったら妙に当たってしまい・・・、気づいたら、日が暮れてました(涙)。

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ほんとはもうちょっと行きたいところがあったのに。とりあえず、うさぎやでどら焼きを買って、パチンコの景品持って食べあるき。うさぎやは、太田光代が愛用していたり、おいピータンによく出てきたりと阿佐ヶ谷の行列店ですが、この時は行列なし。本家うさぎやみたいに、んまい!です。

桃園川の流路の一つである、河北病院脇を歩きます。ここは、かつて歩いた本流とも北側支流(仮)とも異なる流路。

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そこを歩いて行くと、けやきのお屋敷跡と、弁天池なるものがあった場所があるはずで、そこは行ったことがなかったのです。

・・・こ、これが弁天池か!?

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すぐ近くにはこんな看板が。弁天、という名のお惣菜屋さんがあるみたいでした。閉まってましたが。

この看板の感じと、新しい建物がちぐはぐですが、きっと以前はふるくて味のある店舗だったのではないでしょうか。そして店名はさきほどの弁天池が由来なのかなあ。

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もうわたしのデジカメじゃあろくなもんが撮れないほど暗くなってますが、もう一箇所だけ寄ります。さきほどの、弁天池の湧水を使って、かつて潤されていたという、”馬橋田圃”がここらへんにあったとのことです(「杉並の通称地名」より)。少し距離があるのが気になりますが、いまのところ情報源が少ないもので。

と、まあ、随所に水のあった街、阿佐ヶ谷。たしかに、中央線杉並4駅のうち、もっとも青ペンで塗られている(マイ地図は水路を青で描いています)のが阿佐ヶ谷なのです。ここまで歩いてもなお、まだ未踏の川跡があります。それはまた、いずれ。

面白いことに、この日、えいはちさんも阿佐ヶ谷の、しかもこの近くをうろうろされていたようです。えいはちさんは、お伊勢参りをイメージしながらすてきな旅をされていますが、わたしは昼酒呑んでパチンコ打っていたという・・・ほんの100mくらいしか離れていない位置でしたが、なんかえらく違うことをしていた気がします。どうりでお会いしなかったわけですなぁ。ま、そんな多彩なたのしみ方のできる街、阿佐ヶ谷、ってことで強引にまとめます。

大人の縁日は、年に3回あるようです。以前の情報よりも、店舗数も客数も少なくなっていたような気がしますが、そのほうがまったりしていて良い気もします。つぎは4月実施の予定みたいなので、ご興味持たれた方は、是非w

それと、以前気にしていたワンダーJAPANTVの、首都水路探検。あれです・・・最近気づいたんですけど、この番組は野田真外氏が関与されているものでした。ということは、東京静脈。と、いうことで、おそらく探検するのは野田氏ではないかと・・・

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桃園川支流を歩く その38阿佐ヶ谷ジャズの周辺

阿佐ヶ谷ジャズストリート、というイベントが10月にありました。
いままで、混みそうだからと行かなかったけれど、今年は行ってみました。
そんな行動に出たのは、そのすこし前に有楽町の路上で聴いた、すてきな演奏がきっかけです。わたしはジャズにはあまり詳しくないけれど(持ってるのは大御所のを少しだけ)、”疾走感のあるジャズ”がとても好きで(sleepwalkerが大好き。クラブジャズ、と呼んでいますがジャンルのことはよく知らない)、そうしたらある日街角でとても好きな感じの演奏をしている方々が居て。なかでもドラムがとても良かったので、なんでだったか忘れてしまったけれど、演奏が終わってからそのドラムの方と少しお話をしたのです。そうしたらその方が阿佐ヶ谷のイベントに助っ人で出るから、と。「茶漬け」とかなんとか仰っていて、これも縁だぞ、今年は阿佐ヶ谷いこう!と、胸に決めたのでした。

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・・・そこで「茶漬け」と名のつくひとたちを探し、いつもよりもザワザワとしている阿佐ヶ谷へと。もちろん、ジャズだけじゃなくて暗渠ネタもぶっこみますよ。

まずは阿佐ヶ谷駅前。ここも川筋があります。以前、相澤堀を阿佐ヶ谷駅まで辿ってきたことがありましたが、その先、相澤堀は駅前を通って桃園川本流へ向かいます。そして、地図によっては、駅前ロータリーのあたりに池が描いてあります。人工度がめちゃめちゃ高いですが、今はこんな池があります。

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しかしいま駅前でもっとも目立つのは、貯留管工事の緑の建物でしょう。そこには以前見学に行きましたが、その裏がこの日はこんなことに。

演奏の会場のひとつになってるのでした。さて、あのドラムの人が発していた「茶漬け」ということばを探します。すると、該当するのはHibi★Chazz-Kというグループ。

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演奏しているらしき場所へ向かうと・・・、うはぁ、人がすごい固まってる。(でも、思っていたほどコミコミじゃなくって、これならまた来たいな、と思えるゆとりがあります。)

通りすがりの酒屋さんで、アスポールという林檎のお酒を一杯買って、呑みながら聴こうじゃありませんか。

しかし、そこに目的の人はおらず、スタッフさんに聞いたら、「順番が変更になった」・・・

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なんかよくわからないけど、わりと柔軟なスケジュールなのかもしれません。そりゃまた、中央線的で良いです良いです。別なスタッフさんが「アーケードをウロウロしていれば会える」と仰ってたので、ウロウロします。
すると祖母から電話があったので、立って話してると・・・、なんか妙にうるさくなってくる。数歩離れても、どんどんうるさくなってくる。・・・移動しながら演奏しているグループが数組あるのでした。ホラ、向こうからたのしげな団体がやってきましたよ・・・

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上の写真はまた違う人でしたが、お目当ての茶漬けさんも移動式みたいでした。でも残念ながらドラムはさらに違う方(助っ人の助っ人?)でした。でもでも、パワフルですてきな演奏で、なんかファンも多いみたいで、こんな風にスゴイ人だかりが、あとからついてってました。
過ぎると、またがらん、となります。

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阿佐ヶ谷じゅうで演奏があるので、あちこちへ移動してみます。北口に、「とろけるチキン」という新しいお店ができてました。
炭火の上でぐるぐるぐるぐる、まるごと鶏が回転してる、なんてダイナミック。引力に負けて、並んで買いました。これが、なかなかうまし!わたしは鶏の皮ってもんが苦手なんですが(パリパリしてればOKなんだけど)、ここの皮はパリパリじゃないのに美味しい!すばらしいこと!

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チキンを待ってる間も、後ろをジャズの演奏が通って行きました。おもしろいなあ~~、このイベントww

さらに北上して、松山通りをウロウロ。いままで気づきませんでしたが、北側支流(仮)のさらに北に、井戸がありました。タイガーでもドラゴンでもない気がする!

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それから駅に引き返して、相澤堀のつづきを下ります。年代によって流路が変わるようですが、北口を出て右側、高架のすぐ下を東流するものがあります。それと、もう一本北側の商店街とをつなぐ、この車止めのあるところは、わたしはタイタン支流(仮)と呼んでいる、ささやかな流れです。だって隣にタイタンがあるから。

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北口のほうの相澤堀の、流路はおそらくここです。

リバーサイドさんが、相澤堀(相澤用水)について書かれているときにも、ここら辺の写真を撮られていました。

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わたしはずっと、この右側(入れないほう)が暗渠だと思っていたのですが、ケロキ師に聞いてみたところ、それははっきりとはわかっていないとのことでした。ちなみにある時期までは、線路の位置に流路があったとのこと。

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1枚前の流れは、この建物の向こうで、けやき公園に出てくる桃園川本流と合流するようです。

その手前の、この建物の位置には、沼か池があったようでした。

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さて、また駅の方に戻ってきて、駅付近を探ります。相澤堀の阿佐ヶ谷駅付近の流路は、史料によってホントさまざまなんです。

まず、駅の南東にある一番街のあたりは、湿地帯だったようです。そこを回っていく流れもあったようで、かなりそれっぽい雰囲気を放つのがここ。

後から確認したら、翠月庵さんも阿佐ヶ谷川と推測してらっしゃいました。後日訂正:翠月庵さんは、ここを阿佐ヶ谷川の本流とは考えていらっしゃらず、もっと西の方で北上していると推測されています。

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入っていくと、このようなナナメっている区割り。あやしいあやしい。
そして、ここを抜けると、そこには雰囲気のよさげな飲み屋さんが数軒建っていました。しかし、ゴールデン街なみにハードルの高い雰囲気です。

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うわさの湿地帯跡商店街、一番街はここです。ジャズストリートは夜までやっているので、このときも阿佐ヶ谷のあるエリアではジャズが聞こえまくっているのですが、なぜかここら辺は我が道を行く雰囲気です。
串カツ屋さんに、ガーナ料理、焼肉・・、ふらっと入りたくなるお店がいっぱい。

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さらに、どーん!
さすがだなぁ・・・。これはすごくステキです、あえて夜中の3時とか、朝の8時とかに行ってみたいよ・・・。酒、ツマミのほか、ラーメンまで置いているという、何時に行っても自己完結できるお店です。

ちなみにこのとき発見した情報「大人の縁日」。こんなすばらしいものも、湿地帯跡商店街では行われているのでした。行かねば。

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昭和20年の地図において、相澤堀(相澤用水、阿佐ヶ谷川)の流路っぽく描かれているものは、駅前でカクッと折れて北上し、線路を越えています。その「カクッ」の位置に行くと、そこにはこんな大衆居酒屋がっ・・・!後日追記:正しくは、このお店の後ろ側の、現在道の無いところが流路のようでした。gooの昭和22年航空写真でも確認することができます。

この外観、たまりまへんな。(後で呑みに行ったら、料理も美味いし、かなりデキたお店でした!)

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ここらへんも流路らしいです。このとうふ屋さん、味わいがすばらしい・・・。店内にあかりが灯っていましたが、お店が開いているのを見たことは無いので、残念ながら営業はしてらっしゃらないのかもしれません。

駅、南東の湿地帯はここらへんまで。つぎはもっと西へ行き、駅南西の暗渠も見に行きます。

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それは、以前リバーサイドさんからいただいた情報(文化女子大杉並高の方から来る流れ)で、わりとはっきりとした暗渠がありそうなのです。

向かう途中にすごく気になるサンドイッチ屋さんがありました。こういうレトロな手づくりサンドイッチ屋さん、好きです・・・(サンドーレ、ってチェーンなのですかね、知りませんでした)。

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そしてその先に、久しぶりのコンクリ蓋!!

杉並で、新しいコンクリ物件に出会うのはけっこう久しぶりです。うれしい~~!!ワクワクする~~~。

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1枚前の写真の、下流方向を見ます。民家の敷地内に入って行ってしまいます。

が、その手前のこの横断ップリがじつに味わい深い!!

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追える方向へと、上流へ向かうと、カーブしています。うははー!

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しかし曲がったとたんにプツン、と途切れます。ここの水源は不明とのこと。残念ながら周囲を見ても、よくわかりません。

そして、杉並史跡散歩地図によれば、このあたりにもう一本暗渠があるかもしれないのですが、それは全然痕跡がありませんでした。

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さきほどの民家の敷地よりも下流へと向かいます。すぐに相澤堀との合流地点に至るので、相澤堀の中から探ります。

すると、このアパートの敷地の中をコンクリ蓋らしきものがはしっていました。うわーん、暗い・・・

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ここにコンクリ蓋の途切れ目が、あるような、気がする!

ちょっと不自然なはみ出し方をしているのでたぶんそうだと思うんですが、うーん、ここは歩いたことがあるのに、気づかなかったです。

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もう一度、駅に向かいます。すると、相澤堀より1ブロック北側にも車止めを見つけました。

ちなみにこの手前は、”杉並の川と橋”によれば、”西窪”と呼ばれる窪地だったようです。湧水もあったようなので、そこで湧いたものが駅方向へ流れる、始点だったのでしょうか。(そしてこの場所の南隣=釣堀のあたりは、”杉並の通称地名”によれば、”阿佐ヶ谷田圃”。)

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その西窪からの流れ(?)を、駅へと向かっていくと、あ!相澤堀とを結ぶかたちで、車止めがある・・・。
ちょうど、川端商店街の、飲み屋横丁みたいになっていてすごく気になっていた通りでした。ここもだったかー!田圃をつなぐ用水路かなにかでしょうか。
すぐそこのお店は、道にせり出した席があります。暗渠呑みができる席!

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もう少し駅に近づいていくと、自転車置き場のすぐ脇でした。暗渠と自転車置き場、これも組み合わせとしてはよく見る気がします。

・・・なんだか、ジャズそっちのけになってますけど、いいんです。

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駅前であと2箇所だけ、確認したい場所が。ひとつは、パールセンター沿いの、池があったとされる場所。

痕跡は無いかもしれないなあ、と思いながら確認しにゆくと、そこは駐車場でした。しかも、前から駐車場っていう感じの。ちょっとうれしい。

追記:「杉並区史探訪」によれば、かつては”森一材木店辺りに、広さ百坪位の深い池”があったとのこと。でかっ!この池は、中央線の盛土用に土を売ったところ、請負師が掘り過ぎて池になった、なんていうエピソードがついてました。

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もひとつ、川とは関係なくなってきますが、墓地と描いてある場所も、いちおう。・・・そこには高層マンションが建つようでした。追記:前出の杉並区史探訪によれば、この墓地は用水路(相澤堀)の南にあって、周囲は雑木林で狸や狐が住んでいて、不気味な場所だったようです。

ここらへんはむかし、墓地があって、池や湿地がいくつもあって・・・、じめっとしていて夜は怖そうな場所だったのかもしれません。いまは、駅が目の前。きょうは、ジャズが高らかに響く、にぎやかな場所。

・・・と、まあ、地図なしで書いていると、何がどこにあるやら、って感じだとは思うのですが、今回はここまで。地図はそのうち手書きで追加したいと思います。つぎ、阿佐ヶ谷でもう1記事書きたいと思います。

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地形にひかれて王禅寺 その3

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王禅寺編のつづきです。
前回は王禅寺に寄ったあたりで終わっていますが、その隣の敷地(ここも絵図においては王禅寺の”寺山”とされていた場所)には王禅寺ふるさと公園、がありました。川崎市制60周年記念総合公園、なんていうオカタイ名前が本名みたいですけれど。
その公園もまた谷戸状になっていて、真ん中をこのようなフェイク川がはしります。確かとはいえないけれど、ここが”助左衛門谷”かもしれない、と思います。

Ou66

そのフェイク川の流末は池になっていて、フェンス無し×浅瀬になっているのに、池に入ることが禁じられているという、小悪魔なつくりでした。
その池の下側は、このような暗渠っぽい空間です。この奥には、早野川という開渠が流れています。
早野川の現在の起点は”般若面調整池”で、絵図にも”はんにゃ免”と、池が描かれた場所があって・・・ほんの少し遡れば見られたというのに、疲労が出てきてやめてました。あー見たかった・・・般若・・・

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早野川を少し下ります。

早野川の1番目の橋は、梨ノ木橋というカワイイ名前。そこからハシゴ式開渠がしっかりと見えます。流れもしっかりとあって、さらに坂の上から下りてくる側溝から、じゃばじゃばと音をたてて湧水らしきものが流れ込んでいました。

そして、この早野川流域に、王禅寺の絵図で一番気になった場所があります。

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それは、絵図上では”けわいめん谷”、すなわち化粧面谷(けしょうめんやと)です。各谷戸の名前のなかでももっとも「ん?」な響き。
その由来は、王禅寺村が徳川秀忠夫人である”お江与の方”に、嫁入りの際に与えられた領地=御化粧領、であったことからきています。けわい=化粧、めん=年貢の免除、を意味するのだそうです。
いまも化粧面の名が残る看板を見られるかも、と思って探しましたが、結局見つかったのはこの公園の看板のみでした。
ここは谷と名がついてはいますが、丘の上にあり、鎮守五社の1つである比川社の脇を通って、さらに上へ上へと行った位置にあります。
なお、前回触れた”日吉谷”は、ここがお江与の方の御化粧領になったときに、日吉山王(山王社)が勧請され、その後についた呼び名なのだそうです。

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それから・・・、また山をひとつ越えて、ひとつ西隣の谷へと移動します。(麻生川の谷→真福寺川の谷→黒須田川の谷→早野川の谷、とぐる~りと回って来て、再び真福寺川の支流の谷へと戻ってきました。まあなんてややこしいw)
籠口の池という、かつて溜池だったところに出ました。いまは”籠口ノ池調整池”と書かれています。”池”が被っていますが。
この上にも谷戸らしきものがあるようです。この写真の右側にじゃばじゃば注いでいるのは一見水道水でも入れてるのかと思う勢いですが、ここは調整池なわけだし、湧水でしょうね。。。

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籠口の池を見るのもそこそこに、また山を上ります。地図上ではショートカットをしてお隣の谷戸に行きたいだけなんですが、地形上はスゴイ坂・・・ショートカットにした以上の体力が奪われた気がします。嗚呼、川崎の凹凸がわかる地図帳が欲しいぜ・・・

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さらなる調整池、花島調整池あらわる。流末は真福寺川です。王禅寺ではさまざまな調整池をみてきましたが、ご近所でも調整池のテイストが結構異なりますね。

ここは、真隣にバスターミナルがありました。

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近くにあった案内板を見ると、”花島”だけあって、たしかに島状でした。

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さあ、そろそろ疲れてきましたよ。帰ろうか・・・でも、目の前にこんなでか蓋(軽自動車のタテよりも長いんです)があって、心躍ります。

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でか蓋の上流は、開渠でございました。これは真福寺川の支流で、上流に”むじなが池”があるので、むじなが池支流(仮)と勝手に呼ぶことにします。

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むじなが池支流(仮)はなかなか風流なところで、川沿いに古い柿の木があったりします。
水路と柿の木、王禅寺らしいであろう風景。

家々の玄関前をむじなが池支流(仮)の水路がはしります。それぞれの前に小さな橋がかけられ、水路は狭いながらもイキイキとはしります。

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その上流はなんと何方向にも分岐していて、ひとつはこの山のふもとを流れてくるようでした。もうひとつ、追えなかったけれど右手の緑地に消えてゆくものもありました。

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さらなるもう1本は、立派なハシゴ式で、

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辿っていくと、じゃー!と湧水がすんごい勢いで出ている所あり・・・。

この、王禅寺近辺ほとんどの場所でそうなんですけど、なぁんか、水自体は汚くないのに、水路に妙なオレンジ色が付着しているのです。。土のせいなのでしょうか。それとも汚水?
追記:湧水でも鉄分が関連して、このような赤色が付着することはあるようです。この写真の場合、鉄バクテリア、かもしれない・・・と、ちょっとだけ補足。詳しくないんで自信ないですが;

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じゃー!!の出てくる方向を探しに行ってみると、ちっこい谷頭のようなものがあり、湧いているのは見えませんでしたが、谷頭から2方向に流れが出ているように見えました。この、地味~な1本は、下流へとつなげていくと3枚前の写真、山のふもとに沿っているあの流れになりそうです。

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うーん、一体いくつ谷戸や支流があるんだ!全部たどると帰れなくなりそうです。むじなが池をめざします。

白山神社の脇を通り、盛り土をしたような場所を抜けると、池っぽいものが見えてきました。

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むじなが池かな?・・・と、のぞいてみると、

汚なっっ!

なんか妙な色です・・・。新ゆりグリーンタウン南調整池、でした。

追記:この汚いと感じた色合いは、妙な白っぽさでした。白といえば、俊六さんの書いてらっしゃる、ベギちゃん(ベギアトア)!?かと後で思いつきましたが、ベギちゃんはもっとベール状なので、これは何らかの成分が溶けているのかもしれません。謎は解けず。

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さらに、調整池を遡って行くと、池じゃなくなって、フェンスの向こうから子どもの声がしてきます。

自分がいま立っている位置より、妙に低いところから声がするので、なんかふしぎな感じ・・・

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フェンスの尽きるところまで歩くと、公園の入口が。そこはかとなく、(池のですが;)暗渠の公園でした。

すんごいじめっとしているのだけど、子どもがキャーキャー遊んでいて、なんだかうれしかったですw

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上流側には、また池が出現。ここがむじなが池です。

釣りをしてる人も少しだけおり、フナなどが釣れるということでした。

あ、ちょっと水質がよくなっている・・・調整池に行くまで、一体なにがあったのでしょうか・・・

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遡って行くと、さらに上流は池じゃなくて川の流れになっていて、こんな、岩をつたって流れ出る出来すぎの風景に!!

これが真福寺川の水源の一つなわけです。

水源をぜひ見ようと、岩のところへ行くと、なんとそこには、

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見てはいけないものが・・・。

・・・・・。

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脱力するのは一瞬だけでした。だってその先は、こんな凄い谷頭だったのです!
わかりにくいかもしれないけど、空川源流の一二郎池の端っこを、もっともっと切り立たせた”ザ・谷頭”って感じなのですよ!これはすごーい。

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すごい、すごい絶景。・・・しかし残念ながら、ここでデジカメの電池が切れてしまいました。ははは・・・この崖を越え、柿生の駅へと帰ります。途中、猫と会話するおばさまに混ぜてもらったり、王禅寺名物・禅寺丸最中を買ったり、洋菓子やさんで柿の葉茶マドレーヌや柿の形のクッキーを買ったりしながら、帰ります。

これは、禅寺丸最中です。なかなか美味しかったですよ、カタチもかわいいし。もし餡の中に干し柿のペーストかかけらでも入っていたら、なお良いような気もしますが。

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さて、さて。もう暗いですね・・・だのに、駅周辺でもいくつも暗渠を見つけてしまいました。駅の裏(駅と並行する裏道)にも一本、暗渠が走っており、そこのコンクリ蓋をガタガタといわせながら、地元の皆さんは家路につかれるようでした。
そのコンクリ蓋のすぐ隣に、王禅寺編その1で書いた、バスターミナルがありました。その2つをどうしても書きたくて、これは柿生駅のホームで伸びながら撮ったんですけど・・・伝わりにくい結果となりました;;
さらに、ここらへんに”沖ノ谷戸カフェ”という名のカフェがあるようです。看板で見ただけですけど、うわーん、行きたかった・・・!!

そんな、行けてない場所を多々残した王禅寺編。今回でひとくぎりとします。王禅寺の地形図に、絵図から関係用語をプロットしたのが、以下の図です。これだけでもまだ積み残しがあることを痛感します・・・。ちなみに、かうが谷(光ヶ谷)、はい松谷(這松谷)、白山谷(白山)、嶋田谷(島田)など、現在は宅地化されてしまい名残がほどんと無い、という場所も多いようですが。

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王禅寺の、谷戸の背後にまつられていた、村人の拠りどころであった鎮守五社は、いまもほぼ変わらぬ位置にあるといいます。しかし、そういった昔の名残を留める場所の、また、切り立った崖の、すぐ隣にはぴかぴかで平坦な団地があったりします。
また、かつて、水にも土壌にも恵まれてはいない土地だったという記述がある一方で、現在わたしは、ここは水のまちであると、畑があり作物が実るところであると、感じていました。このギャップは何なのでしょうか・・・。

なんだかとても、ふしぎな余韻の残る、王禅寺の秋の旅でした。

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地形にひかれて王禅寺 その2

柿生の駅前だけで、実は王禅寺には近寄っていない前回。
今回は、王禅寺に行こうと思います。
さらに、前回は絵図だけでしたが、これはちょっと地形図でなければ伝わりにくいかもしれないと思い、珍しくgoogle earthをキャプチャ。

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これが、わたしがまるっこさに惹かれた王禅寺村であります。
・・・そこへ向かう前に、またもちょっと離れて西へと寄り道しちゃいます。だって、「隠れ谷」なんていうすてきなものを見つけてしまったのですもの。

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隠れ谷へいくには、線路沿いに新百合ヶ丘まで行かねばなりません。なんて効率のわるいっ

途中にあった、ふる~い説明板(?)。どうやら、盛土・切土について、取り決めがあるようです。これをみると、1~2m以上の地形の変化はあまりなくって(許可がおりれば別だけど)、むかしの地形がわりと残ってる、と考えていいのか・・・はたまた、ひどい造成が行われたことがあったのでこういう取り決めになったのか・・・

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まあ、おなかもぼちぼちすいてきたので、先を急ぎます。道路沿いを歩いていると、右側は結構ワイルドな山だったり谷戸だったり。そしてその谷戸から来ているような側溝があって、中からせせらぎが聞こえます。そしてそのせせらぎは、いつの間にか足元の歩道暗渠になっています。

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その歩道暗渠はぐる~っと歩道をつたって、線路の脇へ出ます。

これは小田急線の線路脇ですが、柵の間の少しくぼんだ所に、細い開渠があります。

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そしてその開渠は、この地点で線路を横断し、

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線路を越えたら蓋暗渠になっていました。

この蓋、そんなに見かけない気がします。スタイリッシュな感じ。

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そして麻生川へと注ぎます。ジャーー!

結構な”滝”で。おそらく山から来ている湧水が主だと思うのですが、くさくはないけれど、なぜかあまりキレイに見えない・・・麻生川も、水自体は汚くないはずなのに、キレイに見えない・・・。 

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麻生川に沿って、しばらく歩きます。・・・すごい谷です。この小田急線の高架は、こんなに上に見えるけれど、川の両側、そんなに遠くない位置で、この高さ=地面になっています。麻生川の谷だけが、深く低くなっているのです。

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うーん、良い景色だなー。
そろそろ目的地が近付いてきたので、谷を上り始めます。麻生川ちかくの道路には、名もなき暗渠がたくさん。ここもなぜか二本構成です。

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やっときました隠れ谷!ここは隠れ谷公園で、写真奥がうっすら谷頭になっています。そこに石碑があり、
この付近一帯は小高い山と大小の谷(やと)のある山合いの地であった <中略>この公園の付近は 小さな谷(やと)で隠れ谷(やと)と 呼ばれていたので上麻生隠れ谷公園とした
と、書いてありました。・・・できれば、何故隠れ谷と呼ばれていたかが知りたかったよ・・・。

それにしても、ここら辺では、「谷」と書いて、「やと」と読ませるんですね。たしかに、絵図や史料でもそうなっていた気がします。

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さあ、隠れ谷を探してだいぶ離れちゃいましたが、こんどはショートカットしながら王禅寺村へと向かいましょう。 
途中、自転車置き場が上にのっかっている、”新百合ヶ丘調整池”がありました。最初にお見せした地形図の左上にある谷戸を利用した調整池のようで、2つあるうち上側には水が溜まっており、下側には細い開渠が見えました。麻生川に注ぐようです。
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さて、いよいよ「王禅寺」と地名のつくエリアへ近づきます。麻生川支流の谷を上り、台地を歩いていると、盆栽が。魚屋さんの店先に、なんだか魚屋さんのかおりのする盆栽が。中をのぞくと貝殻がいっぱい入ってました。

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王禅寺五差路に来ました。あ、クリーニング屋さんがある、と思ったら、その裏手には暗渠がありました。真福寺川の傍流のように見えます。
ちなみに、やや南西に”吹込”という名の交差点があります。絵図には”吹込谷”という谷があったので、名が残されているのでしょうか。

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実はけっこうお腹がすいてきていて、真福寺川よりもはやくご飯が食べたい、って思っていたのですが・・・、突然あらわれた、真福寺川暗渠の異形さに、気持ちがもってかれてしまいます。

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後ろを向いて下流も見ようとします。こんどは半分開渠だ・・・!変則ハシゴ式というか。
ちょっと圧倒されます。
ちなみに地図上では上の写真が真福寺川の上流端。でも、こんなに深い谷、まだ上流がありそうな気がしてしまいます。歩きまわりましたが、現在の地形だとやはりそこらへん止まり。絵図では、もう少しだけ北東に、”はい松谷””かうヶ谷”などがあり、細流があったかもしれないと想像します。

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いや~、これが王禅寺村ですよ。王禅寺西の静かな静かな住宅地を歩いていると、しばらく台地だと思っていたのに、いきなり片方がガクン!と谷に変わります。この、”いきなり、深い”のは王禅寺のすごいところかも。崖との間に住宅が入るので、谷がうまく撮れません。。

で、この谷がいま目指している、黒須田川の上流部です。

 

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また、谷戸を使った調整池がありました。”日吉谷調整池”で、流末は黒須田川です。やはり中で開渠がチョロチョロしてます。
そして、なぜかテニスボールが何個も落ちていました。

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さきほど居た台地から、黒須田川の谷へと下りてきました。ん~谷ですねえ。

川は、写真左端の竹藪下をひっそりと流れています。

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拡大すると・・・、意外なことに、この大自然の中でもハシゴ式開渠でした。

右から1本、支流を合わせています。

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さきほどの調整池が”日吉谷”。ここらへんには今も日吉の名が残ります。”日吉”交差点と”日吉の辻”交差点など。
その日吉谷(やと)には、よく見ると5つほど更に細かい谷戸がありまして・・・、その1つを使ったもうひとつの調整池がありました。”王禅寺日吉谷調整池”・・・ですって、まぎらわしーw

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・・・って、ん?視界に何か、気になるものが入りました。

ね、猫!

うはぁ、絶対ニンゲンには入れないところだもんなあ・・・。さぞかし余裕の、どや顔してるのかなあ。

で、ここにもやはり、細流が(略

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で、さんざん引っ張ったお昼ご飯目的地は、ここでした~。ここら辺に多い、溜池を使ったのではと思われる釣堀、FISH・ON!王禅寺。(どうでもいいけどFISH OH! ZENJI だと思ってました。)
できれば、ここで釣って焼いて食べたい!釣れなくても焼き魚食べたい!・・・って思っていたら、釣る時間はもはや無さそうな上、レストランの食事が予想外に上品系・・・。

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女性スタッフばかりで、五穀米、とか、赤ワインでじっくり煮込んだハヤシライス、とかです。しかも少ない(しかも少ないのに千円以上する)。味は申し分なく美味しいし、釣堀が目の前でたのしいんだけど。。
個人的には善福寺川、武蔵野園併設の食堂の焼きそばがサイコーにうまいので、ああいう雰囲気を想像してしまうと、たぶんカクッ となっちゃいます。

でもお土産に”ニジマスの燻製”を売っています。これはし~~っとりしてて、深い味わいでかなり美味しかったです。ここのニジマスの燻製は買うべし!!!

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なにより、ここらへんはあまりお店が無いので、さっきのレストランがやっていなかったらヤバいことになってました。美味しいとこで助かったかもな。
あ、そうだ、その釣堀とも関連しているであろう、黒須田川を追います。今回追っている川たちは、ぜんぶ、鶴見川の支流です。そういう先入観があるからなのか、な~んか、鶴見川”っぽい”。。

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いま追ってきた日吉谷の流れの、すぐ東隣に、もうひとつ谷があります。その谷の入口は旧石川村との村境で、日吉山王があります。

日吉山王の脇がここ。今見えている、奥の方に”源佐衛門谷”があり、そこからまた川が流れてきています。

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その流れは、この2~3mのコンクリートの壁と、右側の工事現場に挟まれて、もじゃもじゃに囲まれていました。

Ou60

壁によじのぼってよーく見ると、あ、蓋だ。こんなに上流なのに、暗渠なんですねぇ。
すごいじめっとしてるし、ゴミが捨ててあるし、かなり打ち捨てられた感があります。

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その暗渠が道と交わるところ。これより下流は、ハシゴ式開渠に変わります。

この流れと、さっきの竹藪脇の流れを合わせ、黒須田川は黒須田村に入って行くのでした。

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さてと、黒須田村へはいかず、王禅寺村へと戻ります。黒須田川のすぐ西には小高い山があって、そこに星宿山王禅寺があります。登るのはきついけど、せっかくなのでおまいり。星宿山、ってなんだか乙女だなぁ。。

ちなみに、王禅寺村に特徴的なこととして、「谷戸を中心とする集落の共同生活の精神的な拠所として、王禅寺を取り巻くように、村の鎮守五社が谷戸の背後に配置されて」いるということがあります(”川崎歴史ガイド王禅寺”より)。ここは土壌も水も豊かではない土地だったそうで、そういう意味でも”背後から守ってもらえている”安心感は必要だったのでしょうか・・・。

さて王禅寺編、写真を撮りすぎたのでもうちょっとだけ続けます。今回あるいたところで、絵図にも載っていたものを、地形図にプロット。う~ん、数ある王禅寺の谷戸のうち、はんぶんも巡れていないかも!

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地形にひかれて王禅寺 その1

秋だから、と、紅葉川を下ってる途中ですが。
やはり、秋だからと、王禅寺さんぽをしました。

以前、絵図の展示にて、しこたま惹かれた王禅寺。・・・その川崎のミュージアムショップで得た王禅寺のパンフレットの一部をチラリとお見せしましょう。

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こんな感じ(見づらくてスミマセン・・・見づらいため実力を発揮できていません)。まるっこい印象のこの村は、四方と中央に山があって、その間に谷戸がびっしり!絵図内にも谷!谷!谷!・・・ほわぁぁ~~、なんだココはぁ~~。

と、思って調べてみると、王禅寺は柿が名産(※)。秋にピッタリじゃないですか。
それから、釣堀があって川魚が釣れるという。これまたすてき。
これまで、王禅寺のオの字も知らなかったのに。それに、わたしはもともとは地形ファンではないのに。絵図で地形に惚れて、という接近の仕方は自分にとってかなり新鮮です。

※禅寺丸柿という独特の柿で、1370年に付近の山奥で見つけられた。その生産は大正期にピークとなったが、その後減少したとのこと(川崎歴史ガイド「王禅寺」より)。

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王禅寺に行くには、柿生の駅で降ります。柿生・・・。むかしテニスの試合に行くために、1度通った記憶があるくらい。どんな街並みだか、全くわかりませんでしたが・・・、駅前、降りたってすぐに大興奮させられることになります。

これ、線路?レール?・・・いえいえ、側溝の蓋です。

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谷戸もりだくさんなので、どっちから攻めようかと、駅前ロータリーですこし考えます。

はっ この足元に延びてくるやつも暗渠じゃん。しかも結構立派な。

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それは駅の東側の坂上から下りてきて、ロータリーを直進し、駅手前で折れ、このようにじわじわと線路に向かい、

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ここを進んで、駅の向こう側に行くようでした。駅の向こう側には、バスロータリーがあります。

その向こうにある、麻生川に注ぐものと思われます。ちなみに、柿生は「かきお」、麻生は「あさお」、と読ませるようです。

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駅の反対側までは追わず、ロータリーに戻って上流を見に行きます。

この時点で既に、実は予定外の動き。だって、まだここは最初に載せた絵図では、欄外の位置なんですもの。

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蓋が変わります。

最初のレール風鉄板蓋といい、・・・こんな据え膳は食わなければなりません!

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やっ・・・矢印登場。

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この矢印だけでゴハンお代わりできます。

いったい、何処へいざなおうというのか・・・

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最後の矢印が指すものは、自転車置き場でした。

あああ~、良いなあ、柿生のひとたちは、ここの矢印蓋暗渠通って自転車が止められるんだ。なんちゅうパラダイス!

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矢印蓋は終わりましたが、その向こうにもコンクリ蓋暗渠は続き、橋がみえます。しかもなんかかわいいぞ。

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回り込んで、橋を撮っていたら、町会長風のおじさまが、
「ん?何でしたっけ?・・・何でしたっけ??」
と仰いながら近づいてきます。

ヤバい、超あやしまれている!

うん、でもそりゃそうでしょ。。と思って、微笑みながら、正直に。
わたし「あの、ここに以前、川があったんじゃないかと思って。」
そしたらおじさま、川のことばかりか色々と教えてくださいました。

・これはただのドブ川。山から流れてきた湧水と、排水が混ざって、麻生川に注いでいる。
・以前は開渠だったけど、近所の人がクサイから蓋をしてと言ったのだと思う。
・川崎は上下水道整備率が99%だが、残り1%が柿生駅前で只今工事中。整備されたらここも無くなるのでは。
・ここら辺の土地は、少し掘るとすぐ水が出る。

そして「こういうの調査してるの?頑張ってね」と明るく帰って行かれました。不審者ぽかったでしょうに、やさしく対応してくださって、ありがとうございました!

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しかし・・・、この蓋たちがなくなったら、さみしいなあ。どうなるのかなあ。湧水も流れているということだから、暗渠自体がなくなるのではなく、小奇麗にされるという意味かと思うのですが。

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しばし水路を眺めます。あ、水が流れてる!

おじさまの仰るように中も流れているし、家の敷地から出たやつも注いでる!
この状態だと湧水か生活排水かわかりませんが、とりあえずどぶ的な匂いは一切しません。矢印暗渠あたりから、じめっと感と匂いそう感が漂っていたかと思いますが、都心の暗渠で嗅ぐようなどぶ臭は無いのですよ。

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うーん、柿生・・・。駅前1本目ですでに満足の予感。
で、せっかくなので上流も追うことにします。暗渠上は歩けなかったので、また回り込んで、するとさきほどの流れに対して垂直に合流する開渠がひとつ。

・・・は?竹の蓋・・・?か、傘が・・・。まったく描写しづらいですが、この竹の下にその開渠の下流があります。

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えーと、傘をかぶった竹の蓋の、少し上流は、こんなでした。
えーとえーと、竹ハシゴ式?開渠なのか暗渠なのか?

蓋の命名がむつかしい!!・・・その上流に開渠が見えますね。

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で、傘かぶり竹蓋(く、苦しい)の、すぐ下流は、このような枯木蓋。いや、ゴミなのだろうか。

ていうか何が載せたいのかよくわかりません。

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そのさき、駅から遡った蓋暗渠がいったん口を開けていて、そこにいまの垂直にきたむちゃくちゃな流れが合流するというわけです。

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合流地点にはなぜか巨木、なぜか巨木です。

なんでなんだ!と気にしてしまったら、負けなのかもしれません。
1つ上の写真にあるように、合流点より上流は、ワンサイズ小さい開渠に変わります。

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その上流方向をふりかえると、こう。

真っ直ぐくるものと、右斜めに合流してくるものがあります。

チョットマテヨ・・・右斜め上の流れの、蓋、ちょっと変じゃないですか?

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「はわわわわ~!」ってなりながら、近づきます。
こっ・・・これ、人んちの玄関に立ってるモノですよね。しかも表札つき。・・・鈴木さん、だそうで。

鈴木蓋です。
鈴木蓋は、後にも先にも無いんじゃないかというほどの、レア感たっぷり。

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右斜めの方を、さらに上流へと回り込みます。その間、”大ヶ谷戸”という旧地名らしきものを見ました。ここは手掛かりとなる絵図もないし、大ヶ谷戸であると信じましょう。

ここ、麻生川の大ヶ谷戸支流(仮)とします。

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さっそく谷戸のようなものが見えてきました。この真っ直ぐのところに、崖があって上に美山台があります。美山台の向こうは、真福寺川の谷です。

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美山台下の崖は、もっと左にもつながっていたので、大ヶ谷戸支流(仮)の始点を探ります。すると、やや左からもう1本のコンクリ蓋がのびてきていました。

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もすこし左に、また1流(道路中央)。つまり、美山台の崖下から、3本も細流が出てきています。

ここはマンションが2棟並んでいて、その後ろが崖です。マンションの駐車場あたりが少しだけ窪んでいるように見え、スリバチ感があります。

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マンションの駐車場にあった半渠をのぞくと、きれいな水が流れていました(底が妙に赤茶色くて、一瞬汚く見えるのですけど)。崖から湧水がどんどん出てくるのでしょうか・・・こんなに?

この流れは、おそらく鈴木蓋じゃないほうの、暗渠につながるのだと思います。

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yahoo地図を拝借して、大ヶ谷戸支流(仮)を示します。水源はおそらく美山台下の崖で、少なくとも3箇所から細流が始まっています。北側の2流は途中の流路を確認できていませんが、鈴木蓋のところで3本が合流。崖下を流れていくと、柿生保育園と書かれたあたりの崖下からやってくる、むちゃくちゃな蓋たちの流れが合流。そして矢印蓋を通って、駅をくぐります。
・・・まだ、柿生駅前をチョコマカしたにすぎませんが、既にえらい興奮しています。もう、この時点で声を大にして言いたいです・・・・川崎の蓋は、スゴイゾ!!

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忍川ビールマラソン

えー、べつに走りません。

暗渠酒マラソンとは、#1竜閑川焼酎マラソンにて概要を記しましたが、
”暗渠沿いを逸れずに歩きながら、適当な飲み屋を何軒かはしごする。
 メイン走者は、掲げた種類の酒を1杯は必ず飲むこととし、伴走者はそれに限らない。
 つまみは自由。とにかく、目についた雰囲気の良さそうな店に入る。”
という、たんに暗渠で酒を呑みまくるという企画でございます。

暗渠酒マラソン#2は、忍川ビールマラソンでした。
メイン走者はlotus62さん、いつのまにか「生ビール」縛りになってましたが、しっかり最後までたすきを離さずw、完走されてました。天晴。わたしは今回、メイン走者目線で記事を書こう、とか思ってたんですが、むつかしいので自分目線ホッピーマラソン的文体×川情報の記事のミックスで書いていこうと思います。

Sino1 集合場所は、ひそかに忍川が不忍池から注ぎ出す地点にしてたんです。そして”猫またぎさんを猫じゃらしでじゃらそう”という待ち合わせコンセプトだったのに、唯一遅刻したのが自分。そうなんですアタシャ、ダメ幹事なんです!(時々幹事とかやるんですけど、皆を連れて道に迷うとか、会計の計算ができないとか・・・。)
不忍池まで競歩で行ったのですが、それがこの日一番体力を使った瞬間でしたねぇ。。

で、着いたら、「ここに水門があるよ」と、すでにみなさん忍川歩きスタート体勢に入られてる御様子。す、すいません。とりあえず、ルールを説明して、lotus62さんにたすきを託して、スタート!でございます。

忍川:忍ヶ岡台地がその名の由来といわれ、その台地を縫うように流れていた幅3mほどの小川。不忍池から立花氏構堀までがその流路といわれ(「消えた大江戸の川と橋」より)、また、大正中期~昭和初期に埋め立てられたといわれます(「川の地図辞典」より)。

上流部は上野の繁華街なんで、お店選び放題。お店選びも、さっそくlotus62さんに丸投げしちゃいますよ。さー、酒呑みの勘で、良いお店選んでくださいまし!
江戸の御成道である中央通りを渡り、その真中にある三橋も渡る、と。そいから、アメ横んとこも抜けていき・・・、お、なかなか慎重にお店選んでますねぇ。

Sino2

さて1軒目の給水所に選ばれたのはココ、「Tる松」。なかなか良い見ためですね。このときあんまり気づいてなかったんですが、ここは”JRの橋裏観賞ポイント”かつ2つ目の橋”寛橋跡”みたいなんですよ。いやー、ニクイねセレクトが。
そして最初の給水に、「カンパーイ!!」。lotus62さん、しっかり生ビール飲んでます。ビール早飲みには自信が無いので、コチラ瓶ビールで失礼。なんとなく頼んだ鶏の唐揚の味付けが良かったですねぇ。・・・とまぁ、おつまみは唐揚げとアスパラ、あとは1杯ずつ飲んで次行きますよ。すみませんね、今日はまだまだ先があるもんで・・・。

寛(ゆるや)橋:1662年創架の石橋。由来は不明ですが、「消えた大江戸の川と橋」では寛永寺の寛?と推測しています。

Sino3

さて首都高もくぐっちゃいますよ。ココ、くちぐちに「このトンネル良いね。」と言われてたトンネルです。なんとなく暗渠好きさんの気持ちをくすぐるトンネルなんでしょうね。潜るあたりが。

さ、トンネル抜けて、東上野に入りますよ。”東上野で焼肉”、これ、アタシが最初っから言ってたことなんですけど・・・、ガッデム。なんと東上野に焼肉屋さんの給水所は無かったんですヨ。ロケハン無しだったもんで、焼肉腹になってたみなさんには悪いことしました、心の中で平謝りです(自分は完全に焼肉腹でした。「ハラミだけ頼む」とか決めてましたもん・・・)。ぴかぴか輝く、コリアンタウンのネオンに後ろ髪をびしびし引っ張られながらあるきます。

さらにですね、自分でマラソンコース描いた地図を作っていったんですがね、これがまた自分で全然読みとれない。大体、いま自分がどこに居るかってのがわかんない。てんでダメ幹事です。(幹事じゃなくて企画段階で終了の人でした・・・。)コースについては、地図を上手に使えるHONDAさんと味噌maxさんにかなり教えてもらっちゃいました。いやー、ほんとありがとうございました。

Sino4 で、東上野の忍川沿いはみごとに居酒屋さんが、「無い」か、「満席」か、「ビューティフルサンデーの生演奏が漏れ聞こえていてコワい」しか、無いんですわ。

しばし彷徨って、やっと見つけた「Kぼっこ」で、カウンター一列並びで給水ですよ。第二次、カンパーイ!!ああなんか、”給水”って感じ、しますねえ。それと、フルボッコしか思い浮かびません。

つまみは餃子と葱チャーシュー。これいいですね、生ビールマラソンにふさわしい料理って感じするじゃあないですか。そして餃子がね、ちゃんとおいしいんですよ。lotus62さん2杯めの生ビール行ってましたが、やっぱり残りのメンツは瓶ビールと、梅サワー(←違ったらゴメンナサイ)です。ら、ラーメン、食いたい・・・がまん。。。

Sino5

さーKぼっこを出たら、三味線堀へと清洲橋通りを南下します。清洲橋通り、店があるものと思ってたら無いんですねえ。「○○通り」ってのは、居酒屋があるもんじゃないのか。困った困った。

・・・砂漠のオアシスのごとき、やっと見つけた店は「C」。入ってみたら、和風で良い感じ!しかも貸し切り状態で給水ですよ。おでんときたら、日本酒、ってなもんで一人ぬる燗を頼んじゃいました。ぐびぐび。すみませんねぇ、メイン走者さん。つきだしの卵焼き&明太子、ってのが泣かせるね(また酒に合うし)。料理好き味噌maxさんもかなわない卵焼きの丁寧さのようですよ。

ここでえいはちさんも合流し、やっとテーブル囲んでワイワイ出来る席になったんで、皆で情報交換。デカイ地図、地形図、コンパクト地図、古地図・・・、それぞれ持ち寄った地図を見ては、誰かと「あ~~ココはこうなってたんだ!」やら、「あの記事のあそこはきっとこうですよ」やら、ひたすら暗渠の話です。

これに、おかみさんが興味示してくだすって、帰り際に「みなさん、地図見てらしたでしょう?一体なにを・・・?」と聞いてくださる。ナイスアシスト!そこで待ってましたとばかりに、「三味線堀がここにあったらしいですよね」と、誰かが言うと、おかみさん、なんと周辺をみずから先頭を歩いて案内してくださるんです。

三味線堀:「消えた大江戸の川と橋」によれば、立花家構堀→佐竹家構堀を一巡した忍川の水が、注ぎ込んでいた人口堀で、三味線のような形をしていたのでこの名がついたよう。さらに昔は”姫ヶ池”の跡地で、池沼の多いところだったのが、この堀を掘った際の土で池沼を埋めたとのこと。また、季刊Collegio14号「江戸東京消失地名録」によれば、三味線堀が掘られたのは1630年で、江戸・明治における生活廃水路&物資(下肥・材木・野菜・砂利)の集散所だったそうです。しかし周辺の人からすると”汚れたどろどろの堀”なので、明治期に改修や埋立の希望が出されたけれど、下水施設&通船のための重要な堀ということで許可されなかったという歴史があるそうです。ところがその後の埋立の経緯は定かでなく、その年代も大正初期~震災後まで諸説あるという謎ぶり。埋立後は幾つかの施設が建てられ、そのうちの1つ三味線堀小売市場は平成10年まであったそうです。

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「C」のちょうど向かいが三味線堀の岸だったみたいで。おかみさん「そこらへんで家建てるときに、地下掘ったら堀の石がごろごろ出てきた」って言うんです。もう、一同目をキラキラさせながら、夜の台東区で一生懸命地面の下のこと妄想してるんですよ。
そしてこの写真の建物が”三味線堀市場”の跡。おかみさん、この前まで案内してくれました。ホント、感謝です。ありがとうございました!「C」、最高なお店です!!

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そして三味線堀については、えーとたしか、ここらへんに碑があったって聞いてるんだけどな。
どこだどこだ・・・探していたら、見つけて欲しくないのかよっていう位置に碑がありましたですねぇ。えいはちさん目ざとく見つけてましたねぇ。
そんで、この近くにその名も”高橋”っていう橋があったらしいんですよ。高橋てw
きょろきょろすると、佐竹通りっていうアーケードの出口が見えて・・・、嗚呼商店街、寄りたい・・・けど寄れない。佐竹ってのは、”三味線堀の佐竹”と言われた秋田の大名らしいんですけど、リバーサイドさんがこの佐竹氏と秋田美人の関連づけるオモシロ話を教えてくれましたw

佐竹原:前述の佐竹氏の家が、明治2年に火災により焼失し、その後はただの野っ原だったので”さたけっぱら”と呼ばれ地図上でも空白になっていました。その後見世物興行場になったり、寄席や演芸施設が並んでいたりと、賑わう場所へとなっていったそうです(前掲「江戸東京消失地名録」より)。

高橋:水面からの高さが高いからという由来のよう。三味線の部分(巻き締めをする部分)を指す転軫橋(天神橋)という別称あり。(「消えた大江戸の川と橋」より。)そして高橋のあたりから流れ出し、隅田川へ注ぐのが鳥越川。

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さてここで今回一番の懺悔です!!高橋のつぎ、鳥越橋がおかず横丁の入口なんて言っちゃいましたが、アレ間違いでした。鳥越橋=須賀橋の位置でした(つまり流末)、ごめんなさい、地図書きなおしといてください。うーんお恥ずかしいことで。
そして銭湯やら、こういう歯車製作所やらに、目をキラキラさせつづける御一行。・・・リバーサイドさんは抜け予定時間よりだいぶ過ぎちゃってますけど、大丈夫なんでしょうか・・・、そんな余計な心配をしながらあるきますw。

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さてさて鳥越川の流路、じつはHONDAさんが踏破済みとのこと。この植え込みが流路だと教えてもらいました。

鳥越川:「消えた大江戸の川と橋」によれば、鳥越川は明治以降の呼称で、それ以前は名無し川だったそうです。「川の地図辞典」によれば、大正末~昭和初期に埋立てられたとのこと。なお、下流は須賀堀(別名おいてけ堀)とも呼ばれていたそうです。

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そのさき、流路はこんな道路になっちゃっいまして、もう居酒屋のイの字もない。ていうかお店が無いか、遅くて閉まってるかのどっちか。この集団、レトロ酒場が好きな人の割合高め、と勝手に思ってるんですが、そのようなレトロ酒場を選ぶ余裕もない、居酒屋不足にございました。鳥越川の途中、lotus62さんがステキ大衆酒場を指して「あすこが良いんです」と言っても、自分が行きたかった三色ライスのお店を見つけても、流路外だったり閉まってたりで涙をのんでお別れします。
そして、神社×橋を2つほど見て・・・、

甚内橋:唯一橋跡を示す石柱がありました。名前の由来となる甚内神社が近くにあり、そこには江戸の大盗賊で死刑となり、死後神格化された向坂甚内がまつられています。甚内が処刑された場所が、まさにこの橋の東、鳥越川の南岸だったそうです。

稲荷橋:由来となる稲荷神社は今も近くにあります。猿福橋、猿屋橋という別称もあり、それはここら辺に猿ひきのお屋敷がありそれが町名→橋名となったよう。
(以上、「消えた大江戸の川と橋」より。)

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あれ、すごい数の合流マンホールですよ!新堀川暗渠との交差・・・?しかし今までに見たことない数です。

あ、そうそう、ここで言い忘れましたけど、水コン協の方にこの前、これの目張りマンホール(三ノ輪で見たもの)について質問しましてね、「基本的には臭気対策だと思う、それ以上は現地で見ないとわからない」というお答えでした。

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そのときにお答えしてくださった水コン協の方が、マンホールについて話すときに非常~~に楽しそうだったのがなんとも羨ましかったです。

そんで、このマンホール、食いこんでる!食いこんでるよ!!と興奮。

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さあ須賀橋交番にきました。リバーサイドさんとここでお別れです。ここら辺でも給水所を空振りしてまして、ええい、もうゴールして打ち上げしちゃおうぜ!ってなことになります。

ちなみに何度も引用している「消えた大江戸の川と橋」の著者さんはこの交番にインタビューをしたらしく、「今もこのKOBANの下は暗渠である」とのことです。KOBAN蓋!?(ちがうか。。。)

鳥越橋:ここにあったのが鳥越橋です、ごめんなさい。2本並ぶ大きな橋だったそうです。明治以降、ここらが須賀町となったので須賀橋と改名したようです。ほか、前述の処刑場が近くにあったことから地獄橋、米蔵が近くにあったことから千石橋、天王町という地名より天王橋、といった別名も持っています(「消えた大江戸の川と橋」より)。

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ここら辺、幕府の米蔵があったところで、古地図だとフォーク状の港みたいなものがあります。鳥越川の流末(須賀堀)は付け替えられたりもしてるらしく、とりあえずジグザグしながら隅田川のとこまで来ました。途中、「暗渠サイン!」とか言ってクリーニング屋さんをパシャリ、猫またぎさん「このクリーニング屋さん、なんで撮られてるかわかんないだろうな」とボソリ。

合流口は現在ビルになってる、と書かれてるんで、この水門ははてさてなんの水門?とも思うけど、まーいいや撮っちゃえ、そこに水門があるんだからね!水門がゴール!w

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さー、無事完走しましたよ!打ち上げ飲みに移行です。たすきも3本分揃いました、このぼやけた写真の缶バッヂがそれです。しかし、まったく撮る気が無いような写真ですな。
浅草橋の「S界の山ちゃん」に入ります。さーlotus62さん、もう何飲んでもいいんですよ?え、まだビール飲むんですか!好きですねえ、ビール・・・。そんなに飲んだらおなかいっぱいになっちゃいますよ。。

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手羽先唐揚げ、ごぼう唐揚げ、チャンジャ、塩焼きそば、小倉トースト・・・嗚呼だめだもう覚えてないや、それと皆好きな飲み物で。味噌maxさんお勧めのかちわりワインを飲んでみました。はい、ゴールのカンパーイ!!

・・・量は少ないけど、ビール→日本酒→ワイン、とやってしまったので、アルコール分解力のないわたしはそろそろ酔ってます。酔ってもわかんないらしいから別にいいんだけど、それにしてもみなさん、デカいジョッキでがぶがぶ飲んで・・・お強いですねえ!!さすがですよ。

この時点ですでに終電を失っている人が実は複数名、会社に泊まる猛者あり、予定よりずいぶん遅くなっちゃいました。いろいろ不備あってごめんなさいです。でも楽しかった!
そして新宿でなぜかさらに焼酎をあおって(でもここらへんの記憶はかなり途切れ気味)、またも水辺を探索してから(えいはちさんがレポ済)、さいご、松屋のうまトマハンバーグ定食で〆ました。・・・時間をほとんど覚えていないけれど、たしか午前4時くらい?清水橋に松屋があったから、としか言いようがないけれど、なんだその〆・・・。

こんな感じの暗渠酒マラソン#2、無事?終了いたしました。参加された皆さん、どうもありがとうございました。
というわけで、実はすごい長い飲みとなってしまいましたが、楽しかったので懲りずに続けたいと思いますww暗渠酒マラソン#3を決行するか、つぎは昼スタートの酒マラソンにするか、昼間暗渠をたどって打ち上げ形式の忘年会or新年会にするか・・・。いまのところ”宇田川”という声だけは記憶しております(場所的に良いですよね)。あとは寒かったら堀切の暗渠が短くていいかもしれませんし。。。次回の参加を希望される方、飲み方、暗渠、なんでもリクエストあらば、コメント欄にお願いいたします。それから、今回は見送っていたけれど、次はチャレンジしてみたいなーと思っている方、いらっしゃいましたら、ぜひぜひ、コメントお寄せください(そのさいはメールアドレスも記入お願いします)。

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暗渠さんぽのおとも~服装編~

Ankyot

服装編っていうか・・・。さんぽ時の服装をお見せしたいわけじゃなくって、つまり、暗渠Tシャツが届いたのです。

ばーん!暗渠の文字や、ちょっときれぎれになってる感じがまた良いです。マニアパレルさま、産んでくれてありがとうございます!!

すでにさりげなく2回着ましたw
それから、暗渠Tの到着を待っている間に、なんとな~く、さらにニッチな「桃園川グッズ」か「すぎなみ暗渠グッズ」をつくりたいなぁ、と考えていました。家に大量に余っているTシャツ用熱転写シート(ずっと前に別趣味でチマチマ作ってましたw)を使って、桃園川Tシャツをつくろうか、金太郎エコバッグにしようか・・・などとあれこれ思い巡らしましたが、最終的に作ったのは、コレ。カンバッヂという時点でスリバッチのパクリみたいな感じになっちゃいましたが・・・はるかにクオリティが低いです(きっぱり)!とくに、練馬区のアレなんて、実物見てないしデザイン甘いのなんの・・・。これから少しずつ修正したいと思います。

Mimi

それから、寒くなってきたのでこれもそろそろ使えそうです。
これ、みみあて×ヘッドホンで、前からこういうモフモフのみみあては好きでした。それにヘッドホン機能がつけられないかな?と、ずいぶんむかしに機械系の友人とあれこれ考えたことがあるのですが、モノにならず。そしたら去年、雑貨屋さんにあっさりあったので、まさに夢の商品!と即買いしたのでした。
これらをおともに、冬も、いっぱいさんぽしようと思います。

*ぜんぜん関係ありませんが、ワンダージャパンTVの#13は、「首都水路探検」みたいです!!どんなのだろう、誰がどこを探検するのだろう~~、いまからたのしみです!

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